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ニュースの現場で考えること

「ブログで問い直す読者との距離」 雑誌「新聞研究」から

  今も時々、「どうやってブログ開設の許可を会社から得たのですか」という問い合わせが来る。もう2年以上も前の話だが、私の上司に、ネットに関心の深い方がいて、ブログを作ってみたいと言う私に対し、「面白そうだな。やってみて、時々状況を教えてくれよ」との返答をもらったのが最初である。この上司はその後も、社内のブログとネットに関する勉強会にも度々顔を出され、居酒屋でもこのテーマでよく議論した。

 始めてみたらブログは意外と面白く、ただでさえ忙しい仕事の後、せっせ、せっせと記事を書き、コメントにも対応していた。記者ブログが、まだ珍しがられていたときだったから、余計、そうだったのかもしれない。「新聞協会」という業界団体などからも、ネットに関する勉強会に呼ばれ、思いつくままに種々のことを語っていた。

 で、最初のころ、どんなことを考えていたのかを、ここに残しておきたい。新聞協会の依頼で、雑誌「新聞研究」に寄稿した一文だ。2006年一月号に掲載され、「ブログで問い直す読者との距離──新聞がネット社会で生き抜くために」というタイトルが付いている。

 読み返すと、かなり、恥ずかしい。時代はどんどん進んでいるし、私の見通しなど大したものではない、ということを思い知らされる。とくに、

<現時点での私の結論を言えば、「現場の取材記者に業務でブログを持たせることには慎重であるべきだ」である。一番の問題は、実際の取材に割く時間を削り、今でも相当に落ち込んでいる「取材力」がさらに劣化する危険があるからだ>

という後半の一文は、かなり見方が狭い。まあ、私程度の知識しかない者が、ネットと新聞の将来を語るなどは、とても畏れ多いことであり、それは十分自覚している。それを承知で言えば、読者との双方向性を担保し、ネット技術を利用しながら、有意義な対話を続けるべきだとの考えは変わっていない。


お暇な方は、以下の引用文をどうぞ。ただし、長くて、少々退屈です。




<以下、新聞研究 2006年1月号  
「ブログで問い直す読者との距離──新聞がネット社会で生き抜くために」より引用>


 明確な日時の記憶はないが、二〇〇四年初冬だったと思う。

静かで大きな事件事故もなく、私は本社報道本部の朝刊デスク席でのんびりした時間を過ごしていた。朝刊の早版作業が終わると、遅版向けの差し替えすらなく、時折、緩んだ空気が苦痛に感じるほどだった。

そして、思った。どこかが違う、と。一九九八年から四年半、私は東京で記者生活を送ったが、それ以前の札幌本社時代と明らかに編集局の雰囲気が違う。何が違っているのだろうか。このとらえどころのない雰囲気は何だろうか。

----「電話」である。電話が鳴らないのだ。その夜は社内の業務関係以外、外部からの電話はほとんど鳴らなかった。 
     
かつては違った。どんなに平穏な夜でも、古くからの読者、酔っ払い、わけのわからない言い掛かりなど、本社社会部(当時。現在は報道本部に組織改正)へは次々と電話がかかってきた覚えがある。少なくとも、外部からの電話がゼロだった夜など記憶にない。

この数年、「新聞の読者離れ」が一段と進んでいるとの感覚が消えない。「読者の新聞離れ」ではない。行政官庁や司法・捜査当局、経済団体などを主語にした原稿を書き続け、さらに記事の評価を一義的には社内や同業他社、取材対象との狭い範囲での価値観に依拠しているうちに、新聞はすさまじい勢いで読者を置き去りにしてしまったのではないか、と。
そして、電話の件以来、私のぼんやりした思いは「読者はもう新聞を相手にしていない」という確信めいた感情に変わった。

「ニュースの現場で考えること」というブログを開設した(http://newsnews.exblog.jp/) のは、それから少し後の二〇〇五年一月である(同年六月末までのタイトルは「札幌から ニュースの現場で考えること」)。

