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ニュースの現場で考えること

もう15年近くも前の1999年9月、ニュージーランドのオークランドでAPEC首脳会合があった。私は当時、北海道新聞の東京政治経済部で日銀・大蔵省(現財務省)を担当していて、現地に出張した。会その3晩目だったと思う。小渕恵三首相と記者団との懇親会が海沿いのレストランであり、食事中ずっと、小渕氏の右に座った。丸いテーブルには6−7人。長く小渕氏に仕えた政務の秘書官やどこかの省庁の幹部もいた記憶がある。

ほとんどが冗談話だった。内容もほとんど記憶していない。ただ、自分なりに「これだけは総理に聞いてみよう」と考えていたことがいくつかあって、そのうちの一つが国旗国歌法だった。調べてみたら、この法律の発布・施行は1999年8月13日。APEC首脳会合が9月12、13日だから、法律ができてちょうど1ヶ月後だった勘定になる。国旗国歌法案の衆院提出はこの年の6月末で、衆院通過までに要した時間はおよそ1ヶ月だ。

法案審議は迅速だったが、賛成一色で法案が法律になったわけではなかった。思想信条の自由と強制性の問題、学校教育現場と行政の関係、戦争の歴史とアジアの反応。いろんな問題がテーマになり、国会の内外、あちこちで種々の議論が起きていた。当時、小渕氏が国会で言明した有名な答弁がある。その後、なんやかやで忘れられた感じがするが、こんな内容だった。当時の衆院本会議の議事録から要約・抜粋してみよう。「日の丸掲揚などが強制になるのではないか」という趣旨の質問に対する答弁だ。

<政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。>

< 法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。>

小渕氏の発言は他にも縷々存在するが、要するに「法律はできても強制はしませんよ、政府はそんなことしませんよ」と言っている。小渕氏とは別に、衆院文教委員会で答弁した政府委員は
「(掲揚や斉唱の指導に)単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならない」と答えている。ここでも、要するに「強制はしない」である。また、当時の文部大臣はこう答弁している。

「本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです」

教員らが「内心の自由」の下で、本当に嫌だったら強制はしない、という内容だ。その上で、「嫌を他人に押し付けたらいけませんよ」とも言っている。至極、まっとうな答弁に思える。

あれから15年近くがすぎ、日の丸や君が代を巡る風景、議論の内容や位置づけは大きく変わったと思う。法律制定時のこの国の最高権力者が「強制はしない」と言ったことが、その後はすっかりないがしろになり、教育現場では、式典等で君が代が歌われる際、教員の「口パク」を監視したり、告発したりする仕組みまで出来上がった。

こう書いていくと、おそらく、「君が代や国旗は当時よりさらに浸透したんだよ」などと反発される方もいると思う。その通りである。時代は変わる。時代が変わるということは、社会のシステム・仕組みや人々の意識も変わるということだ。そして世代交代は必ず進むから、ある出来事に伴う「変化」は、やがて「日常」になり、「日常」から「常識」、さらに「歴史」へと昇華していく。

きょう7日から特定秘密保護法案の実質審議が始まる。

この法案は当初、秘密保全法案とか秘密保全法制とか呼ばれ、もう10年近くも警察、外務、防衛の3省庁が水面下に潜って、法制化への動きを続けてきた。このブログで「野田内閣は本当に『やる』のか〜秘密保全法案」とか、「国民に対する思想調査に道を開く『秘密保全法案』」といった記事を書いたのは、もう2年近くも前のことだ。そのうち、この日が来るだろう来るだろうと思っていたら、本当に、とうとうきた。

私自身はあちこちの講演会やシンポジウム、雑誌記事などで、この法案に対する考え、漠たる不安はさんざん表明してきた。その筋道は、今も大きく変わってはいない。きょう、何か書くことがあるとすれば、この国旗国歌法の「その後」だ。要するに、政府の姿勢や法律の解釈などは、時代の変遷とともに変わっていくのである。小渕氏の答弁と「その後」は、まさにそれだ。

