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ニュースの現場で考えること

一緒にメシを食った君へ

いろんな縁があって、記者を目指す若い学生・社会人の相談に乗ることがある。1997年から5年間の東京勤務時代は、仕事の合間を縫って、母校のマスコミ講座で時たま講師をやり、作文・論文の書き方を教えたり、記者に必要なものは何かを語ったりしていた。うれしいことに、そういう学生の中から結構な数の人がこの業界に入り、あちこちで仕事を続けている。たまに「同窓会」もあって、これがまた楽しい。この春、日本に戻った後も、種々の縁があって、記者やメディア業界を目指したいという若い人たちと、論作文の勉強会をやったり、新聞はこの先どうなるかといった議論を交わしたりと、満ち足りた時間を過ごすことができた。若い人との議論は、私にとっても大きな刺激である。

そんな彼ら、彼女らにとって、今は剣が峰である。新聞各社の「秋採用」試験が最終盤に差し掛かっているからだ。すでに全ての試験が終わった人もして、「おめでとう」あり、「残念だったな」ありで、報告を聞く私も複雑だ。

「残念だったな」の人と、食事しながら、種々の話をした。物事が思い通りに進まないときは、本当に大変である。まして目指していた先から、ことごとく「ノー」の結果をもらうと、落ち込みも非常に激しい。おそらくは、自分の存在を全否定されたような気持ちになるのだと思う。私も若いころは、何度も何度も新聞社の試験に落ち、結局、いったん別業種の会社に就職し、転職して記者になったから、失敗した人の気持ちもある程度は分かるつもりだ。

新聞・テレビの「構造不況」は、たぶん、今後もっと深化する。かつてのように、バラ色の業界ではない。何かに付け、批判の矢面に立つことも少なくない。メディア企業は、程度の差こそあれ、官僚化が進み、事前に想像していたような仕事はなかなかできないはずだ。そして、当たり前の話だが、メディア企業の一員でなくとも、記者の仕事はできる。

それでも、若い人たちと話していると、「自分はもっと頑張らないといけない」と感じることが少なくない。彼ら彼女らは、この商売について、それぞれに夢がある。そこで何をどうやりたいか、の理想がある。それに対し、「現実はそう甘くないよ」と言い放つことは、たやすい。しかし、メディアのこの体たらくを作り上げた私たち世代が、若い人々の夢や理想を、したり顔で拒んでみせるのも、それはそれで、言いようのない恥ずかしさがある。

夢や理想を簡単に諦めるな、である。この先、自分がどうなるかという不安に囲まれていても、心の奥底に夢や理想があるのなら、それを簡単に捨てるな、と思う。何とかなる。何度もトライしていれば、何とかなる。信じるところに道は通ず、だよ。
by masayuki_100 | 2009-09-11 05:44 | 東京にて 2009