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  <title>ニュースの現場で考えること:■２００５　東京発■</title>
  <category scheme="http://newsnews.exblog.jp/i31/" term="■２００５　東京発■" label="■２００５　東京発■"></category>
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  <modified>2006-02-20T04:24:30+09:00</modified>
  <author><name>masayuki_100</name></author>
  <tabline>「真実　新聞が警察に跪いた日」。北海道警察の裏金問題の報道と舞台裏の総括です。角川文庫から発売中です</tabline>
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    <title>ロンドンへ</title>
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    <issued>2006-02-20T04:23:16+09:00</issued>
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    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[何の脈絡もなく、「そんなワケで」と書くのは妙な感じだが、まあ、そんなワケでロンドンに赴任することになりました。いまは成田のホテル、あと少しで夜明けです。そして、日が高くなったころに出発です。<br />
<br />
「出発前に一杯やろう♪」といったお誘いを随分受けましたが、準備に忙しい中、失礼ばかりを繰り返しました。個別にメールの返事を書くことをできなかったことも多く、この場を使ってお詫び申し上げます。またこのブログも放置状態が続き、すこし、申し訳なく思っています。ごめんなさい。<br />
<br />
英国に行くにあたって、考えること、思うことは多々ありますが、しかし、この仕事は楽しいし、なかなか奥が深い。それをまだまだ味わい尽くしておりません。ブログも続けるつもりです。遅くとも３月初旬には「高田です。ロンドンからです」という書き出しで再開したいと思っています。では、また。]]></content>
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    <title>パソコンが直りました</title>
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    <issued>2006-01-29T12:37:47+09:00</issued>
    <modified>2006-01-29T15:49:18+09:00</modified>
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    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[「そしてまた年が重なる」というエントリを書いてから、ちょうど１ヶ月も過ぎてしまった。この間、何がひどかったと言って、パソコンが壊れたことが一番コタエタ。あのエントリを書いた直後に、パソコンのハードディスクがガリッガリッと不気味な音を立て始め、年末ぎりぎりに壊れたのである。で、１ヶ月近い空白を経て、先日、ようやく修理完了となった。<br />
<br />
それにしても、日本企業のアフターサービスはありがたい、と今更ながら実感。メーカーによる保証は期限を過ぎていたのだけれど、購入先の量販店のそれが有効だった。添付された明細書にはメーカーによる報告書が含まれていたのだけれど、それによると、修理代は約７万円である。それがゼロだったのだから、ほんと助かった。パソコンを買ったとき、量販店のポイントをケチらずに、保証期間の延長に充当しておいてよかったなあと、しみじみ思うのだ。<br />
<br />
そんなわけで、私は極めて元気である（＾＾；　このブログは業務外でやっているし、社用のＰＣは使用しない。で、この間、エントリをまったく書いていなかったにもかかわらず、連日、５００－６００もの訪問者があった。もちろん、こんなことも表面化したので、それも影響しているのだとは思うけれど、まあ、パソコンも直ったので、私としては「良かった、良かった」である。この問題については、まだ物事は動いているし、社内では言うべきことは言っているので、今のところ、このブログで私が言うべきことは無い。<br />
<br />
まあ、一つだけ何かを記すとすれば、こういうことだろうか。つまり、物事は一直線には進まない、ということだ。<br />
<br />
当たり前の話だが、何かの目標なり、理想を掲げていたとしても、そこには一直線でたどり着けるわけではない。曲がった道も山坂も分岐点もある。そうしたものが目に入らぬほどウブではないし、真っ直ぐに進まないことに苛立って何かを放り投げたり意気消沈したりするほど、ヤワでも短気でもない。良い意味で、したたかでないと、何かの目標なり理想なりには、近付けないのだろうと思う。そんな当たり前の話は、わざわざ私がここで書くほどのものでもないけれど、まあ、何と言いましょうか、私はいつもと同じように、楽天的に、明るく、たんたんと過ごしています。]]></content>
  </entry>
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    <title>そして、年がまた重なる</title>
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    <issued>2005-12-30T05:20:52+09:00</issued>
    <modified>2006-01-02T03:41:26+09:00</modified>
    <created>2005-12-30T05:20:52+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[日付が変わって、とうとう１２月３０日になった。あと１日と少しで、２００５年も終わる。そう言えば、昨年の今ごろは、スマトラ沖地震が年末年始気分を吹き飛ばしていたな、とか、いろんなことを思い出しながらメールをチェックしていたら、学生時代の古い友人から久しぶりにメールが届いていた。<br />
<br />
彼はいま、本州の山間の小さな町で家業を継いでいる。学生時代のある時期は、ほとんど毎日のように顔を合わせていた。なかなかの好漢で、冗談好きで、明るく、穏やかで、モテた。しばらく話もしていなかったが。メールには、こう書いてあった。<br />
<br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<br />
こちらはと言えば、ひと言で言えば、家業の不振に喘ぎつつ、三人のこどもと妻、両親のために「死なない」で必死に戦っております。億の位の借金を抱え、体力の限り頑張っても、頑張っても頑張ってもなかなか事態の打開には至らないのが現実です。この状況で精神的にも鍛えられ、学生時代の（略）はすっかり影をひそめてしまいました（笑）<br />
 <br />
君の「新聞とは何か？」という自問に負けず劣らず、「生きるとは、人生とは？」を毎日考えずにはいられません。「今までの人生、ほんとに甘かった。人に甘えて生きてきたんだな」と自分を責めたり、でも一方でそうは思えない自分もいます。<br />
 <br />
この一年、身近なところで三人も自ら命を絶ちました。その度に、自身の命も削られる思いです。あまりに過酷だと思います。普通の人間が普通に努力してるだけでは普通に生きられない社会。この現状に憤りと虚しさをおぼえます。そういう意味でも、けして負けるわけにはいかないのです。もがいてはいあがって、必ず事態を変えてみせます。「逃げない」ことがこどもたちへの<br />
自分ができる最大のメッセージだと思っています。<br />
 <br />
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />
<br />
彼が住む本州の山あいの町は、早くも雪に覆われている。今年の冬は厳しい。東京に居ても本当に寒いから、彼の町はこの何倍も寒く感じるはずだ。<br />
<br />
そして、何の脈絡もなく、ＢｉｇＢａｎｇさんが少し前に書かれたエントリ「僕はいつ『ブロガー』」などという謎の生き物になったのだろう。」を読んだ。「僕らは静かに消えていく」も読んだ。<br />
<br />
