ニュースの現場で考えること:木をみて森もみる
2009-02-28T19:51:16+09:00
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「真実 新聞が警察に跪いた日」。北海道警察の裏金問題の報道と舞台裏の総括です。角川文庫から発売中です
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木をみて森もみる(45) 残り少ないロンドンの日々。
http://newsnews.exblog.jp/10992196/
2009-02-28T19:50:06+09:00
2009-02-28T19:51:16+09:00
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木をみて森もみる
夜11時ごろ、地下鉄オックスフォード・サーカス駅のホームで電車を待っていると、ちらちらとこちらを見る人がいる。妙齢の女性が3、4人。「誰だっけ?」と思って見返すと、向こうは目をそらす。
やがて電車が来て、30分ほど揺られた。そして、下車駅で改札を抜けたときである。右斜め後ろから、日本語が話しかけてきた。
「あの、高田さんですよね?」
さっきの女性たちの1人だ。連れの女性はやや離れて立っている。そこだけが明るい駅の出入り口。人込みの中で、彼女の声は続いた。
「実は乗る前から見てたんです。あ、高田さんだって、驚いちゃって。これはきっと運命だ、今を逃すともう会えないかもしれない、ここで声をかけなきゃ、って」
驚いたのは、私である。この年になって、妙齢の女性に街頭で声を掛けられるとは。しかも、相手は「ウンメイ」などと言っている。
◆ ◆ ◆
私が英国に来たのは、2006年2月下旬である。渡英して3年が過ぎた計算だ。一方、本誌で連載を始めてからも、ちょうど1年が経過した。両方とも、なかなか切りがいい。
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木をみて森もみる(44) きょうは安心して眠りましょう。
http://newsnews.exblog.jp/10810533/
2009-02-06T06:53:53+09:00
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木をみて森もみる
◆ ◆ ◆
昨年12月下旬、私は郷里の高知へ久しぶりに足を運んだ。帰省は5、6年ぶりだろうか。暖かく、穏やかな日が続いた。
その2日目だったと思う。
昭和2年生まれの母と一緒に、近所をぶらぶらと散歩した。自宅周辺は古い街並みと新しい街並みが混在し、細い路地があちこちへと続く。その途中、雑貨店の軒先に立っていた老女が母に話しかけてきた。
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木をみて森もみる(43) 湖水地方に観覧車はダメですか。
http://newsnews.exblog.jp/10810527/
2009-02-06T06:51:36+09:00
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木をみて森もみる
今の時期、丘陵地帯は雪に埋もれている。それがまた、凛として、鮮やかだ。
◆ ◆ ◆
その丘陵地帯に観覧車を建設する計画が、進行中だという。計画地は上富良野町の深山峠。国道沿いにあって、丘陵地帯と十勝岳連峰が見渡せる。「絶景」というにふさわしく、私もよく車で訪れた。
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木をみて森もみる(42) 創刊と革命と激動と。
http://newsnews.exblog.jp/10534026/
2009-01-07T09:09:56+09:00
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木をみて森もみる
新しい年をみなさんは、どのように迎えただろうか。
私はロンドンの知人宅に赴き、数人で料理を囲み、年越しのテムズ川の花火大会はテレビで見た。そして、再び料理をつつきながら、朝まで話を続けた。「先行きの見えない不況はどうなるのだろう」とか、「新聞はどう変わるべきか」とか、そんなとりとめもない話である。
その後の数日間は、自宅で読書三昧だった。サスペンスから国際政治の専門書まで乱読である。その中に「創刊」( The Making of The Independent)という古い本があった。英国の高級紙「インディペンデント」の創刊までをドキュメント風に綴った1冊である。
◆ ◆ ◆
インディペンデントが創刊されたのは、1986年10月のことだ。ちょうど私が今の会社で仕事を始めた年である。万事に保守的な英国においては、新聞界も例外ではなく、新しい高級紙が英国に登場したのは131年ぶりだったという。
