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ニュースの現場で考えること

ふるさと銀河線、消える

北海道東部の十勝地方とオホーツク地方を結ぶ、ローカル鉄道が来年4月、廃止されることになった。「ふるさと銀河線」(池田ー北見)のことである。廃止はもう決定したし、そもそも乗客が10年ほど前との比較で半減し、赤字が増える一方だから、それはそれで仕方のないことなのだろうと思う。鉄道には独特の文化や郷愁があるけれど、赤字の垂れ流しでは結局、後世に迷惑をかけるだけだ。

そのニュースを時系列で読み込んでいたら、父の姿を思い出した。

私の父は国鉄マンで、ずっと四国で仕事をしていた。終戦後、中国戦線から戻り(徴兵されていた)、かなりの人がそうだったように国鉄へ。最初は車掌で、それから駅勤務となったが、最後に勤務した駅が土讃本線の吾桑駅というところである。吾桑駅は今は(たぶん)無人駅に違いないが、父が退職した1978年ごろは3人の駅員がいた。とはいっても、三交代だから、客から見れば、駅員はいつも1人である。

退職の年だったと思う。いや、もしかしたら、その1、2年前かもしれない。季節は、ちょうど今頃で、桜が咲いていた記憶がある。出勤前の父が突然、「ちょっと来いや」と言い、吾桑駅に連れて行かれた。高知市内の駅からディーゼル列車に乗り、とことこ、とことこ。。。兄も一緒だったように思う。

私がずっと小さかったころは、父はまだ車掌で、長い貨物列車の最後尾の車掌車に乗せてもらった記憶がある。機関車は蒸気で、車掌車の窓から手を出して車両の外側のボディーに触れると、手が真っ黒になった。それを父の同僚の車掌が大笑いしながら見ていたことも覚えている。それからしばらくして、父は急行列車に乗るようになった。夏になると、上下が白の制服になり、白い制帽をかぶって出かけていた。だが、その後、父の仕事・職場の記憶は、ぱったりと途絶えている。次から次へと訪ねてきていた職場の人たちも、あるときから来なくなった。もちろん、小さかった私は、そんなことは全く気にも留めていなかったのだが。



吾桑駅で、私はしばらく、駅事務所でうろうろしていたように思う。何本か列車が通過し、何本か止まり、母に作ってもらっていた弁当を食べ、裏の土手に回ってみたり、駅前をうろついたり、そうやって時間をつぶしていた。そのうち、父が「これ、やってみるかえ?」と言って、ホームから手招きした。信号機の切り替えを行う、鉄製の機械の前に父は立っていた。「やってみるかえ?」と何度か言った。もっと強い調子だったかもしれない。私は(兄も一緒だったように思うが記憶があいまいだ)、その切替え装置のところへ行き、父に言われた。

「わしがこれ(装置のハンドルみたいなもの)を下に下ろすき、ここへ来て、おまんも一緒にやりや」

父と私は2人で真っ黒な鉄の装置に手を置き、ぐぐっと下ろした。思ったより軽く、その瞬間、遠くの信号機の羽根がガタンと降り、色が赤から青になった。そして、もう遅くなるから帰れ、という。次の上り列車が来たら、高知へ帰れと。ほどなくして、その青信号に導かれるようにして、オレンジとクリームの2色に塗られたディーゼルカーが来た。運転席の真後ろに乗って見ていると、父が運転席に身を乗り出すようにして、タブレットを交換している。そして、敬礼して、列車は動き出した。たぶん、列車の中の私と、父は顔を合わすことも無かったと思う。

それから何年かたって母と話しているとき、「お父ちゃんは昔、組合を変わったき。あのころが一番きつかたねえ」と言い出した。国労から、第二組合の鉄労に移った、それが私の小学校低学年のころだったと。そのころ、車掌区勤務から駅勤務に変わったらしい。そういえば、小さいころ、母から「お父ちゃんが組合を変わったいうて、学校で言うたらいかんよ」と釘を刺されたことがある。一度か二度、客間で父と同僚たちが、大きな声で言い争っていたこともあった。

ただ、思えば、そんなことがあってから、父の同僚たちは、誰も自宅に来なくなった。当時、国労から鉄労に移籍することは、裏切りであり、当局に魂を売ることだったと、のちにJR関係者から聞いたことがある。どうして労組を移ったのか、父からは聞いたことが無いし、私も聞きもしなかった。だから、当時、父が何を考えていたのかは全く分からない。ただ、これも記憶なのだが、鉄労に移ってしばらくした後の総選挙で、父が「わしは○○に入れる」と布団の中で母に語り、それを川の字の端っこで聞いていたことを覚えている。私自身が大きくなって気づいたのだが、○○議員は紛れも無く社会党であり、鉄労が推す民社党候補ではなかった。組合を移っても、考え方は変えなかったのだろうか。。。一つ言えることは、たぶん、父は父なりに、家族のことや労組や組織や社会全体のこと等に考えをめぐらし、最善の決断をしたのだろう、ということだ。

ふるさと銀河線は、明治時代の官営鉄道から始まった。国鉄時代は、北海道内の「赤字4長大線」と言われながら、地元の頑張りで廃線にならず、国鉄の分割民営化後は、第三セクターとして営業を続けていた。壮大な歴史の中で、数え切れないほどの鉄道マンやその家族、関係業者たちが、鉄路にかかわり、それぞれの家族は小さな歴史を紡いでいたはずだ。

そんな無数の歴史が来年4月、大きな区切りを迎える。
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by masayuki_100 | 2005-04-02 23:53 | |--世の中全般