人気ブログランキング |

ブログトップ

ニュースの現場で考えること

戦火の記憶

日露戦争で戦地に赴いた人から、実際にその話を聞いたことがある。こう書くと、「ええ?」と思う人もいるかもしれないが。

まだ小学校に通う前だったと思う。祖父の兄が、近所に住んでいた。かつては畳屋を営んでいたそうだが、その記憶はない。ただ、歩いて数分のところだったので、いつでも顔を合わせていた。その祖父の兄が(たぶん、当時70歳を過ぎていたはずだ)あるとき、「ロシアのパンほど不味いものはない」みたいなことを言い出したのである。

「おんちゃんはほら、日露戦争に行っちょったろうが。けんどあの戦争いうたら、のんびりしたもんよ。パンと握り飯を兵隊同士で交換しよったがやき」(土佐弁です)とか、そんな感じだった。祖父の兄によると、どっかの丘を挟んで戦闘になったとき、昼になるとラッパが鳴ったのだという。その後、ロシアの兵隊が黒パンを日本側へ投げてきた。若い日本兵がおそるおそる歩み出て、取りに行く。その際、日本兵はロシア側に握り飯を投げた、と。
本当にそんなのんびりした戦闘だったのかどうか、もう確かめようがないが、「パンと握り飯」の話、そして「昼の合図のラッパ」の話が耳にこびりついている。

私の父は徴兵で日中戦争に駆り出され、北京近郊にいたらしい。「戦争が終わって八路軍に追われながら、逃げ帰った」という話は、それこそ数え切れないほど聞いた。母は高知空襲を目の当たりにし、「あの晩、どればあ空が赤かったか、おまんらには分からんよ」と、これも何度も聞かされた。私の父は5人兄弟で、兄は南方で戦死したらしい。だから、父が下関に着き、生きて高知に戻ったとき、「あればあ泣いたことは見たことない」と父が言うほど、祖母は泣いたという。2人の姉は戦時の混乱の中で病死したと聞かされた。彼岸の時期になると、いつも墓参りに付き合わされ、そして墓石の前でいつもそんな話を聞いていた。

戦争の記憶は祖父から父へ、父母から私へと伝わった。何度も何度も、戦争の話を聞き、私は怖いと思った。「戦争らあ、するもんじゃない」という父母の声は、今でも耳元に蘇る。

きょうは深夜を過ぎて、激しい吹雪になった。ゴオーという風の音と一緒に、雪が横から降っている。あの日露戦争の話をしてくれた、しわくちゃのおんちゃんも、ロシアの冬の話をしていた。たぶん激しい雪の話だったような気がする。正確に思い出せない。兵隊と冬、雪、凍傷、、、そんな言葉があったような気がする。でも、ちゃんと思い出せない。じれったいが、思い出せない。たぶん、今のような吹雪の話もしてくれたように思うのだけれど。

たぶん、そうやって、人は忘れていくのだ。
c0010784_17453890.gif
by masayuki_100 | 2005-01-25 02:54 | |--戦争と平和