創刊から4年後、インディペンデントの発行部数は「タイムズ」や「ガーディアン」と並び、約40万部に達した。現在は30万部以下まで部数を落としているとはいえ、主要日刊紙の地位は揺らいでいない。
創業の中心だったアンドレア・スミス氏は、「デーリー・テレグラフ」紙の経済編集長だった1985年初め、新しい新聞の創刊を考え始めた。実際の発刊のわずか1年余り前のことである。当時、テレグラフは不調で、日に日に部数を落とすような状態だった。テレグラフの再興策を会社側に提案し続けたスミス氏は、経営と紙面の双方にはびこる「新聞業界の保守主義」に絶望を深め、新たな新聞に賭けることにした。
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木をみて森もみる(41) クリスマス前の1通のメール。
http://newsnews.exblog.jp/10303715/
2008-12-10T10:49:53+09:00
2008-12-10T10:42:15+09:00
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木をみて森もみる
この時期になると、1通のメールを思い出す。東北の山間部に住む学生時代の友人が、2005年のクリスマス前に送ってきたものだ。
彼は、冗談好きで、明るく、穏やかで、モテた。卒業後は家業を継ぐため帰郷。青年団活動のほか、町おこしにも力を注ぐなど、地元に根を張って暮らしてきた。
◆ ◆ ◆
お久しぶりです。メールをもらいながら、なかなか返事も出来ず、すみませんでした。
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木をみて森もみる(40) 「できない」とあきらめますか
http://newsnews.exblog.jp/10303706/
2008-12-10T10:39:31+09:00
2008-12-10T10:40:25+09:00
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木をみて森もみる
クラスター爆弾とは、数百個から2000個ほどの小さな爆弾(子爆弾)を収納した親爆弾を目標の上空で爆発させて子爆弾を広範囲にばらまき、それらが着弾した際にいっせいに爆発させる兵器を指す。子爆弾の何割かは不発弾として残り、戦闘行為の終了後も一般市民に多大な被害を与えてきた。その製造・運搬・配備・使用などの一切を禁じるのが、この条約である。大量保有する米国やロシア、中国などは参加しないものの、日本、英国、ドイツなど100カ国以上が賛同している。
クラスター爆弾禁止条約は2007年から、大国抜きで条約づくりの作業が始まった。国連など既存の国際機関も動かない中、ノルウェーやベルギーなど中小の「有志国」と、国際的な非政府組織(NGO)が目標に向かって動き始め、賛同国を増やし、ついに条約締結までこぎ着けた。そのプロセスは対人地雷禁止条約(オタワ条約、1997年)と非常に似通っている。
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木をみて森もみる(39) 人々のスポークスマンとして。
http://newsnews.exblog.jp/10214361/
2008-11-27T19:31:00+09:00
2008-12-10T10:44:16+09:00
2008-11-27T19:32:45+09:00
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木をみて森もみる
私は学生時代からターケルのファンで、とくに「仕事!」を愛読していた。邦訳は2段組で700ページ超もあり、115職種の133人が登場する。逝去を伝えるBBCがターケルを「Studs Terkel was the spokesman for millions of Americans」と表現したのも道理だ。名も無き人々の前にテープレコーダーを置き、ひたすら話を聞き、言葉を引き出す。それがターケルだ。
◆ ◆ ◆
ターケルの仕事とは比べるべくもないが、10年ほど前、私が言い出しっぺになって、同僚と一緒に市井の人々のインタビューを北海道新聞に長期連載したことがある。要は「仕事!」のまねである。方言は方言のままで、口癖は口癖のままで。人の話しぶりは、まさに、生き様を反映しているからだ。
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木をみて森もみる(38) あのころ、台東産院で見たもの。
http://newsnews.exblog.jp/10201115/
2008-11-25T11:55:35+09:00
2008-11-25T11:42:38+09:00
2008-11-25T11:42:38+09:00
