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ニュースの現場で考えること

北方領土が遠くなる

一連の鈴木宗男衆院議員の事件に関連し、国際学会への派遣費用などを外務省関連団体「支援委員会」(廃止)に不正支出させた背任事件、および国後島の発電施設工事を巡る入札妨害事件(背任と偽計業務妨害罪)で、外務省国際情報局の佐藤優・元主任分析官(45)が有罪判決を受けました。懲役2年6月、執行猶予4年です。 裁判長は判決で、「外務省に対する鈴木宗男・前衆院議員の影響力に乗じ、ロシアや北方四島の支援事業を害した」と述べたそうです。

この判決を聞いて、とてもやるせない、なんとも言えぬ気分になりました。

私は東京勤務時代のうち、1999年から2001年にかけて外務省を担当していました。北海道新聞といえば、当然、北方領土問題ですから、取材の軸は対ロシア外交、北方領土問題になります。ちょうど鈴木宗男氏が絶頂期にあったころで、その周囲には、いつも佐藤優・主任分析官(ここでは便宜上、「元」を省略します)がいました。従って、佐藤分析官とはそれなりの付き合いがありましたし、国後島に私が足を踏み入れた際も彼は一緒でした。その深い洞察力にはいつも驚かされた記憶があります。

佐藤分析官らが関係した「事件」については、まだ係争中であり(佐藤分析官は控訴する意向)、事件そのもには言及しません。しかし、領土交渉史の中では、ちゃんと業績は業績として位置付けておくべきではないかと思うのです。

佐藤分析官の口ぐせは「四つの島は戦争でソ連に奪われた。戦争で奪われた領土を交渉によって取り戻す。そんな例は世界史では稀有だけれど、戦後の日本が戦争をしないと決めた以上は、ひたすら交渉するしかない」というものでした。「領土交渉は形を変えた戦争(=情報戦)」というのも、口ぐせでした。事件当時、外務省の主流派や自民党の森派などからは「外務省は鈴木宗男議員と佐藤優氏に乗っ取られている」といった言葉が、盛んに流されました。二人が権勢を誇っていたことは間違いありませんが、しかし、ものごとはそう単純なものではなかったと思います。



1990年代後半は、おそらく、北方領土が日本に一番近づいた時期ですが、日本とロシアが近づくことを(領土が実際に返還されるかどうかは別にして)快く思わなかった人々が、当時の政権内部や外務省内に居たことは間違い在りません。その後、「親中国」の田中真紀子外相が失脚した際も、同じ空気を感じました。想像ですが、ポイントは「アメリカ」だと私は感じています。

鈴木議員の一連の事件の際に、議員やメディアが喧伝した「証拠」は、実にアバウトなものでした。例えば、二元外交の象徴とされた「鈴木・イワノフ書記の会談記録」、鈴木議員秘書のムルアカ氏のニセ旅券問題等は、鈴木議員追及の材料として国会でも取り上げられましたが、会談記録(最初は差出人不明で国会議員のもとに届いた)なるものは、実は虚偽だったことが後に判明しています。ムルアカ氏のニセ旅券問題では、日本政府の照会に対するコンゴ政府からの回答を外務省が誤訳していた、と一年近く過ぎてから判明しました。外務省職員がフランス語を誤訳しただなんて、おいおい、ふだんの外交は大丈夫?と言いたくなるような話です。

まあ、そうした事件から何年か過ぎ、本日、東京地裁の裁判長は、佐藤元分析官に有罪を言い渡したわけです。

この数年で、北方領土問題は、首相官邸の外交課題の中では、随分と後景に退きました。いや、もともと比重はそう高くなかったのかもしれません。
2000年までに平和条約を結ぶことに最大限努力することをうたった1997年のクラスノヤルスク合意 のときは、一瞬、本当に領土が戻るかもしれないと思いました。おそらく、あの日が、領土が一番日本に近づいた日だったのです。今はもう、クラスノヤルスク合意だなんて、だれも覚えていないでしょう。もちろん、外交的には、意味の無い合意になってしまったのですから覚えてなくて当然かもしれませんが。

ただ、私はこう思うことがあります。冷戦崩壊前は、あれほど日本全体の課題であり、外交の愁眉だった北方領土問題が、最近はなぜ、中央では大きな問題ではなくなったのか。それは、「ソ連をやっちまえ」という方が楽だったからではないか。「悪の帝国と取引する必要はない」と言っている方が、政権与党の人気が出る、という感覚があったからではないか。本気で四島を返してもらおうと思ってなどいなかったから、「ソ連の脅威」を利用して、自衛隊を強化するなどの方策しかできていなかったのではないか。そういう気分になるときがあります。

「やっちまえ」式の暴論、「ソ連軍の北海道侵攻」といった宣伝、「悪と取引はしない」という思考停止。そういったものが、かつては蔓延していたのではないでしょうか。それに対し、佐藤分析官が舞台に居た90年代は、ソ連が崩壊し、本当の外交力が問われたのです。日露の軍事交流まで行われる中、交渉によって四島をどう取り戻していくのか。しかも(私も見てきましたが)、四島にはロシア人が現実にたくさん住み、カナダなど欧米資本もどんどん入り込んでいく。その状態が続けば、日本は四島に橋頭堡すら築くことが出来ない。では、どうするか。。種々の評価はあるにせよ、その難題に取り組んだのが、佐藤分析官だったことは間違いありません。

東シナ海での中国との争いなどは、それこそ毎日のように動向が日本中に伝わっていますが、北方領土は音なしです。みんな、忘れてしまったのでしょうか? それとも、米国と仲良しになった、そしてアメリカと同様に「テロ問題(チェチェン問題)」を抱えるロシアに対しては、米国の属国的立場の日本はモノが言いにくくなったのでしょうか?

北方領土から命からがら逃げてきた元島民たちは、みんな年齢を重ね、生きているうちに島に帰ることは、いよいよ難しくなってきました。そして、外務省には佐藤分析官ほど、ロシアに精通した人物も居なくなったように思います。
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by masayuki_100 | 2005-02-17 04:32 | |--沖縄、北方領土