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ニュースの現場で考えること

■札幌から■ 「市民メディアの時代?」 2003年4月4日

私のデスク業務も、はや、一カ月を過ぎました。原稿が殺到している時間帯、締め切り間際などは別として、デスクの仕事は基本的に退屈だな、というのが偽らざる心境です。現場から送られてきた原稿を少しでも良くする、事実上の最終関門としてニュースを厳しくチェックする、そういった基本動作はまじめにやっているつもりですが、いかんせん、部屋にこもる時間が圧倒的に多いわけですから、毎回毎回、勤務ダイヤが終了する度に「ふうぅ」と溜め息が出てしまいます。

そんな日々が続いたせいでもないでしょうが、最近、組織ジャーナリズムの限界をぼんやりと感じます。それとは逆に、この数日は「市民メディア」について、ぼんやりと思い巡らせています。

市民メディア、って何でしょうね。インターネットの検索でこの文字を入力すれば、たちまち数千件がヒットするでしょう。以前にも、市民メディアには朧気な関心を抱いていましたが、最近は関連するホームページをいくつか熟読しました。





あるHPは
「インターネットとブロードバンドの普及により、国民全員が記者になった」
と書き、別のHPは
「大手メディアとは別の視点でニュースを書くことだ」
と言い、老舗のHPは
「市民の、市民による、市民のためのメディア」
と言っています。要するに、きちんと定義はまだ定まっていないのですが、既存の大手メディアの「視点」に対する不満が、社会に充満していることはよく分かります。

私なりに言い換えれば、こういうことなのでしょう。

「イラク攻撃の報道において、米英側の行動はなぜ『進攻』であって『侵攻』でないのか」
「いつの間にかイラクを『敵』として報道してないか」
「なぜ、いつまでも政府や大企業が主語の原稿が大きな扱いを受けるのか」

つまり、今の私たちの概念では「小さなニュース」も、実は視点を変えてみれば、「とても大きなニュース」ではないのかという、ごく当然の問い掛けです。私が日常的に感じることですが(たぶん、記者の誰もが感じているでしょう)、政府や官庁の発表記事や行事・施策の紹介、PR記事というのは、ものすごく多いです。もちろん、それら施策の内容は、影響を受ける人々の数が多いわけですから、記事化そのものを否定するわけではありません。

けれども、人々の価値観は物凄く多様化しているわけですから、政府や大企業、諸官庁などを主語にした原稿ばかりを重視していると、多様化する一方の社会に付いていけなくなるのは自明です。

私自身が生煮えなので、上手に表現できませんが、例えば、イラク報道において、常にその「戦況」をトップニュースに据える感覚は、もしかしたら、もう大きく違うのかもしれません。

新聞には常に「本記」や「サイド記事」「解説記事」などがありますが、ある物事をとらえる時、「本記=政府や官庁の動き」と定番で考えるのは、どこかズレているのかもしれません。

選挙報道で言えば、
「○○候補が終盤で公明党の支持を受けた」というニュースと、
「○○候補は街頭演説で、イラク攻撃は素晴らしいことだと言った」というニュースと、
どちらが「本記」か、ということなのです(ちょっと無理な比較かもしれないですね)。


視点を変えると、ニュースの「本記」もがらりと変わってしまうのではないか、と私は思うのです。もちろん、良い意味で。そして、そうした行為は、相当の頑張りがあれば、それぞれのメディアの内部でも可能でしょう。いわゆる「内からの改革」というやつです。

ただしかし、私は内側からの改革に悲観的です。長年にわたって積み重なってきた「伝統」「気風」「社風」は、そんなに簡単に変わるものではないように思います。では、何か、新しい媒体を立ち上げる? まあ、それも物凄く困難でしょう。第一、ほぼ確実に稼げません! ただ、どうやったら、これらのぼんやりした構想を形にできるのか、という問いは、考えてみる価値はありそうな気がします。

市民メディアという言葉は、生まれて日が浅いので、その概念・考え方は玉石混交のようです。でも、考え、構想する価値はあるようにも思います。昨年末、ある企画取材で会った道内の経済人は、「道民に欠けているのはビジネスモデル作り。せっかく良い製品やアイデアを手にしても、ビジネスモデルを構築できないから、メジャーにならない」と指摘していました。同じ頃、別件で会った元日銀マン--この方はヨーカ堂銀行の設立に関わった方ですが--も同じようなことを私に言いました。「ネットバンクまでは誰でも発想できた。問題はそれをどう実現させるか、制度面や技術面、経営面を含めたビジネスモデル作りだった」と。

今しばらくは、この「市民メディア」について、ぼんやりと思いを巡らせてみたいと思います。
何が飛び出すか、あるいは何も飛び出さないか、私自身も良く分かりませんが、そのうちにまた御報告します。
by masayuki_100 | 2003-04-14 17:07 | ■ジャーナリズム一般