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ニュースの現場で考えること

オーマイニュース日本版が始まって、数週間になった。正直言って、少々落胆している。この間、種々の意見の中では「すちゃらかな日常」の松岡さんのこの記事が、一番参考になったのだけれど、私の感じる落胆は、内容よりも(内容もそうだが)、見た目、である。要するに、レイアウトの話だ。

ネットの技術に関しては、私は門外漢なので、それを差し引いての意見なのだが。。。どうして、ニュースを扱うサイトのデザインは、どこもかしこも、レイアウトが似ているのだろうか? 上の方に「スポーツ」「国際」「政治」「社会」といったタブが並び、各項目のニュースは、上から下へスクロールして読む仕掛けになっている。

ネットは横書きだし、文字数は無限だとはいえ、画面の大きさには限界がある。だから、ある程度、スクロールして読む方法を導入しなければならない、という理屈は分かる。それに慣れた人には、この方法が一番親しみやすいということも分かる。しかし、政治経済ニュースを一番に読みたい人と、スポーツ記事を真っ先に読みたい人とでは、ニュースに対する受け止めも感性も違うはずだ。政治経済ニュースとスポーツニュースでは、書き方も文章もレイアウトも、写真の扱いもその他もろもろ、大きく違っていて当然だと思う。

深く読むのか、リンクを充実させるのか、読者のコメントから読むのか、議論したいから読むのか、ニュースを読みたいから読むのか。或いは、分野を超えて縦横にいろんな角度からニュースを読みたいのか。。。人々の要求は多様に多様を重ねているはずなのに、「政治ニュースはここ」「経済はここ」という、過去に既存メディアが作り上げてきた価値観と見せ方から、全く脱することができていないように感じる。

新聞社やネットメディアのニュースサイトの今の形は、おそらく、最初に読売新聞とか朝日新聞とか、そういった大手のメディアがHPを作った際に、雛形ができ、それを元に各サイトも作っているような気がする。全く違った価値観でニュースを提供するとしたら、今のデザインも根本から疑ってかかった方が良いと思うのだ。(個人的に種々考えていることはあるが、その内容はまだ茫洋としているので、いずれかの機会に)。
by masayuki_100 | 2006-09-10 22:10 | ★ ロンドンから ★

深い沈黙

ロンドンは9月10日の日曜日、昼である。日本は午後9時すぎ、もうすぐ日付が変わる。で、あと少しで、「9・11」から、ちょうど五年になる。すでに日本のメディアも種々の特集を組んでおり、当日になれば、さらにいろんな話題が沸騰するだろうと思う。

「9・11」から少し過ぎたころ、どうしても現場を見たくなり、休暇を取ってニューヨークに足を運んだ。行きの飛行機は乗客が10数人程度しかおらず、異常に静かだったことを覚えている。倒壊したビル現場へ向かう道には、長い長い行列ができていた。そして、それにもかかわらず、そこに向かう道も、奇妙に静かだった。きな臭さが残る中、多くの人が押し黙り、しゃべったとしてもヒソヒソ声で、行列はまさに、慰霊の群れだったように思う。

それから五年がたった。その間、ロンドンでもテロがあり、テロ計画発覚騒動があった。中東では毎日のようにテロがあり、ロンドンの新聞でも「WAR」などの大活字が躍らない日はない。どこかで読んだのだけれど、「9・11」で犠牲になった人の数よりも、その後の「テロとの戦い」で犠牲になった米国人の方が数は多くなったそうだ。

「9・11」が陰謀であったかどうかは、分からない。例えば、ヒロさん日記の記述を頼りにあちこちにネットサーフィンしていると、陰謀説をめぐる種々の議論があり、時間のたつのも忘れるほど引き込まれてしまう。

ただ、「テロとの戦い」は、この複雑な世の中にあって、どうも単純すぎる。「テロとの戦い」を結果として喚起する種々の出来事も、単純すぎるように思う。例えば、米大統領選の投票日の直前に、ビンラディンの映像が流れたことがあった。今年夏のロンドンの旅客機爆破テロ計画も、イスラエルによるレバノン侵攻が大問題になりつつある最中に起きた。つい先日は、米議会の報告書で「実はイラクのフセイン政権はアルカイダとは無関係だった」という結果も出てきた。

善か悪か右か左か。或いは上か下か斜め前か斜め後ろか。。。この複雑な世の中を、単純なスローガンや言説で切って見せようとするときは、やはり、どこかに作為が潜んでいるように思う。
単純な言葉の繰り返しよりも、深い沈黙の方が、人間らしさに溢れているように感じる。
by masayuki_100 | 2006-09-10 21:41 | ★ ロンドンから ★

「格差社会」について、あちこちで種々の意見が交わされている。しかし、それらの格差(主に経済的なそれ)を若い人々はすでに、すんなりと受け入れているのだとしたら、議論のありようは根本的に違ってくるはずだ。「格差?それがどうしたの?それのどこが問題なの?」という人々が大多数だと仮定すれば、では、今の格差社会論議は、いったい、社会の何をどう解明し、その先、どう展開していくのだろうか?

以下、少々長いけれども、山口二郎北海道大学教授のHPからの引用。06年8月:対抗軸としての社会民主主義の創造

(引用開始)

去年の総選挙で若者・都市住民が小泉自民党に雪崩れてうっていきました。「騙された」という説明もあり得ますし、ドラマ化された政治、「刺客」とか「セレブ」とか面白いトピックを繰り出していくエンターテイメントとして選挙をやったということをいう人もいます。しかし、それですべてを説明するのは無理だと思います。私は、実体的な理由があったと思うわけです。そこで考えたことが、再分配あるいはリスクを社会化するという仕組みについて人びとが大変大きな不満を持っているということです。日本人がみんなアメリカンイデオロギーに染まって、平等や公平を放棄したのではなく、歪んだ平等主義や正義感によって、「小さな政府論」を支持しているという捻れた状況があると思うのです。再分配政治は、何となくうさんくさいものに見え、無駄が多い、腐敗がいっぱいある、一部の人間だけを太らせているという一連のイメージが一般的にあり、それらを大掃除する手段として「民営化」はすごく魅力的な手段に見えたのでしょう。
 私は、最近、「プチ不平等」という言葉をよく使います。ヒルズ族と「おんぼろアパート」との間の格差は、もはや政治的争点にならないのですが、「おんぼろアパート」と公務員宿舎の格差は政治の問題になるわけです。非正規雇用が急激に増え、リストラで大変辛い目にあった民間企業の人たちが大勢いるなかで、雇用のリスクがない公務員は特権階級に見えちゃうわけです。あるいは、農業などに対するサポートも、輸入食料品で食費を安くあげる生活をしている人から見れば、「弱者面をした人間」にいっぱい金をまいていると見えちゃうわけです。
 公共セクターは平等をもたらす仕組みではなく、むしろ格差や特権を部分的にこしらえている存在で、「官から民へ」「小さな政府」にすることが、むしろ世の中を公平にして風通しをよくすると思えちゃうのです。そこをキチンと理解しないと、小泉人気の説明がつかないと思います。

(引用終わり)

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by masayuki_100 | 2006-09-10 17:38 | ★ ロンドンから ★