友人からのメールも合わせ、どれもが心に染みる。友人はメールの最後に「ありきたりですが、ばらばらにされた一人一人を結ぶ大きな仕事を君の力でぜひ実現してください。期待しています」と書いていた。その言葉を聞くことが、いまは苦しいくもある。けれども、私も他の誰も、進むことを止めるわけにはいかないのだと思う。進んでいる方角が分からなくても、足を前に出すことは止められない。。。いつの間にか、私や私のような世代は、そういう年齢に達しているのだ。<br />
<br />
ではまた、来年に。<br />
<br />
コメント欄で頂いた書き込みに、ぜひこれは返事せねば、と思うものも多々ありましたが、ごめんなさい、年をまたいでの返答にしたいと思います。<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>「一人旅」について</title>
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    <issued>2005-12-29T18:12:21+09:00</issued>
    <modified>2005-12-29T20:26:58+09:00</modified>
    <created>2005-12-29T18:12:21+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[年末の雑用を種々片付けながら、メディア論を専攻する大学の先生から「読んでください」と渡されていた本を見つけ、パラパラとめくっていた。「ジャーナリズムの情理－新聞人・青木彰の遺産」という１冊で、産経新聞社から出ている。「一昨年死去したマスコミ界の重鎮で筑波大学名誉教授・青木彰氏の仲間と弟子たちがジャーナリズム復権へ、思想や立場を超えてつづった」内容だが、私が一番引かれたのは、高知新聞の依光隆明社会部長さんが書かれた一文である。高知は私の郷里で、依光さんも既知の方ではあるが、この本に収録された依光さんの文章は、やはり、「志」の塊みたいなところがある。<br />
<br />
＜「一人旅」の十五年―高知新聞の試み＞という文章の中で、依光さんは１９９０年代の初頭から、高知新聞のスタンスは変わったのだと書いている。最初は高知県庁のカラ出張問題だったらしい。今では役所の不正経理は「常識」みたいになってしまったが、当時は今以上の大ニュースだった。ところが、高知新聞の社内では当時、取材チームに対し、「カラ出張は必要悪だ」「予算を有効に使うために編み出されたシステム」といった声が出てきたのだと言う。それでも、高知新聞は徹底追及を続けたらしい。その中で、社内の雰囲気も変わった、と依光さんは書く。感じ入るところがあるので、以下で少し紹介したい。<br />
<br />
●悩みの一つめ。県庁には権力が集中している。一方で高知新聞の世帯普及率は７割を超えている。権力の中枢と言論の中枢。この両者がガチンコでけんかしたらどうなるか？　→　結局、何も起こらなかった。むしろ、読者は応援してくれたし、部数も減らなかった、と。「両者がケンカしたらどうなるか」という県庁に対する思いこそが、自らの手足を縛っていたと、依光さんは言っている。<br />
<br />
●悩みの二つめ。情報源が無くなるのではないか？　→　過去に培った情報源は細くなったが、新しい情報源もできた。取材のスタンスを「県庁密着」型から大きく転換したのだから、取材源は変わって当たり前。問題はないし、なかった。<br />
<br /><br />そうこうしているうちに、編集局内では「県民の側に立つ」「官の理屈に流されない」「官製ネタに頼らない」「ネタは全部自分で探し出す」「オフレコは認めない」といった姿勢が固まってきたという。オフレコで聞けば、もう書けない。ならば、聞かずに探り出した方が良い。そして、編集局内では「書けないネタを聞いてくるな」という罵声が飛ぶようになったのだ、と。相手方はたいてい、オフレコで話を打ち明け、報道を止めようとする。そこに「オフレコ禁止」で切り込んだ、と。<br />
<br />
その後、高知新聞は「県庁の闇融資問題」や「県警の捜査費問題」等々へと、次々に焦点を当てていく。依光さんはそして、こう書いている。少し長いが引用したい。<br />
<br />
「県警との衝突は以後、ずっと続いている。高知県警の捜査費問題を他者はほとんど書かない。つまり、県警の攻撃対象は依然として高知新聞だけで、このままでは高知新聞だけが（何かの事件について）ガサ入れ（＝家宅捜索）を知らなかったという悪夢が現実になるかもしれない。だが、それはそれでいいのではないか。ガサ入れを（他社に）抜かれたところで、県民生活に影響は無い。しかし、捜査費問題を書かなければ、県民はまっとうな報道機関を持てないことになる」<br />
<br />
「近年、高知新聞では先輩が後輩にこんなことを伝えている。『半日や一日早いだけの特ダネは特ダネではない』と。例えば県が決定したプロジェクトを半日早く書く。間違いなくこれも特ダネなのだが、本当に目指すべき特ダネとは違うぞ、『それを書かなければ表に出てこないことこそ真の特ダネ』という意味だ。闇融資にしろ、捜査費にしろ、高知新聞が報じなければ表に出ることはなかった」<br />
<br />
「後輩に伝えるということは、言っている本人の決意表明という意味もある。半日や一日早い特ダネはやりがいがある。他社が追いかけて報じるからだ。他社が追いかけてこそ、出し抜く気分を味わうことができる」<br />
<br />
「しかし真の特ダネはそうならないことが多い。闇融資も捜査費もキャンペーンを張ったのは高知新聞だけだった。全国的にほとんど知られることもなく、いわば孤独に耐えながら報道を続ける。このことを高知新聞では『一人旅』と形容している」<br />
<br />
「（平成）１６年から高知新聞は『市場原理』が幅を利かす今の日本社会にメスを入れ始めている。市場原理の浸透によって、高知のような辺境は存廃の危機に立たされる。であれば、高知に視座を据えた報道が居るのではないか。東京の視座と高知の視座は違うのではないか」「郵政民営化へのスタンスも、東京で発行している新聞と地方紙は違っていい」「財務省が喧伝する『地方の無駄遣い』論にしても、地方紙なりの厳密な報道が要るのではないか。景気も同様で、東京の景気回復ではなく、高知の景気の深刻さを軸にすべきではないか」<br />
<br />
「他紙がどうあろうとも、権力者の思惑がどうあろうとも、書くべきことを淡々と書く。おそらく、高知新聞はこれからも、地方紙らしい『一人旅』を続けることになるだろう」<br />
<br />
引用が長くなってしまったが、本文はもっと長く、凄みがある。「半日早い特ダネ」を軽くいなし、「書けないネタを取ってくるな」とオフレコ禁止を励行し、巨大な行政機構や警察機構と鋭く対峙しても、「一人旅」宣言を撤回する気配すらない。こういう腹の座った幹部というのは、実際は、新聞業界にはなかなか居ないものだ。高知新聞には実は、上にも下にも、依光さんのような腹の座った幹部や記者が大勢いる。この１年余り、そういった大勢の方々と高知や東京、大阪などで一緒に酒を飲む機会等があったが、（当たり前のことだが）視線はみんな、見事に読者・県民を向いていると感じた。<br />
<br />
たぶん、そういう新聞こそが、本当に強いのだ。]]></content>
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    <title>「きっこのブログ」と事情通、一次情報</title>
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    <issued>2005-12-29T13:30:27+09:00</issued>
    <modified>2005-12-30T11:05:36+09:00</modified>
    <created>2005-12-29T13:30:27+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[　何らかの物事に対する「定義」に関する議論を進めていくと、神学論争になりやすい。その際、神学論争を避けるためには、定義づけを行う言葉（＝対象となる言葉）をできるだけ、「小さくしていく」しかない、と私は考えている。議論自体をわあわあ楽しむような場合は、そんな小難しいことを言わなくても良いとは思うのだが、少し真面目に議論する場合は、やはり、「大きな言葉は使わない」ことだと思う。<br />
<br />
で、少し話は変わる。「新聞はネットを殺すのか」の湯川さんが、「日本のブログジャーナリズムの現状」というエントリで、「ネットの一次情報を基に取材する記者」という小見出しの部分で、ネットと一次情報の関係について触れている。<br />
<br />
「ネットには一次情報が無い」という声がある、だいたいはそうかもしれないけれど、一次情報を発しているブログもある、例えば、耐震設計偽造問題では「きっこのブログ」が情報発信源になり、そこから情報を入手して各メディアは取材に走った、、、、そういう趣旨の後で結論部分で＜　「きっこの日記」に寄せられる玉石混淆の情報の中から、追加取材で「玉」の情報がどれかを見極めて報じるということがマスコミの役割となった＞と締めくくっている。<br />
<br />
