ブログトップ

ニュースの現場で考えること

FCバルセロナのリリアン・テュラム選手のこと


サッカーに関心のない人にはどうでもいい話かもしれないが、欧州サッカーのチャンピオンズリーグ決勝が先頃、ローマであり、FCバルセロナが、マンテスター・ユナイテッドを2-0で破って優勝した。

このFCバルセロナに、仏のリリアン・テュラムという選手がいた。サッカー好きの方なら、たいていは知っていると思う。仏代表選手として、ジダンらとともに一時代を築き、確か、仏代表としての出場記録も持っている。昨年8月に現役を引退した。仏の海外県、カリブ海のグアドループ諸島の出身で、9歳の時、パリ郊外に移り住んだ。社会問題にも積極発言をすることで知られ、「サッカー界の哲人」とも言われている。そんな、黒人選手である。先日、立教大学で学生さんたちの少人数の集まりがあり、そこで話をした際も、「ロンドン勤務中のインタビュー相手で最も印象に残った人」として、テュラム選手のことを紹介した。

例えば、彼は、こんなことを話すのである。   c0010784_1393774.jpg

「・・・たぶん、僕たち黒人以外にはなかなか理解してもらえないことって、山のようにある。僕たち黒人はしっかり記憶しようと思っていることでも、それ以外の人々はたいして注意を払っていないことが山のようにある」

「例えば、世界人権宣言って知っているよね? 国連が1948年に制定した。日本でもきっと教科書にも載っていると思う。すべて人のは人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見などによって、どんな差別も受けない。そういうことが書かれていることは知っているよね? それ自体の意味を否定する訳じゃないけど、その同じ年、世界では何があったか知っているかい? アフリカでは何があったか知っているかい? あの悪名高い、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)政策は、この年に法制化されたんだ」

「フランス革命のときの人権宣言も知っているよね? 確かに、世界史的な大事件だった。でも、その人権宣言がでた年、僕たちの先祖である黒人は、奴隷貿易の対象だった。そのころ、奴隷貿易はピークだったんだ。そのころ奴隷が集められ、船に乗せられたアフリカの場所に行ったことがあるけれど、フランス革命のことは知っていても、あの奴隷貿易の基地の場所を知っている人は、日本にも欧米にも、ほとんどいないと思う。同じような例はほかにもいっぱいあって、例えば、1931年にはパリで、世界植民地博覧会っていうのがあって、そこでは黒人が展示品だったんだよ。いいかい? 生きた黒人が展示されたんだ。 たった、70年くらい前の話さ。この意味が分かるかい?」

「僕の故郷の島では、母親たちの世代はずっと、白人と結婚することが夢だった。白人と結婚すれば、それだけ肌の色が白くなる。僕の子供もあるとき、白人に生まれていれば好かったと言ったことがある。一度だけね。そのとき、僕は妻と一緒に、彼と向き合って、じっくり、本当にじっくり話した。どうして、そう思うのかい? って。頭越しに怒ったりはしなかった。知っての通り、僕が母親と兄弟たちとパリ郊外のフォンテンブローに移住してきたころは、貧しくて貧しくて。部屋は狭くて机もなくて、団地の階段を机代わりにしていた。パリの郊外って云えば、どういうところか分かるだろ? 僕は幸い、サッカーがうまくて、プロになれて、収入がたくさんあって、いい暮らしができるようになった。でも、息子はこの先、どうなるんだろうと思うことがある。そして、ほかの子供たちはどうだろうってね」

テュラム選手は、本当に賢かった。哲学者や経済学者の名前はぽんぽん出てくるし、政治、教育、社会、経済の話まで、視線は縦横無尽である。そして何よりすごいと思ったのは、言い尽くせないほどの差別を受けながらも、将来に対して、実に楽観的で前向きだった、ということだ。強い人はいつも、楽観的である。「FCバルセロナ」と聞くと、いつもそれを思い出す。
by masayuki_100 | 2009-05-31 13:32 | 東京にて 2009