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ニュースの現場で考えること

オーマイニュースの佐々木氏に対して

9月下旬は、英労働党大会の取材でしばらくマンチェスターに滞在し、その後も休暇でロンドンを離れていた。きょうはもう、10月5日。ロンドンは朝から雨模様で、今も雨粒が落ちている。

前回のエントリ(記事)で、オーマイニュースのことに触れた。もうオーマイニュースについては書かないつもりだと言ったけれども、前回のエントリに対し、当のオーマイニュース編集委員・佐々木氏から反論を頂いたので、再び触れておこうと思う。

佐々木氏の反論「オーマイニュースの記事への批判に答えて」は、オーマイニュースとは違う媒体に書かれている。何度か繰り返し読んだのだけれど、私の言いたいことは、どうも十分に伝わっていなかったようだ。たぶん、私の拙い文章のせいでもあり、その点は申し訳なく思う。

オーマイニュースに対し、私が一番言いたかったことは、実は少し前のエントリ、「豆腐屋の四季」と市民型ジャーナリズム に書いてある。それを読んでもらうのが、一番手っ取り早いと思う。そこでは、日々の生活に根ざした実感、それに基づく視線、それに沿った記事こそが、
新たなものを生み出すのではないか、少なくともその可能性があるという趣旨を書いた。人々が日々働く、その現場で起きているあらゆる事象・出来事、そして心情をもっと大切にすべきなのではないかと。そういうことを言ったつもりである。

佐々木氏も私も、ジャーナリズムの世界においてはプロである。しかも、佐々木氏は(制度の詳細は承知していないが)オーマイニュースの編集委員である以上、その媒体の内輪の人間だと思う。そういう立場にある人が、いきなり、「なんでもかんでも政権批判に結び付ける記事が多すぎる、レベルが低すぎる」旨の発言をすることは、私には理解できないのである。

内輪にいるのであれば、高みから「説得力がない」と一刀両断にするのではなくて、まずは、市民記者の原稿と向き合い、或いはオーマイニュースの他の編集者と向き合い、編集作業のどこをどう改善すべきか、を地道に話し合うべきであろうと私は思う。

<オーマイニュースの記事を丹念に読んでもらえればわかると思うのだけれど、そういう根拠のない「小泉改革賛同」の記事は、オーマイニュースにはほとんど見つからない>と、佐々木氏は書かれているが、どの立場から書かれた記事であれ、私に言わせれば、オーマイニュースには説得力のない記事は数多ある。それをそのまま、何のデスク作業も経ずに、単純に載せるだけならば、単なるブログの寄せ集めだ。そこに何らかの編集作業が加えるからこそ、オーマイニュースは媒体として名乗りを上げたはずだ。そして、オーマイニュースをはじめ、ネットメディアが期待されている部分は、そういうデスク作業も、技術的に、ある程度はオープンにすることが可能な点にあるのではないか。従来はブラックボックスだった「加工作業」をオープンに出来る。そこが、ポイントなのだと思う。だから、「政権批判は説得力がない」という前に、純粋にデスク作業の技術的問題として、どういうことを行っているか・いないかを自己検証しなければならない。それが先決だ。

佐々木氏はまた、こうも書いている。





<このようなロジックの決定的な欠如が、左翼言論のパワーを弱体化させてしまっているのではないかとも思うのだ。いま左翼言論に必要なのは、みずからの閉鎖的コミュニティの内側にとどまってどこに届いているのかわからないアジテーションを発し続けることではなく、アウトサイドにきちんと出てきて、ロジックをぶつけ合いながら本音の議論をすることではないのか>

政権批判がどうして左翼的なのか。その点がまず私には理解できない。「政権批判を言う人は左翼」といった古い発想からは、もういい加減に脱した方が良いと思う。言論がそれぞれの近親者のみのサークルに固まり、互いにアジテーションのみを声高に叫んでいるのは、別に、旧来型左翼のみではあるまい。

むしろ、佐々木氏の「つまり格差社会化は小泉政権の責任ではなく、グローバリゼーションがもたらした必然的帰結である可能性が高い」といった認識の方がよほど気になる。小泉政権下で行われた各種規制緩和の実態を再度調べなおした方が良いと思うし、グローバリゼーションも自然界の法則ではない。これを自然界の法則であるかのように思っているのであれば、それは全く違う。グローバリゼーションが小泉改革と無縁であり、日本はただ巻き込まれているとうのであれば、それはもう、古典的なマルクス主義に近いのではないかとさえ思ってしまう。

<政府や行政、大企業を批判をすれば、誰も文句は言わないという時代は終わったのである。社会体制が確固としていて安定していた時代においては、とにかく政権批判をして、行政や大企業が悪いと口をそろえて叫んでいれば、とりあえず皆が納得したし、それがある種の「ガス抜き」にもなっていたと思う>。それは全くその通りだと、私も思う。だから、ネットメディアであれ、紙メディアであれ、いま必要なのは、人々がそれぞれに持つ具体的な体験・生活実感から炙り出される種々の思いを、もっとミクロに見つめていくことなのだ。オーマイニュースに必要なのは、それを書き、伝えたいと思う人々を、きちんとサポートしていくことなのだ。

説得力がないと一刀両断し、かつ、その論文と政権批判政権批判記事を重ね合わせて論じることは、ある意味、日々の暮らしの中で、種々の思いを抱いている人を馬鹿にすることになりかねないし、私はそんな蛮勇は持ち合わせていない。
by masayuki_100 | 2006-10-06 03:16 | ★ ロンドンから ★