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ニュースの現場で考えること

調査報道について

 NHK番組への「介入」問題はその後、NHKと朝日新聞の抗議合戦となってきた。「報道への「介入」とは何か」(1月16日深夜のエントリ)のコメント欄で記した通り、現時点で今回の問題についての考えを言うと、「朝日の取材が甘いのではないか」ということです。私の第一の関心はそこ、つまり今回の朝日の取材そのものにあります」「…朝日が具体的事実をどんな風に積み重ねたのかなと思います」という部分は、今も大きく変わらない。

 今回は「NHK・朝日・政治家」が絡んだ個別の問題を離れ、「調査報道」のありようを考えてみた。

 官庁や大企業等の発表、あるいは議会や政治の動きをウオッチングして報道する記事。それらと区別して、自社の責任において取材を行い、その事実を積み上げて報道することを一般には「調査報道」と呼ぶ。
通常、調査報道は、政治家や行政機構の幹部、大企業幹部など、あるいは行政や大企業などの組織全体を対象にする。従って、例えばかつての「ロス疑惑」のように、民間の一私人を対象にした報道は、私の基準では調査報道に含まれない。官僚や政府要人等は法律の定めるところに従い、きちんと仕事をしているか(いないか)をチェックする。それが「調査報道」だと理解している。誤解を恐れずに言えば、今回の朝日新聞の報道も、癒着がしばしば取り沙汰される「NHKと政治」を対象にしたという意味では、調査報道の狙い目としては間違っていないと思う(もちろん今回の報道の「内容」自体が正確で正しかったと言っているのではない)。
 そういった調査報道に取り組む際、実際に報道するか否か、適切な報道になるかどうかの判断は、どこにあるのだろうか。自分の経験に照らして、いつも下記の3点を考える。




<1>法律や条例、通達、内規等に違反しているかどうか。あるいはその延長線上にある「社会通念」「社会的常識」から大きく逸脱していないかどうか
<2>取材対象が十分に公的存在であり、かつ、その社会的影響力が十分に大きいかどうか
<3>できれば単発ではなく、ある程度の期間、キャンペーン的に報じることが可能なこと

 もちろん、法律等に違反しているか否かの最終判断は、報道にはできない。報道が可能なのは「違反の可能性を指摘する」「社会通念からの逸脱ではないかと指摘する」ことでしかない。たまに「スクープで政治家のクビを取れ」などと言う人がいるが、それは勘違いだと思う。報道をきっかけにして議会や捜査当局、世論等が大きく動き、政治家等が辞職することはある。しかし調査報道は「クビ」が目的ではないし、そんな近視眼的な部分に目標を置けば、調査報道が目指すものが小さくなり、どこで歪みが生じ、結果的にうまくいかない。

 かつて「ウオーターゲート事件」でニクソン大統領を追い込んだのは、ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者だった。当時、彼らは(記憶では)30歳前の若い記者だったが、上司はいつも「Get the documents(書類を手に入れて来い)」と語っていたという。調査報道の要は、一にも二にも「記録入手」である。暴かれたくないことを暴くことが調査報道である以上、報道を始めた途端に、「そんな事実はない」と相手から反論されることはよくある。当然、そうした事態は予想できる。その際に「書類」を握っているかどうかで、勝負の大半は決まる(もちろん、真に取材がしっかりとできていれば、取材の段階で、取材対象者が事実関係を認めることも少なくない)。
 今回の朝日・NHK問題のケースでは、NHK内部に保管されている(と思う)当時の報告書なり、会議録なり、NHK幹部の備忘録やメモ類なり、とにかく「介入があった」という以上は、それを示す「ブツ」を握っておく必要がある。それをとことん探すことから、調査報道は始まる。
 内部のブツがなくても、実際にだれとだれがいつ会ったかを示す客観的データくらいは欠かせない。議員会館の面会票でも、議員事務所に残る記録でも、NHK側の記録でも何でもいい。

 ブツが入手できない場合もある。その場合は、相手の言うことをとことん聞かねばならない。たとえ、長電話であったとしても、調査報道の対象の言い分を電話取材で済ますことは、取材の常識からやや外れている。取材対象者の言い分が食い違っている場合は、おおむね「当事者の思い違い」「だれかがウソを言っている」の二つしかない。
 その場合は原則、食い違いを埋める作業が必要だ。さらに言えば、取材対象者の口裏合わせを防ぐために、対象者に「同時に一斉に取材をかける」ことが絶対に必要になる。「何人かに一斉に取材する、その結果を持ち寄る、内容を検討して矛盾点を洗い出す、その矛盾点についての質問を重ねるために再度一斉に取材する、問題点を絞る、、、、」といった作業の繰り返しである。だから、調査報道には途方もない時間と手間がかかる。私の経験でも、取材が数カ月に及ぶことは珍しくない。それでもダメになることは少なくない。
 最後に「詰め」の瞬間がやってくる。その段階までに相手がすべてを認めていれば大きな問題はない(いわゆる「落ちた」ということを指す)。最後まで相手が否定し、また関係者の事実関係に齟齬が残る場合は、調査報道の対象者がこれまでの取材で語ったことをペーパーにまとめて読んでもらう方法も有効だと思う。
 内容が変遷をたどって来た場合は、そのままそれも示す。そのうえで、取材者は「書きます」ときちんと伝える。この「通告」によって、さらに相手の態度が変わることもある。

 調査報道において、単発で終わる記事はなるべく書かない方がよい。できれば、続けざまに関連原稿を出せるように準備しておいた方が良い。なぜなら、ふつう、調査報道で暴き出すようなテーマは、一本の原稿で伝えきれるようなものではないと思うし、きちんと取材すれば関連原稿を何本も積み重ねることが可能な材料は、十二分に集まるはずだ。

 ここから今回の問題に戻って言えば(現在までに明らかになった材料だけでの判断)、朝日の取材は甘かったのいではないか、と感じる。権力に疑義を唱える調査報道の要は「評論」ではなく、「事実の積み重ね」にある。
 
 ただ、言うまでもないことだが、ここでは調査報道一般の考え方に照らし、朝日新聞の今回の取材のありように限って、その「感想」を言っているに過ぎない。朝日新聞社がほかに取材の材料を持っているかどうかは分からないし、「今の時点で新しい材料を出さないのは他に何もないからだ」などと性急に断定はできない。

 また現在はNHK側が朝日新聞に対して攻勢に出ているように映るが、よくよくこの間の経緯を振り返れば、NHKは朝日の記述等に対して反論を加えているだけであって、当時の種々の経緯を自ら進んで説明しているわけではない。たとえば、当の番組については、介入の有無は別にして、「改変」が行われたこと自体はNHKもみとめている。そうであれば、(本来は当の朝日新聞が最初に報じる前にやっておくべき事柄だが)、この問題を取材している他社の記者は、NHK側にも聞くことはいっぱいあると思う。

 さらにひとつ付け加えると、朝日の記者はNHK元放送局長に対し「圧力を感じなかった?」と盛んに質問したとされる。その際のやり取りについては、「元局長は圧力を感じたと言った」(朝日側主張)、「圧力など感じていない」(元放送局長主張)というバトルが続いているが、元放送局長が圧力を感じたかどうかはこの際、二義的な問題でしかない。焦点はその会談で、安部氏が何を言い、元局長がなんと答えたかにある。NHKと政治との関係を考えれば、NHK側が政治に擦り寄り、特段の指図がなくとも政治におもねって番組を変えた可能性は消えない。だからこそ、実際の言葉のやり取りが一番の問題なのだ。
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by masayuki_100 | 2005-01-22 03:37 | |--調査報道について