きっこの日記と一連のマスコミ報道の関係がどうだったのか、私は具体的に承知していないが、まあ、そういうことはあるだろうな、と思う。なぜなら、こういった取材・報道の図式は過去にもたくさん存在していたからだ。<br />
<br />
調査報道等は、実は（当たり前の話だが）端緒がすべてである。端緒が無いと、何も始まらない。私が以前、社内向けの冊子で調査報道について書いた際も、最初の項目は「端緒がすべて」だった。かつて、朝日新聞が手掛けたリクルート報道でも、その中心に居た山本博デスク（当時）は、端緒がすべてである旨を著作で記している。<br />
<br />
では、ふつう、端緒はどうやって掴めるのか。一つは、俗に言う「内部告発」である。これは、その当人が、ある程度の意志を固めたうえで行われる。匿名の場合も実名の場合もある。手紙や電話、メール等で、それはマスコミ等に届く。<br />
<br />
２つめは、記者が直接端緒を掴む場合。政治家や官僚、司法関係者、企業関係者等のもとをグルグルと回りながら、自分で情報を得て、それを掘り下げ、別の関係者に当たり、・・・というスタイルだ。そういう中で「おお」と思う端緒に行き当たる。<br />
<br />
３つめは、上記の２番目の変形で、「事情通」と呼ばれる人から端緒を入手するケースだ。調査報道のネタになるような話は、実は、何らかの「儲け話」につながっている場合が多い。誰かが違法・脱法行為で巨万の富を得ようとしていた・・・そんな類である。「富」は、「地位」「名誉」になる場合もある。そういう話はたいていは水面下で行われ、水面上に出ることは少ないのだが、なんと言うか、富を前にすると、「仲間割れ」「ひがみ」みたいなものが出てくるようで、水面下の話はたいてい、そうした隙間から漏れ出てくる。<br />
<br />
ところで、世の中には不思議なもので、自分はその「儲け話」の直接の当事者ではないにもかかわらず、そうした「隙間から漏れ出た情報」をたくさん持っている人が結構存在する。言わば、「ウワサの大量保有者」である。ある事件に直接関わった人が持つ情報を「１次情報」とすれば、ウワサの大量保有者が持つ情報は「２次情報」である。たとえ資料を持っていたとしても、そういう人から聞いた情報は、そのままでは使えない。どこかで、「１次情報保有者」に確認を取らねばならない。<br /><br />ウワサの大量保有者は、ブラック雑誌関係者だったり、企業ゴロだったり、まあ、いろいろである。概して得体の知れない人が多く、情報にはハズレも少なくない。しかし、一方では、そうした人々は「儲け話への便乗」に対し嗅覚が鋭く、彼らの情報サークルの中においては、情報はものすごいスピードで流通している。で、調査報道を行う記者は、どうやって自分をその情報サークルの中に置き、真偽を見極めるかが大きく問われるのだ。得体の知れない人々とも、付き合いができ、しかし一線を画し、情報の程度を冷静に見極めて潜航取材に入って行く・・・。そんな感じである。<br />
<br />
「きっこのブログ」に関して言えば、ブログ主が本当にヘアーメイクさんなのか、そうだったとして本当に彼女が書いているのか、そういうことは分からない。ただ、ブログ主が書いてあるように、仮に、彼女が知り合い等から聞いた話を集めているのだとすれば、その位置は従来の「事情通」と同じである。<br />
<br />
<br />
「事情通」は酒場や薄暗い事務所で、時には「内緒だけどさ」という枕ことば付きの電話で、そうした話を関係者や記者らにささやく。あるいは、大声でしゃべる。「きっこのブログ」は、それをサイバー空間に放り出した。違いは、そこしかない。「事情通」からの話については、当たり前のことだが、「こいつは何の意図を持って私に話しているのか」「バックには誰がいるのか」「もしかしたら大きな落とし穴に嵌められようとしているのではないか」等々の警戒心を解くことは無い。耐震問題の担当記者が「きっこのブログ」に接したとしたら、おそらく、同様だったのではないか。<br />
<br />
いわば特殊な情報サークル内で、ある事案の情報が流れる初期段階において、かつては記者も加わった形で一部の人々の間で行われていたヒソヒソ話が、最初から大勢の人々の前にブログを通じてぶちまけられた・・・。今回の件は、そういう様相だったのだろうと思う。もちろん、それはネット時代だからこそ可能になったのだが。ただし、どこまで詳しいか等々の話は別にして、サイバー空間においては、その種の構図は、かなり前から登場していると思う。例えば、論談同友会の「目安箱」はその一つだし、全国的な大ニュースになる数カ月も前に、同種の情報がそこにアップされていた事例もあった。<br />
<br />
で、本エントリの結論みたいな話に移るのだが、「きっこのブログ」は湯川さんの言うような「１次情報」ではない、と私は考える（仮に、そのブログの開設主が、耐震設計偽造に直接かかわった人ならば話は別だ）。きっこのブログが「情報ハブになった」という見方も、それが「大勢の人に見える形で行われた」かどうかの話だと思う。各メディアにどのような情報が集まってきたかは、公にされていないから、各メディアがどんな情報ハブだったか・なかったかは検証しようがない。<br />
<br />
「マスコミが報じていない事柄＝一次情報」ではない。ある事象に直接関わった人や組織が、その当該の事象に関して持っている情報こそが、一次情報なのだ。だから、実は、当事者に都合の悪い１次情報はネットになかなか流れない。１次情報であるかのようにして流れている「事情通が持つのと同じような情報」は、実社会における「事情通」がそうであるように、何らかの意図があると思った方が良いのではないか。身体的な条件反射等は別にして、人間の社会的行動においては、「意図・意志無き行為」は事実上皆無だと、私は思う。記者の仕事は、それぐらい疑い深くてちょうどいいのではないか。<br />
<br />
これに関して言えば、韓国のオーマイニュース代表のオ・ヨンホさんの話を以前に聞いたとき、彼が「オーマイニュースの市民記者は匿名を認めていない。全部実名で書いている」と語っていたことを思い出す。「記者」として書く以上、ニュース発信の匿名は認めない、匿名だとニュースの信頼性の最低限の部分が担保できない、という発想だ。<br />
<br />
もう一つ別の話だが、私自身は、マスコミの取材のプロセスは、もっとオープンにして良いのではないか、オープンにできる部分があるのではないか、そうした方が報道に対する信頼度が増すのではないかと常々思っている。そして、それを可能にするのがネットではないか、と。そのへんの話は、この本「ブログ・ジャーナリズム～300万人のメディア」でも少し触れているので、関心のある方はぜひどうぞ。<br />
]]></content>
  </entry>
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    <title>終わりの始まり、か？</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://newsnews.exblog.jp/3263575/" />
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    <issued>2005-12-22T07:11:22+09:00</issued>
    <modified>2005-12-30T10:21:50+09:00</modified>
    <created>2005-12-22T07:11:22+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[耐震偽装詐欺事件。強制捜査のタイミングが、この種の事件としては、どうも早すぎるような気がします。ある意味、「終幕」に近づけたい、ということなのでしょう。「今後は捜査の行方に焦点が移って行きそうです」という番組や記事が、目に見えて増えるかもしれません。<br />
<br />
本当に捜査は、問題全体の焦点なのかどうか。この種の大きな事件の際は、いつもそれを感じます。]]></content>
  </entry>
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    <title>バブル時代と年の瀬</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://newsnews.exblog.jp/3263523/" />
    <id>http://newsnews.exblog.jp/3263523/</id>
    <issued>2005-12-22T06:21:51+09:00</issued>
    <modified>2005-12-22T12:55:05+09:00</modified>
    <created>2005-12-22T06:21:51+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[株式市場の活況が続いている。21日の東証は３日続伸で、日経平均株価は前日比316円31銭（2.02％）高の１万5957円57銭。上げ幅は今年３番目、そして年初来最高値も更新した。東証１部出来高は25億7604万株、売買代金は３兆3424億円というから、なかなかのものだ。バブル期につけた史上最高値を更新する銘柄も結構出ているようだし、（素人判断では）この勢いは当分衰えない感じがする。<br />
