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ニュースの現場で考えること

大声や怒声。人はそれに弱い

JR西日本の事故に絡んで、同社の記者会見に出席した読売新聞記者の「態度」について、読売新聞が「不適切発言」だったとして、おわびのコメントを大阪本社・社会部長名で出した。(脱線事故会見巡る不適切発言でおわび…読売・大阪本社)。そのニュースを見ながら、大声と怒声について、いろいろなことを思い出した。

大声や怒声を前にすれば、人は実に弱いと思う。

ある政治家に「役人を前に対して、なんでいつもそんなに大声を出すのか。何もないのに、いつも罵声、怒号を浴びせているように映る」と尋ねたことがある。彼は、役人は政治家を舐めてかかる、官僚出身や有力議員の2世なら別だが、そうではない陣笠クラスは、慇懃無礼に扱われると。政治家は国民の代表なのだから、馬鹿にされる所以はない、議員として勉強はいっぱいしなければならないが、だからと言って、国民に奉仕することが仕事の役人が、政治家を馬鹿にする言動をとったときは厳しく指導しなければならない、、、、彼の主張は、概ねそんな感じだったと思う。で、実際、役人はそういう「大声」に弱いのである。心の奥底でどう思っているかは別にして、怒鳴られぬよう、役所内や電話で大声を出されぬよう、取りあえずはその政治家に従っていく。

同じような事例は、それこそ、どんな分野にも転がっているだろうし、社会の至る所に存在している。前にも書いたが、同和系企業に言われるがまま、無担保で巨額資金を貸し込んでいた高知県庁の例も似た部分がある。いわゆる「闇融資事件」である。このとき、県庁の幹部は、同和団体側からの「大声」「罵声」「恫喝」が怖くて、野放図に、背任に相当する融資を続けた。竹下首相時代の「ほめ殺し」事件もそうだ。学生運動が華やかだったころの「大衆団交」も、団体交渉というより実態は「吊るし上げ」だった。おそらく、相当数の大学教員らが「恐怖」を感じたのではないか。また右翼の街頭宣伝車も、似たようなものだろうと思う。主義主張の内容ではなく、あの独特の大声と黒い大きな車が来れば、身が竦める人も多いのではないか。

メディアという組織体も大声に弱い。例えば、それは、森達也氏の「放送禁止歌」を読むだけでも十二分に分かる。部落解放に関する団体からの糾弾を何度か経験し、そのうちに勝手に自己規制を強めていく。そのプロセスが実によく分かる。

むろん、メディア側もしばしば「大声」を出す側に回る。ふつうに、ふつうの口調で、ふつうの質問をしているだけでは、相手がウンともスンとも言わないときがある。「君らに話す義務はない」と言いながら、少し語気を強めて迫ると、「はいはい」と話し始める場合も少なくない。とくに、政治家や高級官僚などが何かの不正を働いた疑いが強く、その裏付け取材として当人に取材する場合は、相当の迫力を持って挑まないとならないと思う。「大声」「怒声」とは単純に同一視できないが、毅然たる迫力を持って接しないと、相手に舐められ、「出直して来い」みたいなセリフしか返って来ないケースも珍しくない。なにしろ、不正を行う方が命懸けである。社会的生命、政治生命、企業内での生命、、、そういった「命」をかけているケースが圧倒的に多いのだ。

ただし、「大声」や「怒声」は、どこまでいっても「大声」や「怒声」でしかない場合が多い。そういう場合は、互いに嫌悪感しか残らない。そして、声を大きくすることが、すなわち「迫力」であると単純に理解していたら、それは勘違いでしかない。本当に厳しい質問とは、声を張り上げなくても核心を射抜くものだ。



当たり前の話だが、新聞やテレビの記者はほとんどが会社員だ(一部は社団法人職員)。憲法21条などのバックボーンは別として、ふつうの人と特段違った権能を法律によって与えられているわけではない。。強いて言うならば、ひたすら、「教えてください」の世界でしかない。相手がどんな人物であれ、取材相手とは対等であるべきだと思うが、それと取材時の「常識」「節度」「長幼の序」「礼節」等々は別の問題であり、そんなことは、少し考えれば、だれにでも分かる話である。

