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ニュースの現場で考えること

「大きな言葉」ではなく

何かの議論をしているとき、私はよく、「なるべく大きな言葉でしゃべらないようにしよう」と言う。とくに、仕事に関する議論で、そう口するケースが多い。

「大きな言葉」とか「大きな言葉を使わない」という台詞は、我流の言い回しだが、簡単に言えば、一つ一つの語句が指し示す「範囲」や「対象としているもの」をどんどん絞りましょう、というニュアンスだ。

例えば、Aさんが、「それは北海道のためにならないよ」と言ったとする。その場合、この「北海道」は何を指しているのか。それをもっと絞り込んでくさい、ということなのだ。Aさんの言いたかった「北海道」とは、何を意味しているのか。北海道の土地か、そこに住んでいる人か、気候風土か。人すなわち「道民」を指しているのだとすると、じゃあ、それは若者なのか年配者なのか、農業者なのかサラリーマンなのか、男性なのか女性なのか、主婦なのか、、、そうやって、最初に使用した「北海道」という言葉・語句をどんどん噛み砕いていきましょう、ということである。

こういう例示は、いくらでもできる。「この政策は日本人のためを思って提示した」という政治家が居たら、「日本にも多種多様な人が住んでいますが、そこで言う日本人とは、どういう人々を指していますか? 日本人全体にプラスになる政策があるのですか? それともこの日本人とは特定の階層の人を指しているのですか? そうであればどんな層ですか?・・・・」とか。

仕事帰りに居酒屋などで一杯やりながら、「だいたい今のニッポンは」などとやるのは、それはそれでいいし、私もよくそういう時間を持つ。居酒屋論議は議論そのものを楽しんでいる感じもあるし、ストレス解消になる。あれは結論など出ないところが良いのであって、そうした場においてまで、「大きな言葉を使うな」というつもりもない(場をしらけさせるだけだし(^^;))

でも、真面目な場面(例えば、選挙や議会での政策論争や仕事の議論・・・等々)においては、この「大きな言葉をなるべく使わない」作業は、極めて重要ではないかと感じている。実務的な、実質的な結論や成果を得ようとする際は、なおさらである。「大きな言葉」が使われるとき、それは、しばしば、議論のための議論に終始するケースが多いように思うし、物事の本質を覆い隠すことも多いし、はたまた扇動的・情緒的な側面のみが強調され、延々と議論した結果、何も残らなかったということも頻繁に生じるように思う。

最近は、ネット上の議論・言説がどこまで実社会を動かすことができるか、といった話をあちこちのブログなどで目にする。それ自体の回答を私は持ち合わせていないが、実社会への影響度という点に絞っていえば、「大きな言葉をなるべく使わない」ということも、モノサシの一つではないかと感じる。

それに、この「大きな言葉」に寄りかかり過ぎると、一気に老化が進むのではないか、と自分でも心配なのだ。例えば、「ネットばかりやっている最近の若いモンは・・・」みたいな。
by masayuki_100 | 2005-08-17 11:08 | ■2005 東京発■