2008年 11月 04日
「渋谷事件」と当局依存の大メディア
そんな秋の夜長、例の麻生首相邸見学ツアーの逮捕の模様を、あちこちのサイトで見た。
(1)「渋谷事件」の争点と総選挙
(2)なんだ、なんだ、だまし打ちジャン。⇒「渋谷署警察官との事前打ち合わせ@ハチ公前」に公安のタコが映っちゃってるぞ(笑)
(3)〔動画〕麻生邸見学「デモ」主催側は警察官と事前打ち合わせ
いくらなんでもひどすぎる、という見本のような「事件」である。「公安」VS「デモ隊」と言えば、公安警察官がどさくさの中で勝手に転ぶ「転び公妨」が、しばしば行われていた。要するに、警察の自作自演であり、事件を「つくる」のである。事と次第によっては、それが許容される場合もないではない、と思う。
しかし、今回の「渋谷事件」は、ビデオ映像などを見る限り、警察官による単なる弱い者イジメでしかない。巨大な警察機構の末端にいる警察官(いわば、警察組織の中の立場の弱い者)が、その力を誇示しようとするときは、本当に気味が悪い。権力を持つ弱い者が、権力を持たぬ弱い者に向かうときは、残忍さが倍加する、という。それを地で行くような映像だ。
それにしても、である。すべての記事・放送をチェックしたわけではないが、マスコミの体たらくは、もう、いかんともしがたい。一連の報道はネットでも見ることが出来るが、当局の発表のみに依存した報道の欠陥ぶりは、目を覆いたくなるほどだ。
新聞社に入れば、新人研修でふつう、「双方の言い分を取材して記事にしろ」と言われる。世の中に「客観報道」というものは存在しないが、双方の言い分を聞くことは、この商売では、ごくごく、当たり前のことだ。ところが、警察取材だけは、その蚊帳の外にある。
日本では、逮捕・拘置中の被疑者からは、直接取材できない。そういう刑事司法上の障害は、取材活動上、確かに存在する。しかし、被疑者の弁護士(当番弁護士含む)から取材するなど、被疑者側の取材をする方法は、いくらか存在する。今回の「渋谷事件」では目撃者も山のようにいるし、ビデオはあるし、支援者は記者会見まで開いた。少なくとも、そうした人々と警察との見解が違っている以上、反対側の取材もきっちり行い、がっちり報道するのが当然ではないのか。
昔から、メディアは警察に甘く、ずぶずぶの関係を築いてきたが、最低限、線引きするところはきちんと線引きしないと、もう二度と立ち上がれまい。警察報道と政治報道は、日本のメディアが持つ欠陥をすべて抱え込んでいた。それがいよいよ、後戻りできないほど悪化している。
他の原稿と同様、事件原稿においても反対側の言い分をきっちり書かないといけない。反対側の言い分を書かずに、毎日毎日、事件原稿を書いていることの異常さを自覚しないといけない。少なくとも、反対側の取材ができてない場合は、その記事は警察の発表もしくはリークであり、かつ、それ以外の取材はできていないことを明示すべきだと思う。
ネットも発達した現代において、そんな欠陥だらけの事件記事が、世間で通用するはずはないのだ。
「きょう、××を逮捕へ」と書き、スクープを書いたような気分になって安堵している場合ではない。「渋谷事件」を担当した各社の記者は、片方だけの見解をこんなに垂れ流して、それでまさか、「自分は権力の監視を担っている」などとは言わないでしょうね?
by masayuki_100
| 2008-11-04 10:48
| ★ ロンドンから ★