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ニュースの現場で考えること

防空壕と自宅用核シェルター

きょう4月9日夕方、防空壕で中学生4人が倒れた、とのニュースが流れている。実に気の毒な事故だと思う。以下は、ヤフーニュースの引用。

防空ごうでたき火か、中学生2人死亡2人重体…鹿児島
 9日午後4時20分ごろ、鹿児島市武岡の武岡団地北公園付近にいた人から、「防空ごうの近くで4人が倒れている」と119番があった。駆け付けた消防署員が病院に運んだが、2人が死亡し、2人が心肺停止状態になっている。県警鹿児島西署などによると、いずれも男子中学生。
 市消防局によると、防空ごうからは煙が出ており、たき火をしていたらしい。一酸化炭素中毒の可能性があるとみて調べている。武岡団地はJR鹿児島中央駅の西約2キロの丘陵に広がる住宅地。付近を国道3号線、九州自動車道、南九州自動車道などが走り、鹿児島市街地の西の入り口にあたる。
(読売新聞) - 4月9日19時9分更新

このニュースを目にして、2つのことを思い出した。一つは、防空壕そのものである。

私が小さかったころ、たぶん小学生の低学年時代だったと思う。高知市の自宅近くの「天神山」(山と言っても高さは50メートルくらい)の山腹に、防空壕が3つ残っていた。山腹から奥へ、水平に穴は掘られ、いずれも奥行きは10メートルくらいだったろうか。そのうち一つは、近所の人たちの農機具(今では面影も無いが、当時はまだ田圃も結構残っていた)置き場みたいになっており、もう一つはゴミ捨て場に。そして、残る一つが近所の子供たちの遊び場だった。入り口には竹で編んだような囲いが置かれ、一応は出入り禁止みたいになっていたが、子供にとっては、お構いなしである。しかし、その後、母から高知大空襲の話を聞いたとき、「あんな穴で助かるはずがない。穴が残ったのは、たまたまそこに爆弾が落ちなかっただけだ」と強く印象に残った記憶がある。母もたびたび防空壕に逃げ込んだと言っていたが、たぶん、その穴に逃げ込んだ人たちは、「ここに居れば安心」などとは、誰1人、思わなかっただろう。



もう一つ思い出したのは、住宅用核シェルターのことである。たぶん、1980年ごろだったと思う。東京で大学に入ったばかりのころ、神田神保町の三省堂前(裏通りに面した入り口のところ)で、核シェルターの展示会を開いていた。外から見ると、小さなプラネタリウムのようで、内側は4畳半くらいだっただろうか。当時は、米ソ核戦争の危機が迫っていると言われ、世界的に平和運動が高揚していた。国連では、国連軍縮特別総会が開かれ、それが大ニュースになる、、、そんな時代だった。しかし、一方では、悪の帝国・ソ連による核攻撃や北海道侵攻が明日にでも起きるかのようなことがメディアで繰り返され、そして、三省堂前で展示会まで開かれたのである。係りの人と話したら、すでに10基くらいが売れた、というようなことを教えてくれた。「医者がほとんど」と聞き、やっぱりなあ、と今更ながらに感じたこを記憶している。何しろ、一基で家が建つほどの値段だったのだ。

あのとき、シェルターを買った人たちは、いまどうしているのだろう。そして、数日前のエントリ「有事、自治体は米軍指揮下に」でも書いたが、戦争で住民が避難するということの、何とも言えぬ戯画的な行為の末路を思わずには居られない。

(追記:9日午後7時40分)
中学生は4人とも亡くなられたそうです。本当にお気の毒としか、言いようがありません。ご冥福をお祈りします。
防空壕と自宅用核シェルター_c0010784_1748527.gif 
by masayuki_100 | 2005-04-09 19:40 | |--戦争と平和