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ニュースの現場で考えること

社説執筆までの議論を公開することは?

私のブログにトラックバックを送ってくださる「りゅうちゃんミストラル」さんのホームページに、
国旗と国歌についてと題する文章があった。「国旗と国歌について2004年の3月末から4月にかけて、各新聞の社説で論争が巻き起こっている」ことに注目し、東京都教育委員会と都立学校の日の丸掲揚問題等を題材にし、こう綴っている。(以下引用)



 例えば読売新聞では3月31日には、「甲子園では普通なのに、学校ではどうして」 と、東京都に味方するような意見を出している。東京新聞、中日新聞では、4月1日に、「そこまでしなくても」 と疑問を投げかけている。朝日は3月31日に、「起立せずで処分」と東京都のやり方に危機感を持つとの記事を書いた。産経はこの朝日の記事に対して4月3日に、「朝日はいつから日の丸、君が代を認めたのか?」 と朝日を批判した。次の日の4日には朝日が産経に回答するということになった。毎日は4月6日に「都教委の姿勢は本末転倒」 と書いた。
 私はこうした新聞社を超えた議論は歓迎する。以前なら考えられないことだ。議論の結果がどうであれ、今までこうした議論が盛んに行われなかったのが不思議だ。ただ議論するのはいいのだが、「朝日には左寄りの人しかいない」ということはないだろう。「産経でも今回の国旗国歌のことを強制と考えている」人はいないのだろうか? 一般人は新聞を完成した形でしか見ることができない。社説などは新聞社の考え方がわかる部分だが、その意思決定までには紆余曲折はないのだろうか?今回の国旗、国歌など、人によって意見が違うであろう問題ならばなおさらのこと、「新聞発行までのプロセス」を知りたいと思うのは私だけだろうか?外部の者に編集会議を公開するわけもないが、とても気になる


 私が「その通り」と思うのは下線部分である。「社説」は新聞各紙によって書かれ方が違うと思うが、論説委員があるトピックを話し合い、その議論の結論を担当論説委員が書く、というスタイルは概ね、どの新聞も共通しているのではないだろうか。
 ならば、その議論の内容をある程度(もちろん紙幅の制約はある)、公開してみるのはどうだろうかと感じている。りゅうちゃんミストラルさんの言うように、例えば社説を担当する論説委員が20人なら20人いて、「性犯罪者の犯歴情報をどうするか」について議論したとする。20人全員が同じ意見しか言わないとしたら、これはかなり気持ち悪い。ふつうはA委員なり、B委員なり、当然に意見が違うはずだ(と思いたい)。社説で「犯歴情報の把握は当然だ」と書いたとしても、反対意見もあるだろうし、方法論で種々の食い違いもあるはず(もちろん、「右」と「左」が全面対決するような議論があるとは思えないが)。
 今の社説の掲載スタイルでは、そういった議論のプロセスが見えない(もちろん「社説」が論説委員の議論なりを経て作成されていることが前提)。そこでどんな意見が出たか、AならAという意見はどういう根拠・データに基づいて披露されたのか、といった部分を明らかにしてみる、、、「ソースの明示」というエントリ等でも記したように、記事がどういう過程で紙面に載ったかをできる範囲で示すことは、今後ますます重要になると思うのだけれど。

社説執筆までの議論を公開することは?_c0010784_17453890.gif
by masayuki_100 | 2005-01-20 21:08 | ■ジャーナリズム一般