<br />
そんなニュースの一方で、暗い話を投げかけるのは気が引けるが、「年末の株高」というと、どうしても、１９８９年（平成元年）１２月を思い出す。同月２９日、東京市場の日経平均株価は終値が３万8,915円87銭になり、史上最高値をつけた。私は当時、入社４年。札幌の本社経済部で仕事を始めて半年、駆け出しの経済記者だった。<br />
<br />
あの頃の雰囲気は、今思っても異様だったと思う。ふつうの日刊紙も経済特集（というより投資特集）を争ってつくり、「マネー」という言葉が急速に一般用語になり始めていた。社内の先輩たちとワアワア言いながら、「年が明けて３月末、平均株価はいくらになっているか」と話していたことを思い出す。記憶では、「下がる」と言った人はほとんどおらず、「４万円」「４万５千円」といった景気の良い数字がポンポン飛び出していた。<br />
<br />
私は、経済の「ケ」の字も理解していなかったが、当時、いくつかの出来事が妙に引っ掛かったことを覚えている。そのころの私の担当は「不動産・建設・リゾート」。いま覚えば、まさにバブルそのものが担当だった。<br />
<br />
引っ掛かりの一つは、北海道東部のあるゴルフ場計画だった。本州企業の北海道支店で話を聞き、さて、記事にしよう、ホテル併設のゴルフ場計画なんて珍しくもないが、郡部にとっては地域振興の目玉だからな、自治体の首長さんも後押ししてると電話で答えていたし・・・などと思いながら、社内の調査室で調べものをしていた。当時は今のように、便利なデータベースなど存在しておらず、過去の記事を調べるには、調査部の方々が作成してくれている「切り抜き帖」くらいしかない。テーマごと、地域ごとの切り抜き帖を古い順に見ていたら、「××のレジャー計画、破産。ゴルフ場用地は放置」という記事があったのだ。１９７０年代後半の、当時から数えても１０年ほど前の記事だったと思う。<br />
<br />
「レジャー計画」（その頃はリゾートという言葉もなかった）破綻を報じる記事が指し示していた場所こそ、まさに「ホテル併設のゴルフ場計画」の場所とピッタシ同じだったのである。過去記事の写真に映った「××計画地」という看板の位置まで、新計画の看板と同じ位置だった。で、それが気になって、あれこれ調べていくと、リゾート計画の少なくない箇所が、「列島改造ブーム」のときの「頓挫したレジャーブーム」の計画地とまったく同一であり、それこそ、あちこちで蘇ったのである。<br />
<br />
いや、正確には蘇らなかった。その北海道東部の計画も、そのほかのいくつかの計画も、結局は、リゾートブームの「ブーム」に乗れず、破綻し、会員権販売で多額の資金を集めた企業も消えた。で、残ったのは、土砂流出の保全工事すら出来ずに、工事途中で放り出された郡部の土地である。１０数年の間に、同じことが２度も起きた・・・。おそらく、そんな土地は全国にたくさんあったのだろうと思う。<br /><br />もう一つの「引っ掛かり」も、リゾート絡みである。当時、北海道のある測量会社を訪ねた。海外で３００億円規模のリゾート計画を持っており、その話を聞くためだった。会社の名前は初めて聞いたが、別の全国紙は既に記事にしていたし、同じように書くのは嫌だな、違うポイントは無いかな、と思っていたことを覚えている。ところが、街の中心から離れた会社に着くと、私は大いに驚いた。3００億円も投資する企業だから、大きな自社ビルがあるものだと思い込んでいたが、２階建ての小さな社屋しかない。「社長」に会っても、リゾートの哲学があるわけでもない。そもそも、長く測量会社の経営者だった人だ。古びた応接室で、リゾートの模型を見せられても、うーんと唸るしかなかった。銀行に聞くと、確かにうちが付いていますと言うし、原稿は書いたのだが、その会社はほどなく倒産してしまった。<br />
<br />
今朝の朝刊には、＜市街地の空洞化に歯止め、「郊外大型」の出店を規制へ＞という記事も踊っている。大規模小売店舗立地法などの改正を進め、延べ床面積１万平方メートル超の大型小売店・商業施設の立地を制限する内容だ。郊外への大型店出店を制限して、空洞化の進む中心市街地の活性化を図る狙いだという。<br />
<br />
バブル時代は、まさに規制緩和時代の先駆けであり、多くの開発物件が登場した。大店法の規制緩和もその一つで、各地域には郊外に大型商業施設が続々と登場。その一方で、駅前などの商店街は、どこも急速に寂れた。おそらく、流通業は大型のショッピングセンター時代が終わり、コンビニなどに時代は移った、だから、大店法はもういいよ、ということなのだろう。大型商業施設の廃止はいま、地域社会では大問題だ。旧来の商店街を「シャッター通り」にした大型店が、今度はその地域からも消える。全国、いや全世界を自由に動ける企業は残っても、核を失った地域社会は漂流をいっそう強めるのだろう。]]></content>
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    <title>警察官の職務質問が「強制」になる？</title>
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    <issued>2005-12-19T12:48:34+09:00</issued>
    <modified>2005-12-21T10:06:12+09:00</modified>
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    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[日本各地を猛烈な寒波が襲っている。ほんのこの間まで、「暑い、暑い。東京の夏はどうなっているんだ？」と思っていたのに、本当に時間はあっという間に過ぎる。相変わらず、バタバタと忙しく、しかも夜は連日の飲み会である。このブログは仕事時間外に書いているのだが、さすがに連日の午前様だと、自宅でパソコンのスイッチを入れる間もなく眠ってしまうことが多々あるのだ。<br />
<br />
で、そうこうしていいるうちに、書こう書こうと思っていた記事の引用元がリンク切れになってしまった。読売新聞が１１月２８日夕刊２面で報じた記事について、である。リンク元のＵＲＬは、もう無意味なので省略するが、当該記事は「テロ緊迫時の重要施設警備、警察官の権限強化　法整備へ／政府」という見出しが付いていた。（以下、引用）<br />
<br />
＜政府は２８日、テロ攻撃の危険性が高まった際に、首相官邸や原子力発電所など重要施設の警備に関する警察官らの権限を強化する法整備を行う方針を固めた。警察官職務執行法など現行法の改正に加え、新法の制定も検討する。早ければ来年の通常国会に提出する考えだ。<br />
　警察官職務執行法などによれば、警察官や海上保安官による職務質問や車両検問はすべて任意で、拒否されると強制はできないため、重要施設へのテロリストの侵入を防ぎきれない可能性が指摘されている。　このため、政府内では「テロ攻撃を未然に防ぐには、警察官らによる立ち入り制限や強制的な職務質問が必要だ」との見方が強まっている（略）。<br />
　検討している法整備は、国内や日本周辺でテロ攻撃の恐れが出てきた際、重要施設などの周辺を警戒区域に設定し、区域内での警察官らによる職務質問や警察施設への同行要請などに強制力を持たせる内容だ。重要施設としては、〈１〉首相官邸〈２〉国会〈３〉原子力発電所〈４〉大規模イベント会場〈５〉重要港湾施設－－などを具体的に列挙する（後略）＞　（引用終わり）<br />
<br />
私の生まれる２年前、１９５８年には、この警察官職務執行法（警職法）改正があり、これに対して、大きな反対運動が起こったそうだ。「デートもできない警職法」とか、そういう言われ方をしたらしい。でも、まあ、そんな古い話はどうでも良い。<br />
<br />
これに関連する報道は、私の知る限り他に見当たらないが、仮に上記の記事がその通りだとすると、「ムムムムッ」である。住居侵入容疑などを適用すれば、「重要施設へのテロリストの侵入を防ぎきれない」ことはないようにも思うのだが、それでは足りないので、職務質問を「任意」から「強制」にすべきだ、と政府は考えているという趣旨だ。<br />
<br />
これに関する警職法改正案が出ているわけではないので、何とも言えない部分は残るが、「強制的な職務質問」とは、どういう概念なのだろうか？　職務質問を拒否したら、その場で逮捕なのか？　首相官邸や国会、大規模イベント会場等々の地域制限は付す考えのようだが、そうであっても、例えば、「愛・地球博」や東京・有明の○○ショー、幕張メッセでのイベント付近で、怪しい行動を取っていたら「強制職務質問」の対象になるのだろうか？　<br />
<br />
