2005年 04月 15日
ニュースのブログ化における『壁』
猫手企画@新聞屋さんのエントリ「カナロコTB&コメント解禁:猫手企画が1gets!」によると、猫手さんが神奈川新聞に初トラックバックを行ったそうです。おめでとうございます~。
その神奈川新聞が、毎日新聞に登場。「地方紙とネット 「カナロコ」の挑戦」と題する記事で、担当の局長さんがインタビューに答えています。それを読みながら思ったのは、いやはや、メンテナンスも含めてなのでしょうが、保守管理がたいへんそうだなあ、と。それに、やはり、新聞社によるニュースのブログ化には、ある種の制約がどうしても付きまとうなと。。。それはそれで致し方ないのかもしれない、という思いが募ります。
私は以前のエントリ(2月28日)「神奈川新聞のブログについて」で、新聞社によるニュースのブログ化には、いくつかの関門があるとの考えを記しました。それを整理すれば、主な2点は以下の通りでした。
(1)TBやコメント欄を無秩序に放置できない
:選挙の際に特定候補に利用される危険、犯罪報道等で被害者等のプライバシーが暴かれ る可能性、特定宗教の布教に利用される可能性等々があるため。報道機関としての社会的責任がある以上、そうしたTBや書き込みは放置できないのは自明。かといって削除を始めると、その基準及び削除妥当性の問題が生じるほか、ブログの最大長所である双方向性を減殺してしまう。
(2)マンパワーの問題
:上記のような事態を防ぐには、担当者を常時張り付け、いわば画面を「監視」する必要が生じる。そこまで人を配置して、果たして収益とのバランスはどうなるか。また、コメント等に取材記者が対応する場合にも問題が生じる。つまりTBやコメントが殺到するようなニュースは、おそらく取材記者もめちゃくちゃ忙しいのであり、TB等への対応に追われると、肝心の取材の足が止まる可能性がある。
まあ、ほかにも問題はあるのですが、(詳しくは過去の私のエントリを見ていただくとして)毎日新聞で紹介された神奈川新聞さんの話を読んでいても、そのへんが一つの壁になっているようです。
ほかのエントリでも書きましたが、ブログは技術的に非常に優れた機能を持っており、使い方次第では、相当の可能性を秘めているとの思いに変わりはありません。ただし、既存メディアがブログを導入することについては、現状ではある種の制約が避けられません。TBやコメント欄をフルオープンにしても、メディア側が対応しきれないでしょうし、同時に受け手側のマナーや節度も未成熟な部分があります。
私の考えでは、ブログ機能は今のところ、「既に報道済みの内容」に対する検証・論評について、最も有効です。「参加型ジャーナリズム」という言葉もありますが、既存メディア側が取捨選択をしない「読者の声」みたいなものでしょうか。もちろん、読者同士の意見交換も、そこに書き手が加わってのやり取りもできるわけです。しかし、そこでは、上の(1)(2)で示したような制約によって、ある種のもどかしさが残り、訪問者もそれにすぐ気づくでしょう。そして、瞬く間に「やっぱ新聞社のブログってつまんないや。反応は遅いし、記者は奥歯にモノがはさまった言い方しかしないし、それに最も意見を言いたい『事件もの』にTBが出来ないなんて!」と思ってしまう、、、そんな感じがしています。
愛読しているブログその神奈川新聞が、毎日新聞に登場。「地方紙とネット 「カナロコ」の挑戦」と題する記事で、担当の局長さんがインタビューに答えています。それを読みながら思ったのは、いやはや、メンテナンスも含めてなのでしょうが、保守管理がたいへんそうだなあ、と。それに、やはり、新聞社によるニュースのブログ化には、ある種の制約がどうしても付きまとうなと。。。それはそれで致し方ないのかもしれない、という思いが募ります。
私は以前のエントリ(2月28日)「神奈川新聞のブログについて」で、新聞社によるニュースのブログ化には、いくつかの関門があるとの考えを記しました。それを整理すれば、主な2点は以下の通りでした。
(1)TBやコメント欄を無秩序に放置できない
:選挙の際に特定候補に利用される危険、犯罪報道等で被害者等のプライバシーが暴かれ る可能性、特定宗教の布教に利用される可能性等々があるため。報道機関としての社会的責任がある以上、そうしたTBや書き込みは放置できないのは自明。かといって削除を始めると、その基準及び削除妥当性の問題が生じるほか、ブログの最大長所である双方向性を減殺してしまう。
(2)マンパワーの問題
:上記のような事態を防ぐには、担当者を常時張り付け、いわば画面を「監視」する必要が生じる。そこまで人を配置して、果たして収益とのバランスはどうなるか。また、コメント等に取材記者が対応する場合にも問題が生じる。つまりTBやコメントが殺到するようなニュースは、おそらく取材記者もめちゃくちゃ忙しいのであり、TB等への対応に追われると、肝心の取材の足が止まる可能性がある。
まあ、ほかにも問題はあるのですが、(詳しくは過去の私のエントリを見ていただくとして)毎日新聞で紹介された神奈川新聞さんの話を読んでいても、そのへんが一つの壁になっているようです。
ほかのエントリでも書きましたが、ブログは技術的に非常に優れた機能を持っており、使い方次第では、相当の可能性を秘めているとの思いに変わりはありません。ただし、既存メディアがブログを導入することについては、現状ではある種の制約が避けられません。TBやコメント欄をフルオープンにしても、メディア側が対応しきれないでしょうし、同時に受け手側のマナーや節度も未成熟な部分があります。
私の考えでは、ブログ機能は今のところ、「既に報道済みの内容」に対する検証・論評について、最も有効です。「参加型ジャーナリズム」という言葉もありますが、既存メディア側が取捨選択をしない「読者の声」みたいなものでしょうか。もちろん、読者同士の意見交換も、そこに書き手が加わってのやり取りもできるわけです。しかし、そこでは、上の(1)(2)で示したような制約によって、ある種のもどかしさが残り、訪問者もそれにすぐ気づくでしょう。そして、瞬く間に「やっぱ新聞社のブログってつまんないや。反応は遅いし、記者は奥歯にモノがはさまった言い方しかしないし、それに最も意見を言いたい『事件もの』にTBが出来ないなんて!」と思ってしまう、、、そんな感じがしています。

by masayuki_100
| 2005-04-15 11:04
| ■ジャーナリズム一般