秘密保護法案に関しては、閣僚や関係省庁の幹部、自民党の主要メンバーらが、あちこちでいろんなことを言っている。「TPP交渉」は特定秘密になると言ったり、ならないと言ったり、原発情報は入る・入らない。ひと言で言えば、法案を出したくせに、既にバラバラなのだ。首相が言い切った事柄がわずか10数年で消えてしまう実例を見ていると、政府要人の見解さえ統一できないこんな法案が通ったら、その先には、いったい何が待っているのか、分かったものではない。

いまの政府の約束は、将来への約束では決してない。そんな実例は、今まで、さんざん見せ付けられてきた。それとも、この法案に限っては、何か特別な担保でもあるというのだろうか。だから、「知る権利」に配慮するからとか、そんな言質にもならぬ言質と交換に、単なる行政官庁を国会の上位に持ってくるような法律をつくってはいけないのだと思う。

冒頭に記したニュージーランドでのこと。手元に残っている大雑把なメモによると、あの晩、国旗国歌法の制定をなぜ急いだのか、という私との問答の中で、小渕氏は「法律は変わるから」というセリフを口にしている。あの悪名高い治安維持法にしても、当時の帝国議会では暴力団対策としての側面も語られ、制定後は改正によって最高刑を死刑にした。治安維持法が猛威を振るったのは、法律が出来てからだいぶん年数が経ってからのことだ。

世の中は変わる。
法律は変わる。
解釈や条文改訂など、「変わる」ことへの道筋はいっぱいある。
# by masayuki_100 | 2013-11-07 05:12

日本ジャーナリスト会議(JCJ)の2013年度秋の「ジャーナリスト講座」のご案内です。以下、全文転載です。

13年秋のJCJジャーナリスト講座は10月5日からスタートして11月29日まで、合計7回の講座を開きます。受講者はマスコミ志望の学生、若手記者、研究者、ジャーナリズムに関心のある市民の方々が中心です。一部未確定の部分もありますが、概要は次の通りです。ふるってご参加ください。
また 友達、お知り合いに広めてください。(JCJ講座担当)

▼10月5日(土)13時半から17時。東京・神保町の岩波セミナールーム。
「体験的・新聞記者論」朝日新聞編集委員・上丸洋一さん。
「テレビの仕事を考える」NHK放送文化研究所主任研究委員・七澤潔さん。
定員40人。参加費1000円。

▼10月19日(土)13時半から17時。岩波セミナールーム。
「ブラック企業と雇用問題を取材する」毎日新聞記者・東海林智さんほか。
定員40人。参加費1000円。

▼11月7日(木)18時半から21時。東京・日比谷公園内の日比谷図書文化館セミナールーム。
「報道写真の撮り方講座」。フォトジャーナリスト・酒井憲太郎さん(元朝日新聞写真記者)。 定員20人。参加費1000円。
 写真と説明文(200字程度)、撮影意図の文(200字程度)を10月31日までに送る。酒井さんのメルアドは受講希望者に連絡します。
写真は一枚でも、複数の組み写真でも可。

▼11月9日(土)13時半から、10日(日)同。東京・水道橋の在日本韓国YMCAアジア青少年センター。27日は会場未定。
「報道文章ゼミ」高知新聞記者・高田昌幸さん。
10月7日締め切りで、事前に1000字・自由課題の作文を出していただき、10人ほどに絞ってゼミを開催。参加費2日間で5000円。

▼11月17日(日)13時半から17時。日比谷図書文化館小ホール。
「ネット選挙と報道」講師に高橋茂さん。近著に「マスコミが伝えないネット選挙の真相」。

▼11月29日(金)18時半から21時。日比谷図書文化館小ホール。
「日刊ゲンダイ編集方針・取材は大手新聞とここが違う」元日刊ゲンダイ記者・橋詰雅博さん。定員40人。参加費1000円。

【注】このほか、11月24日(日)午後にも講座を開催する予定で、準備中です。

受講希望の方は希望日、連絡先を明記してJCJ事務局(jcj@tky.3web.ne.jp)にメールで申し込んでください。
# by masayuki_100 | 2013-09-13 13:35