 当時は、ブログが何たるかさえ、ほとんど知らなかった。困らない程度にパソコンは使えたものの、インターネットに特別な関心もなかった。ブログの開設は、その技術的な可能性に着目したからでもない。正直、単なる好奇心しかなかった。強いて言えば、「新聞と読者の距離はどうなっているのか。記者として読者と直接意見を交わしてみたい。できれば意見交換は公開の場で行い、誰でも閲覧できるようにしてみたい」と考えた結果である。

    ◇       ◇

 私のブログは、完全な個人運営であり、ポータルサイトの「エキサイト・ジャパン」が提供するブログ機能を無料で利用している。もっとも、最初からジャーナリズムに関することを書くつもりだったので、上司にブログを始めると報告し、了解はもらった。ただ、この時点では二人とも「ブログとは何か」をよく分かっていなかったと思う。

匿名で開設する選択肢は、最初から存在しなかった。一番参考にした「ネットは新聞を殺すのかblog」(http://kusanone.exblog.jp/)は、すでに時事通信社の湯川鶴章編集委員が実名で立ち上げていたし、「匿名で開設してもやがて開設者は分かるだろう」と思ったからだ。もっとも、いくつかの制約、基準は自分に課した。

「取材で得た情報は紙面化する前に決して書かない」「取材の裏話は五年程度が経過したものに限る」「時事的テーマに関するものはなるべく感想にとどめる」「ブログ記事にコメントが書かれた場合はコメントを返し、コメント欄で対話を続ける」「丁寧な言葉を用い、高みに立つような言葉遣いをしない」などである。

 開設から十一カ月ほどが過ぎた現在、ブログの様子はどうなっているのか。

  私が書いた記事(ブログでは「エントリ」とも言う)総数は、二百三十六本。開設当初の一月が五十二本で最も多く、転勤と重なった七月は三本しか書いていない。アクセス数は、時期・日によって大きなばらつきがある。一番多かったのは「そのとき記者は逮捕された」と題する記事を書いた六月二十一日の後。アクセスは一日で七千件を超えた。ふつうは四百件から八百件の間を上下しており、累積アクセス数は間もなく二十万件になる。

 各記事に対し、読み手が意見等を書き込む「コメント」数は、総計約千四百件。読み手が勝手にリンクを張る「トラックバック(TB)」は、削除分を除き総計約千百件を数える。ブログの趣旨とは全く関係ないアダルト系サイトからのTB、商品販売ブログからのTBは削除しているが、他は原則、削除していない。

記事の内容は、いくつかに分類できる。事件事故報道に関する考察、報道のあるべき姿への言及、ネットとメディア論、個人的な回想録、社会時評。それらが主体である。全般的に言えば、「ジャーナリズムのあり方」に力点を置いていると言えようか。

例えば、ブログ上では記者クラブ問題を再三取り上げ、「雑誌記者やフリーランス、ネット媒体の記者なども含め、記者クラブは原則、全面開放すべきだ」と主張している。その関連の記事を書いた後は、アクセスが跳ね上がる。フリージャーナリストの寺澤有氏らが起こした「記者クラブ訴訟」では、同氏を支持する陳述書を裁判所に出し、ブログにも掲載したが、その際もアクセスが殺到した。また、ある記者が夜回り取材中に警察に身柄を拘束されたことを取り上げた「そのとき記者は逮捕された」の際は、一分ごとにアクセスが数十件単位で増え、少し怖くなったほどである。

すでにお分かりのように、筆者のブログは極力、「高田個人の考え方」を打ち出すようにしている。ジャーナリズム関係の記事が多いとはいえ、業務時間外に手掛けている個人ブログであり、会社を代表して運営していると勘違いされたら収拾が付かなくなるだろうと思った。それが一つ。さらに、読者は「新聞社」とではなく、「記者個人」との対話を望んでいる、との確信もあったからだ。

 読者やネット利用者からすれば、新聞社の「壁」は実に強固である。記者と直接対話する機会など滅多にない。「読者の声」欄は編集者による「選択」を経たものしか掲載されず、記事への意見や批判は主に専門窓口(北海道新聞の場合は「読者センター」)へ回され、自分の声が取材現場に届いたのかを確かめる手段すらない。その結果、読者は「新聞は読者の存在を忘れ、高みから一方的に情報を垂れ流している」といった不満を募らせている。不満はもう、大爆発寸前と言っても過言ではあるまい。

