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ニュースの現場で考えること

「マスコミを勧めない理由」に対して

引き続き東京滞在中です。種々の仕事で忙しく、自分のブログを覗くヒマもあまりありませんでした。いまも次のアポが迫っているのですが、でも、気になるエントリが共同通信社の「署名で書く記者の『ニュース日記』」にあったので、パソコンに向かっています。

そのエントリは「マスコミを進めない理由」。筆者は共同通信社編集委員の小池新さんです。この中で、小池さんはこう書かれています。(以下引用。一部略)

 現在のマスコミは、かつてと比べて記者を育てるシステムの精度がかなり落ちている。さまざまな批判はあるが、以前の業界には記者クラブ制度が確立していた。取材や記事の何たるかを全く知らない新人でも、そこに投げ込めば、同じ会社の先輩だけでなく、同業他社の記者たちがよってたかって教えて(時にはしかったりバカにして)くれる。そこに1、2年いれば、一応記事が書ける程度には「養成」してくれるシステムだった。昔のマスコミは外部から見ればかなり排他的だったが、内部には相互扶助的な体質があった。
 しかし、さまざまな要因によってそうしたシステムの力が低下し、今、記者はほとんど自分の力で独り立ちすることを求められる。自分で成長していなかければならない。それは大変なことだ。 
 一方、マスメディアを志望する若者は以前にも増して意識が先鋭化してきた。記者になる前から「ジャーナリズムはこうあるべきだ」などといった高い理念や理想を持っている人が多い。しかし、彼ら彼女らを待っているのは、数年(それも一けたの上の方の年数)にわたる地方勤務だ。警察・行政・経済・話題ものなど、地味なルーティンワークを淡々とこなし、その中で評価を得なければならない。ジャーナリストとしての理念や理想が高ければ高いほど「自分が考えていたような仕事がもっとできると思っていたのに、こんなはずではなかった」と思うようになるのではないだろうか。
 さらに、最近のマスメディアに対する風当たりは想像以上に強い。その中で記者としてやっていくには、自分の理念や理想を守って強く生きていくか、業界の枠組みに自分の身の丈を合わせて順応していくかのどちらかしかないように思う。
 つまり、意識が高い人(その大学生もその1人だ)ほど苦労するのではないか、というのが、今のマスメディアについての僕の感想であり、勧めない理由だ。
(引用終わり)

 正直、失望しました。それも、ものすごく。地方紙を中心に全国のメディアに大きな影響を与える立場にある方が、こういう考えを今も現に抱いているのかと。もちろん、現実は現実です。巨大な組織・システムであればあるほど、そう簡単には変わりはしません。しかし、この内容は、マスコミを志望する若い人に向けて、「われわれは変わらない。だから高い理想を持っている人は来るな」と天下に宣言したも同然です。



 そもそも記者クラブが教育機関だったとの認識が、良く分かりません。確かに原稿の書き方や取材対象の官庁等がどういう仕組みになっていたかなどを教え伝える、そういう意味での教育はあったかもしれません。しかし、それは、しょせん、その程度のものなのです。少し誇張して言えば、記者クラブは、記者の自由な発想を拒み、官庁や大企業等と一体化することをいや応なく促し、単なる情報処理係にしてしまう側面を持っています。また、(もうさんざんに言い尽くされているので、ここでまた書くのも嫌ですが)記者クラブは、極めて排他的であり、マスコミが一次情報を独占する制度でもありました。そこで得た情報を記事にして、新聞や放送で報じていく(=カネをもうける)わけですから、これは一種の利権制度でもあります。

 小池さんは「さまざまな要因によってそうしたシステムの力が低下し、今、記者はほとんど自分の力で独り立ちすることを求められる」と書かれています。「システムの力」が低下したのは当然です。いや、正確に言えば、「低下」ではなく、世の中の動きにこの制度が全くそぐわなくなり、完全に古びたものになってしまった、と言った方が正確でしょう。そして、それはネットやブログが発達したここ数年に起きたことではなく、とっくの昔に起きていたことだと思います。そうした現実をきちんと認識していたかどうか、だけの違いではないでしょうか。
 
 岩瀬達哉氏の「新聞が面白くない理由」によれば、1996年のある期間(手元に現物が無いので記憶で書いています)、朝日、読売、毎日の3紙では、「発表もの」「発表ものに若干の独自取材を加えたもの」「政治家等の番記者によるもの」が記事面積の6割を占めていたそうです。そんな数字を持ち出さなくても、いわゆる「発表もの」がこの業界でいかに多いか、それは記者も読者もいやというほど分かっているはずです。官庁等に座ったまま、発表したい人が発表したいように伝えてくる内容を、そのまま書いたり、多少アレンジを加えたり。そんな記事が面白いはずがありません。

 それに(これが最大の問題だと思うのですが)、小池さんが書かれた「マスメディアを志望する若者は以前にも増して意識が先鋭化してきた。記者になる前から「ジャーナリズムはこうあるべきだ」などといった高い理念や理想を持っている人が多い」という部分。これは、全然違うのではないでしょうか。私に言わせれば、そうした若者は過去には多かったものの、いまはそれほどでもないと思います。メディア業界は、もうそんなに優秀な人材が集まる業界ではありません。
 もし、「以前にも増して」と感じる部分があるならば、それは、小池さんやその周囲で、そうした若者の声に真摯に耳を傾ける姿勢や機運が、ようやくメディア組織に生まれてきたからかもしれません(私はそうは思っていませんが)。

 現場での記者教育は(私も経験したことですが)、それほど優れたものではなかったと思います。小池さんが引き合いに出されている「ルーティーンワーク」は、もちろん現在も存在しますし、必要性は否定しません。しかし、旧態然としたサツ回り(事件事故ネタも大半は発表ものです)や官庁取材、クラブでの取材等がいたるところで行き詰まり、そこから出てくる原稿が読者の支持を失っていることも厳然たる事実です。そして、大袈裟に言えば、若い記者に対する評価や指導を、そうした過去の経験の中でしかできなくなっている我々世代に大きな問題があるように思います。すでに10年以上も前から顕著になっている報道機関の行き詰まり状態の中で、意識改革ができず、過去の価値観や仕事の仕組みから脱することがなかなかできない。そこに種々の問題の根があるように思います。

 記者になる前から「ジャーナリズムはこうあるべきだ」などといった高い理念や理想を持っている。。。いいじゃないですか。素晴らしいじゃないですか。「本当は公務員になりたかったけど、メディアも安定しているし、記者になりました」などという若者より、何倍も何倍も良いじゃないですか。

 彼らと一緒に、どういう仕事をすることが大切なのか、日々考え、少しでも良いものを世に送り出すことです、大切なのは。若い記者や志望者は「キミね、この業界ではそんな考えは通用しないんだよ」などと言って遠ざける対象ではありません。自分を棚に上げて、単なる先輩風を吹かす対象でもありません。

 若者はそれほど馬鹿ではありません。彼らに「マスコミに来るな」という前に、もっと我々がなすべきこと、考えるべきことは、それこそ山のようにあるのです。いま、この目の前に。
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by masayuki_100 | 2005-03-23 11:50 | ■ジャーナリズム一般