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ニュースの現場で考えること

「報道」とは結局、何なのか。

夜になって、東京は雪になった。重く、湿った、札幌でいえば3月のような雪である。たぶん、明日の朝は通勤・通学でたいへんな思いをする人も多いだろう。

数日前、「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論新社)を読み終えた。リクルート事件が表面化したのは、1988年だからもう12年22年も前のことだ。リクルート事件の関連書籍はほとんど読み尽くしたつもりだったが、この江副氏の本は出色である。

御承知の方も多いと思うが、リクルート事件は、川崎市の助役に対し、リクルートコスモス社(当時の社名)が未公開株を譲渡していたことを朝日新聞が報道したことに端を発している。取材に当たったのは、朝日の横浜・川崎両支局の若い記者で、それを指揮したのが、調査報道の旗手として知られた山本博氏だった。少し前、山本氏と食事をしながら、調査報道とは何か、といったテーマで話をさせてもらったことがある。「なるほど」と感心することが多く、調査報道の重要性にあらためて思い知った。私は当時の朝日の報道にあこがれ、自分もあのような調査報道を手掛けたいと強く思うようになった。山本氏の話を聞きながら、その初心を思い起こしたし、朝日の両支局が手掛けた(初期の)リクルート報道は今も何ら色あせてはいないと思う。

しかしながら、その報道をきっかけに全国紙各紙やテレビ局がリクルート報道に参加し、激しい報道合戦を繰り広げ、やがて東京地検特捜部が動き始めて以降は、おそらく、「事件」の様相は全く違うものになっていったのではないか。それが本書からは読み取ることができる。

江副氏は本の冒頭で「本書は私が書いたものであるから、私にとって都合のよいように書いているところも少なくない。本件がもし検察側から『リクルート事件・検察の真実』として書かれれば、別の内容の読み物になるであろうことも、お断りしたい」と書かれている。特捜部に逮捕され、否認を続けていた江副氏は、拘置所内で、その日その日の調べの模様などをノートに書き残していたという。そして、本書は実に冷静な筆致で、検察官や当事者の実名を挙げながら、当時の取り調べのもようなどを綴っていく。その中にこんな箇所が出てくる。検察の言うとおりの調書になかなか署名しない江副氏に対し、検事が「なんとか頼む」という場面である。

<187ページから。以下引用>
 当時の私は毎週のように政治家を囲む朝食会や夕食会に出席していたが、政治家にリクルートの事業に関連する依頼をしたことは一度もない。調べられても、コスモス株を譲渡した政治家が収賄罪で立件されることはないと思っていた。ところが宗像検事は言った。
 「政治家の中から誰か立件できないか、合同会議で検討された。これだけマスコミに書かれると、政治家をあげないわけにはいかなくなった」
 「私は政治家へ頼み事をしたことはありません」
 「大局的見地からあなたに協力をお願いしたいんですよ。自民党2名、野党を1名あげたい」
(中略)
 「特捜は中立的、という世間の印象も大事なんでね。加藤のほかに自民党1名、野党1名を挙げる方針が決まった。仕方ないと思ってもらいたいんですよ」
 「そこであなたとのネゴシエーションなんだが。。。政治家の件では君を逮捕しない。4回も逮捕されたら、あなたの世間体も悪いだろう。僕もしのびないと思っている……早期に保釈する。求刑は起訴時に検査が決めるんだよ。悪いようにしないことを約束する」
(中略)
 ……しばらく沈黙が続いた。しばらくして宗像検事が言った。
「4回目の逮捕と長期の勾留か、執行猶予がつく起訴時の求刑と早期釈放か、どちらが得か冷静になって考えてみなさいよ。新聞がここまで書いているのに、政治家は何もなかったということでは特捜のメンツが立たない。政治家をあげるのは合同会議の結論なんですよ。僕はそれを実行する立場でね。早く決着させないと政治的空白がいつまでも続く。それは避けたい。そのことはあなたも理解できるでしょう」
 メディアが疑惑と報道することが世論になる。特捜は世論に応えなければならない。私は、メディアが「第3の権力」と言われることを、改めて思い知った……
<引用終わり>

この本の前半には江副氏が逮捕され、地検の車両に乗せられた場面も出てくる。そのときは道路が大渋滞していたが、道を変えても渋滞していた。そこで検事が言うのである。「マスコミには4時半に(東京地検に)入ると知らせてある。マスコミを待たせるわけにはいかない」。拘置所に近付くと検事は「ここで君に手錠をかける。これから大勢のカメラマンが君を撮る…」と云うのだ。江副氏はその後、何度も何度も同じことを思うのだが、これが「特捜はメディアをフルに使っている」と感じた、最初の出来事である。

こういう文章を読んでいると、「捜査当局の記者クラブに記者を配置して日々張り付いているのは、当局の違法・不法な捜査を監視するためでもあります」的な、既存メディアの言い分が、子供の言い訳にもなっていないように思えてくる。少し前の「志布志事件」やかつての「菅生事件」のように、新聞がいわゆる調査報道によって、冤罪を暴き出したことは何度かある。しかし、それらの多くは、捜査段階ではなくて、裁判が始まってから後の報道である。捜査段階において、その不当性を鋭く、粘り強く報道した日本の事例を、私はほとんど知らない。

「報道とは権力監視です」とは、いったいどういうことなのか。それを実践し、持続するとは、どういうことなのか。いったい、マスコミとか新聞とか報道とか、それらはいったい、何なんだろうと思う。

理屈ではいくらでも説明できよう。報道の役割をきれいな文章で書くこともできる。朝日が手掛けた初期のリクルート報道のような「調査報道」は絶対に必要だし、それを目標にしてきたし、今もそうしたいと思う。しかし、一方では、ものすごく、いつも、居心地の悪い、嫌な嫌な感覚がいつも淀みのように、自分の奥底に溜まっている感じがある。職業人として、自分の仕事には常に前向きでありたいと思いつつも、例えば、だいぶ以前に「糞バエ」や「きれいごとと闘い」を書いたときのように、表現しようのない、苛立ちやどこか絶望的な感覚や諦めや、そんな訳の分からぬ思いにも、時に、支配される。第一、この自分自身がいったい、何をできているのか。もちろん、そういう思いもある。
by masayuki_100 | 2010-02-02 01:22 | 東京にて 2009