2005年 12月 29日
「一人旅」について
ジャーナリズムの情理-新聞人・青木彰の遺産」という1冊で、産経新聞社から出ている。「一昨年死去したマスコミ界の重鎮で筑波大学名誉教授・青木彰氏の仲間と弟子たちがジャーナリズム復権へ、思想や立場を超えてつづった」内容だが、私が一番引かれたのは、高知新聞の依光隆明社会部長さんが書かれた一文である。高知は私の郷里で、依光さんも既知の方ではあるが、この本に収録された依光さんの文章は、やはり、「志」の塊みたいなところがある。
<「一人旅」の十五年―高知新聞の試み>という文章の中で、依光さんは1990年代の初頭から、高知新聞のスタンスは変わったのだと書いている。最初は高知県庁のカラ出張問題だったらしい。今では役所の不正経理は「常識」みたいになってしまったが、当時は今以上の大ニュースだった。ところが、高知新聞の社内では当時、取材チームに対し、「カラ出張は必要悪だ」「予算を有効に使うために編み出されたシステム」といった声が出てきたのだと言う。それでも、高知新聞は徹底追及を続けたらしい。その中で、社内の雰囲気も変わった、と依光さんは書く。感じ入るところがあるので、以下で少し紹介したい。
●悩みの一つめ。県庁には権力が集中している。一方で高知新聞の世帯普及率は7割を超えている。権力の中枢と言論の中枢。この両者がガチンコでけんかしたらどうなるか? → 結局、何も起こらなかった。むしろ、読者は応援してくれたし、部数も減らなかった、と。「両者がケンカしたらどうなるか」という県庁に対する思いこそが、自らの手足を縛っていたと、依光さんは言っている。
●悩みの二つめ。情報源が無くなるのではないか? → 過去に培った情報源は細くなったが、新しい情報源もできた。取材のスタンスを「県庁密着」型から大きく転換したのだから、取材源は変わって当たり前。問題はないし、なかった。
そうこうしているうちに、編集局内では「県民の側に立つ」「官の理屈に流されない」「官製ネタに頼らない」「ネタは全部自分で探し出す」「オフレコは認めない」といった姿勢が固まってきたという。オフレコで聞けば、もう書けない。ならば、聞かずに探り出した方が良い。そして、編集局内では「書けないネタを聞いてくるな」という罵声が飛ぶようになったのだ、と。相手方はたいてい、オフレコで話を打ち明け、報道を止めようとする。そこに「オフレコ禁止」で切り込んだ、と。
その後、高知新聞は「県庁の闇融資問題」や「県警の捜査費問題」等々へと、次々に焦点を当てていく。依光さんはそして、こう書いている。少し長いが引用したい。
「県警との衝突は以後、ずっと続いている。高知県警の捜査費問題を他者はほとんど書かない。つまり、県警の攻撃対象は依然として高知新聞だけで、このままでは高知新聞だけが(何かの事件について)ガサ入れ(=家宅捜索)を知らなかったという悪夢が現実になるかもしれない。だが、それはそれでいいのではないか。ガサ入れを(他社に)抜かれたところで、県民生活に影響は無い。しかし、捜査費問題を書かなければ、県民はまっとうな報道機関を持てないことになる」
「近年、高知新聞では先輩が後輩にこんなことを伝えている。『半日や一日早いだけの特ダネは特ダネではない』と。例えば県が決定したプロジェクトを半日早く書く。間違いなくこれも特ダネなのだが、本当に目指すべき特ダネとは違うぞ、『それを書かなければ表に出てこないことこそ真の特ダネ』という意味だ。闇融資にしろ、捜査費にしろ、高知新聞が報じなければ表に出ることはなかった」
「後輩に伝えるということは、言っている本人の決意表明という意味もある。半日や一日早い特ダネはやりがいがある。他社が追いかけて報じるからだ。他社が追いかけてこそ、出し抜く気分を味わうことができる」
「しかし真の特ダネはそうならないことが多い。闇融資も捜査費もキャンペーンを張ったのは高知新聞だけだった。全国的にほとんど知られることもなく、いわば孤独に耐えながら報道を続ける。このことを高知新聞では『一人旅』と形容している」
「(平成)16年から高知新聞は『市場原理』が幅を利かす今の日本社会にメスを入れ始めている。市場原理の浸透によって、高知のような辺境は存廃の危機に立たされる。であれば、高知に視座を据えた報道が居るのではないか。東京の視座と高知の視座は違うのではないか」「郵政民営化へのスタンスも、東京で発行している新聞と地方紙は違っていい」「財務省が喧伝する『地方の無駄遣い』論にしても、地方紙なりの厳密な報道が要るのではないか。景気も同様で、東京の景気回復ではなく、高知の景気の深刻さを軸にすべきではないか」
「他紙がどうあろうとも、権力者の思惑がどうあろうとも、書くべきことを淡々と書く。おそらく、高知新聞はこれからも、地方紙らしい『一人旅』を続けることになるだろう」
引用が長くなってしまったが、本文はもっと長く、凄みがある。「半日早い特ダネ」を軽くいなし、「書けないネタを取ってくるな」とオフレコ禁止を励行し、巨大な行政機構や警察機構と鋭く対峙しても、「一人旅」宣言を撤回する気配すらない。こういう腹の座った幹部というのは、実際は、新聞業界にはなかなか居ないものだ。高知新聞には実は、上にも下にも、依光さんのような腹の座った幹部や記者が大勢いる。この1年余り、そういった大勢の方々と高知や東京、大阪などで一緒に酒を飲む機会等があったが、(当たり前のことだが)視線はみんな、見事に読者・県民を向いていると感じた。
