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ニュースの現場で考えること

東京にて、後輩と。

きのう19日から東京滞在中です。早速、いろんな方に会い、夜はメディア関係の仕事に就いている大学の後輩たちと、しばし歓談。

私は東京勤務だった2000年前後の数年間、母校の自主マスコミ講座で講師をしていました。受ける側の気持ちはともかく、私自身は「××なやつはこの業界に来るな」とか、「記者に大事なのは志と自省力、そしてひたすら勉強を続けること」とか、およそ記者になるためのノウハウとは無縁なことをしゃべり続けていました(そもそもそんなノウハウなど無いし、あったとしても私が語れるわけはありません)。で、なんと驚いたことに、訪問先のブログ「元全国紙記者のニートな日々」の開設者が、当時の教え子だったとこが発覚。いやはや、世の中は狭い。彼は某全国紙の支局で記者をしてましたが、上司と度々ぶつかり、そして上司たち(主に事件事故報道の分野)の価値観に嫌気が差し、会社を辞めたそうです。話を聞いていると、彼の気持ちも分かりました。

昼間に会ったフリーランスのジャーナリストと話をしていたときも感じたのですが、新聞社の年配記者は若い記者や読者と真摯に向き合う力を失っているのではないでしょうか。その力が「能力」なのか、「気力」なのかは良く分かりません。でも、百歩譲って、それは仕方ないことだと許容しても、いかにもまずいのは、そういう年代の方々が、若い世代や外部の読者と向き合わない代わりに(少なくとも社内の部下に対しては)、「おれの言うことが聞けないの?」式の考えを押し付けていくことにあります。それも体育会系的な方法で。





もちろん、そうでない「年配」もたくさんいます。いや「そうでない」人々が多いかもしれません。しかし、「紙面では民主主義云々と書きつづけるくせに、社内では体育会」と感じる若い記者が多いことも、また事実です。とくに、それは事件事故報道の分野で顕著でしょう。

いまの報道はおかしい、こうした法がいい、という声が組織内にあったとき、それを押し潰すことは、メディアの自殺行為ではないかと思います。時代がどんどん動いている以上、自分自身の経験など、とっくに古びているのかもしれません。少なくとも、その程度のおそれは、通常の感覚の持ち主なら、抱いていると思うのですが。

メディア内にはびこる「事なかれ主義」「面倒回避主義」、その結果としての「官依存報道」の多くは、こうした「議論なき社内」の延長線上にあるように思います。だいたいからして、ニュースは新しいことを取材して書くはずなのに、若い記者の原稿に対して、枕ことばのように「去年のスクラップは見たのか」と聞く(そういう人は結構いるのです)。そんなことで、良いものを世に送り出せるはずはありません。で、そんな自分の古びた部分を突かれると、議論を封じ込めるために、「おれは先輩だぞ」とばかり体育会系の言動を発してしまう。。。彼が全国紙を去ったのも、そういう雰囲気を感じ取ったからでないでしょうか。

もちろん、こういうことはメディア組織に限ったことではないでしょう。でも、「年配」に分類される私は、(なかなかできないことだけれども)最低限、自分の発想は若い記者より古びているかもしれない、という考えだけは、意識的に持ちつづけたいと思うのです。
東京にて、後輩と。_c0010784_1748527.gif
by masayuki_100 | 2005-03-20 12:00 | ■時計台(日記です)