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ニュースの現場で考えること

ネット時代の報道とは? 「文章・記事スタイルの革命」(1)

ネット時代が隆盛し、今後さらに発展する時代において、報道は何がどう変わっていくのか。或いは変わっていくべきなのか。思いついたことを今後、少しずつ、しかし、連続する形で、このブログに書き記しておきたい。

「ネットと報道」みたいな話は、これまでも当ブログで再三書いてきた。この文章は、その延長線上にあるが、以前の発想と違っている部分も少なくない。また、業界内の技術論的な話も多くなる。小難しい話だな、と思われたら、どんどん読み飛ばしてもらえれば、と思う。

最初は、新聞の文章・記事スタイルについて、である。これが今回を含めて2、3回続く。その後に、ネットの特性(双方向性など)を生かして新聞社やブロガーは何が可能かを書いてみたい。さらに、ネットを使った新しい報道のスタイルはどのようなものかを記していく。いつになったら書き終わるのか、それは不明である(笑)。

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■新聞の文章・スタイルはどう変わるのか その1


新聞の記事には独特の書き方がある。各紙ごとに微妙な違いはあるが、基本形はどこも同じだ。「新聞独自のスタイル」を見極めるには、事件事故などの「発生もの」、とくに小さな記事が一番分かりやすい。

<例文1>12月1日午後1時ごろ、札幌市中央区中央1丁目の国道で、同区の会社員山田一郎さん(25)のトラックが千葉県の公務員鈴木太郎さん(50)の車と衝突し、鈴木さんが腰の骨を折る大けがを負った。札幌大通警察署の調べでは、山田さんのトラックが反対車線にはみ出し、鈴木さんの車と正面衝突したらしい。

このスタイルが基本形である。大きな事件事故であっても、こうした基本形に種々の情報を肉付けしていくに過ぎない。例えば、上記の文章の末尾に「同署は、山田さんに過失があったとみて詳しく事情を聴いている」「現場は札幌市の大通公園に面した繁華街」といった情報をどんどん付け加えることができる。いわば大事な情報を記事の前へ前へ出す格好になっており、この形を新聞社や通信社は「逆三角形」と呼んでいる。「記事は逆三角形で書け」は、新人研修で教わるイロハのイだ。

ところで、新聞記事は、なぜ、逆三角形なのか? 私が新人のころは、それを口を酸っぱくして叩き込まれた。理由はこうだ。「ニュースはどんどん新しいものが飛び込んでくる。そうなると、後から飛び込んできたニュースを収容し、多くの記事を載せるには、各記事を短くしなければならない。その作業を締め切りぎりぎりに行うとき、記事の最後から順番に削っていくのが一番いい。真ん中を削ったりしていると、ワケの分からない文章になるかもしれないだろ? 整理部記者(紙面のレイアウトと見出しを担当する記者)が作業をしやすくするためにも、後ろからきることのできる文章を書くべきだ」。まあ、そんな感じである。

これは、新聞制作の現場感覚で言えば、非常に理に適っている。締め切り間際に、大ニュースが次から次へと飛び込んでくるときは、特にそうだ。締め切りまで、あと10分。その間に山岳遭難事故と列車事故の原稿を2本処理しなければならないとしよう。そういうときは、整理部から出稿部門(取材部門)に対し、「山岳遭難は25行で、列車事故は40行で。そのスペースを空けて待ってるぞ!」とか声がかかる(1行は11字)。発生から間もなくだと、どのくらいの情報が掴めているのかも判然としない。しかし、行数を決めておかないと、紙面制作は滞ってしまうのだ。

で、そこへ同時に2本の原稿が記者から送られてきたとしよう。しかも、A記者には「山岳遭難は25行で」と伝えていたのに、送られてきた記事は45行、B記者には「列車事故は40行で」と伝えていたのに、こっちも60行。さあ、どうするか。締め切りまで、5分しかない。それ以上、遅れると、待機している印刷工場、トラック、新聞の到着を待っている販売店等々に大きな影響が出る・・・。

そこで「逆三角形」なのである。山岳遭難を例にして説明しよう。以下の2つの文章を見比べて欲しい。



<例文2>中高年の登山ブームを背景に、最近、日本各地で山岳遭難が相次いでいた。警察庁や各地の山岳会などが警鐘を鳴らす中、またもや遭難が発生した。現場は長野県の北アルプスで、発生は12月1日夕方だった。地元の警察署によると、この日午後7時過ぎ、穂高岳に登っていた中高年のパーティーから「寒さで動けない。道に迷った」と連絡があった。そのパーティーは東京都中野区のグループで、ふだんは関東近郊の山々に登っていたらしい。今回は「初めて冬山に挑戦したい」と話がまとまり、北アルプスを縦走していた。警察と地元山岳会は「遭難の可能性が高い」とみて、その後、急遽、捜索隊を編成し、現場に向かったが、悪天候に阻まれている。パーティーは50代を中心に12人。全員が冬山は初めてだった。

