2006年 04月 15日
英字紙の「目をそらすな」の迫力
それに、電車内でも、みんなよく新聞を読んでいる。携帯電話の画面を見つめる人が多い日本とは、その点も違っている。英国経験が豊富な方にとっては、どうってこともない風景だろうけれど、英国が初めての私には、かなり新鮮である。
紙面もかなり個性的だ。最近、私が驚いたのは、4月8日付のインディペンデント紙。イラクのテロのカラー写真を一面でデカデカと扱い(タイムス、フィナンシャルタイムスなどを除き、だいたいがこちらの新聞は一面の写真+見出しの活字がデカイ)、イラク戦争の3年間の現実から、「目をそらすな」と書いた。原文の一部はココにあるが、そのゴシックの部分がいわゆるリード(前文)である。で、この日のインディペンデントの一面は、その写真と前文だけでページを覆い尽くした。
前文は、こうだ。
Iraq three years on: Don't look away.
And don't believe all that our leaders tell us about democracy.
Three years after the toppling of Saddam,
Iraq is a bloody mess.
Yesterday 70 people were killed in an attack on a Baghdad mosque.
イラクの3年間から目をそらすな、そして、われわれの政治指導者が英国民に民主主義を語っても何も信じるな・・・という程度の意味なのだが、日本の新聞では(一部政党機関紙などを除く)、これほどまでに、主義主張を前面に打ち出すことなど、現在では有り得まい。この記事は、Patrick Cockburn さんという記者の署名原稿だけれど、自身の過去のイラク取材などをもとにイラクの現状や米英の介入・責任を真正面から問い、なかなか迫力がある。
私は一年以上も前のエントリ「客観を装うな」の中で、こんな風に書いたことがある。少し長くなるが、引用したい。
<単純に誰かの発言を伝えたり、あるいは目の前の出来事を報じたり、そういったことだけしか実行していなくても、新聞のスペースや放送の時間に限りがある以上、「取捨選択」という「主観」が入る。そんなことは当たり前です。しかし、そういった「主観」を覆い隠し、いかにも「客観」であるかのような衣をまとい、そして「中立・公正ですよ」といい続けてきた。それが、今のメディア不信の根っこにあると思います>
<もうひとつの病巣は、メディアを内部から蝕む「事なかれ主義」です。特定の団体や大声を挙げる勢力には毅然とした態度を取れず、「なあなあ」で済ませてきた部分が間違いなくあります。面倒を回避していく、のです。たぶん、そのあたりの心理は、「無責任主義」の代名詞のように言われてきた「役所」と、そう変わりはありません>
<そして、「これを報じれば○○団体がウルサイからやめよう」「ここまで踏み込むと書きすぎだって、絶対あとで問題になるぞ」といった事なかれ主義が、いろんなところに巣食ってしまったのではないでしょうか。さらに。ここが最大の問題なのですが、おそらく、「事なかれ主義」がバレることを結果的に防いできたのが、この「客観であるかのような報道」だったと私は思っています。自分の意見・主観に基づく原稿を客観性を装って書く。そうした行為は、もう古びてしまってどうしようもないし、受け手の批評に耐えられないでしょう>(引用、終わり)
上記のインディペンデントの記事は、その内容・主張に賛同するかどうかは別にして、「主観」を前面に打ち出した書き方をしているからこそ、迫力があるのではないか、と感じた。もちろん、記者自身の豊富な取材経験が、それを裏打ちしている。詳細にフォローしているわけではないが、最近では、遺書を全文掲載した読売新聞の「中国領事館員」報道も、迫力があった。署名記事ではないが、「書き手の意志」がはっきりしているからこその迫力だったと思う。
たぶん、単純に「署名記事」を増やせば良いというのとは、違うのだ。「何を誰にどう伝えたいか」
。その書き手の意識と意志、誠意(もちろん経験も)が、非常に大きな比重を占めているのだと思う。
by masayuki_100
| 2006-04-15 01:04
| ★ ロンドンから ★