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ニュースの現場で考えること

ニワトリかタマゴかみたい話かもしれないが。

職場での私の肩書きは「国際部次長」という。要するに、「デスク」である。国際部にはデスクが3人いて、原稿のチェックだとか、現場への取材の指示だとか、今後の紙面をどうするかとか、何を一番のテーマに取り組むかとか、そんなことを話し合ったり、そんな日々を過ごしている。

一番、時間を割くのは、原稿のチェック作業である。これが結構、しんどい。原稿をみることそのものは、楽しいが(もちろん書く方が何倍も楽しい)、つらいのである。何が辛いといって、目がつらい。何台かの端末をみていると、目が本当に疲れる。視力も急速に落ちた気がする。遠視も進んでいて、何かの拍子にすぐ、メガネを外したくなる。年なんだなぁ。。。私は先月、誕生日だった。49歳である。50歳の大台まで、残り1年もないかと思うと、まったく、愕然としてしまう。

情報流通促進計画の日隅弁護士との間で、何度かやり取りが続いている。日隅さんは、今度は 「委縮効果ということ~公権力や広告主からの独立を意識した仕組みを考えよう! 」という記事を書かれている。その中に、こんなくだりがある。

<その人が言ったことが無視された時に、後ででもかまわないので、経営部門と編集部門で協議できるような場を設けておいたり、経営部門の指示内容が不当だった場合に、そのことを外部に公表できるようなシステムが必要ではないだろうか、あるいは、声を上げたことで不当な扱いを受けた場合にそのことを問題にできる場が必要ではないだろうか、と言っているだけなのだ。もちろん、編集内部での問題でも、経営の意向を受けた編集トップと現場記者間での意見対立という問題もあるだろうから(現実にはそのほうが多いだろう)、そのようなことについても取り上げることできるような場を設ける必要があると思う>

<私がなぜ、そういうことを言うのかというと、委縮効果(チリング・イフェクト)を考慮することが重要だと考えるからだ。外部からの公権力や広告主の圧力だけでなく、その圧力を受けた内部の経営スタッフからの圧力がいかに、現場を委縮させるか、それは高田さんがよくご存じのとおりだ。たとえば、報復的人事などを目の前にすると、筆が鈍るのは当然だし、内部で声を上げようという気力も萎えてしまうだろう。そこで、そのような報復的人事などを防ぐような仕組みが必要だと思う。もちろん、私も仕組みですべてが解決するとは思っていない。しかし、日本ではあまりに、仕組みが軽視されていることが問題だ>

まったく、その通り。日本には、そういう仕組みがない。そういう仕組みが必要であることは当然だと思う。

ただ、多くの組織内記者は、この日隅さんのこの考えに多少の違和感を持つのではないかと思う。そして、こう口にするのではないか。

「言っていることはその通り。しかし、その仕組みはだれがどうやって作るのか?」

私の最初のエントリ、「きれいごと」と「闘い」で言わんとしたことに通じるのだが、今のメディアは病気が進みすぎ、呆然としてしまうこともある。で、こっからが大事なのだが、「どうすべきか」という「あるべき論」は、実は(とくに外部で)、相当に論議が進み、あるべき姿はぼんやりとではあっても、見えている。記者クラブ問題などは、その典型だと思う。

「論」はあらかた出尽くしている。必要なのは、実現可能な「方法論」だ。どういうプロセスでどう実現させていくか、という日々の戦術が必要なのだ。例えば、「記者クラブの開放が必要だ」と100回唱えても、記者クラブの開放は実現しない。記者クラブ加盟記者の1人1人がそう思い、個人的には過半の記者がそれに賛同しても、開放など実現しない。「思う」だけ、「賛同する」だけ、では世の中は動かないのだ。

例えば、「調査報道が必要だ」と考えても、それだけでは調査報道などできはしない。では、会社が「君たち、調査報道に取り組みたまえ。その仕組みを整えてやるから」と言うまで、現場記者は調査報道wやらないのか? やりにくいかもしれないが、本当に必要だと現場記者が思えば、そこで一歩を踏み出せばよい。やるか、やらないか。極論すれば、差はそれだけである。

日隅さんの云う「仕組み」は、そういう積み重ねの上にできるものだと思う。理想論は絶対に必要だ。しかし、同時に、方法論や実際の行動がなければ、理想論は画餅でしかない。その一歩を踏み出すためにも、まず声を、それも現場で、と私は思っている。

、、、というわけで、この議論はこのへんで。もし、必要なら、日隅さん、どっかで公開討論でもしましょうか^^
by masayuki_100 | 2009-05-13 12:09 | 東京にて 2009