山本博さんと調査報道

報道業界の中でも、「山本博」の名にすぐピンとくる人は少なくなった。山本さんの死去を知らせるニュースを聞いて驚き、それを若い記者仲間何人かに伝えても、反応のない記者も多かった。ネットで見ると、時事通信社による訃報は「リクルート報道」のくだりが書かれていない。だから余計にピンと来なかった人も多いかもしれない。

(以下、時事通信ドットコムからの引用
 山本博氏(やまもと・ひろし=元朝日学生新聞社社長)4日、心不全のため死去、70歳。故人の遺志で葬儀は行わず、後日お別れの会を開く。北海道新聞を経て70年朝日新聞社入社。名古屋本社社会部長、事業開発本部長などを歴任、00~08年に朝日学生新聞社社長を務めた。(引用終わり)

朝日新聞の訃報記事は、記事中にこう記している。

数々の調査報道に携わり、東京社会部時代に談合キャンペーンや東京医科歯科大教授選考をめぐる汚職事件の報道で新聞協会賞を2回受賞した。横浜支局次長として川崎市助役への未公開株譲渡問題の取材を指揮し、後のリクルート事件に結びつけた。

「調査報道とは何か」「それはいったい、どうやって進めるのか」。そんなこと考える記者はたいてい、山本さんの過去記事や著作物をあさる。調査報道と言えばリクルート報道、リクルート報道と言えば山本さん、という時代が確かにあったと思う。

後に東京地検特捜部が捜査に乗り出したリクルート「事件」の問題点については、リクルート側の被告・江副浩正氏(故人)が自著「リクルート事件・江副浩正の真実」を著し、その中で特捜検察と捜査上の問題を暴き出している。ただし、調査報道によって政界の闇が暴かれていくリクルート「報道」のプロセスと、その後の検察の事件化プロセスを報じた「検察報道」としてのプロセスは明らかに異なる。前者にかかわったのが山本さんである。

最後に長時間、山本さんと話し込んだのは2010年春ごろだった。東京・市ヶ谷の喫茶店「ルノアール」に個室を借り、ICレコーダーを回しながら、長い長い時間、質問を続けた。調査報道は実務的にどう進めるのか、新聞社内での壁はどう乗り越えたら良いのか。そんなことを聞きたかったからだ。後日のインタビューや他の調査報道記者へのインタビューも合わせて編集し、山本さんの発言は「権力vs調査報道」(旬報社)の中で詳しく書いた。それなりに読み応えはあると思っていたのに、さっき、録音の文字起こしペーパーを見ていたら、あれもこれも未収録になっている。もったいなかったし、申し訳ないことをした。

 「権力vs調査報道」の山本さん部分の「インタビューを終えて」欄で、私はこんなことを書いた。少し長いけれど、引用しておきたいと思う。

(以下、引用)
 公費天国キャンペーンから始まり、平和相互銀行事件、「政商」小針暦二氏をめぐる問題、三越ニセ秘宝事件・・・そしてリクルート事件へ。山本氏の口からは、かつて世情をにぎわせた事件や疑惑、疑獄がぽんぽんと飛び出してくる。
 「調査報道」を一気に有名にしたのは、米ワシントン・ポスト紙によるウオーター・ゲート事件の報道である。事件は1972年に起き、ポスト紙に触発されて各紙が激しい報道合戦を展開。最終的にはニクソン米大統領が辞任に追い込まれた。
 日本ではその数年後、調査報道の大波がやってきた。山本氏自身は「ジャーナリズムが全面的な調査報道を独自に行うようになったのは、1979年の朝日新聞による『公費天国キャンペーン』が皮切りです」と述べているように、1970年代末からの約10年間は調査報道の黄金期と言えた。朝日新聞ばかりでなく、各紙が権力不正や社会悪の追及に乗り出している。
 そうした中、山本氏の調査報道で際立つのは、「ブツ」、すなわち物的証拠へのこだわりである。
インタビューの中で山本氏は、リクルート報道においても紙面化を始める前には、すでに未公開株の譲渡先リストを入手していたと明かしている。中曽根元首相をめぐる株取引問題では、当事者しか持っていないはずの「相対取引に関する書類」を入手し、実物の写真を紙面に掲載してみせた。関連する証言は幾重にも取材している。
 それでも、新聞社の責任において取材・報道している以上、相手側が名誉毀損などで訴えてくることはある。提訴は自由だ。実際、株取引に関する1990年元旦のスクープ記事について、中曽根元首相が朝日新聞社を名誉毀損で訴えたし、そのころから、調査報道に対する社内の理解と勢いは衰えてきたという。山本氏はインタビューの最後にそういった趣旨のことを語り、「訴えられることに幹部があまりにも臆病になり過ぎている」と強調した。
 山本氏ら調査報道に深い関心を寄せる記者が多数現場にいたから、調査報道は花開いたのか。新聞社が社として、調査報道の旗を振った結果なのか。
 山本氏のインタビューを仔細に読み返すと、答えは前者であることが分かる。誤解を恐れずに言えば、過去の多くの調査報道は、一部の現場記者がそれにのめりこんだ結果であり、会社上層部の意向とはあまり関係がない。実際、山本氏が人事異動で取材現場を離れた後は、政界・財界を揺るがすような調査報道は次第に影を潜めてきた。
 調査報道に関するノウハウや意識が組織的な継承は、日本の報道機関においてほとんど実践されてなかったのではないか。この「組織と個人」の問題を解決できれば、調査報道の力は格段に上昇するはずなのだが。(引用、終わり)

