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ニュースの現場で考えること

「組織のために」の言葉の裏

読売新聞社会部の手による「会長はなぜ自殺したか―金融腐敗=呪縛の検証」は、実に優れた著作である。取材が深く、あっという間に読んでしまった。この本の紹介では、こうある。

「証券会社による損失補填の発覚に端を発した金融不祥事の嵐は、銀行、大蔵省から政界にまで及んだ。その渦中で、第一勧業銀行の宮崎邦次元会長、新井将敬代議士をはじめ6名が自殺に追い込まれていった―。彼らを追い詰めたものは、いったい何だったのか。政・官・金融界の癒着、「総会屋」という日本独特の存在など、日本企業社会の歪みを徹底的に暴いた記念碑的ルポルタージュ。」

金融不祥事が連鎖していた当時、私は札幌と東京で拓銀破綻関連の取材に追われていて、第一勧銀事件などには直接関わることはなかった。それでも、同じ時代に同じような現場の空気を吸っていただけに、実に感慨深い。その後、見かけ上は金融・証券業界も落ち着き、外資などもたくさん参入し、あの時代の空気はどこか遠くに行ってしまった。

それにしても、企業の不祥事はいったい何だろうか、と思う。1年以上も前の話になるが、講談社が出している「IN・POCKET」の2004年8月号に『「日々、真面目に」の落とし穴』という短い文章を書いたことがある。そこでは、拓銀や道警など不祥事に直面した組織が組織防衛に走る姿を念頭に、こんなふうに記した。

「内部にいる者にとって、自分の所属する組織の「異常性」はなかなか自覚できないのだ。大組織であればあるほど、職務は細分化されているから、自分の仕事を真面目にこなしていれば、それなりに時間は過ぎていく」「組織はトップが動かすが、各部署で陣頭指揮をとる中堅幹部が「日々、真面目に」だけを念頭に過ごしていたら、その組織は緩慢な死に向かうだけである」

企業の不祥事・事件はその後も続発している。そうした事例を見ていると、組織を預かる人たちの目線があまりにも「内向き」であるlことに愕然とする。組織の人間だから、組織を守るために働く場面は、むろんあるだろうと思う。

ただ、上記の読売新聞社会部の著作などを読んでいても思うのだが、不祥事に揺れる組織の中で、その経営陣や幹部たちが「組織を守る」という言葉を吐くとき、多くのケースでは本音は「組織」ではなく、「自分自身」ではなかったのか。「組織を守るために仕方なかったんだ」などという説明は、実態と違うのかもしれない。実際は、組織内での自分の地位や立場を守り、責任を逃れようとしていたのではないか、と。そうした本音を「組織のため」といったセリフが覆い隠しているのかもしれないし、この考えは案外、外れていないのではないかと感じる。

もちろん、金融・証券関係の大企業だけでなく、他の業種も行政も報道機関もその例外ではない。そして、そうした経営陣がそうした「内向き」の発想に寄りかかれば寄りかかるほど、組織は歪み、再生のチャンスを逃し、顧客や社会の信用を失い、結局は「損」ばかりが膨らむ。そんなことは、過去の数多の経験に学べば分かるはずなのに、それが自身に降りかかると、そうした経験には全く眼が向かなくなる。そこが私には、よく分からない。組織の中で地位が上がっていけば、そうした感覚は誰でも身に着けていくものなのだろうか。
by masayuki_100 | 2005-10-18 14:57 | ■2005 東京発■