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ニュースの現場で考えること

再び、「きょう逮捕へ」について

ジャーナリズム考現学さん(以下、J氏)が「酔っ払い記者との議論、再び」というエントリを立てられました。昨年末ごろ、私がまだブログを開設していないころに、警察取材をめぐって議論しました。その続きです。

J氏のブログ内に関連記事が何本かあります。私の関連エントリは以下の通り。

「きょう逮捕へ」は本当に権力監視か?
だいたい似てるとは思うけれど
「きょう逮捕へ」の記事は権力監視ではない
逮捕の公表法制化は必要か

上記のエントリで私が言っている内容は、「逮捕情報の公表が法制化されるなら、それに越したことは無いが、種々の危険性も生じる」「現在の多くの事件報道は権力監視になっていない。記者の思いはどうであれ、多くは『ペンを持った警察官』的報道になっている」「逮捕の事実を伝えること自体は権力監視ではない」といったところでしょうか。ほかにも、色んなことを書いていますので、まずは、これらの関連エントリを読んでいただけたら、と思います。

で、そのうえでJ氏の新しいエントリに対して。エントリの中で、こういう部分があります(以下引用)。

権力の監視は、本来的には私たち市民全体が担うべきことだ。その際に必要な情報や視点を提供することが報道記者たちに期待される役割だ。しかし、一般的には「ジャーナリストは権力監視するのが役割」と過度の期待がかけられ、ジャーナリストたちもこの無謀な任務を引き受けようとしている。

今のマスコミの現状を冷静に観察した際、いったいどこに「無謀な任務を引き受けようとしている」事実があるのだろうか、と思います。そもそも、「過度の期待」もないでしょう。マスコミの報道内容は、官公庁や警察司法当局、大企業等の広報的な記事が異様に多いのであって、「自らの役割は権力監視」だと思い、それを第一に考えて仕事している記者は、そう多くないような感じがします。それどころか、事件報道に一番顕著ですが、当局による逮捕等を契機として、それまでの沈黙を一斉に破って容疑者側のバッシングを始めるのが通例です。



また、「権力監視は本来的には市民全体が担うべきだ」という発想に至っては、報道する側が「私たちは権力監視などやりません」と宣言しているに等しいように思います。権力監視などしない、というのも一つの立場ではあります。しかし、そうであるなら、そういう人は「きょう逮捕へ の記事は権力監視の一環だ」などと言う資格はないのではないでしょうか。

(以下はまた引用です)
逮捕という権力行使が適切になされているかということを市民全体でチェックするために、そもそも逮捕があった事実を知らされなければならない。今の日本ではそれを知らせる制度が整っていない。記者たちのがんばりに頼るしかないという非常に心許ない状況にあることを、まず認識する必要がある。「きょう逮捕へ」という記事は必要か は、公表制度が整うまで、とりあえずは頑張れと記者たちを激励したつもりだ。一見、現状の醜いスクープ合戦を擁護しているように見えながら、全く違うという点を高田氏にはご理解をいただきたい。

「逮捕という権力行使が適切になされているかということを市民全体でチェックするために」という部分は、現実にはどういう姿を指しているのでしょうか。私にはよく分かりません。最近、オンブズマン組織や市民団体の行動内容を報道することで、「自分は権力を監視している」という記者がいますが、これは大きな勘違いです。それは、オンブズマンの活動を取材しているだけであって、いわば、他人のふんどしで相撲をとっているわけですから。

「公表制度が整うまで、とりあえずは頑張れと記者たちを激励したつもりだ」。本当にそうでしょうか? 本当に現場の記者にそう言っていますか? あるいは今後、そう言えますか? 


(再び引用)
・・・報道の仕方が粗悪であっても、必要な情報が表に出ていることは評価されるべきだろう。現状の事件報道に満足しろと言っているのではない。しかし、今の事件報道は百害あって一利なしなのか?そうであれば、なぜこうした報道がいつまでも続いているのか?なぜ読者はもっと反発しないのか?報道方法の再確立を目指すだけでは不十分だ。 

報道の仕方が粗雑であっても、「逮捕」をスクープすれば許されるのですか? そして「事件報道は百害あって一利なしなのか?そうであれば、なぜこうした報道がいつまでも続いているのか?なぜ読者はもっと反発しないのか?」という箇所を読むと、相当に違うな、と思います。おそらく、読者は反発を通り越して、覚めた目で記者たちを見ているのではないでしょうか。

一つ一つの指摘に注釈を付ける様な形で反論していくのは、ここまでにしますが、J氏は現状の事件報道の有り様にほとんど疑問を抱いていないのではないか、と思いました。私は疑問を持っています。何も、裏金報道をしないところはダメだとか、そんな短絡的なことではなくて、いまの事件報道の大半は、