 当時は私自身、訴訟の被告だった。北海道警察の裏金報道をめぐり、いわばその後始末としての訴訟が延々と続いていた。だから山本さんへのインタビューでも「組織と個人」にこだわって、質問を重ねたように思う。端的に言えば、結局、山本さんの答えは「ごちゃごちゃ言わずにまずは取材しろ」だった。調査報道の定義付けは何か、社内論議をどうする、調査報道を担う部署はどこに設ける、、、そういうことも大事だけれど、「現場の記者はまず取材に行け。徹底的に取材しろ」が答えだった。山本さんの。

山本さんにはこんなエピソードがある。リクルート報道の最中、夜に取材から戻ってきた記者が、ゆったりしていたデスクの山本さんに言った。「デスク、きょうは時間があるんですね? 一杯、行きませんか?」「お、君は今晩、時間があるのか?」「はい、ヒマです」「そうか、ヒマか。なら、夜回り取材に行け」

もちろん本当の話かどうかは分からない。ただし、山本さんの人柄がよく出たエピソードだと思った。まず取材、さらに取材、最後まで取材。山本流の調査報道メソッドがあるとすれば、たぶん、それである。山本さんは自身、それができたし、だから後輩記者にも(程度の差はあれ)それを期待した。でも結局、そうした個人やわずかな数の記者によってしか、権力監視型の調査報道が持続できなかったところに、日本の調査報道の弱さみたいなものがあり、いまの報道の姿がある。たぶん、「組織と個人」の問題である。

私などよりもっと深く山本さんと付き合っていた、報道界の先輩たち、そして山本さん自身はどう思っているだろう。
# by masayuki_100 | 2013-07-06 13:35 | ■2011年7月~

【2013年夏 JCJジャーナリスト講座】
ジャーナリズムとは何かを考え、現場記者・専門家の講師とともに切磋琢していく講座です。今回は初めて東京と大阪の2会場で開催します。

<東京会場>    
*6月9日(日)午後1時30分~5時
  日比谷図書文化館小ホール(東京都千代田区日比谷公園1-4) 

座談会「取材の面白さ・難しさ――記者の仕事を考える」  
     現場の若手記者が体験をもとに語り合う

*6月23日(日)午後1時30分~5時
   岩波セミナールーム(東京都千代田区神田神保町2-3-1)で

「政権の内側から見たメディアの姿」
講師  前内閣官房審議官、下村健一さん
   (元TBS報道キャスター。2年の内閣広報室勤務を昨秋満了)
   新著「首相官邸で働いて初めてわかったこと」(朝日新書)をぜひ読んでご参加ください。

<大阪会場>=国労大阪会館(大阪市北区錦町2-2)
   
*6月22日(土)午後1時30分~5時
  「報道の文章の書き方・取材の仕方」
   講師 高知新聞記者・高田昌幸さん(著書に『真実・新聞が警察に跪いた日』)
     ※事前に作文を書いてもらい個別添削もします。

