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ニュースの現場で考えること

前回も宣伝した。今回も宣伝である。宣伝ばかりで申しわけないが、調査報道のシンポジウムにぜひ足を運んでもらえたら、と思う。場所は東京・四谷の上智大学、日時は12月3日(土)午後である。c0010784_23393917.jpg 
シンポは「権力vs調査報道」(旬報社)「調査報道がジャーナリズムを変える」(花伝社)など調査報道に関する書籍が今年、一気に3冊も出版になったことから計画された。

シンポジウムの登壇者は、まず、朝日新聞特別報道部の部長、依光隆明さん。高知新聞社会部長から朝日に移った方だ。高知新聞時代は県庁の闇融資問題で新聞協会賞を取るなどした。朝日新聞に移ってからは、水戸総局長、そして特別報道センター(現特別報道部)へ。最近では、福島原発の事故に関する連載「プロメテウスの罠」を部員とともに手掛けている。当日は、その裏話も聞けるのではないか、と思う。

シンポジウムには共同通信編集委員の太田昌克さんも壇上にあがる。核問題の取材経験が豊富で、核問題に関する著作も多い。2009年には、核の持ち込みに関する日米密約をスクープし、時の政権に大きな影響を与えた。

東京都市大学教授の小俣一平さんは、NHKの敏腕記者として名を馳せた方である。調査報道に関する本格的な学術論文を書かれ、今月中旬には、「新聞・テレビは信頼を取り戻せるか 調査報道を考える」(平凡社新書)が出版される。「坂上遼」のペンネームでもノンフィクションを書かれているから、ご存知の方も多いと思う。

それに上智大学新聞学科の田島泰彦教授もパネリストとして登壇する。田島さんは日本のジャーナリズム研究の第一人者であり、日本のメディア状況を強く憂いている。
# by masayuki_100 | 2011-11-10 23:51 | ■2011年7月~ | Comments(0)

少し前、日本ジャーナリスト会議(JCJ)主催のジャーナリスト講座で、主に文章講座を受け持った。あれやこれやと、例によってまとまりのない話だったけれども、若い方を中心に30人ほどが熱心に耳を傾けてくれた。そのときの様子は、東京都市大教授の小俣一平さんが「絶好調!T田節」と題して、自身のブログに書かれている(なぜか、私はT田となっているが。笑)。

で、そんなこんなで2度目の文章講座を開くことになった。前回もそうだったけれど、参加者には年配の、人生の先達である方々も少なくなかった。私ごときが何かの「指導」をするなど、非常におこがましいし、気恥ずかしくもある。一回目と内容がだぶる可能性もある。そうした諸々の事柄を差し引いて、それでも「聞いてみたい」という方がおられるなら、ぜひ、ゆっくりと、あれこれの話を交わしてみたいと思う。

私の他に、別日程では、沖縄タイムスのベテラン記者、与那嶺さんも登壇される。こちらは中身の濃い講義になることは間違いない。

下記はJCJの担当の方が作成された案内文である。

・・・・・・・・・・(以下、引用)・・・・・・・・・・・・・


10月のジャーナリスト講座の好評を受けまして、第二期のJCJジャーナリスト講座を開くことにな
りました。以下のようにプログラムを決めました。

新聞・放送分野を目指す方々、またフリーとしてこれから頑張ろうとお考えの方々、皆様のお役にたてればと思っています。ふるってご参加ください。

《新聞・放送分野を目指す人のために……第Ⅱ期JCJジャーナリスト講座》

11月12日(土)午後6時半から9時 
京橋区民館・第1号室で(東京都中央区京橋2-6-7 地下鉄銀座線・京橋駅下車6番出口から徒歩2分 都営地下鉄浅草線宝町駅A5・A6番出口徒歩2分))

