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ニュースの現場で考えること

またまた人権擁護法案

人権擁護法案について、四たび。

新法をつくる際、通常は、逐条解説をしてもらって、その細かな部分で納得できたりできなかったり、そのうえで賛否を決めるのだろうと思う。当たり前の話だが、法律とはそういうものである。だから、政党の政審や政府の審議会等の場では、法律知識豊かな、そして何よりもそれに関するデータ・情報等を独占的に所有している官僚たちに、太刀打ちできなかったりするのだろう、と感じている。

で、私の人権擁護法案に対する疑問は、以下の数点に集約される。

*なぜ、現行法ではダメなのか。現行法では救済できなかった人権侵害の実例とは、どんなものか。
*なぜ、人権委員会ができれば、人権が擁護できるのか。
*そもそも人権侵害の多くは、国や自治体等の裁量行政、職務怠慢、事なかれ主義、面倒回避姿勢等々によって引き起こされ、温存されてきたのではないか。(例えば就職・就業差別を是正しなかった労基署、ハンセン病や水俣病などで患者や家族の救済措置をとことん回避してきた関係省庁、、、挙げればキリがありません)

そんなことを考えながら、弁護士・小倉秀夫氏のブログを見ていたら、「人権擁護法案について・・・まとめコメント1」というエントリの中に、こういうやり取りがあった。





(以下引用、太字は私の過去のエントリでの私の発言)

私は、差別的言動を容認しべきだと言っているのではありません。それを新法をつくって、新たな組織を立ち上げ、国やそれに類する機関が、「おかしな言動である」と認定する仕組みがヘンではないかと言っているつもりです。しかも「予防」のために「調査」の権限まで付与するとは、どういうことなのか、と。 どうして現行法の中で、できないのでしょうか。

人種等を理由として侮辱されたりしている人々に、現行法の中でどうせよというのでしょうか。
 特定の者が特定の被差別属性を有することが2ちゃんねる等で公開され、2ちゃんねるやその者が開設するブログのコメント欄で、その者がその被差別属性を有することをあげつらって侮辱する発言が集中的に投稿されるという事態に至ったときに、2ちゃんねるやブログ事業者に各投稿者のIPアドレスの開示を求める訴訟を提起して勝訴し、これをもとに各投稿者のアクセスプロバイダにその住所・氏名の開示を求める訴訟を提起して勝訴し、住民票を取り寄せてその後の転居等の有無を確認して各投稿者についてその住所地を管轄する地方裁判所に慰謝料請求訴訟を提起すればいいではないかと仰りたいのかもしれませんが、これだけのことをするのは、たとえ法律扶助制度が充実しまたは世の中に弁護士が満ちあふれたとしても、たいそうな時間とエネルギーを必要とします。あるいは、被疑者不詳のままで侮辱罪で刑事告訴すればよいということでしょうか。
(引用終わり)

>人種等を理由として侮辱されたりしている人々に、現行法の中でどうせよというのでしょうか。

 誤解を恐れずに言えば、現行法の中でまず徹底的に人権擁護の努力と道筋をつけねばならない。国や自治体やメディアや法曹界や、そういった世界に生きる人々は、そのために特段の努力をしなければならない。

 小倉氏は「2ちゃんねるやブログ事業者に各投稿者のIPアドレスの開示を求める訴訟を提起して勝訴し、これをもとに各投稿者のアクセスプロバイダにその住所・氏名の開示を求める訴訟を提起して勝訴し、住民票を取り寄せてその後の転居等の有無を確認して各投稿者についてその住所地を管轄する地方裁判所に慰謝料請求訴訟を提起すればいいではないかと仰りたいのかもしれませんが」と語っているが、その通りなのである。そうしたことを「たいそうな時間とエネルギー」を要するという理由で退けるのなら、民主社会は成り立たない。

 「そんな面倒なことはやってられない」式の発想をもとに守られる「人権」とは、いったいどういうものだろうか。私には、たいそういびつな姿しか目に浮かばない。

 ネット上で他者が、個人情報をさらし、それで喜ぶのは愚の骨頂である。そういう人は、契約するプロバイダよの契約書をもう一度読み直したほうがいい。あるいは、ブログを開設している人は、事前に「同意する」とクリックした文書の内容を読み直したほうがいい。
 しかし、そうした行為がけしからんからと言って、現行法内での努力を放棄し、いともたやすく、国家や国家的機関に「規制」の権限を与え、それによって、何がしかの人権は擁護されたと満足する感情を、私は理解できない。人権擁護とは(人権侵害が種々の複雑な形で行われているため)、新法一つで新たなステージに上がるほど、簡単に進むものではないと思う。

 もっと言えば、これは、日ごろ人権擁護のために何もしてこなかった官僚や政治家が、その不作為は省みず、新法によって自らは、さも人権擁護活動に励んでいるとアピールするためのものではないか。つまり、単なるアリバイ作りである。
 法律は制定よりも、運用がはるかに難しい。いくら法律ができても、不作為や裁量などで、どうとでもなってしまう。そして何より、法律は、制定されたとたん、まったく違う目的で運用が可能なのだ。
 種々の意見の中では、私の考えと最も近いのは、「官製用語に気をつけろ 人権擁護」など「踊る新聞屋」氏の数本のエントリである。

 この法案に賛成する人は、おそらく、時代の流れや空気を読み取る感性が、私などとは違って、「官」に近いのだと思う。

 私は、ふつうに働く人々の方を向いていない労基署と厚生労働省、子供のことを考えていない文部科学省、米国の経済に奉仕する経済産業省、対米追随以外に方針らしき方針のない外務省、長期債務のツケを「構造改革」の名の元に地方や消費者に回すことで必死の財務省、スローガンを掲げる以外にまともに人権擁護に取り組んだ実績があるとは思えない法務省、組織全体で裏金をつくって誰一人その責任を問われない警察、、、そうした世界に住む「官僚」たちを、そもそも信用していない。

 手続き上は民主的な装いを凝らしても、実際にそれを運用するのは、「裁量」が大好きな官僚たちである。それがどういう姿であるかは、例えば、同和企業に対する高知県庁の闇融資の実態(高知新聞が数年前に暴き、新聞協会賞を取った)を見れば、よく分かる。

 何度でも言う。

 右翼も左翼も中道も、年齢も性別も、思想信条もその他の何もかも、この際、一切、関係ない。こういう法案を通してしまえば、この先、何年かたって、後悔するときが来る。私は、そう思う。
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by masayuki_100 | 2005-03-13 04:41 | |--人権擁護法案