(1)警察と取材者が一体化して「犯人探し」報道に躍起になっている
(2)事件直後の捜査や調べが不確かな段階で、犯行の態様や動機が確定的事実として、あるいは確定的事実であるかのように報道される
(3)捜査情報が取れなくなることを恐れる余り、捜査批判をほとんど書かない
(4)公判等で違法捜査が問題になっても、その点を警察に質すような報道をほとんどしない
(5)事件直後の集中豪雨的報道が正しかったかどうか(=リーク情報が正確だったかどうか)の検証をほとんどしない
(6)容疑者もバッシングし、被害者のプライバシーも不必要に暴き立てる

という傾向があります。また、報道機関の組織内部には「捜査情報をすっぱ抜く記者が優秀な記者」といった評価基準があって、それはすなわち、警察批判を手控える傾向につながっています。こういう構図は何も警察に限ったわけではなく、政界取材や官庁取材でもすっかり習い性になってしまいました。

話は少し飛びますが、ライブドアの堀江社長がニッポン放送株を買い増している際、「ジャーナリズムは要らない」といった趣旨の発言をしました。それに対し、既存メディアは次々と反発しましたが、私はその反発を覚めた目で見ていました。なぜなら、ふだん、権力監視の仕事もロクにしていないメディアが、急に「ジャーナリズムとは」などと言っているからです。

言い続けているのは、「逮捕を報道するだけでは権力監視にならない」という一点に尽きます。なぜなら、「逮捕を報じるだけ」の報道は、いま現に目の前にあふれかえっているわけですから、それが監視と同義なら、われわれは日ごろの事件報道において、既に十二分に監視の役割を果たしていることになってしまうからです。

(以下引用)
高田氏の批判は第一次湾岸戦争のときに、イラク当局の検閲を受けながらも報道を続けたCNNのピーター・アーネットに向けられた批判に似ている。イラクの言い分を垂れ流すだけの報道は意味がない、敵国の情報戦略に乗せられるのはけしからん、というものだ。しかし、アーネットは彼なりにイラク当局と距離を保つことに努め、できるだけ真実を伝えようと努力した。例えイラクの検閲を経たものであるとは言え、情報が何もないよりはあったほうがいいと考えた。
自分たちに都合のいい情報を、検閲に近いかたちで飼い慣らした記者にしかリークしないという今の日本警察は、当時のイラクみたいなものだ。よって事件報道が歪んでいるのは、警察担当記者たちの責任だけでもあるまい。なぜ記者だけが「批判精神を持て」という批難にさらされ・・・


もちろん、私はJ氏が言わんとしていることは理解できます(同意ではない)。それほどまでに警察取材の現場は息苦しく、身動きが取れない状態になってしまったのです。何か、理想を語ろうとしても、それは最初から「理想にとどめる」ことが了解されての語り合いにしかならないでしょう。それに、そういう息苦しさは、何も警察に限ってのことではありません。「権力との一体化」「権力と同じ高い目線で取材・報道する」といった雰囲気は、マスコミ全体を覆っているのです。


たぶん、J氏は警察取材の経験をお持ちのベテランの方だと察しますが、J氏の言い分に従って多少誇張すれば、「新聞は逮捕を次から次へと書くから、それが適切かどうかは市民=読者が監視してください」「検閲に近い状態を経て記事は出ていますが、それは記者だけの責任ではないんです。どうして記者だけが批判されるのですか」ということになります。われわれは、何のために、ふだんから警察や官庁や政治家等にへばり付いているのでしょうか。その結果が、「検閲されるのは僕らだけの責任じゃない」では、まるで子供ではないでしょうか。それに、「日本の警察取材は、警察当局の検閲は受けていないにせよ、かなり癒着したものになっているという事実は、一般にはあまり知られていない」ということはありません。もう、とっくの昔に、十分に読者に見破られています。読者はそれほど、無知でおろかな存在ではありません。

それと、蛇足ですが。

議論の内容についてではないのですが、「高田氏と議論できることは・・・とても畏れ多い」「その高田氏との論戦に挑むには、腰を据えて臨まねばならないと思い・・・」「みんなが高田氏のような立派なジャーナリストではない・・・」といったことを書かれていますが、こういう表現は避けてもらえたらと思います。私はそんなに特別な人間ではありませんし、右往左往しながら日々の仕事をこなしているのであって、祭り上げられるような存在ではありません。それに、一連の取材は多くの同僚が手がけたものであって、私はたまたま、その取りまとめ役になったに過ぎません。また、こうした表現は、受け止めようによっては、慇懃無礼に感じてしまうケースもあるのではないかと思います。

また有意義な議論をしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

(追記)このエントリについて、J考現学さんが「事件報道の意義」を書かれました。それに対する私の意見は、J考現学さんの当該記事のコメント欄に記しています。

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by masayuki_100 | 2005-03-30 03:36 | |--逮捕予告は権力監視?