多少の読者参加型紙面を用意したところで、紙媒体においては、情報の流れ方は「新聞社から読者への一方通行型」である。新聞をハブとして、その先端に読者がバラバラぶら下がる形であり、読者同士の横のつながりはない。新聞社がいくらホームページを充実させても、ネットの最大の特性である双方向性を利用しきれず、紙面と同じ記事を採録しているだけでは「一対マス」の一方通行関係は変わらないのだ。半面、「マス」の内側では、多くの個人がブログなどの簡便なツールを用いて縦横に無数のつながりを作りながら、種々の議論を始めている。

 「ネットは便所の落書きではないか」などの思い込みは今すぐに捨て、試しに、ネット上のマスコミ批判を眺めてほしい。「談合したかのように各社とも似通っている」「なぜ当局のPRみたいな記事ばかり書くのか」といった山のような批判に、すぐに行き着くはずだ。「マスゴミ」などの侮蔑的で過激な言葉も頻繁に目にするが、その批判が的確であることも少なくない。

       ◇     ◇

 時事通信社の湯川氏、元徳島新聞記者の藤代裕之氏、それに筆者の三人による近著「ブログ・ジャーナリズム 300万人のメディア」(野良舎刊)の中で、湯川氏はブログを初めた当初の思いをこう書いている。

 「われわれプロの記者を迎えたネットの住民たちの態度は、必ずしも友好的ではなかった。ネット上に鬱積していたマスコミに対する不満、不信感といった感情が、記者運営のブログのコメント欄に雪崩のごとく押し寄せることがしばしばあった(中略)。まるでわれわれ記者ブロガーのブログが、かすかに開いたマスコミの代表窓口であるかのごとく、不満、不平がわれわれのところに集中したのだ。私を含む多くの記者ブロガーは、そうした読者、視聴者の感情にどう対応していいのか分からず途方に暮れた」

 筆者も当初は、全く同じ状況に陥った。感情的なコメント、北海道新聞とは無関係な新聞社の記事を批判し回答を求める人、単純に挑発してくる人。罵詈雑言や誹謗中傷も少なくなかった。そんなときは、気分も相当に落ち込む。他の記者ブログでは、開設者がコメント欄に書かれた言葉の表面的な過激さに目を奪われ、同じような態度で応対し、それがまた反発を招いて批判コメントの殺到を招いた事例もあった。

ただし、丁寧な対応を続けていれば、たいていの相手とは、実はちゃんと対話が成り立つのである。業務時間外の、例えば明け方近くにブログに向き合うことが多いので相当に疲れるが、開設当初はほとんどのコメントに丁寧な返事を返していた。それを繰り返していると、ネット空間で「高田のブログはこういう雰囲気のブログなんだな」という評価ができる。評価が定まってしまえば、不思議なことに筆者を挑発するようなコメントが書かれても、それをいさめるような人が現れてくるものだ。ブログに費やす時間はかなりの負担だが、その繰り返しの中で、対話の土台が固まったことは間違いない。

そして、実はそのことが逆に、記者ブログの限界も示していると思う。

 業務として会社が記者に個人ブログを開設させたら、どうなるか。おそらくは、読者との対話を重視する記者ほどブログに費やす時間が多くなり、ひいては取材の足を止めてしまう可能性がある。ネット空間でアクセスが殺到する大事故や大事件の発生時は、取材記者も一番忙しく、ブログに関わっている余裕などあるまい。すると、結果的に記者ブログは開設したものの、肝心なときに読者と対話ができず、ブログの利点を生かせぬままに終わってしまう懸念もある。

 問題は、まだある。

業務で設けた記者ブログの記事は、デスクするのかしないのか。内容の適否については、一定の基準・指針を設け、あとは記者の良心や自覚に任せるのか。コメント欄に特定の政党や団体、宗教関連のものが書かれたらどうするか。事件に関連して被害者や被疑者のプライバシーを暴く書き込みがあったらどうするか。削除するとしたら、その基準はどうするか。削除自体が批判されたら、どう説明するかー。