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木をみて森もみる
このとき、最初に受け入れを断り、最終的に女性が入院したのが、都立墨東病院だった。拒否は「土曜日で当直産科医が1人しかおらず、対応が困難」だったから、という。
◆ ◆ ◆
かつて東京の下町には、台東産院、築地産院、墨田産院、荒川産院という4つの都立産院があった。いずれも1980年代から順次統廃合され、現在はどれも残っていない。このうち、築地産院の統合先が今回問題となった墨東病院だ。そして、学生時代の一時期、私がアルバイトで通ったのが台東産院である。ピーク時には、年間1000人もの赤ちゃんが生まれたという病院だった。
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木をみて森もみる(37) 運命が引き起こす奇跡。
http://newsnews.exblog.jp/10201104/
2008-11-25T11:39:03+09:00
2008-11-25T11:39:53+09:00
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木をみて森もみる
黒木さんの仕事場は、ロンドン北部にある。作家らしく部屋は資料や本であふれ、訪れた人は、どこに腰を下ろそうかと迷うに違いない。
◆ ◆ ◆
私と同世代の方は、マラソンの瀬古利彦選手を覚えていると思う。早稲田大学在学中に華々しくデビューし、五輪にも2度出場した。その瀬古選手と同じ時期に、早大競走部に在籍したのが、金山雅之選手(黒木さんの本名)である。
金山選手は箱根駅伝も走った。「花の2区」を走った瀬古選手からタスキを受け取って3区を走り、4区へタスキを引き継ぐ。翌年は8区を走った。エンジ色のランニング・シャツに、白字で大きな「W」。それが、若き日の黒木さんだった。
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木をみて森もみる(36) 政治家なら、まずはジョークで。
http://newsnews.exblog.jp/10201095/
2008-11-25T11:36:45+09:00
2008-11-25T11:37:35+09:00
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木をみて森もみる
自分のカネをどう使おうと、まったくの自由だ。真っ当な政治を行うなら、どこで何を食べようと、とやかく言う筋合いでもあるまい。ただし、首相ともなれば、問答に、ある程度の品格も必要だろうと思う。
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木をみて森もみる(35) 「言い換え」の裏には何がある?
http://newsnews.exblog.jp/10058224/
2008-11-03T06:13:56+09:00
2008-11-03T06:14:43+09:00
2008-11-03T06:14:43+09:00
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木をみて森もみる
英国では13日、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)、HBOS、ロイズTSBの大手3行に対し、総額370億ポンド(約6兆4000億円)に及ぶ公的資金の注入が発表された。英国の総人口はざっと6000万人だから、乳幼児から高齢者まで含め、1人当たり日本円で約10万円に達する。たった3つの私企業を救うために、こんな巨額の公的資金を注ぎ込んでも反対デモもロクに起きないところは、さすが、紳士淑女の国と言うべきか。
◆ ◆ ◆
ところで、公的資金とは、平たく言えば、政府が持つ現金、すなわち税金である。だから、「銀行への税金投入」と言えば良いものを、政府は「公的資金」と言い換える。この言葉は日本独特の言い回しであり、この「言い換え」こそがクセ者だ。政府は世論の反発を恐れ、「税金投入」というストレートな言い方を避ける狙いなのだが、確かに「公的資金」となると、自分は関係ないように感じてしまう。
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木をみて森もみる(34) おたる政寿司のカウンター
http://newsnews.exblog.jp/10058223/
2008-11-03T06:11:31+09:00
2008-11-03T06:12:18+09:00
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木をみて森もみる