ところで。

「じゃ、高田さんは取材の際に大声を出したり、激しい口調で相手に迫ったり、そんなことはしたことはないのですね?」と問われれば、「ある」と言うしかない。「ない」と言えば、少なくとも私の場合は、と同時に多くの記者は、それこそウソになるのではないか。

かなり古い話だが、1996年2月、ちょうど、さっぽろ雪まつりの時期のこと。北海道・積丹半島の国道の豊浜トンネルで、岩盤が崩れ、トンネル内を走行中のバスや乗用車が押しつぶされる、という実に痛ましい事故があった。20人の方が亡くなられ、その中には雪まつり見物に行こうとした地元中学生もいたと記憶している。私は社会部所属の記者で、事故の際は主に現場ではなく、道路管理者の北海道開発局(北海道開発庁=当時=の現業部門)を取材する役回りだった。札幌の本局では、随時、幹部の会見があり、そのほとんどに顔を出した。だが、このときの数々の会見で、幹部は「分からない」を連発。事故現場近くで開発局側が「本局の許可を得ましたので」と前置きして説明した内容ですら、「知らない」を繰り返した。具体的な質問の言葉や返答等は正確に思い出せないが、今思えば、会見の雰囲気自体は、問題となったJR西日本のそれと相当に似ていたのかもしれない。記者側は、情報を持っていながら全く説明しない本局の姿勢に、完全に怒っていたのだと思う。

「大声を浴びる」側になったこともある。もう15年くらい前のこと。当時、私は経済部記者で、ある北海道内の町を舞台にしたリゾート計画の話を取材した。開発の方法や内容が変わっていたこともあって、その記事は一面に大きく掲載され、本人はいたって上機嫌だった。その数日後、ある道議会関係者から「高田さん、週末にちょっと付き合ってくれないか。あんたと話したいと地元の人が言っているんだ」と言われ、そのリゾート計画の町に2人で車で出掛けた。

案内されたのは地元の建設業者の事務所。「おお、ここだ」と言って部屋に入ると、20-30人くらいの男たちが、血相を変えて集まっているではないか。聞けば、この前のリゾートの記事に不満があるのだという。新聞に出ていたのはA社の事業だが、隣接地にはB社の計画もある。なんでB社の話は書かなかったのか、A社の事業が進めばB社の事業はパァになるじゃないか、、、、そんな話である。もちろん、集まっていたのはB社の事業計画地に農地を有する農家たちである。

しかし、そのときの実態は「話を聞きたい」ではなく、いわゆる吊るし上げだった。「Bからいくら貰ったんだよ」「よくも来れたな」「土下座するなら早い方がいいぞ」等々、罵声に継ぐ罵声。何か言おうものなら、「もういっぺん言ってみろ」「ふざけるな」。タバコの煙と熱で、事務所は異常に熱く、そして異様な雰囲気がますます高じてくる。「計画がだめになったらオレは何千万円か損が出るんだぞ。みんなそうだ」「おい、読売の支局長をここへ呼べ。これを取材してもらうべ」といった声も出る。

小さな事務所で3-4時間。夏の暑い日だったこともあって、私は汗びっしょりだった。そんな中、1対多数で大声を浴び続け、本当にどうして良いのか、全く分からず、ひたすら「余計なことだけは言わないようにしよう」と思い続けていたと思う。当時の私は、まだ30歳前で比較的若く、吊るし上げに遭ったことなどあろうはずもない。結局、最後は議会関係者が再び現れて(しばらくどっかに行ってしまっていたのだ)、「まあまあ、この記者さんも若いし、一生懸命だったんだし、きょうはみんな、オレに免じて許してやってくれ」みたいなことを言って、その場は終わった。帰りの車の中で、「ああいう風な場とは思わなかった、ひどいじゃないか」と議会関係者に文句を言うと、彼は「いやあすまん、でも、あれが世の中ってもんなんだよ」とか、そんなことを口にしていたような記憶がある。

一方的に罵声を浴びる。自分に非は無いと自分自身が思っている場合、それは実に、何とも言えず苦しく、辛い。当時を振り返っても、そう思う。

JR西日本の問題の会見については、いろいろな意見が交わされているが、私自身は今のところ、松岡さんブログのこの意見が一番分かりやすく、「なるほど」と思わせてくれた。
by masayuki_100 | 2005-05-17 02:49 | |--世の中全般