 現時点での私の結論を言えば、「現場の取材記者に業務でブログを持たせることには慎重であるべきだ」である。一番の問題は、実際の取材に割く時間を削り、今でも相当に落ち込んでいる「取材力」がさらに劣化する危険があるからだ。ただし、読者・市民に向けた対話の窓口は今後、絶対に欠かせないので、業務でブログを開設するとしたら、編集委員などのベテラン記者か論説委員クラスから試験的に始めるのが適切ではないかと感じている。

    ◇   ◇

 筆者は今のところ、ブログについては「読者との双方向性を担保する道具の一つ」という程度にしか考えていない。重要なのは「ブログ」ではなく、「双方向性」であり、キーワードは「読者・ネット利用者との対話」である。ネット上技術については門外漢だが、おそらく、ブログに代わる技術は次から次へとすさまじい速度で登場してくるはずだ。

 技術がどう進歩しようとも、記者にとって一番大事なことは「何をどう伝えるか」「当局と市民・読者のどっちに向かって書くか」である。そして、ネット時代には「市民・読者との対話」が過去とは較べようのない重さで求められるようになるだろう。新聞の発行部数の減少がこの先も避けられない中で、新聞社にとって一番大切なことは、ネット戦略全体をどう組み立てるかであり、そこに「対話」機能をどう盛り込むかの視点が絶対に欠かせない。

 そうした視点から、筆者は会う人ごとに、いくつかの「私案」を披露している。

 まず、署名記事の「署名」。署名記事が増えるに伴って、各社のHP上の記事も末尾に記者の氏名が記載されている。ただし、ネット利用者からすれば、「山田太郎」「鈴木五郎」といった記者の名前は、それだけでは単なる「記号」に過ぎない。だとすれば、署名部分をクリックすれば、その記者の略歴、過去の仕事や記事、関心事などが閲覧でき、そこからメールも出せる仕組みにしたらどうだろうか。

 紙媒体では、例えば、インタビュー記事一つにしても、読者からすれば突然紙面に登場し、消える。ならば、記者会見やインタビューの際は、予定をネット上で事前告知し、「聞いてもらいたいこと」を広く募ってみたらどうだろう。告知から取材、記事、読み手の感想、その後の議論。それらを差し支えのない範囲でネット上に公開するのである。こうした発想は「取材のプロセスを公にし、そこに読者参加してもらう」仕組みであり、首長の定例会見などを対象にすれば、比較的簡単に実現できるのではないか、との感覚がある。

あるいは、ネット上に議論の場を設けて広く提供し、行司役は部外者に任せて記者は一参加者として加わる仕組みはどうだろうか。

少し頭をひねれば、誰でも、いくらでも案は浮かびそうだし、おそらくは、新聞紙とネットでは、掲載する記事の優先順位も書き方も内容も、全く違ったものにしなければならないのだと思う。

 十一月最後の週末、東京で「TOKYOツーデイズ/緊急キックオフ座談会~ネット社会で生き抜くための地方紙のあり方とは」という催しがあった。河北新報と佐賀新聞の若手が中心になって手掛けたボランティア企画で、若手を中心に各社の社員約五十人が全国から集まった。編集・販売・広告・事業・メディアといった業種の枠を越え、将来のネット戦略や新聞社のありようを腹蔵なく話し合う試みである。編集部門からの参加者は極端に少なかったが、筆者の「私案」など吹き飛ばされそうな発想が次々と披露された。

 そして、改めて実感した。

新聞の将来に対する危機感は、もしかしたら編集以外の部門がはるかに強いのではないか、と。少なくとも、紙と同じ文章の記事をホームページに掲載し、それでよしとしている限りは、事態は「新聞の読者離れ」ではなく、いよいよ加速度的な「読者の新聞離れ」を招くのではないか。ネット上の双方向性について、編集部門が傍観している暇はない。
by masayuki_100 | 2007-06-26 03:07 | ★ ロンドンから ★