「沖縄・普天間基地と日米安保を考える」
  講師・沖縄タイムス東京支社編集部長・与那原良彦さん

 沖縄タイムスで長く政治・経済部門を担当してきた与那原記者は歴代の沖縄県知事の取材や基地問題に取り組んできました。東京支社では政府と沖縄県の動きを両方にらみながら、沖縄の明日を考える日々です。米軍・普天間基地の移転問題の本質は何か、地元の人たちはどのように考えているか。そして沖縄タイムスの報道の視点は。地方紙の役割や中央メディアとのギャップ、記者の苦労などについて、体験談も含めてお話しいただきます。 

11月19日(土)午後1時半から5時  
築地社会教育会館・第1洋室で(東京都中央区築地4-15-1 地下鉄日比谷線・東銀座駅6番出口から徒歩5分)

元北海道新聞記者・高田昌幸さんの文章講座①
*事前に作文を提出。締め切りは11月9日。厳守。それ以後はいかなる理由があっても、添削しない。作文の課題は後日、連絡。

講座前半・添削した作文をもとに実践講義。
同後半・会場で受講生が二人一組にいなってもらい、互いに簡単な取材。そのうえで300字の作文を書く。

11月20日(日)午後6時半から9時
築地社会教育会館・第3洋室(同上)

元北海道新聞記者・高田昌幸さんの文章講座②
19日に書いた300字の作文を返却。講評。

資料代 12日1000円、19日1500円、20日1500円 (注;19日と20日は講師旅費・添削が加わるため1500円です。3日間のうち、いずれか1日だけの参加もOKです)

定員 40人(予約が必要・先着順)
申し込みはメールかファクスで日本ジャーナリスト会議事務局へ(新聞部会から返信します) 27日から受け付けます。
メール jcj@tky.3web.ne.jp  ファクス  03・3291・6478

主催・JCJ新聞部会  
問い合わせ・JCJ事務局(電話03・3291・6475)
JCJのホームページ http://www.jcj.gr.jp
# by masayuki_100 | 2011-10-26 20:24 | ■2011年7月~ | Comments(0)

少し先のことですが、東京で調査報道に関するシンポジウムが開催されます。私も少し話をさせて頂くことになっています。以下はそのご案内です。

<シンポジウム>
調査報道をどう進めていくか


「3・11」の大震災に伴う福島第一原発の災害をめぐっては、「大本営発表 ばかりの報道だった」などの激しい大メディア批判が沸き起こった。その一方 で、「ジャーナリズム復権のためには、発表報道を克服して調査報道を重視すべ きだ」との認識や動きも確実に広がっている。
  調査報道の現状はどうなっていているのか。課題は何か。可能性をどう広げ、 豊かにしていくか。調査報道にかかわってきたジャーナリストや研究者たちが 縦横に議論する!

<基調報告 調査報道を阻むもの〜当局との二人三脚をどう断ち切るか>
高田昌幸(ジャーナリスト、元北海道新聞報道本部次長)

<シンポジウム 調査報道をどう進めていくか〜課題と可能性を探る>
依光隆明 (朝日新聞特別報道部長、元高知新聞社会部長)
太田昌克 (共同通信社編集委員)
小俣一平 (東京都市大学教授、元NHK社会部担当部長)
田島泰彦 (上智大学教授)
     コーディネーター/橋場義之(上智大学教授)

と き:12月3日(土)13:30〜16:30(開場13:00)
ところ:上智大学 2号館 508 教室 (JR、地下鉄四ッ谷駅下車/千代田区紀尾井町7−1)
資料代:500円

主 催:調査報道シンポジウム実行委員会
   連絡先: FAX 03−3238−3628(上智大学・田島研究室気付)
         chosahoudou@gmail.com

協力
 *花伝社(『調査報道がジャーナリズムを変える』本年5月出版)
 *旬報社(『権力vs調査報道』本年10月出版)
 *平凡社(『新聞・テレビは信頼を取り戻せるか: 調査報道を考える』本年11月出版予定)

※上記のうち、私は「権力vs調査報道」の共編著者であるほか、「調査報道がジャーナリズムを変える」の第三章を執筆しています。
# by masayuki_100 | 2011-10-25 17:53 | ■2011年7月~ | Comments(0)

