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ニュースの現場で考えること

高知へ来て1ヶ月になりました

30数年ぶりで郷里の高知へ戻って、ちょうど1ヶ月になる。高知新聞社で記者になってからも1ヶ月である。つい先日は、高知の一部で早くも真夏日を記録した。きょうは湿度も多い。沖縄周辺は梅雨入りしたそうだから、高知の梅雨入りもたぶん、もうすぐだ。

「久々の高知はどうですか」とよく聞かれる。いや、そんな標準語で聞かれはしない。「久々にもんてきて、おまん、高知はどうぜよ」という感じである。一番変わったのは、周辺部だ。交通量の多い道路が市街地の周辺・近隣を縦横に走り、ロードサイド店が林立している。パチンコ店もやたらに増えたように思う。半面、帯屋町や大橋通商店街といった市内中心部は、めっきり寂れた。まあ、有り体に言えば、全国のどこでも起きている「市街地空洞化」である。中心街を歩いていると、「高齢者ばかりだ」と感じるが、それでも一大ショッピングセンターのイオン高知へ行くと、「こんなに若者がいたのか」と思ってしまう。

「高知新聞はどうですか」とも聞かれる。まだまだ仕事の流れを覚えている最中だし、社内の人の顔と名前もまだまだ覚えきれない。でも、毎日楽しい。高知での人脈はゼロに近いが、そのぶん、会う人会う人、新鮮だ。社会部の記者はそれぞれに個性的で、あれこれ話しているだけで楽しい。そして、今さらながら、つくづくと思うのだけれど、人の話を聞いて、世の中の何かに疑問を持って、また人の話を聞いて、あるいは、いま目にしたものが気になって調べて、また人の話を聞いて・・・という取材の動作は、どの新聞社にいても同じである。新聞社にいなくても、取材者であれば同じである。何を書くか書かないか。何をどう取材するかしないか。そういった所作は、古今東西(おそらく一部の国を除いて)、どこも同じである。

だったら、自分がこれまでそうしてきたように、これからも丹念に取材を繰り返していくだけである。「事実を積み重ねる」ことの愚直さと重大さを(自分も先輩からそうしてきてもらったように)、若い後輩たちに伝えていくだけある。取材者としての情熱とスキル、そして見識。それが備わっていれば、この先、媒体としてのメディアがどんな形に変容していっても、取材者としての個人は、そうあたふたすることはあるまい。逆に言えば、この基本的な事柄が備わっていないと、取材者の足元はどこかふわふわとして、頼りない。その足に、長い山道を登らせるのは非常な困難が伴うだろう。まずは基本、である。

この間、河北新報の販売会社、河北仙販の「今だけ委員長さん」と高知でお会いした。前回会ったのは、八戸で開かれた新聞労連の東北地連の催しで、だったと思う。東日本大震災のほんの数週間前のことだ。講師として招かれ、新聞と報道の将来について思うことをあれこれと喋った。しかし、久々にお会いした「今だけ委員長」さんの話を聞いていると、あの八戸で語ったこと事柄がいかにも牧歌的に思えてしまう。報道のありようとか、ジャーナリズムの将来とか、そういう事柄を現場の人間が語るときは、たぶん、「いま、どうするか」なのだ。将来像をあれこれ語るもよし。それも必要だ。そしてそれと同時に、一番大事なのは、目の前に転がる数多の事象を目の前にして、「さあ、どう報じるか」なのだ、と思う。

・・・というわけで、そんな基本的な、「キホンのキ」のようなことをあれこれ思い巡らせながら、私は元気いっぱいで日々を過ごしている。52歳の誕生日も過ぎたけれど、まだまだ走りたい。で、もしこれを読んでいる方と高知のどこかでお会いしたら、その際はどうぞよろしく、です。
by masayuki_100 | 2012-05-02 00:03