2010年 01月 20日
続・リークと守秘義務
リークと守秘義務」に、早速、コメントを頂いた。vox_populi さんからで、「今回の記事、残念ながら賛成できません。小沢氏の今回の事件に限らず、検察・警察からリークされた情報はもっぱら、起訴以前の容疑者を真っ黒く塗り上げることにのみ役立っている。現状はそのようだと言わざるをえないからです」と書かれている。
もっぱらリーク情報によって、起訴前、逮捕前などに「あいつは悪徳政治家だ」「悪徳弁護士だ」という風潮が作られ、その方の社会的生命を絶とうとする・絶ってしまう事例は、枚挙に暇がない。vox_populi さんの言うとおり、そんな報道なら要らないと私も思う。捜査段階の情報がいかに当てにならないかは、事件取材を少しでもかじったことのある人なら自明であろうし、一般の読者であっても首をかしげることはしばしばだろう。
捜査段階のリーク情報によって「A容疑者は、これこれだったという」といった記事を書いてはみたものの、起訴状や冒頭陳述はおろか、証拠採用された調書にすら、その片鱗も出てこない……。こんな経験をした記者も少なくないはずだ。だから、このような取材のあり方、記事の書き方、報道のあり方から、各メディアはいい加減にもう、決別しなければならない。
ひと昔前は、捜査情報のみに依拠した報道は、その先裁判等でどうなろうとも、その時に先に書いた者の勝ち、という空気がメディア内部にはあった。いわゆる「書き得」思想である。私が駆け出し記者だった20年くらい前は、記者クラブ内の各社のブース内には、他社との「勝ち・負け」を表やグラフにしたものまで掲示されていた記憶がある。いったい、何について、誰との勝負に勝ったのか、負けたのか。疑問を持たない方がおかしいのだけれど、疑問を口にし、行動した記者は「ダメ記者」とのレッテルを貼られていく、そんな風潮だった。それが(わずか)20年くらい前のことなのだ。
新聞記者になったとき、どこの新聞(テレビも)であれ、最初の教育時には「必ず対立する側も取材して、その言い分を書け」と習う。そして、「どんな相手であれ、相手の言うことは疑え」とも習う。しかしながら、事件取材においては、それが全く実践されていない。そして、それを今も疑問にも思っていない(ように映る)。
そもそも日本の刑事司法制度下では、逮捕された容疑者側の言い分を取材するのは、結構難しい。接見禁止が連発される結果、容疑者側の言い分を取材するとき、取材先は事実上、弁護士らに限られる。欧米やアジアのこの種の取材では、鉄格子越しに容疑者が「おれはやっていない」と答える場面などがテレビで時々報道されるが、日本では、ああいうことは起こりえないのである。
10年以上前だと記憶しているが、当番弁護士制度が導入された際、福岡に本社がある西日本新聞が「容疑者の言い分」報道を手掛けたことがある。弁護士会の協力も得ながら、逮捕段階での容疑者側の言い分を記事ごとに掲載するという当時としては画期的な試みだった。ただ、(あくまで私の記憶と知る範囲での話であるが)このキャンペーンはやがて、弁護士から取材した言い分を捜査当局に「通報」する他社の記者が現れるようになって弁護士側の信頼を失っていく結果になったという。私自身の経験で云えば、警察の裏金報道を続けているとき、「北海道新聞はひどいですよね」と警察側に言い寄って、事件ネタをもらうことに専心した新聞社があったことも知っている。まあ、いわば、ことほど左様に、事件報道とそれをめぐるメディア側の動きには、なんというか、溜め息の連続である。
だから、と私は思う。少なくとも、事件に関する報道においては、取材の姿勢というか立ち位置を急に変えることができないのであれば、せめて記事の書き方を何とかしてくれ、と。もちろん、記事の書き方・表現方法は、取材での立ち位置と裏表の関係にあるから、そう簡単には物事は進まないであろうが、しかし、せめてこういう書き方はできぬものか。
「B容疑者は業者から1000万円をもらったと供述している、と警視庁のある捜査員は取材に答えた。しかし、この捜査員の発言以外に、これを裏付ける取材結果は得られていない」
現場を走り回っている事件記者諸君、どうだろう? やっぱり、この程度でも無理か?
