ブログトップ

ニュースの現場で考えること

「ヴィレッジ」という映画

かなり古い本(1986年)ですが、毎日新聞社発行の「戦後の重大事件早見表」という1冊があります。私はかなり気に入っていて、しばらくはよく、この本を眺めていました。たとえば、バラバラ殺人事件の欄には、各地のバラバラ殺人事件が、これでもかこれでもかと載っている、そんな本です。そういったページを眺めていると、昔の方が凶悪事件も猟奇的犯罪も多かったなあ、と感じます。

最近は、新聞は1面で、テレビはトップニュースでこうした犯罪を報じることが多くなりました。でも、毎日の年表を見たり、その他の古い記事を読んだりしていると、どうしても昔の方がひどかったと思えてなりません。実際、警察の統計を丹念に読んでいると、「凶悪事件が増えている」というアナウンスには、「ほんまかいな?」と言葉を返したくなります。ならば、なにが変わったのか? それは全国区のメディアが登場し、そうした犯罪を全国ニュースとして報じるようになった、ということではないでしょうか。昭和30年代の九州の一家5人殺しを北海道新聞で探しても、実は掲載されていない、、、こんな例はいくらでもあります。



かつては地域ニュースだった犯罪が、今では全国トップ級のニュースになる。1億総探偵時代が最近はずっと続いている感じです。奈良県の幼女事件では(もちろん許しがたい、悲惨で卑劣な事件ですが)、容疑者がまだ逮捕されていない昨年末、NHKの7時のニュースで「犯人の血液型が分かった」とトップで報じていました。古いところでは、和歌山カレー事件も、それぞれに重大な犯罪ではありました。しかし、捜査の途中段階の報道が、それこそ、その日の全国で一番のニュース、というのは、どう考えても私には理解しがたい部分がありました。

「ヴィレッジ」という映画がありました。映画自体は評判も芳しくなかったようで、まあ、それはそれでいいのですが、あの映画では、村を統治する手段として使われていたのは「恐怖」です。「森から得体の知れないものが出てくる」という恐怖によってのみ、村を束ね、あれをするなこれをするな、と村人の自由を縛っていく。

そういうもんだろうなあ、結局。関東大震災で朝鮮人が襲撃された際、当時の記録を読むと、「朝鮮人がこの災禍の中で日本人を襲ってくる」という庶民の恐怖心がたくさん語られています。9・11の直後も、炭素菌騒動で、米国人は相当に恐怖を抱いただろうなあ。。。そういえば、あの優秀な米国の情報当局はなぜ、ビン・ラディンの所在がいつまでも分からないのだろう? なんで大統領選の直前に彼のビデオテープが出てきて、なぜパッタリまた音信が途絶えるのだろう?

で、話は戻るのですが、日本でいろんな犯罪が起きると、すぐに待ってましたとばかりに「対策」が打ち出される。性犯罪者の履歴情報もそうだけれど、街中にあふれる「テロ対策実施中」「不審者を見たらすぐ通報を」の文字、文字、文字。。。題名が思い出せないけれど、ある小説で(「1984」とか「われら」とか、そのへんの小説だったように思います)、こういう場面があるんですね。

「犯罪のない都市をつくるのは簡単だ。人々から自由をすべてを奪えばいい。自由を与えるから、連中は迷うんだよ」
c0010784_17453890.gif
by masayuki_100 | 2005-01-17 01:12 | ■事件報道のあり方全般