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ニュースの現場で考えること

朝日新聞による9月30日の「考え方」等について

朝日新聞が報じた「NHKの番組改変」問題で、当の朝日新聞社がきょう、最終的な見解をまとめ、公表した。 (1) (2) (3) 当初の記事掲載から半年以上も経過したし、その間の流れを逃さずウォッチングしていたわでもないが、朝日側の種々の見解やコメントを眺めていると、ため息が消えない。

人の手による以上、ニュースも間違いを犯し、ときには大きな誤報を出してしまう。「番組改変」を朝日しかニュースとして取り上げなかったため、この件では朝日が集中砲火を浴びているが、一般的には、地方紙も含めて、間違いを犯さなかった新聞は無いと思う。私の勤務先でも過去に誤報はあったし、例えば、松本サリン事件では、それこそ、ほぼすべての新聞・テレビ・雑誌が河野義行さんを犯人と決め付けて報道した。間違いが生じる原因は一つではないし、それぞれの誤報には、それぞれ固有の理由がある。そうした過ちの源泉みたいなものが、「新人記者研修やデスク研修などあらゆる場を通じて」(朝日新聞社の考え方)防げるのかどうか、それもよく分からない。

ずいぶん前のエントリで、私は「取材力の劣化こそが問題。なぜ、それが起きているのか」というような話を書いている。「調査報道について」 「調査報道について その2」 その他にも当時、同種のエントリをいくつか書いた。半年以上も前のエントリなので、読み返してみると、その後に明らかになった事実と矛盾もあるし、見当違いの内容も皆無ではない。ただ、「朝日の取材が甘かったのではないか」という思いは、きょう9月30日の朝日新聞による「考え方」等を見ても、外れていなかったらしい。

この「考え方」等で、朝日新聞は、今後もいっそう「調査報道」に力を入れていく、と宣言している。だが、そもそも、朝日も含めて、日本の新聞社は調査報道にどれだけの力点を置いているのか、それに取り組む覚悟があるのかと考えると、少なからぬ疑問を抱いてしまう。その昔、朝日新聞はリクルート報道を手がけ、私も大いに憧れた。それより前には、福島県知事と県政、同県のフィクサー、そして中央政界との闇を暴いたキャンペーンもあった。読売新聞は、故本田靖春氏が「売血」キャンペーンを繰り広げ、その後には大阪社会部の「黒田軍団」による数々の調査報道があった。

もちろん、各新聞は今もそれなりに「調査報道」を手掛けていると思う。日の目を見ない、地べたを這いずり回るような取材も、続けられているに違いない。でも、かつてのような、勢いに満ちた調査報道には、ほとんど接することが無くなった。新聞の影響力が低下したのかもしれないし、記者一人一人の力量が落ちたのかもしれない。他社の事情は外野からは仔細に分からないから、無責任にあれこれと推測するのは反感を招くだけかもしれない。



ただ、私には「調査報道」が力を失ってきた(元々大したことは無かったのだ、という議論は脇に置く)理由について、いくつか、確信めいたものはある。一つは、間違いなく、「官依存・当局依存報道」への傾斜である。正確に測ったことはないが、今では、おそらく、新聞のニュース面の7割前後、ことによったら、それ以上が「発表もの+それに類するもの+行事・イベントもの」で占められているのではないか。

記者が役所や企業、警察、政党などの記者クラブに張り付き、ほとんど外へ出ない。当局と一体になって、外の風景を眺め、当局の幹部とのやり取りに依拠して、「官製報道」を続けてしまう。そして、実際は権力チェックなどしていないのに、「記者クラブは権力チェックのためにある」などと堂々と言ってしまう。。。そのような所作が連綿と続き、いまや、若い記者はその枠からはみ出ることを極端に恐れてしまったのではないか。上司の顔色を伺うことを優先し、上司はそのまた上司の顔色を、という図式である。組織は古びて官僚化し、誰も責任を取ろうとしない。・・・同業他社の若い記者仲間と話していると、とくに、それを痛切に感じてしまう。

もう一つは、調査報道を実施するための組織的な後ろ盾をきちんと整備できるかどうか、である。調査報道は驚くほど、時間も人手もカネもかかる。水面下にもぐって、あっちの情報・こっちの情報と駆けずり回り、結果、数ヶ月の取材が日の目を見なかった、というケースも少なくない。だからこそ「市民みんなが記者になる」といった現代においても、調査報道こそは、プロの記者が活躍できる場として残る、と私は思っている。ただし、それは、組織的な後ろ盾と理解があってこそ、だ。「発表ジャーナリズム」に傾斜するあまり、記者の多くをクラブに配置し、そして、クラブ詰め記者からの出稿(多くは当局の発表もの+発表を多少アレンジしたもの)に紙面の多くを依拠する、つまり、記者の多くを当局発表の処理に充てているようでは、活発な調査報道など望むべくもない、と思うのだが。

いずれにしても、取材者する側と権力機構・権力者の距離が、異常に近くなりすぎた。懐に飛び込むのは当然としても、飛び込んだまま、座敷で長居して、うたた寝する傾向が強くなりすぎた。話を聞いてもらいたい人、怒りを当局にぶつけたい人は、それこそ世の中に数え切れないほど居るのに、そこに足を運ばず、目も向かず、国会や霞ヶ関周辺で何かを賢明に訴えている人にすら目が行かず、、、「読者の新聞離れ」ではなく、新聞が読者から離れている、それも勝手にどんどん離れているのである。

もちろん、「新聞の読者離れ」は、調査報道の有無だけにあるのではない。ただし、調査報道をきちんとやる、ということは、「新聞の読者離れ」にストップをかける大きな要素だと私は思っている。その道に進むことは、もしかしたら、図体の大きな組織には、もう無理かもしれないが。
by masayuki_100 | 2005-10-01 00:04 | ■2005 東京発■