<例文3>12月1日午後7時ごろ、長野県の北アルプスを縦走していた中高年のパーティーから同県××署に「寒さで動けない。道に迷った」と携帯電話で通報があった。警察と地元山岳会は「遭難の可能性が高い」とみて、捜索隊を編成し、現場と見られる穂高岳に向かったが、悪天候に阻まれている。通報によると、このパーティは東京都中野区の同好会で、50代を中心に12人。全員が冬山は初めてだったという。ふだんは関東近郊の山々を楽しんでいた。中高年の登山ブームを背景に最近は各地で山岳遭難が相次いでおり、警察庁や各地の山岳会などは無謀登山を控えるよう警鐘を鳴らしていた。

新聞制作で求められるのは、明らかに<例文3>である。「20行」のスペースしか無い場合、例文3は記事の末尾から削っていくことができる。最悪の場合、第1センテンスまでしか収容できなくとも、この遭難の概要は伝わる。第2センテンスまで入れば、相当に理解できる。しかし、例文2はどうだろうか。後ろから削って行こうとしたら、残る文章はとんでもない内容になる。締め切りまで数分といった修羅場で、こんな記事が届いたら、どんなに腕のいいデスクでも御手上げだろう。だから、紙の媒体では、「逆三角形」が必須とされてきた。

だからこそ、コンパクトに(=短く)原稿を書くことが記者の重要なスキルだったし、それは今も変わらない。別に締め切り前といった修羅場でなくても、コンパクトな文章は、余分な修飾語を落とし、筋肉質の文章を作成する上でも欠かせない要素だ。なぜなら、余計な修飾語や語句を削れば、その分だけスペースができ、そこに別の情報や別の記事を入れることができるからだ。これらの作業とは裏表の関係にあるのだが、そういう記事を書いていく場合、「私はこう思った」式の記述は、どんどん脇に追いやられる。「私はこう思った」式の文章は長くなるし、スペースをどんどん食ってしまうからである。他にも載せるべきニュースは山のようにあるから、尚更である。

現在の新聞記事は、そうやって揉まれてきた。その結果として、事故には事故の、事件には事件の、議会には議会の、それぞれの分野における記事の「基本形」が出来上がった。背後にあるのは「できるだけ多くの情報・記事を載せる必要がある」「そのために記事をコンパクトにする」という考え方である。そして、もうお分かりの通り、そうした発想は「紙は記事スペースに限界がある」というところから来ていると思う。各新聞とも活字が大きくなり、それに伴って1ページに収容可能な文字数が減ったことも大きく影響している。

一方、こうした記事が主流になることによって、当然ながら副作用も起きた。

一つは「コンパクトな記事が求められている→必要最低限の要素さえ情報を把握しておけば良い」といった流れである。極論をすれば、<例文1>のような原稿は、警察発表さえ把握しておけば、おそらく書けてしまう。実際のところは警察発表「だけ」で原稿を書くような記者は、あまりいないと思うが、発表だけで書けてしまうとなると、それで書いてしまう記者も現れて来るものだ。その結果は「取材力の劣化」である。取材力の劣化は、実は「発表ものをなぞった記事の増加」と表裏一体の出来事であると思う。

もう一つ。コンパクトな記事の増加によって、「記者個人の目線」が紙面から少なくなった結果、いわゆる問題意識を全面に押し出したような記事が、最近はどの新聞もぐんと減ったと思う。署名記事は増えても、記事の内容に「目線」が無ければ、署名自体には特に意味は無いと私は考えている。

「事実関係を追う記事に記者個人の目線は関係ないはずだ」「主観を排する上で、記者の目線は邪魔だ」と言われるかもしれない。しかし、そうなれば、紙面は、行政や捜査当局、経済団体、企業などの「発表もの」で全て埋め尽くされる。実際、今の新聞はそういう部分も抱え込んでいるのだが、発表ものしか掲載しないならば、それは報道ではなく広報でしかない。

当たり前の話だが、この世に「純粋な客観性」などは存在しない。どの記事を掲載し、どの記事をボツにするか、どのようなテーマを取材するか、それをどう表現するか、といった作業の過程で、すでに「主観」は多々混じりこんでいる。発生ものを記事にする場合でも、現場で目にした光景をすべて文字に書き落とすことは不可能だ。取材者は必ず、どこかで、ある一定の光景を切り落とし、ある一定の光景を拾い上げている。それは当たり前なのだ。報道される内容は、「主観(=判断)」の連続の上に各種の記事は成り立っているのだということを、今一度、認識しておく必要があると思う。

多くの記事の場合、主観を種々抱えていながら、「客観性」を装い、それを全面に打ち出している。そこに、様々な誤解と齟齬が生まれていた。

ところで、ここからがやっと本エントリの主題だが、記事を発表する媒体が「紙」ではなく、「ネット」に移ったとすれば、原稿の書き方やスタイルにどのような変化がおきるだろうか。または、どのような新スタイルを目指すべきなのだろうか。

(次回に続く)
by masayuki_100 | 2005-12-05 02:19 | ■ネット時代の報道