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ニュースの現場で考えること

「きょう逮捕へ」の記事は権力監視ではない

まだこのブログを立ち上げる前、私は「酔っ払い記者」の仮名で、ジャーナリズム考現学氏が書かれた「『きょう逮捕へ』という記事は必要か」という文章に対し、「きょう逮捕へ」は権力監視にはならない、という反論をさせていただきました。その後、若干のやり取りがありながら議論が止まっていました。

私の言いたかったことを整理すると、こうなります。


(1)すでに逮捕権は十分に濫用されている。そのことに目を向けず、警察の捜査をほぼ無条件に是認したうえで「きょう逮捕へ」の記事を乱発しているのがメディアの現状である。これは単なる業界内での「スクープ合戦」に過ぎず、権力監視とは無縁。それが現状である。

(2)「きょう逮捕へ」の後に続く事件報道は、捜査当局から情報をリークしてもらい、事件の手口や容疑者の供述等を連続的に報じるケースがほとんどである。しかも、報道側はこの段階で被疑者側の言い分を取材することはできない(当番弁護士等からの取材は可能だが、起訴前の被疑者が全員弁護士をつけているわけではない)。したがって、起訴前の段階で得られた捜査側のリーク情報を、捜査当局の組織外部から検証することは相当に難しい。




(3)いまの事件報道は、大半が捜査当局の一方的言い分に寄りかかって出来上がっている。公判開始後などに、過去の逮捕段階で洪水のように報じられた内容が誤りだった、表現が行過ぎていた、等の例は枚挙に暇がない。その原因の多くは、検証不能・困難なリーク情報に寄りかかっているからである。

(4)このような構造があまりに長期間続いたため、警察取材の現場では、起訴もされていない段階の捜査・容疑者情報が、取材競争の太宗を占めるようになった。この構造の命綱は「リーク情報」である。したがって、こうした情報が取れなくなったら、旧来型の事件報道はできなくなってくる。その結果、報道側は警察権力に寄り添い、彼らが認めた範疇での取材合戦に血道をあげるようになった。こうした関係では、警察官の個人的不祥事をスクープすることはあっても、組織全体を敵に回すような取材は、「覚悟」が必要になり、困難を極める。兵庫県警の捜査資料捏造問題(この問題も全国で類似のケースがありそう)や裏金問題等が、戦後ずっと、事実上見過ごされてきたのはなぜかを考えればよくわかる。

こうした流れの中で、日本の事件報道の多くは以下のような、いびつな形になりました。

(a)捜査当局の「逮捕」をゴーサインとして、集中豪雨のように「手口」や「動機」を報じる形が続いてきた。被疑者の人権も被害者の人権も軽視され、「犯人探し」や「○○容疑者はいかに非人間的だったか」といった部分のみで競う結果となった。

(b)捜査当局におもねる結果、事件原稿のスタイルが「・・・の調べで分かった」式になった。ソースを明示せず、その一方で、起訴前の段階でのリーク情報を確定的事実であるかのように報じる形が定着した。

(c)容疑者段階で報道の大半は終わってしまい、公判取材はおろそかにされる。公判取材が甘いから、法廷での証拠調べで捜査段階の違法性が問われても、最終的に有罪になれば、違法性に関する法廷でのやりとりすら無視される傾向にある。

(d)社会病理を深く示すはずの事件取材は、狭義の警察取材に特化してしまった。


いまのサツ回りの現状は、「他紙に抜かれぬな」を至上命題として、「逮捕へ」「逮捕した」を半日早く書くことに全力を挙げています。それがどれだけ、事件報道をゆがめてきたか。そして、警察に対する監視を放棄する結果になってきたか。その現実を直視することから始めないと、「きょう逮捕へ」が権力監視につながるなどという話は空論でしかないように思います。

では、事件報道をどう具体的に変えるか? それはまた後日。
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by masayuki_100 | 2005-01-08 03:15 | |--逮捕予告は権力監視?