北海道警察の元警部、稲葉圭昭氏の著書「恥さらし」(講談社)が売れているようだ。大型書店のオンラインで調べてもらったら、当然ではあるが、北海道での売り上げが群を抜いている。しかし、稲葉氏が告発した内容は、おそらく、北海道にとどまるものではあるまい。

稲葉氏が逮捕された2002年当時、この事件は「稲葉事件」と呼ばれた。これはもう、正しい呼び方とは言えない。

「恥さらし」によると、書北海道警察と函館税関は2000年、暴力団関係者と事前に謀議を重ねた上、覚醒剤130キロと大麻2トンを組織として「密輸」した。黙認ではなく、「入れさせた」が正しい。覚醒剤といった薬物を何度かに分けて、大量に密輸させる代わりに、最後は拳銃100丁だか数百丁だかを入れさせる。その拳銃を摘発する、という仕掛けだった。拳銃を摘発する代わりに、大量の薬物の密輸を認める。これが当時の道警のありようだった。むろん、こんな大がかりなことを稲葉氏一人で遂行できるはずはない。

しかし、覚醒剤と大麻を国内に流入させたあと、計画は頓挫した。道警・税関が組んだ先の暴力団関係者とその後、連絡が取れなくなり、拳銃を入れさせるところまで進まなかったからだ。

この事件の舞台となった小樽は、北海道新聞記者時代の私の初任地である。覚醒剤と大麻が入った石狩湾新港も近所のようなものだった。駆け出し時代は「海事担当」という役割を担ったこともあり、函館税関小樽支署へもよく出かけた。当時の建物は取り壊されてしまったが、建物は変わっても消せないものはある。絶対にある。

「覚醒剤130キロ、大麻2トン」の記事は、北海道新聞の記事になった。2005年3月のことだ。裏金問題がまだ尾を引いているときで、社会面に大きな記事となった。取材を担当したのは、当時のサツ回り、すなわち、裏金問題を追及した記者たちである。しかし、その後、北海道新聞の上層部は、あろうことか、道警側に屈するような形で、「あの記事は取材が不足してました」という趣旨のお詫び社告を出す。北海道警察に情報開示請求したら、文書不存在との結果だった、だから、あの記事は根拠がない、といったことも理由の一つだった。

そもそも、覚醒剤を密輸しましたなんて文書が残っているとは思えないし、仮にあったとしても、そんな事柄を情報開示請求で取得できると半ば本気で思っていたとしたら、その方が信じがたい。まあ、しかし、いろんなことがあって、北海道新聞は道警に「ひれ伏し」、この問題は北海道新聞にとってタブーになった。タブーになった以上、だれも触ることはあるまい。だから、稲葉氏のからんだこの問題が、北海道新聞の紙面を飾ることは、新聞社自身の調査報道の結果としては、有り得ないだろうと思う。タブーとはそういうものだ。そして、タブーを抱えた組織は内にこもり、打たれ弱くなる。

稲葉氏の絡んだ問題とは何か。

それについては、あす、10月21日の夜、ニコニコ動画の生中継で放送する。警察裏金問題を実名告発した北海道警察の元釧路方面本部長、原田宏二氏が出演する。原田氏は道警時代、稲葉氏の上司だった時期がある。さらに、警察問題に詳しいジャーナリストの青木理氏も札幌へ足を運んでくれる。番組には私も出演する予定だ。稲葉氏には、私も何時間にも及ぶインタビューを行っており、その一端を紹介できるかもしれない。

稲葉氏のからんだ事件については、「市民の目フォーラム 北海道」のホームページにも詳しく出ている。番組が始まるまでの間、つらつら眺めていると参考になるかもしれない。
# by masayuki_100 | 2011-10-20 11:30 | ■2011年7月~ | Comments(0)