たぶん、そういう新聞こそが、本当に強いのだ。
年末の雑用を種々片付けながら、メディア論を専攻する大学の先生から「読んでください」と渡されていた本を見つけ、パラパラとめくっていた。「<「一人旅」の十五年―高知新聞の試み>という文章の中で、依光さんは1990年代の初頭から、高知新聞のスタンスは変わったのだと書いている。最初は高知県庁のカラ出張問題だったらしい。今では役所の不正経理は「常識」みたいになってしまったが、当時は今以上の大ニュースだった。ところが、高知新聞の社内では当時、取材チームに対し、「カラ出張は必要悪だ」「予算を有効に使うために編み出されたシステム」といった声が出てきたのだと言う。それでも、高知新聞は徹底追及を続けたらしい。その中で、社内の雰囲気も変わった、と依光さんは書く。感じ入るところがあるので、以下で少し紹介したい。
●悩みの一つめ。県庁には権力が集中している。一方で高知新聞の世帯普及率は7割を超えている。権力の中枢と言論の中枢。この両者がガチンコでけんかしたらどうなるか? → 結局、何も起こらなかった。むしろ、読者は応援してくれたし、部数も減らなかった、と。「両者がケンカしたらどうなるか」という県庁に対する思いこそが、自らの手足を縛っていたと、依光さんは言っている。
●悩みの二つめ。情報源が無くなるのではないか? → 過去に培った情報源は細くなったが、新しい情報源もできた。取材のスタンスを「県庁密着」型から大きく転換したのだから、取材源は変わって当たり前。問題はないし、なかった。
そうこうしているうちに、編集局内では「県民の側に立つ」「官の理屈に流されない」「官製ネタに頼らない」「ネタは全部自分で探し出す」「オフレコは認めない」といった姿勢が固まってきたという。オフレコで聞けば、もう書けない。ならば、聞かずに探り出した方が良い。そして、編集局内では「書けないネタを聞いてくるな」という罵声が飛ぶようになったのだ、と。相手方はたいてい、オフレコで話を打ち明け、報道を止めようとする。そこに「オフレコ禁止」で切り込んだ、と。
その後、高知新聞は「県庁の闇融資問題」や「県警の捜査費問題」等々へと、次々に焦点を当てていく。依光さんはそして、こう書いている。少し長いが引用したい。
「県警との衝突は以後、ずっと続いている。高知県警の捜査費問題を他者はほとんど書かない。つまり、県警の攻撃対象は依然として高知新聞だけで、このままでは高知新聞だけが(何かの事件について)ガサ入れ(=家宅捜索)を知らなかったという悪夢が現実になるかもしれない。だが、それはそれでいいのではないか。ガサ入れを(他社に)抜かれたところで、県民生活に影響は無い。しかし、捜査費問題を書かなければ、県民はまっとうな報道機関を持てないことになる」
「近年、高知新聞では先輩が後輩にこんなことを伝えている。『半日や一日早いだけの特ダネは特ダネではない』と。例えば県が決定したプロジェクトを半日早く書く。間違いなくこれも特ダネなのだが、本当に目指すべき特ダネとは違うぞ、『それを書かなければ表に出てこないことこそ真の特ダネ』という意味だ。闇融資にしろ、捜査費にしろ、高知新聞が報じなければ表に出ることはなかった」
「後輩に伝えるということは、言っている本人の決意表明という意味もある。半日や一日早い特ダネはやりがいがある。他社が追いかけて報じるからだ。他社が追いかけてこそ、出し抜く気分を味わうことができる」
「しかし真の特ダネはそうならないことが多い。闇融資も捜査費もキャンペーンを張ったのは高知新聞だけだった。全国的にほとんど知られることもなく、いわば孤独に耐えながら報道を続ける。このことを高知新聞では『一人旅』と形容している」
「(平成)16年から高知新聞は『市場原理』が幅を利かす今の日本社会にメスを入れ始めている。市場原理の浸透によって、高知のような辺境は存廃の危機に立たされる。であれば、高知に視座を据えた報道が居るのではないか。東京の視座と高知の視座は違うのではないか」「郵政民営化へのスタンスも、東京で発行している新聞と地方紙は違っていい」「財務省が喧伝する『地方の無駄遣い』論にしても、地方紙なりの厳密な報道が要るのではないか。景気も同様で、東京の景気回復ではなく、高知の景気の深刻さを軸にすべきではないか」
「他紙がどうあろうとも、権力者の思惑がどうあろうとも、書くべきことを淡々と書く。おそらく、高知新聞はこれからも、地方紙らしい『一人旅』を続けることになるだろう」
引用が長くなってしまったが、本文はもっと長く、凄みがある。「半日早い特ダネ」を軽くいなし、「書けないネタを取ってくるな」とオフレコ禁止を励行し、巨大な行政機構や警察機構と鋭く対峙しても、「一人旅」宣言を撤回する気配すらない。こういう腹の座った幹部というのは、実際は、新聞業界にはなかなか居ないものだ。高知新聞には実は、上にも下にも、依光さんのような腹の座った幹部や記者が大勢いる。この1年余り、そういった大勢の方々と高知や東京、大阪などで一緒に酒を飲む機会等があったが、(当たり前のことだが)視線はみんな、見事に読者・県民を向いていると感じた。
たぶん、そういう新聞こそが、本当に強いのだ。
by masayuki_100
| 2005-12-29 18:12
| ■2005 東京発■