もう6、7年前のことになるが、私が警察・司法担当デスクだった際、その考え方と実践例、上記のような記事例などをペーパーにまとめ、社内の正式な会議に提案したことがある。その際は、そんなことを実行したら警察から事件ネタを取れなくなる、他社に事件ネタで遅れを取るばかりになる、といった声もあって、継続的に論議しましょう、という先送り的な結論にしかならなかった。そのうち、担当が代わり、海外駐在になるなどしているうちに、私自身、別の取材対象に関心が移るなどして、曖昧になってしまったという経緯がある。
まあ、そんな個人的な経験は今はどうでもいいし、話があちこちに飛びすぎたが、vox_populi さんのコメントに立ち返って言えば、それでも検察・警察への取材は続けなければならない。当然、「強圧的な調べはしていないのか」といった点にも着目しながら、不当な調べが行われていないか、捜査がある特定の意図を持っていないか、等々も把握しなければならない。そうした取材は「垂れ流し報道」「権力のポチ的立ち位置」とは別のものであって、相当の厳しさが予想される。だからこそ、そのときは、本当の意味での取材力が問われる。「リークがけしからん」のではなく、「意図的なリークとそれに安易に乗っかるメディア」がけしからんのである。一つ前のエントリで、私が、じゃんじゃんリークさせないといけない、という趣旨のことを書いた意味は、そこにある。
そして、こういうメディアの体質を打ち破る方法の一つとして、「記者クラブ開放」があると、いまの私は考えている。それがどういう意味なのかは、夜も遅くなってきたので、いずれまた別の機会に。
久々にエントリを2本書き、風呂に入ってさっぱりして、再びパソコンに向かったら、先ほどの「もっぱらリーク情報によって、起訴前、逮捕前などに「あいつは悪徳政治家だ」「悪徳弁護士だ」という風潮が作られ、その方の社会的生命を絶とうとする・絶ってしまう事例は、枚挙に暇がない。vox_populi さんの言うとおり、そんな報道なら要らないと私も思う。捜査段階の情報がいかに当てにならないかは、事件取材を少しでもかじったことのある人なら自明であろうし、一般の読者であっても首をかしげることはしばしばだろう。
捜査段階のリーク情報によって「A容疑者は、これこれだったという」といった記事を書いてはみたものの、起訴状や冒頭陳述はおろか、証拠採用された調書にすら、その片鱗も出てこない……。こんな経験をした記者も少なくないはずだ。だから、このような取材のあり方、記事の書き方、報道のあり方から、各メディアはいい加減にもう、決別しなければならない。
ひと昔前は、捜査情報のみに依拠した報道は、その先裁判等でどうなろうとも、その時に先に書いた者の勝ち、という空気がメディア内部にはあった。いわゆる「書き得」思想である。私が駆け出し記者だった20年くらい前は、記者クラブ内の各社のブース内には、他社との「勝ち・負け」を表やグラフにしたものまで掲示されていた記憶がある。いったい、何について、誰との勝負に勝ったのか、負けたのか。疑問を持たない方がおかしいのだけれど、疑問を口にし、行動した記者は「ダメ記者」とのレッテルを貼られていく、そんな風潮だった。それが(わずか)20年くらい前のことなのだ。
新聞記者になったとき、どこの新聞(テレビも)であれ、最初の教育時には「必ず対立する側も取材して、その言い分を書け」と習う。そして、「どんな相手であれ、相手の言うことは疑え」とも習う。しかしながら、事件取材においては、それが全く実践されていない。そして、それを今も疑問にも思っていない(ように映る)。
そもそも日本の刑事司法制度下では、逮捕された容疑者側の言い分を取材するのは、結構難しい。接見禁止が連発される結果、容疑者側の言い分を取材するとき、取材先は事実上、弁護士らに限られる。欧米やアジアのこの種の取材では、鉄格子越しに容疑者が「おれはやっていない」と答える場面などがテレビで時々報道されるが、日本では、ああいうことは起こりえないのである。
10年以上前だと記憶しているが、当番弁護士制度が導入された際、福岡に本社がある西日本新聞が「容疑者の言い分」報道を手掛けたことがある。弁護士会の協力も得ながら、逮捕段階での容疑者側の言い分を記事ごとに掲載するという当時としては画期的な試みだった。ただ、(あくまで私の記憶と知る範囲での話であるが)このキャンペーンはやがて、弁護士から取材した言い分を捜査当局に「通報」する他社の記者が現れるようになって弁護士側の信頼を失っていく結果になったという。私自身の経験で云えば、警察の裏金報道を続けているとき、「北海道新聞はひどいですよね」と警察側に言い寄って、事件ネタをもらうことに専心した新聞社があったことも知っている。まあ、いわば、ことほど左様に、事件報道とそれをめぐるメディア側の動きには、なんというか、溜め息の連続である。
だから、と私は思う。少なくとも、事件に関する報道においては、取材の姿勢というか立ち位置を急に変えることができないのであれば、せめて記事の書き方を何とかしてくれ、と。もちろん、記事の書き方・表現方法は、取材での立ち位置と裏表の関係にあるから、そう簡単には物事は進まないであろうが、しかし、せめてこういう書き方はできぬものか。
「B容疑者は業者から1000万円をもらったと供述している、と警視庁のある捜査員は取材に答えた。しかし、この捜査員の発言以外に、これを裏付ける取材結果は得られていない」
現場を走り回っている事件記者諸君、どうだろう? やっぱり、この程度でも無理か?
もう6、7年前のことになるが、私が警察・司法担当デスクだった際、その考え方と実践例、上記のような記事例などをペーパーにまとめ、社内の正式な会議に提案したことがある。その際は、そんなことを実行したら警察から事件ネタを取れなくなる、他社に事件ネタで遅れを取るばかりになる、といった声もあって、継続的に論議しましょう、という先送り的な結論にしかならなかった。そのうち、担当が代わり、海外駐在になるなどしているうちに、私自身、別の取材対象に関心が移るなどして、曖昧になってしまったという経緯がある。
まあ、そんな個人的な経験は今はどうでもいいし、話があちこちに飛びすぎたが、vox_populi さんのコメントに立ち返って言えば、それでも検察・警察への取材は続けなければならない。当然、「強圧的な調べはしていないのか」といった点にも着目しながら、不当な調べが行われていないか、捜査がある特定の意図を持っていないか、等々も把握しなければならない。そうした取材は「垂れ流し報道」「権力のポチ的立ち位置」とは別のものであって、相当の厳しさが予想される。だからこそ、そのときは、本当の意味での取材力が問われる。「リークがけしからん」のではなく、「意図的なリークとそれに安易に乗っかるメディア」がけしからんのである。一つ前のエントリで、私が、じゃんじゃんリークさせないといけない、という趣旨のことを書いた意味は、そこにある。
そして、こういうメディアの体質を打ち破る方法の一つとして、「記者クラブ開放」があると、いまの私は考えている。それがどういう意味なのかは、夜も遅くなってきたので、いずれまた別の機会に。
by masayuki_100
| 2010-01-20 00:44
| 東京にて 2009