若手写真家の登竜門になっている「上野彦馬賞」。インタビュー集「希望」(旬報社)のグラビア写真「家族」が、その2011年度の日本写真芸術学会奨励賞に選ばれた。

撮影者は、東京のフリーカメラマン江平龍宣さん。賞の対象となった「家族」の写真を最初に見たとき、大げさでなく、見入ってしまった。幾枚かのモノクロ写真に映った「家族」たちが、こう、何かを語りかけてくるのである。彼らは何を語っているのか。それはおそらく、見る人によって違う。作品は江平さんのホームページで見ることが出来る。

昨晩は久しぶりに、その江平さんと歓談した。昨日は東京・神保町で、日本ジャーナリスト会議(JCJ)主催の「ジャーナリスト講座」があって、文章講座などを担当した。受講者には若い学生さんたちも多く、当然のように「夜の部」へ場所を変えたところ、江平さんから「久しぶりです」と電話があり、彼も合流したのである。

江平さんは雑誌「世界」(岩波書店)のグラビア写真公募に採用され、組写真「Bharat」が世界の巻頭ページを飾ったことがある。

江平さんの話では、ある日、西武線に乗っていると、隣に座った年輩の男性が、当該の「世界」を開いていた。それ、撮影したのは僕なんです、と話しかけて、しばらくの間、会話が弾んだ。聞くと、年配の男性はJCJの会員だという。それで、日本ジャーナリスト会議という団体があることを知って、2009年末、東京・市ヶ谷で開かれたJCJ主催の講演会に顔を出した。その講演会には私も顔を出していて、昨晩と同じような「夜の部」で、初めて彼と言葉を交わした。

江平さんは、物静かである。しかし、市ヶ谷の夜の部で見せてもらった写真には、強烈なメッセージがあった。わあわあと喚くような声が飛び交う居酒屋で、しばし、彼が持ち歩いていた写真の数々に見入ってしまった。だから、その後は、なんの迷いもなく、彼にお願いしたのだと思う。いま、「希望」というインタビュー集を作ろうと思っています、グラビアページも作りたいんです、協力してもらえませんか、と。

市ヶ谷の講演会の日、めんどうくさいから、足を運ぶのはパスしようかなと思い、そのまま本当にパスしていたら、「希望」に江平さんの「家族」が載ることはなかった。江平さんの乗った西武線の電車が1本前後していたら、江平さんが「希望」にかかわることはなかった。

「希望」は、文章を担当した取材者が20人もいる。私はその1人に過ぎないし、ほかの多くの取材者の方々も何らかの縁があって、そこに参画した。少々長くなったけれど、縁とは不思議なものだ。つくづく、そう思う。そして、たぶん、世の中の多くはそうした縁の連鎖で動いている。昨晩の神保町の講座や「夜の部」からも、きっと、いつか、何かが生まれる。
# by masayuki_100 | 2011-10-16 10:29 | ■2011年7月~ | Comments(0)

インタビュー集「希望」(旬報社)について、東京大学大学院教授の本田由起さんが、すてきな書評を書いて下さった。「朝日中学生ウイークリー」に掲載されている。(→記事PDFはこちら) 本田さんは「薄っぺらいキャッチフレーズではない、苦境や絶え間ない日常によって鍛えられた『希望』。それに触れれば、簡単に絶望などできない、してはならないということを、強く実感してもらえるだろうと思います」と書かれている。

何かをきちんと伝えるためには、一定程度の分量は必要だ。短い文章や単語、キャッチフレーズだけでは、伝えることができないものがある。それは、たくさんある。社会も人それぞれの人生も複雑になった今、それは当たり前のことだ。「希望」はおそらく、最近では珍しく、分厚い。活字が多い。しかし、分厚さにはそれ相応の意味があるし、分厚いぶん、インタビューに応じてくれた方々の種々の思いがぎっしりと詰まっている。

自分の携わった本が、どのような読まれ方をしているか、それはやはり気になる。とくに、「希望」は思い入れが強いだけに、今回の書評はうれしかった。中学生でも十分に理解できる内容だし、中学生や高校生にこそ、読んでもらいたいとも感じている。