「日本代表」は、北海道小樽市の「おたる政寿司」3代目、中村考志さん(29)だった。この店の名前は懐かしい。中村さんが着ていた白衣の左胸に店のロゴを見つけたときは、本当にうれしかった。
◆ ◆ ◆
小樽で暮らしたのは、北海道新聞社に入ったばかりの1986年4月からの3年半である。今では全国屈指の観光地になった小樽も、当時は寂れた地方の都市に過ぎなかった。赴任初日、街は深い霧に包まれ、それが寂寥感を倍増させていた。
職場に初めて足を踏み入れ、挨拶すると、壁側にいたデスクが「おめえ、挨拶くらいはできるみたいだな」と言う。いきなり「おめえ」である。
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木をみて森もみる(33) 北方領土が日本に最も近づいた日。
http://newsnews.exblog.jp/9892127/
2008-10-09T16:56:17+09:00
2008-10-09T16:57:00+09:00
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木をみて森もみる
私はロンドンで関連取材を行い、モスクワの同僚は首脳会談に同席していたロシア側要人から確認を取った。日本側の同席者だった額賀福志郎元財務相は「軽々に言えない」と微妙なコメントを行う一方、町村信孝官房長官は「そんな話はなかった」と否定した。それはそうだろう。エリツィン発言が事実なら(事実だと思うが)、領土返還の絶好の機会を逃したことになり、日本側の大失点にもなりかねないからだ。
◆ ◆ ◆
韓国との領有権争いが続く竹島(島根県)と違い、北方領土は陸側から良く見える。
根室の納沙布岬に立てば、歯舞群島はすぐそこだ。貝殻島の灯台は肉眼で確認できるし、ロシア沿岸警備隊の船舶も分かる。知床に行けば、国後島も近い。知床山脈と国後島の最高峰・爺々岳は見事に連続している。
◆ ◆ ◆
ずいぶん前、北海道の東の端、根室標津に足を伸ばした。3月中旬と言っても、北海道の春はまだ遠く、道路も家屋も激しい地吹雪の中にあった。
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木をみて森もみる(32) 緑色の国、茶色の国
http://newsnews.exblog.jp/9859186/
2008-10-05T00:02:00+09:00
2008-10-05T00:02:41+09:00
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木をみて森もみる
それにしても「環境」という言葉は、ずいぶん語感が柔らかいな、と思う。色にすれば、緑色。日欧米の先進諸国では、「環境」は「緑」「グリーン」と完全に結びつき、すっかり良いイメージになった。そして同時に、茶色や黒色の印象が付きまとう「公害」という言葉が、日本では、すっかり忘れ去られてしまった。
◆ ◆ ◆
小欄で何度も書いたように、私の実家は高知県高知市にある。
かつて、実家から100メートルほどしか離れていない場所に、大きなパルプ工場があった。煙突からは、亜硫酸ガスを含んだ煙が昼夜を問わず流れ出し、悪天候の日は低く垂れ込んだ煙が住宅街をはい回った。
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木をみて森もみる(30) テープレコーダーかカメラを。
http://newsnews.exblog.jp/9727963/
2008-09-17T03:10:19+09:00
2008-09-17T03:10:57+09:00
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最初に報じたのは、韓国メディアだった。英国では、9月7日の「インディペンデント」紙が「Where is Korea's Kim Jong Il?」という見出しを掲げ、「金総書記が3週間以上も行方不明」と報じた。その後は、米当局筋が総書記の脳出血を確認したこともあって、ニュースは世界中を駆けめぐっている。この原稿が活字になるころには、事態はさらに進展しているかもしれない。
◆ ◆ ◆
私は一度だけ、北朝鮮を訪れたことがある。2000年4月のことだ。日朝政府による国交正常化交渉も断続的に開かれていた時期で、まだ拉致問題も沸騰していない。その第9回交渉が平壌で開かれることになり、日本代表団に同行したのである。
平壌では45階建てのツインタワー「平壌高麗ホテル」に滞在した。当時は北朝鮮の電力事情が極度に悪化しており、外国人向けのこのホテルも相当な節電を強いられていたようだ。何台もあるエレベーターは1基しか動かず、屋上の回転展望レストランも動くのは一部時間帯だけ。客もいなかった。日本代表団のほかは、北欧の技術者くらいで、巨大な建物内に人影がほとんどないのだ。
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