１９５８年の改正時には「デートもできない警職法」と言われたそうだが、だいたいにおいて、カップルは暗がりを好むし、そういう姿は怪しいといえば怪しい。だいたい、誰が怪しくて怪しくないか、「強制職務質問」の対象に誰を選び・選ばないか、そういう「基準」をどう定めるのか（もちろん、机上で決めた「基準」など簡単に拡大解釈されていくことは歴史が証明している）。共謀罪創設やら憲法改正国民投票法案の上程の動き、人権擁護法案の制定の動き等々に眼を奪われているうちに、また新たな、もしかしたら、とんでもない社会を招きかねない法改正が、実現に向けて動き出しているのかもしれない。<br />
<br />
参考・「忍び寄る警察国家の影」　元国家公安委員長（国務大臣）白川勝彦氏のサイト<br />
]]></content>
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    <title>事件取材と弁護士</title>
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    <issued>2005-12-06T12:06:42+09:00</issued>
    <modified>2005-12-18T10:22:26+09:00</modified>
    <created>2005-12-06T12:06:42+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[山川草一郎ジャーナルさんが「語り始めた弁護士」というエントリを書かれている。広島の幼女殺害事件で、ペルー人容疑者の弁護士が報道陣の取材に応じたことを前向きに評価する内容だ。<br />
<br />
日本の刑事司法制度下では、事件の容疑者に対する接触・接見は相当に制限されている。容疑者が起訴されて、「被告」になれば、最低でも国選弁護人が選ばれる。しかし、起訴前の段階では、弁護士が手弁当で駆けつける「当番弁護士」（ただし、普通は１回しか来ない）か、もしくはお金のある人は私選の弁護士を付けることが可能だ。つまり、刑事司法制度に疎い人やお金の無い人は、逮捕段階（＝容疑者段階）では、弁護士なしに最長２３日間（逮捕状の効力＝２日間、検事拘留＝１日間、１０日間の拘留延長が２回）の取調べが続くのである。<br />
<br />
山川さんも指摘されているが、こうした状況下では、「容疑者の言い分」を取材することは非常な困難を伴う。もちろん、外国の映像で目にするように、留置場の鉄格子超しに容疑者にマイクを向けることなど不可能だ。勢い、「容疑者の言い分」は、警察からの間接情報に頼るしかなくなっていく。幼い子供たちが殺害される最近の痛ましい事件の数々も、「容疑者はこう言っている」の大半は、警察からの情報であり、そして、本当にそう言っているのかどうかを容疑者側に確認する術は事実上、存在しない。<br />
<br />
そこに風穴を開けるのが、「容疑者に付いた弁護士」である。先にも書いたように、現在は、容疑者に弁護士を付ける場合は、当番弁護士か私選弁護士しかない。しかし、国の司法制度改革によって、近々（予定は２００６年度）、容疑者段階であっても、国選弁護人が付くことになっている。弁護士がいない田舎や離島の警察署で逮捕・拘留されている場合、国選弁護人がその留置場まで駆けつけることができるのか、といった細かな疑問はあるけれど、容疑者段階でも弁護人が付くという仕組みがやっと日本でも登場するのだ。<br />
<br />
その仕組みが広範に広がれば、容疑者段階での「警察情報のみに頼った報道」は、少し風向きが変わるかもしれない。やはり間接情報ではあるけれども、容疑者側の言い分を弁護士から取材することが可能になるからである。ただし、そういう取材条件をどう生かすか、は別の問題である。<br />
<br />
<br /><br />少し古いが、今年３月、このブログで「広がる警察の匿名発表」という記事を書き、その中で、かつて西日本新聞が手掛けた「容疑者の言い分報道」を紹介した。１９９３－９４年ごろの試みで、いくつかの賞も受賞した意義あるものだった。容疑者と接見した当番弁護士から話を聞き、その話を通常の事件原稿に書き加える手法であり、捜査当局が不当な調べを行っていないか等を監視する目的もあった。ところが、しばらくすると、他メディアもこの取材に参入。そして、当番弁護士から取材した内容を警察側に伝え（もちろん信義に反している）、或いは「容疑者は犯行を認めていない」ことをもって「反省していない」式の報道を行うなどした。そして、結局は、弁護士側との信頼関係が崩れ、事実上雲散霧消してしまった記憶がある。<br />
<br />
親しい弁護士と話そしていると、最近、「なぜあんな極悪な人物の弁護をするのか」「弁護士は悪の弁護もするんだな」といった声が増えてきたのだという。そうした声は、オウム真理教による地下鉄サリン事件の際などにも沸騰した記憶がある。しかし、法治国家においては、犯罪被疑者の弁護を法律専門家の弁護士が担うのは、「悪に加担する」のではなくて、その裁きが正統な法手続きによって行われているかどうかを担保するためだ。法を犯した者に対して、法から外れた裁きを行う・求めるのは、法治国家の姿ではない。そういう流れで行けば、どんな凶悪犯についても、判決確定までは「推定無罪」の原理が働くし、その原理に沿って仕事するのが弁護士である。<br />
<br />
上に書いたように、容疑者段階で国選弁護人が付くようになったら、確かに、事件報道の構造が変わる「外的条件」は出来てくると思う。で、問題はやはり、その先である。刑事事件の判決では時折、情状酌量の理由として「被告人は既に社会的制裁を受けており・・・」という内容が出てくる。そこで言う「社会的制裁」の一定程度は「報道」である。つまり、報道によって「私的制裁」をすでに受けているのだから・・・というロジックになのだ。<br />
<br />
凶悪事件は今も昔もある。それぞれの事件は、凄惨で、言葉に尽くし難いほどにひどい。しかし、メディアは私的制裁機関ではないはずだ。被害者の人権も省みず、被疑者の調べが適正かどうか等にも大きな関心を払わず、ただひたすら、事件はセンセーショナルに扱われるようになってきた。現場で取材する記者個々人の気持ちは、必ずしもそれに組していないと思うけれど、外から見れば、報道全体がひたすら「事件をあおる」方向で走ってきたことは否定できないと思う。「あるべき事件報道の姿」は、なかなか総括的には表現できないが、少なくとも、どこかで舵を切らないと、２００６年度から始まる容疑者段階での弁護士取材も、うまく運ばないような感覚を持っている。私自身は、そうした凄惨な事件の紙面は、日経新聞くらいの扱いでちょうど良いのではないかと思っているのだが。<br />
]]></content>
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    <title>あの「指差し会話帳」がＤＶＤになる</title>
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    <issued>2005-12-04T18:57:41+09:00</issued>
    <modified>2005-12-05T00:03:54+09:00</modified>
    <created>2005-12-04T18:57:41+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[過日、大学時代の１年後輩の仕事場へ出掛けた。赤坂の地下鉄駅から、歩いて数分。エレベーターを降りると、目の前にすぐ、仕事場の入り口がった。卒業後も時々会ってバカ話をしていたが、職場を訪ねるのは初めてだ。外見や喋り方は学生のころと変わっていないのに、職場では上司然と振舞っていて、なにやら、ヘンな？感じである。<br />
<br />
で、その職場で、彼が携わる新しいプロジェクトの話になった。<br />
<br />
「旅の指差し会話帳」というシリーズをご存知だろうか？　情報センター出版局という出版社が作っている言葉ガイドである。旅行で遭遇する状況ごとに、マンガやイラストが配置され、その国の言葉（文字と発音）が記されている。旅行好きの人なら、書店で見かけたことがあるかもしれない。聞くと、これまでに約６０カ国分を出版し、全シリーズで１６０万部も売れたのだという。なんだか、すごい数字である。彼は大学卒業後、情報センター出版局に入り、いまは「指差し会話帳」の事業に携わっているのだ。<br />
<br />
私は大学４年のとき、初めて外国に旅行した。とにかく安く、かつ長く滞在できるところにしようと思い、バングラデシュ、インド、ネパールを選んだ。２カ月弱くらい居ただろうか。飛行機もそのときに、初めて乗った。ビーマン・バングラデシュ航空という飛行会社の飛行機で、マニラ、バンコクと経由して行くうちに、半日以上も遅れてしまい、ダッカの街に着いたのは夜中近くだった記憶がある。<br />
<br />
バングラデシュもそうだったし、インドもそうだったのだが、全くその国の言葉を知らなくても、しばらくウロウロしていると、自然に現地の言葉は覚えるものだ。でも、どうせだったら、最初から少しでも勉強して行った方がいい。事前勉強ができなくても、現地で上手にその言葉が使えたら、旅行はもっと楽しくなる。私がインド方面に行ったころは、「指差し会話帳」などという便利なものは無かった。<br />
