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ニュースの現場で考えること

おわび 「調査報道」と「特別調査報道」

まずは、お詫びしないといけない。少し前から始めた「ツイッター」において、私は9月10日朝、こう書いた。

<かつてのリクルート報道以降、日本の「調査報道」は検察権力と一体化するのが常になった。元NHKの社会部記者の小俣一平(=坂上遼)氏は調査報道に関する一年前の論文で「報道の後に検察が捜査に動いたものは『特別調査報道』と位置付けよ」と。こういう発想が問題。 >

これは私の完全なる誤り、誤読だった。小俣氏は元より、これを読んだ大勢の方に迷惑をかけてしまった。

当の論文は小俣氏が「放送研究と調査」(NHK放送文化研究所)の2009年2月号から5回にわたって掲載された<「調査報道」の社会史>である。小俣氏はその論文において、調査報道の定義付けを行っている。その概要は、以下の通りだ。

報道には「発表報道」と「調査報道」があり、そのうち、(1)報道しなければ日の目を見ない事実を、(2)発表ではなく独自に調査し、(3)自社の責任で報道する。これが「調査報道」である。さらに、この調査報道の中において、(4)「権威」「権力」がある者・組織の不正、腐敗、怠慢などを取材対象とし、(5)その報道を各社が追随し、(6)そのことが国民の関心を高め、(7)「権威」「権力」に何らかの影響を与える。この(1)~(3)だけでなく、(4)~(7)の条件を満たすものを、小俣氏は「特別調査報道」と定義した。

小俣氏の論文の中には、調査報道の条件として「捜査当局を動かす」という部分も出てくるが、これは小俣氏が他者の見解を引用した箇所である。小俣氏は、それを批判的に記述しているのであって、自らの見解として特別調査報道の条件だとは書いていない。

私は当該論文を昨年春、ほぼ連載と同時に読んだ。日本では「調査報道」の体験に基づく、いわば経験談を基にしての「調査報道」論はあるが、調査報道を体系的にきちんと論じた書物は(私の知る限り)存在しない。小俣論文は非常に優れており、大いなる刺激を受けた。同時に、論文の何カ所かについて、「ここは議論のあるところだな、いつか筆者と議論したいな」と思った点があった。

そうして時間が経過し、上記のツイッターでの「つぶやき」になった。要は、小俣氏の主張と、その論文での引用について、私の記憶が混在していたのである。出先でひょいひょい書くことがあるとはいえ、引用の場合は、きちんと原典を脇に置き、参照しながら書かねば。こんな当たり前のことを、今更ながらに言い聞かせている。
by masayuki_100 | 2010-09-21 12:27 | |--調査報道について