2007年 02月 24日
カナリア諸島でのバナナ
この間の昨年12月、出張でスペイン領カナリア諸島に出かけた。アフリカ西海岸のモーリタニア沖に浮かぶ島々で、欧州の人々は冬になると、怒涛のように、「避寒」に訪れる。私は行ったことがないけれど、気候・はハワイに似ているらしい。このリゾート地の中心、グランカナリア島のラスパルマスは、かつて日本の遠洋漁業の基地として栄え、最盛期には数千人の日本人が住み、日本人学校もあったらしい。いま、諸島に住む日本人は180人足らずだ。
カナリア諸島はいま、アフリカからの移民が殺到することで知られている。昨年は一年間に約3万人。対岸の大陸から小船を出し、海流に乗って島に着く。スペインは移民政策が甘く、「スペインに行けば、不法入国であっても、やがて、滞在許可がもらえる」との話が広がり、移民(=不法入国者)が殺到する結果になったらしい。実際、スペイン政府は数年前、一挙に約70万人もの不法滞在者に、正規の滞在許可証を与えている。
カナリアを目指す小船は、海流に乗ってアフリカから北を目指す。地元の関係者によると、そのうち3割程度は、カナリア諸島を見つけることができず、通り過ぎ、大西洋を漂流するそうだ。
今年もすでに、たくさん、たくさん、カナリアに漂着している。海岸や沖合で収容されたときは、すでに衰弱死している例も少なくない。
その島で、アフリカから渡って来た2人の黒人男性に会った。1人はシェラレオネ出身、もう1人はトーゴ出身。2人とも「不法移民組」である。
彼らはラスパルマスの赤十字施設に収容されていたが、施設内部では取材許可が出ない。で、すぐ近くのカフェに2人を誘った。歩いて、数分の距離だ。どこにでもある、何の変哲もないカフェの正午過ぎ。ビールを煽る人や食事を詰め込む人、大声で言葉を交わす人などで、店は込み合っていた。一番奥の、小さなテーブルを囲んで、取材ノートを開いた。
トーゴ出身の彼は、稼ぐために欧州を目指した。同じ仕事であっても、賃金は30倍近くも違う。「欧州ならどこでも良かった」が、彼の本音である。
シェラレオネの彼は1993年に故国を捨てた。同国では当時、激しい内戦が始まったばかりで、反政府勢力は政府側の人々(一般市民を含む)の腕や脚を切り落とす、という行為を続けていたのだという。港で溶接の仕事をしていた彼のもとに、ある日、そうした勢力が迫ってきた。彼は仕事を放り出し、友人と車で逃げ、北へ進み、国境を越えた。家族はそのままにして、である。その後、10年以上もアフリカの西海岸諸国を転々とし、昨年9月、カナリアにやってきたのだという。
で、ここからが、本題なのだが。
簡単な食事を取りながらの取材が一段落し、私は数分間、トイレに立った。席に戻ると、頼んだ覚えのないバナナが、シェラレオネの彼の前に一本、トーゴの彼の前にも一本。白い小さな皿から、両端がはみ出るようにして、バナナが置かれている。そして、店の雰囲気が、どうもトイレに立つ前と違うのだ。
私が席に着くと、周囲の客が私たちをはやし立てるかのように、声を上げて笑う。店のおやじも、こちらを見ながら、笑っている。おい、食べないのか、黒いの。バナナを食べないのか。そう言っているらしく、そして、また笑っている。客の多くが私たちのテーブルに視線を注ぎ、次にどうするかを見守っていた。
取材もほぼ終わっていたし、彼らはバナナに手を付けようともしない。それもあって、私たちは、料金を支払い、店を出た。
本当に恥ずかしい話なのだが、私は、全く知らなかったのだ。「黒人とバナナ」について。主に西洋の白人が、黒人に向かってバナナを勧めることの意味について。
白人(の一部の人々)は今も、黒人、それもアフリカ中央部・西海岸などに住む黒人を「サル」だとして、見下している。だから、「サルはバナナを食うんだろ?」と。店のテーブルに置かれたバナナは、シェラレオネの彼やトーゴの彼が注文もしていないのに、店の男が「デザートだ」と言って持ってきたらしい。そして、店中に、笑い声が充満したのである。
外に出ると、太陽がまぶしかった。12月とはいえ、常夏のカナリアは青空がどこまでも続いている。「写真が必要なんだ」と言うと、彼らは照れ、でも、笑顔をつくり、写真に納まってくれた。肩を組み、まぶしい西日に目を細めながら、きれいな白い歯を見せて、そして、大きく笑ってくれた。
バナナは相当な屈辱だったはずだが、恨みがましいことは、何一つ言わなかった。
by masayuki_100
| 2007-02-24 05:37
| ★ ロンドンから ★