2008年 07月 03日
木をみて森もみる(21) 「あの日、父と小さな駅で」
それでも私の父がこの現状を知れば、仰天するのではないかと思う。文化の違いもあるから、日英のどちらが良い悪いではないが。
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私の父は国鉄マンだった。
最後の勤務は、高知県の吾桑(あそう)駅という小さな駅だった。今は無人駅に違いないが、父が退職した1970年代には、3人の駅員がいた。もっとも三交代だから、客から見れば駅員はいつも1人である。
父が退職する何年か前の、小学校の高学年の春休みか、夏休みだったように思う。
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by masayuki_100
| 2008-07-03 09:08
| 木をみて森もみる