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ニュースの現場で考えること

新メディアとオーマイニュース

昨日9月17日午後、東京・駿河台で「市民による 市民のためのメディアを」というイベントがあり、シンポジウムのパネリストとして末席に座ってきた。主役は韓国のインターネット新聞「オー・マイ・ニュース」の代表、呉連鎬(オ・ヨンホ)さん。私は、発言しに行ったというより、呉連鎬さんの講演を聞きに行ったような感じになってしまい、言いたいことの半分も言えず、わざわざ会場に足を運んでくれた大勢の方には大変申し訳なかった。

呉さんやそのほかのパネリストの方々の話を聞きながら、あるいは、会場に足を運ばれた方々も交えての二次会、三次会での話の中で、私はいくつかのことを考えていた。

「市民による 市民のためのメディア」を掲げたインターネット新聞としては、すでにJANJANや日刊ベリタ、MyNewsJapanなどが存在する。それに加えて、新たにメディアを立ち上げるべきかどうかについて、私は結論を持っていない。しかし、仮に新たなメディアを立ち上げるとするならば、「市民記者」にすべてを賭ける方法は結局、うまくいかないのではないか、とぼんやり感じている。

オーマイニュースは3万人超の市民記者の存在がクローズアップされ、市民記者こそが屋台骨であることは良く知られている。しかし、よくよく話を聞いていると、必ずしも市民記者(の数)が最大の成功要因ではないのではないかと感じた。呉さんの著書「オーマイニュースの挑戦」などにも書かれているが、オーマイニュースにはれっきとしたプロの取材記者も多数いる。彼らスタッフ記者は、市民記者が追う事ができない独自取材や深層取材を重ね、オーマイニュース発のスクープが何度も紙面画面を飾ったという。「すべての市民は記者である」という手法もそうだが、そうしたプロ記者の記事の数々は読者の信頼を得る大きなきっかけだったようだ。

いまネット上には、膨大な情報が流れている。ブログの存在も数限りない。しかし、多くの情報が溢れていることと、すべての情報が開示されていることとは、同じ意味ではない。ブログが増えれば、それが新たなジャーナリズムになる、との議論がある。ジャーナリズムの定義をどうるかにも左右されるが、しかし、書きたい人が書きたい時に書いた情報のみでは、ジャーナリズムは完成しないと私は考えている。なぜなら、情報の中には「自ら発したい人が発した情報」だけでなく、「(取材者などが)取ってきた情報」も含まれるからだ。「ニュース」を判断基準にすれば、「取ってきた」情報の方が比重は高いかもしれない。

当たり前の話だが、世の中で情報をたくさん持っているのは、官公庁や大企業だ。情報はそこで加工されて表に出てくるし、表に出てこない情報も山のようにある。カネや法律を使って集めた情報を自在に使える人たちは、たいてい、自らの都合のよいように情報を使い、流し、都合の悪い情報は隠す。組織とはだいたいそういうものだし、組織幹部は自己保身やら組織維持やら、種々の利益に基づいて、情報を自在に扱っている。だから、「情報を取ってくる」作業が継続的に行われていないと、いかに多種多様な情報が溢れていようとも、肝心な情報はほとんど流通していないことも十二分にありうる話なのだ。





オーマイニュースの場合、市民記者の多くは、身辺雑記のような記事を書いてくるという。政治記事ばかりがニュースの中心だとは思わないし、日々の生活の中にこそ、大事な話は潜んでいる。また、日々の暮らしぶり自体がニュースだと感じる人もいる。それはそれで大事なことであり、全く否定しない。むしろ、今の新聞やテレビは、政治経済事件に重きを置きすぎていると思うし、私など、日によっては「生活面のこの話がきょうのトップニュースだな」と思うこともある。

だけれども、誰も公表したがらない、隠したがる話を取材し、読者・市民の前にぶちまける行為が無くなれば、その媒体は、ネットであれ紙であれ、私は「新聞」だとは思わない。個人が自由に使えるブログは、非常に大きな存在だし、有力な情報発信ツールだと思うが、それを外形的にいくら集積させても、それだけでは、既存のメディアに比肩しうる存在にはならないのではないか。ブログは、すでに明らかになったニュースの検証や論評には向いている。あるいは、ニュースの端緒にもなり得ると思う。だが、やはり、専業の取材者は必要だと思う。

新たなネット新聞を立ち上げるならば、こうしたプロ記者と市民記者の兼ね合いに十分配慮する必要がある。もっと言えば、スクープを連発できる力量を持った「プロ記者の組織」がある程度必要なのだ。その新ネット新聞が報じたニュースを既存のメディアが後追いせざるを得ない状況にまで持っていってこそ、初めて新たなメディアとして無視できない存在になるのだと思う。例えば、ライブドアのパブリックジャーナリストは「市民記者」から入ったが、私の考えでは、「市民記者+プロ記者の集まり」こそが大事に思える。もちろん、記事を書くに際しては、「発表ジャーナリズム」「政官財察依存型」に陥った既存メディアが報じないニュースを積極的に取り上げていく必要がある。
by masayuki_100 | 2005-09-19 02:41 | ■ネット時代の報道