<br />
で、後輩の話に戻るのだが、間もなく、指差し会話帳のＤＶＤ版を出すのだと言う。英語や中国語、韓国語なんかはテレビでも学習番組をやっているし、ＣＤも多数売られている。でもアフリカや中東、東欧など馴染みの薄い国々の言葉は、どんな発音なのか、滅多に知る機会が無い。だから、こういう「指差し会話帳」シリーズが音声（絵も）付きに育っていったら、それはそれで、非常に役に立つのではないか、と思う。<br />
<br />
彼の職場のＨＰにも掲載されていたが（元ネタは月刊文芸春秋）、「指差し会話帳」のアラビア語版は、イラクに派遣された自衛隊員も使っていたそうだ。ところが、隊員がその本のページを指差して子供たちとコミュニケーションを取ろうとした際、実は意思疎通ができなかったのだという。本に不備があったのではなく、絵（マンガ）に添えられたアラビア語の文字を子供たちが読めなかったからである。それを知った情報センター出版局のスタッフは、ＨＰ上の＜★「指さし」が見せたイラクの悲しい現実！＞の中で、こう書いている。<br />
<br />
＜『指さし』にも限界があった、とは思いたくはありません。しかし、これが世界の現実だということは、紛れもない事実です。イラク復興のニュースは日々メディアからは消えていきます。その一方で、この記事は、『指さし』でもコミュニケーションがとれない人々が世界にはいるという現実をまざまざと見せつけてくれました。一日も早く、彼らに字を読み、書き、物語の面白さを知る喜びを味わう日が来ることを願ってやみません＞<br />
<br />
「指差し」がＤＶＤになったら、発音を録音して、現地で本と一緒に使えるかもしれない。録音して持って行かなくても、現地に赴く人の頭の中に録音しておくこともできる。面倒でなかったら、パソコンとＤＶＤを両方とも携行すればいい。技術の発展は日進月歩だから、ほんの数年後には、手のひらサイズで絵も文字も発音も持ち運び出来るようになっているかもしれない。それが現実になったら、シュールな絵のように映る異国の文字も、ぐんと親しみが沸くかもしれない。]]></content>
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    <title>「火事」で目覚めた朝</title>
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    <issued>2005-11-30T12:22:56+09:00</issued>
    <modified>2005-11-30T12:28:59+09:00</modified>
    <created>2005-11-30T12:22:56+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[今朝は、まだ日も昇らぬうちに、凄まじいサイレンの音で目が覚めた。<br />
<br />
大型車の排気音、人が走り回る音、ドタンドタンと何かが閉まったり開いたりする音。大声で誰かが叫び、さらに別のサイレンが近づいてくる。何やら悲鳴のような声も聞こえた。しばらくは、布団の中で夢か現実か、ぼんやりと確かめていたが、どうやら現実である。<br />
<br />
ハタと我に返るようにして飛び起き、ベランダに出てみると、わずか数十メートル先の民家が激しい炎を噴き上げていた。そうこうしているうちに、また消防車が到着する。このあたりは、狭い道が入り組んでおり、古い民家も密集している。アパートの３階に住む私が見下ろす先では、消防士の方がマンホールを開け、懸命に消火栓とホースを繋いでいる。その間にも、火勢はさらに強まったように感じた。軒を接した隣の家に燃え移るのではないか。そう思っているうちに、また消防車が到着した・・・。<br />
<br />
実際にこの目で火事を見たのは、十数年ぶりだと思う。先日、「駆け出し時代のことなど」で私の初任地のことに触れたが、記者に成り立てのころは、とにかく「現場」に行った。事故も海難も事件もあったが、初任地の小樽で一番印象に残っているのは、「火事」である。<br />
<br />
街でサイレンの音を聞くと、小樽市消防本部の指令に電話をかけ、場所を聞き、すぐにそこへ走る。消火活動が始まっていないうちに着くこともあったし、消えかけてから着くこともあった。消火活動中にケガをされた消防士も目の当たりにしたし、住んでいた人が遺体になって運ばれる場面にも遭遇した。とにかく小樽は火災が多かった印象がある。ある年の春、中心部の商店街で昼間に７－８軒が燃える大火事があった。その夜、今度はすぐ近隣で、同じくらいの大火事があった。昼間にさんざん火事の取材をした後だったので、夜に消防車が次から次へと走り始めたとき、「まさか、またあそこで？」と思ったものだ。<br />
<br />
そういう現場に立ち会うと、消防士の方はすごいな、と思った。炎に包まれた構造物が落下する中、炎の中に飛び込む。人を救助するため、危険を顧みずに作業を続ける。消防士さんたちの訓練も何度か取材したことがあるけれど、まさに命懸けである。「職業に貴賎は無い」と言う。それはその通りかもしれない。しかし、いわゆる「掛け声」だけの世界ではなく、文字通り、本当に命懸けの仕事はある。<br />
<br /><br />駆け出し記者時代、「おたる・交番・２４」という連載企画を手掛けたことがある。当時、小樽警察署管内には２４ヶ所の派出所・駐在所があって、その「２４」に「２４時間」を引っ掛けたタイトルだった。連載も文字通り２４回に及んだのだが、交番を一つ一つ訪ね歩き、そこで警察官の仕事に触れ、取材の延長で酒を酌み交わしながら種々の話を聞き、「現場の警察官は本当に大変だ」「これを自分にやれと言われたら、とてもできないな」と感じたことを覚えている。<br />
<br />
海上保安庁の職員もそうだった。猟師さんとじっくり話を聞いたときは、猟師の仕事も命懸けだと思った。高い工事現場で働く人も、嵐の中で停電復旧に勤しむ人々も、災害出動で危険な現場に向かう自衛隊員も、数百人の命を預かって空を飛ぶパイロットも、とにかくそういう人はこの社会にしっかり根を張って、社会全体を支えている。そういう普通の、しかし、危険を顧みずに働いている人々が持つ誇りに対して、畏敬の念を忘れたくないと思う。ＮＨＫの「プロジェクトＸ」の題材にすらならないような人たちと、その仕事の積み重なりが、最大の社会基盤なのだ。<br />
<br />
もちろん、仕事が直接的な危険と背中合わせではなくても、「金のためだけではない」という誇りを持って職務に就いている人たちは、この世に数え切れないほどいる。そうした人々への畏敬を忘れてしまえば、社会は歪を増し、社会道徳は崩壊する。「職業に貴賎はない」と言われるが、仕事とその誇りに対する「視線」は、私に言わせれば、時に大きく歪む。バブルの時代は、汗水流して働く肉体労働が「３Ｋ」（きつい、汚い、暗い）と呼ばれて、何となく一段低いもののように喧伝された。<br />
<br />
そうした「視線」の歪みは、今は、どうなのだろうか。<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>駆け出し時代のことなど</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://newsnews.exblog.jp/3134518/" />
    <id>http://newsnews.exblog.jp/3134518/</id>
    <issued>2005-11-27T12:13:42+09:00</issued>
    <modified>2005-11-27T22:21:48+09:00</modified>
    <created>2005-11-27T12:13:42+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[相変わらずパタパタと忙しく、夜はいろんな方と連日のように遅くまで飲む日々が続いている。昨夜は文字通り、北は北海道から南は沖縄までの地方紙、それに通信社の方々（主に営業・広告・メディア部門）が集まる会合が東京・丸の内であり、夜は酒席に流れた。昼間の会合できちんと話すのも大事だし、その延長線でわあわあと飲むのも楽しい。<br />
<br />
で、その席で、駆け出し記者時代のことが話題になり、当時のいろんなことを思い出した。私が北海道新聞社に入社したのは１９８６年４月である。もう２０年近くも前の話だ。<br />
<br />
２０日間ほどの研修を終えて赴任地の小樽に１人到着し、上司の方々に挨拶すると、そのうちの１人が「おめえ、挨拶くらいはできるみたいだな」と言う。本当に「おめえ」というのだ。この人はかなり怖いデスクで、私はその後、心の中でひそかに「おめえのデスク」と呼んでいた。<br />
<br />