「希望」(旬報社)のアマゾンのページはこちら。書店の店頭でも、ぜひ手にとって下さい。
# by masayuki_100 | 2011-10-13 08:14 | ■2011年7月~ | Comments(0)

 インタビュー集「希望」(旬報社刊)が、ありがたいことに、あちこちで好評を頂いている。「予想以上に分厚い」という声も頂くが、世の中の様々な人々の声をきちんと伝えようとしたら、こんな分量になった。しかし、分厚い=読みにくい、ではないと思う。インタビューされた人が、読者であるあなたの前で自在に語り始める。。。そんな特別な一冊だ。
 最近の書評やネットで拾った読後感を紹介しておきたい。

東京新聞 中日新聞の書評 (記事のPDFはこちら)

 人間が生き続けるために必要な事柄の一つは希望を保つことであろう。だが原発事故を含む東日本大震災後では、どれだけの人々が希望を失っているだろうか。本書は大震災の前年にインタビューを開始し、六十三人の<希望>を収集した大書だ。発刊前に災害が起きたため、被災者の声も収録されている。登場者は幾人かの著名人を含み、大半が市井の人々。高校生から八十代までを網羅しているが、比較的三十代、四十代が多い。その仕事と場、そして人生体験の多種多様さ。このこと自体に評者はある種の希望を感じた。
 白地に赤い「希望」の書名と、笑顔あふれる家族の白黒写真のカバーに固まった心がほぐれてゆく。表現は明るいが、絶望を希望に変え、希望に到達していくまでを語る人々の心情は重い。
 語り手の言葉遣いが一言一句そのまま記されており、声音や抑揚までもが読む者に反響する。その率直な語りの中に、虚を衝(つ)かれる感動的な言が浮上してくる。プロの書き手である二十人の取材者は、芝居のト書きに似た説明を適所に補うだけで黒子に徹する。語り手が一気に独白する人生は、まさにその人だけのドラマである。内容ごとに「生きて、生き抜いて」「既成を疑う」「日本で生きる、外国で生きる」「転身、その後に考えたこと」などの章立てはまことに魅力的だ。
 印象的なのは、彼らが自身の希望に言及したりその<ありか>を設定することなく、通過してきた地点、いまある位置について淡々と述べていることだ。度重なる試行錯誤や艱難(かんなん)を乗り越えてきた自信に満ちている(後略)。

ブログ revolution から

 とかく、自分さえ良ければ良い、他人を蹴落として自分だけが這い上がれば良いといった、資本主義的競争原理に基づいた利己主義で生きるのが人間の本性だと思いがちだ。『希望』高田昌幸編(旬報社)を読むと、世の中、そんな人ばかりでは無いことが分かる。

 24時間365日急患を受け付ける「スマイル子どもクリニック」を立ち上げた加藤さんご夫妻。夜間救急に対応してくれる病院が少なく、たらい回しになって亡くなる患者が後を絶たない現状を憂え、最初は無給で預貯金を切り崩したり、自身が過労で倒れ救急車で運ばれたりしながらも、とにかく子どもの命を助けたい一心で、苦労を苦労と思わずチャレンジし続け、徐々に理解者や協力者が増え、現在は常勤医師が2医院で5人、非常勤医師35人、看護師・薬剤師・事務員・警備員120人。最近は、海外難民キャンプでの医療支援も始めたとのこと。医は算術でなく仁術だという事を実践している人達が居ることは、何とも心強いことだ。