*6月29日(土)午後1時30分~5時
  「第一線記者が語る取材の現場」
   講師:共同通信大阪社会部記者・真下周さん
     :京都新聞社記者

※資料代 各回とも1000円 定員 40人
※申し込み JCJ事務局まで。氏名、電話番号、メールアドレス、参加希望日を明記して
メールかファクスで

主催:日本ジャーナリスト会議(東京都千代田区猿楽町1-4-8松村ビル4階)
   <メール> jcjアットマークtky.3web.ne.jp
   <ファクス> 03・3291・6478
# by masayuki_100 | 2013-06-02 23:52 | ■2011年7月~

 憲法改正論議が急速に高まっている。96条に「改正」の文言があるから「改正」論議と呼ばれるのだろうが、「改悪」であったり、「改変」であったり、呼び名を変えたくなる人もいるだろう。それとは別に、こういう流れの中で、必ず出るだろうな、と思っていた動きが、案の定、ぼつぼつ出始めたようだ。

 福井新聞のオンラインニュースサイトは今月1日、<「政治色強い」と絵画作品撤去 アオッサ管理会社、県の注意応じ>という見出しのニュースを流した。公共施設「アオッサ」で「ピースアート展 憲法と平和」が開かれた際、ある出展者の作品が「政治的だ」として、撤去を求められたのだという。

 福井新聞によると、半紙に戦争放棄をうたった9条や改正手続きを記した96条などを書き出した9枚の作品だった。展示初日の4月下旬、管理会社の統括責任者が「政治的な内容で気分を害する人もいる」と撤去を要請。作者らは「憲法を知ってもらうことは政治的なことではない」と主張したが聞き入れられず、全体の展示を継続するために撤去に応じたという。

 室蘭市では、市のホームページに「憲法を守ろう」というバナー広告を出したいと要望した男性が、断られたらしい。4月25日の朝日新聞の声欄に出ていた話だ。男性が「憲法を守る自治体行政を応援する」というバナーを申し込んだら、市の担当者は「政治的主張」であり、市の要綱に反するとして拒んだのだという。憲法遵守義務のある公務員がこれでいいのか、と投稿主は書いている。

 私の住む高知県でも似たようなことがあった。護憲団体が、屋外の広告媒体に「憲法96条を守ろう」というメッセージを出そうとした。すると、政治的な意見表明であるとして断られたのだ、と。憲法擁護の、同じような広告は毎年出しており、これまでは拒まれることがなかった、それなのになぜ今年に限って、、、というわけだ。どうやら、「96条」が引っかかったらしい。安倍晋三政権が焦点として持ち出し、世上を賑わす「96条」。媒体側はそこを慮ったのかもしれない。

 憲法「改正」をめぐっては、誰もが「国民的な議論を」と口を揃える。しかし、(国政選挙の運動がそうであるように)何かのテーマを巡って賛否が激しくぶつかり合う議論の場は、政治家や学者らによるテレビ討論や憲法裁判などを除けば、日本ではそう多くない。
 
 実際、今年の憲法記念日も護憲、改憲両派の集会はほとんどの地域で、それぞれ別個に行われ、自らの主張を賛同者が大半を占める(であろう)会場に向かって力説した。両派の代表選手が顔をそろえ、激しくぶつかり合った集会などは、ほとんどなかったのではないか。端的に言えば、護憲・改憲の動きは、「国民的議論」というよりも、現状は「陣取り合戦」だ。
 
 どっちがより早く、よりたくさん、自らの仲間・賛同者を増やすか。いわば、政治勢力の拡大競争である。通常の選挙と一緒だ。

 だから、様子見の動きも出る。何かもめ事になったら面倒だし、まして後々責任が問われるような事態になったら面倒さも倍加する、、、福井や室蘭の事例は、そんな「長いものに巻かれろ」式の風潮に見える。「自粛」の風景とも映る。たぶん、こういう風潮は今後、あちこちで、目立たぬ形で広がっていくのではないか。
# by masayuki_100 | 2013-05-06 21:04