「でな、君の担当は水族館だから。市役所の記者クラブに席は置いてもらうが、担当は水族館だ」。事件事故の修羅場や深層・潜行取材が明日から始まるものと思い込んでいた私は、かなり拍子抜けした。新聞記者に関する本や映画に事前に触れすぎ、想像が膨らみすぎていたのかもしれない。<br />
<br />
当時も今も、「おたる水族館」は北海道随一の、そして全国でも指折りの水族館である。でもなあ、水族館かぁ、取材の相手はトドさんやペンギンさんかぁ・・・半ば戸惑い、その後はヒマさえあれば水族館に通う日々が続いた。私にも意地みたいなものがあって、「水族館担当」と言われた以上、これでもかこれでもか、と思うくらい水族館の記事を書いた。内容はもう明確には記憶していないが、「ペンギンの赤ちゃんが生まれた」「ラッコが大人気」「イルカが芸を特訓中」とか、そんな感じである。何しろ、おたる水族館は道内随一の施設なのだ。１種類ずつ取り上げても、数ヶ月は持ちそうな感じである。<br />
<br />
もちろん、書いた原稿は次々にボツになる。このデスクはとにかく怖く、厳しい人だった。当時は紙の原稿用紙にペンで書いていたのだが、出来た原稿をデスク席に持っていくと、サーっと見ただけで、デスク席脇の大きなごみ箱にポイされる。「あの、どこが悪いんでしょうか？」と聞くと、「そんなことは自分で考えれ！」。何回かそんなことを繰り返したあとで、ようやく、「やっと分かってきたみたいだな」と言ってくれるのである。<br />
<br />
１年くらいたったころ、こんなこともあった。<br />
<br />
<br /><br />このデスクから早朝に電話でたたき起こされた。６時前後だったと思う。「タイムス見たか？」。今は廃刊となったが、当時は「北海タイムス」という日刊紙がライバル紙の一つだったのだ。「タイムス見たか？　やられてるべ」「いえ、見てません」「見てから電話すれ！」。小樽警察署のすぐ近くに住んでいた私は、大急ぎで署へ行き、当直室に「タイムス見せてください」と駆け込んだ。１面、小樽版、社会面にくまなく目を通す。何も重要な記事は出ていない。で、私は電話をかけなおし、こんなやり取りになった。<br />
<br />
「高田です、タイムス、見ました」<br />
「やられてるべ」<br />
「いえ、何も出てませんが」<br />
「タイムスに先を越されたの、分からないのか」<br />
「何も出てません」<br />
「小樽版を見てみろ、その左側に出てるべ」<br />
「？？」<br />
「小樽の都通り商店街に雛祭り人形が並び始めた、って。その記事、出てるな？」<br />
「はぁ」<br />
「（ここから大声）おめえ、おれが少し前に言ったろうが。雛人形が店先に出てるから記事にしろ、って。季節ものの記事だからって、適当にやるんじゃねえ。こういうものであっても、先にやられたら悔しいと思わないのか？　え、どうなんだ？　こういうものでも先に書かれて、それで悔しいと思わなかったら記者じゃねえぞ」<br />
<br />
もうとっくに退職されたが、そのデスクからは実に多くのことを教わった。失礼な言い方を承知で言えば、社内的には「出世」と無縁の方だった。とにかく厳しいし、よく怒るのだが、「理不尽」は、全く無かったと思う。「とにかく街を歩け。外に出ろ。記者クラブにこもるな」と言われた。「同僚記者と飲んで楽しいか？　どうせ飲むなら街の人、ふつうの人と飲んだ方が何倍も楽しいだろ」「群れるな。記者が群れているのは見苦しいぞ」「小樽みたいな小さな街だと、１日３人は新しい人に会え。それも、会って名刺を出したとき、名刺を返さないような人（名刺を持っていないような人という意味）に会え」。そんなことを繰り返し言われた。<br />
<br />
小樽勤務は通算３年半だった。ちょうど小樽運河沿いの遊歩道が整備され、道内屈指の観光都市として小樽が離陸を始めた時期だった。役所や警察の幹部とも会ったし、商業関係者も会ったし、街の人にも数え切れないくらい会った。来る日も来る日も原稿を書き続け、多いときは１日５－６本書いたと思う。職業別電話帳（当時はハローページとは言わなかった）をめくり、「小樽には職人が多いなあ」と気付いて、そういう人たちの生き様を３０回の連載にしたこともある。それがきっかけの一つになって、小樽は「職人のまち」として名が知られるようにもなった。そういうことがあると、「ああ、記者をやっていて良かったな」と心底思う。<br />
<br />
先日、「記者クラブ制度」問題をテーマにしたシンポジウムが東京であって（内容は日刊ベリタの「アジア記者クラブ通信」に掲載）、その場では「いまの記者クラブ制度はイカン」みたいな、いつも私が主張しているようなことを縷々語った。昨日の東京・丸の内のイベントでも、「紙媒体としての新聞はこのままではダメになるだろう。だからネットを使って、あんなことやこんなことを試してはどうか」みたいな話を繰り返した。<br />
<br />
私は、人に会って話を聞き、それを伝えるという仕事自体は、昔も今も本当に楽しい、と思っている。外に出て行けば行くほど、その楽しさは倍増していく。もちろん、報道機関には変えないといけない部分はたくさんあるし、私もそう主張し続けている。しかし、その動力になっているのは「記者の仕事は面白いよ」である。特に地方紙はそうだと思う。読者・市民と記者の距離が近く、双方ともが「土着」だ。その距離感をどう認識し、どうやって取材に生かしていくか。そのあたりが、今後のメディアの有り様の大きなキーワードになっていく。ぼんやりとではあるけれど、ある種、確信を持ってそう考えている。]]></content>
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    <title>私は消息不明ではありません（笑）</title>
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    <issued>2005-11-10T04:10:06+09:00</issued>
    <modified>2005-11-10T11:30:10+09:00</modified>
    <created>2005-11-10T04:07:06+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[少し前の週末、大学時代のゼミのＯＢ会があり、懐かしい面々と久しぶりに歓談した。私はそのゼミの一期生だったが、すでに後輩は数百人。ＯＢ会がホテルの立食で行われるようになり、まさに隔世の感があった。１次会、２次会・・・と続き、朝の５時まで飲んでしまったのである。学生時代に戻っての「激論」が８時間以上も続いたのだから、まあ、楽しくないわけがなく、時間を忘れてしまった。<br />
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で、そんなこんなでブログを放置していたら、「踊る新聞屋。」さんや「いいげるブログ」さんに、相次いでこんなエントリやあんなエントリが。要は、小泉首相批判を展開するブログが最近、全く更新されておらず、メールを送っても反応がないこと等から、「その主は消されたのではないか」といった憶測が生じている、という話なのだ。私も１０日以上放置していたから、「あいつにも何かあったか？」と思われてたらマズイので、そんなことは思ってもいない人ばかりでしょうが、エントリを急遽、立てることにしました。前回も書いたように、時々、叫びたくなったりしますが（笑）、私は無事です♪<br />
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今宵、書いておきたいことは、たった一つ。前回のエントリ「結局、個人なのだ。」に対して、as3450さんから長いコメントをもらった。その中に、以下の文章がある。<br />
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Commented by as3450 at 2005-10-31 09:26 x<br />
以前、高田さんもおっしゃられていたように、韓国のオーマイニュースのようなメディアの形には、私も限界があると思います。調査報道のようなものをすすめていくためには、やはりプロのジャーナリストの存在が必要不可欠だからです。しかるに、プロがなぜ動けないことがあるかというと、それがまさにプロ（それで生計を立てているという最低限の意味において）だからなのですね。<br />
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プロだからこそ、なかなか動けない・動かない。as3450さんのこの指摘は、（内容は脇に置くとして）組織の改革や自浄作用がなかなか働かない根源的な理由を、ものの見事に言い当てている。メディア企業は（もちろんメディア企業に限らない）たぶん、図体がでかくなりすぎて、組織内部の官僚化が進み、それが原因で、なかなか改革に踏み出せないでいる。私はそれが報道が抱える種々の根本にあると思っている。<br />
