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ニュースの現場で考えること

私は消息不明ではありません(笑)

少し前の週末、大学時代のゼミのOB会があり、懐かしい面々と久しぶりに歓談した。私はそのゼミの一期生だったが、すでに後輩は数百人。OB会がホテルの立食で行われるようになり、まさに隔世の感があった。1次会、2次会・・・と続き、朝の5時まで飲んでしまったのである。学生時代に戻っての「激論」が8時間以上も続いたのだから、まあ、楽しくないわけがなく、時間を忘れてしまった。

で、そんなこんなでブログを放置していたら、「踊る新聞屋。」さんや「いいげるブログ」さんに、相次いでこんなエントリやあんなエントリが。要は、小泉首相批判を展開するブログが最近、全く更新されておらず、メールを送っても反応がないこと等から、「その主は消されたのではないか」といった憶測が生じている、という話なのだ。私も10日以上放置していたから、「あいつにも何かあったか?」と思われてたらマズイので、そんなことは思ってもいない人ばかりでしょうが、エントリを急遽、立てることにしました。前回も書いたように、時々、叫びたくなったりしますが(笑)、私は無事です♪

今宵、書いておきたいことは、たった一つ。前回のエントリ「結局、個人なのだ。」に対して、as3450さんから長いコメントをもらった。その中に、以下の文章がある。

Commented by as3450 at 2005-10-31 09:26 x
以前、高田さんもおっしゃられていたように、韓国のオーマイニュースのようなメディアの形には、私も限界があると思います。調査報道のようなものをすすめていくためには、やはりプロのジャーナリストの存在が必要不可欠だからです。しかるに、プロがなぜ動けないことがあるかというと、それがまさにプロ(それで生計を立てているという最低限の意味において)だからなのですね。


プロだからこそ、なかなか動けない・動かない。as3450さんのこの指摘は、(内容は脇に置くとして)組織の改革や自浄作用がなかなか働かない根源的な理由を、ものの見事に言い当てている。メディア企業は(もちろんメディア企業に限らない)たぶん、図体がでかくなりすぎて、組織内部の官僚化が進み、それが原因で、なかなか改革に踏み出せないでいる。私はそれが報道が抱える種々の根本にあると思っている。

「上昇気流なごや」の磯野さんが、集英社新書の「ご臨終メディア」を読んだ感想を書かれ、その中で、「旧来からのイメージで批判しているような印象を受けた。これだと、新聞の人間はそれほどこたえないのではないか」と記されている。同書の中には、いくつかの「?」があるけれど、あの本に書かれている内容に対して、メディア企業内では恐らく、皮膚感覚で「そうだ、その通り」と言える人と、「いや違うな」と言える人と、に分かれる。で、双方の溝は、どうしようもないくらいに広がっていて、しかも後者の人は溝の存在自体に気付いていない、或いは過小評価しているのではないか、と思えてならない。

既存のメディア企業の病気は、例えば、記者クラブ改革を行って治癒するようなものではない。情報談合組織の記者クラブは改革しなければならないけれど、それはメディア企業が内包する「官僚化」の病気を前にすれば、大きな問題とは思えなくなってくる。目線が読者ではなく社内に向き、取材部門ですら前例踏襲が蔓延し、改革への決断・責任は放棄され、その日その日を大過なく過ごすことが根付き、そういう漫然たる日々の中で、病気はますます進行していくのだろう、と思う。

今週金曜日のシンポジウムでは、休暇を取ってパネリストの1人として参加するが、前述したような話も含めて、少しでも前向きの話をしたいと考えている。
by masayuki_100 | 2005-11-10 04:10 | ■2005 東京発■