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ニュースの現場で考えること

リークと守秘義務

小沢疑惑関連で、もう一つ。検察リークを鵜呑みに、それを無批判に報道することの、あまりのひどさに、東京地検特捜部の関係者を刑事告発する動きがあったらしい。「国家公務員第百条第一項の守秘義務」に違反した、という容疑である。

今回の局面では、こういう動きが出てくるのも当然だろうとは思う。民主党を中心とした連立政権誕生以降の捜査の動きを観察していれば、多くの人が強い違和感を抱いたはずである。仮に報道する側が「地検は正しい」と思ったとしても、そうは思わない国民が多数いるのは事実である。だとしたら、国民・読者の疑問に答えるのが報道機関である以上、検察の動きに批判的な識者の声を集めるといった程度の工夫はあってもよい。

で、話は戻るが、検察のリークをけしからんとして、それを罪に問おうとする動きには、私は若干の疑問を持つ。相手が捜査当局であれ、一般官庁であれ、取材活動においては、情報を引き出すのが記者の仕事である。記者会見などの公の場を除けば、程度の差こそあれ、個々の取材活動においては、個々の公務員に個別の「情報提供」を求めることになる。高級官僚や閣僚の不正に絡む取材もあるだろうし、不都合な情報隠蔽を暴露する取材もある。特捜検事や警察の捜査員に対する事件取材は、通常、「被疑者はどういう供述をしているのか」などを取材すると同時に、「どういう捜査をしているのか」「違法捜査はやっていないか」なども取材の対象になるはずだ。だからこそ、警察担当記者や検察担当記者が存在しているはずである。

極論すれば、公務員に対する取材は、常に情報漏洩を求めているといっても過言ではない。通常は、ある機密を保持するよりも公にする方が、国家・国民に対する利益になると判断したり、されたりするのであろうが、突き詰めれば、何でもかんでも、この国家公務員法に引っ掛かる恐れがある。

日本の取材現場においては、この国家公務員法が最大のガンであることは、1980年代初めに出版された「アメリカジャーナリズム報告」の中で、著者の立花隆氏が喝破している。アメリカでは、ウォーター・ゲート事件で新聞の追及を受けていたニクソン大統領が、その最中に、日本の国家公務員法の守秘義務既定とそっくりな条項を盛り込んだ刑法改正案を国会に上程したが、葬り去られたそうだ。

私が言いたいのは、つまり、こういうことだ。

地検からのリーク、じゃんじゃんさせなさい。どんどん捜査情報、その関連情報を取りなさい。取材しなさい。そのためには厳しい夜回りも朝駆けも必要でしょう。しかし、その先で誤ってはいけない。報道機関は、検察と一心同体になってはいけないし、二人三脚で歩んではいけない。いつでも厳しく批判しなければならない。

手前みそで恐縮だが、数年前に北海道警察の裏金問題を追及した際、それをまとめた「追及・北海道警裏金疑惑」(講談社)の「あとがき」で私は以下のように記した。それに込めた意味は、当時も今も少しも変わっていないと思う。(以下は引用)



 …最近の新聞、テレビは、権力機構や権力者に対して、真正面から疑義を唱えることがずいぶん少なくなったと思う。お行儀が良くなったのだ。警察組織はもとより、政府、政治家、高級官僚、大企業やその経営者などは、いつの時代も自らに都合の悪い情報は隠し、都合の良い情報は積極的に流し、自らの保身を図ろうとする。そして、権力機構や権力者の腐敗は、そこから始まる…ところが、報道機関はいつの間にか、こうした取材対象と二人三脚で歩むことが習い性になってしまった。悪名高い記者クラブに座ったままで、あるいは、多少歩いて取材したとしても、相手から提供される情報を加工するだけで終わってしまう。日々、華々しく展開されるスクープ合戦にしても、実際はそうした相手の土俵に乗り、やがて広報されることを先取りすることに血道を上げているケースが少なくない。権力機構や権力者を批判する場合でも、結果的に相手の許容した範囲での批判か、自らは安全地帯に身を置いたままの『評論』などが、あまりにも多いように感じている。

 もちろん、こうした報道をすべて無意味と断じるつもりはない。しかし、権力機構や権力者に深く食い込むことと、二人三脚で歩むことは、同義ではないはずだ。読者は賢明である。報道機関が権力機構や権力者と築いてしまった『いやらしい関係』を、とっくに見抜いている。ひと昔前はあこがれの職業だった記者は、さげすみの対象にすらなりつつある。

 「事実を抉り出して相手に突き付け、疑義を唱え、公式に不正を認めさせていく。そうした報道を取り戻したい。記者会見では相手の嫌がる質問をどんどんぶつけたい。権力機構や権力者と仲良しサークルをつくって、自らも偉くなったような錯覚に陥ることだけは避けたい。記者クラブ取材のあり方、捜査情報をもらうだけの警察取材のあり方を根本から変えたい。報道もしょせん商売かもしれないが、しかし、もっと青臭くなりたい。オンブズマン組織にも劣るようになってきた『真の意味での取材力』を取り戻したい」

 取材班はずっとそう考えていた。だからこそ、一連の取材は、いわゆる「遊軍記者」などに任せず、道警記者クラブ詰めのサツ回り記者が「逃げ場」のない中で、真正面から取り組んだのである。
by masayuki_100 | 2010-01-19 22:02 | 東京にて 2009