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「上昇気流なごや」の磯野さんが、集英社新書の「ご臨終メディア」を読んだ感想を書かれ、その中で、「旧来からのイメージで批判しているような印象を受けた。これだと、新聞の人間はそれほどこたえないのではないか」と記されている。同書の中には、いくつかの「？」があるけれど、あの本に書かれている内容に対して、メディア企業内では恐らく、皮膚感覚で「そうだ、その通り」と言える人と、「いや違うな」と言える人と、に分かれる。で、双方の溝は、どうしようもないくらいに広がっていて、しかも後者の人は溝の存在自体に気付いていない、或いは過小評価しているのではないか、と思えてならない。<br />
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既存のメディア企業の病気は、例えば、記者クラブ改革を行って治癒するようなものではない。情報談合組織の記者クラブは改革しなければならないけれど、それはメディア企業が内包する「官僚化」の病気を前にすれば、大きな問題とは思えなくなってくる。目線が読者ではなく社内に向き、取材部門ですら前例踏襲が蔓延し、改革への決断・責任は放棄され、その日その日を大過なく過ごすことが根付き、そういう漫然たる日々の中で、病気はますます進行していくのだろう、と思う。<br />
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今週金曜日のシンポジウムでは、休暇を取ってパネリストの１人として参加するが、前述したような話も含めて、少しでも前向きの話をしたいと考えている。<br />
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]]></content>
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    <title>結局、「個人」なのだ。</title>
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    <issued>2005-10-28T16:29:52+09:00</issued>
    <modified>2005-12-18T09:52:25+09:00</modified>
    <created>2005-10-28T16:26:56+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[時々、「うおおおお」と叫びたくなる。それほど、ここ数年のメディアの閉塞ぶりは、すさまじい。このブログを立ち上げた理由も、何とも言えぬ閉塞感をどうにかしたいと思ったからだった。でも、こんなちっぽけな試みとは無縁なところで、メディア企業内部の「事なかれ主義」は怒涛のように渦巻いている。しかも渦巻きは激しくなる一方だ。<br />
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いまのメディアが最大の病は、組織が官僚化し、事なかれ主義・前例踏襲主義が蔓延し、だれも責任を取ろうとしない、新たな試みに臆病になっていること等々に最大の原因がある。そのことは、この１０ヶ月、私もこのブログで書き続けてきたし、最近出した対談集「ブログ・ジャーナリズム　３００万人のメディア」でも力点を置いて喋ったつもりだ。先日、集英社新書の「ご臨終メディア」を読んだときも、その内容があまりに的確で、かつ私の感覚と似ていて唸ってしまったほどだ。それほど、病気は重い。<br />
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しかし、ほんのわずかではあるけれども、「これじゃイカン」という動きは、細々と動き始めている。最近は企業内記者やフリーを問わず、そういう鬱屈した思いが、じわりじわりとマグマの胎動になり始めているのではないか、と。そうした類の危機感は、既存メディアの心ある記者は、十二分に抱いている。そしてチャンスを待っているのではないか、と。<br />
<br />
この数ヶ月、いろんな人に会ったが、みんな驚くほど、「ヨコのつながり」を欲していた。「企業や組織の枠を超えて、個人が個人でつながるネットワークができないか」と口にする人も、何人もいた。大事なのは「個人」なのだ。会社の看板を外し、それでも「記者」として良心と力と役割を発揮していきたい、そのためにはどんな方法があるのか・・・。多くの人がその部分で考えをめぐらせている。時として、官僚組織以上に官僚的に振舞う編集幹部の姿を目の当たりにしながら、「自分はどうすべきか」と真剣に考えている。今はまだ、会社の看板の陰に隠れているけれど、そんな思いは、種々の組織でマグマのように熱を持ち始めている。<br />
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もちろん、メディア組織外でも「このままではダメだ」という人が増えているし、何らかの具体的アクションを起こそうという動きが、これもわずかだが、出始めているのは間違いない。私も「自由記者クラブ」構想なる夢想を虚空に放り投げ、それがどこに落ちるのか、目を凝らしている。<br />
<br />
この先、何がどうなるか、明言はできない。結局、何も動かないかもしれないし、マグマが噴き上げることになるかもしれない。でも、「自分の胸の内でもマグマがたぎっている」と自覚する人は、どんどん増えているのだと感じる。そして早晩、そうした人たちは、こんないくつものネットワークのどこかに、「個人」として集まってくるのだと思う。]]></content>
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    <title>イベント案内　「『記者クラブ制度』は世界の非常識だ」</title>
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    <issued>2005-10-28T11:46:15+09:00</issued>
    <modified>2005-10-28T12:18:11+09:00</modified>
    <created>2005-10-28T11:42:19+09:00</created>
    <author><name>masayuki_100</name></author>
    <dc:subject>■２００５　東京発■</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[講演会やら何やら、最近は外でしゃべる機会が増えてきた。やはり、これだけはどうも苦手というか上達せず、毎回、「ああ、あれを言い忘れてしまった」「あれも言いたかった」の連続である。２週間ほど前には平日に休暇を取って、武蔵境のＩＣＵ大学で、講演の機会をいただいた。熱心な学生さんから「ぜひに」と言われ、私も「学生相手だから、まあ、あんな話、こんな話でお茶を濁して・・・」と思っていたが、教室は１６０人ほどの学生で満席になり、結局、最後はまたもや「あれをいい忘れたなあ」といった感じに陥ってしまったのだ。<br />
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そんなこんなで、少し、そういう機会は減らそう、休みの日はのんびりしようと思っていたが、今回は別である。喜んで、引き受けたのだ。アジア記者クラブ主催の　設立１４周年記念シンポジウム「『記者クラブ制度』は世界の非常識、情報カルテルだ」が、そのイベントである。「１４周年記念」という、いかにも半端な数字がシブイが。<br />
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登場するのは、警察庁記者クラブと警察庁を相手に「われわれの会見出席を妨害するな」事件を起こしている（仮処分申請）、フリーランスの寺澤有さん＆週刊現代副編集長の舩川輝樹さんのコンビ、かつて警察庁の会見に出ようとして摘み出された経験を持つジャニーズ系の風貌の西日本新聞記者・宮崎昌治さん（現在は福岡県警担当キャップ）、そして私である。<br />
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寺澤さんのブログでは、このイベントは「『記者クラブ問題』最先端事情」というエントリで紹介されている。それによると、『舩川氏と筆者は、「記者クラブが役所から無償かつ独占的、排他的に記者室や情報などを提供されているのは、同業者としてのみならず、納税者としても許しがたい」という意見。高田氏と宮崎氏は、一定限度、記者クラブの効用も認めているようだ』と書かれている。なんだか、私は（宮崎さんも）「守旧派マスコミ」の右代表みたいになりそうで、今から怖い・・・（＾＾；<br />
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いずれにしても、１１月１１日夕（東京・文京区）の催しはそこそこ面白くなりそうなので、ご関心のある方はぜひどうぞ。<br />
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