 長野県安曇野市に、鉄格子もフェンスも鍵も無い少年院「有明高原寮」があり、短期集中で矯正教育を受けている少年たちと、地域の女性や小中学生が「鐘の鳴る丘コンサート」を開いているという。生徒(16~19歳の少年20人ほど)が先に会場にいて歌い始め、その歌声の中へ、女性合唱団が入場し、互いに向き合って表情を見ながら歌う。心を一つにして歌うことで、一瞬のうちにきずなが生まれる。歌う人も聴く人も、会場中の人が感激し、泣く人が沢山いるとのこと。この音楽指導をしている西山さんは難病を抱えながら、「命がけであの子たちと付き合ってます。命がけで音楽やるんです。出来るときに何でも一生懸命にやっとく。それが成功に繋がるし、次の喜びや達成感に変わる。苦労や厳しさの向こうに未来ってあるでしょ?」と明るく語る。

 他にも、「元受刑者だろうが関係ない。みんな人生かかってるから。」と受刑者や障害者を受け入れている建設会社の社長や、「守銭奴になったらいかん。」と社長の給料より従業員の給料を高くしている電気チェーン店の社長、両手の無い書家など、世のため人のため真摯に、試練を超えて逞しく生きている素晴らしい人達が紹介されている。

差別や偏見、虚栄心に満ちた社会の中で、自分の幸せより他者の幸せを考え、弱者に寄り添い、罪を憎んで人を憎まずの温かい寛容な心で地域を変える人達が居る。華やかなマスコミに登場したり、表彰されたりする事も無く、人知れず、よりよい社会、誰もが幸せに生きられる社会の実現のために、ひたむきに尽力する人達が居る・・・


「希望」という名の歌声が聞こえる めい展じゃあなる

 久しぶりに、いい本と出会いました。「希望」(高田昌幸編、旬報社)。大津波に生活を砕かれた岩手の16歳の女子高生、回りの医者たちが逃げ出す中で孤軍奮闘して薬害エイズ患者を治療した医師、少年院の生徒たちと歌い続ける合唱団のおばさんもいました。「あなたの希望は何ですか」というインタビューに答えた全国の47人が登場します。3・11で大きくへこんだニッポン。でも前を向いて懸命に生きる、元気な人たちがいるのです。

 寺山修司はすごい人です。彼のポケットには名言がつまっている。「五木寛之の世界」(文芸春秋社)に「黒いアルバム」という寺山の文章があります。五木の小説に出てくる主人公たちは、無の世界を見た「人生をおりた」人が多いそうです。「人生をおりる」というのは、「希望という病気」から全快してアッケラカンと風に吹かれて生きてゆくことだ、と寺山は書いていました。

 アラ還の年代になると「夢もチボー」もなくなります。眠りが浅くなって見るのは悪い夢ばかり。特に3・11以降は夢見が悪い。寺山さんがいうように、希望とは無縁のアッケラカン人生もいいな、と無の世界が広がっていました。
 そんな時に読んだのが「希望」です。
 長野の合唱おばさんたちは、毎年1回「鐘の鳴る丘コンサート」を開いて30年になるそうです。場所は安曇野市にある少年院の体育館。おばさんたちの女性合唱のあとに生徒たちの男性合唱があり、お客さんと一緒に童謡などを歌ったあとがメインの混成合唱です。それぞれ別々に練習してきて、本番で初めて一緒に歌う混声合唱。それが大きな渦となって、熱く燃えるような歌声が広がるそうです。「歌う人も聴く人も、会場中の人が感激しちゃって、泣く人がたくさんいてね。わけもなく涙がでてくるんですよ。最後に長渕剛さんの<乾杯>を歌って、生徒たちも涙、涙でね」(指導者の西山紀子さん)

 北海道の人も出てきます。イラクで人質になって有名になった高遠菜穂子さんは今も支援のボランティアを続けています。夜間中学をつくる運動を20年間やっている札幌の工藤慶一さんとか、頑張っている人がたくさんいるんですね。
 小さくても希望の灯をしっかり見据えて前に進む人たちの姿に打たれます。アッケラカンおじさんは赤面の限りです。


インタビュー集「希望」(旬報社) アマゾンのページ
# by masayuki_100 | 2011-09-27 07:45 | ■2011年7月~ | Comments(0)

あまりにも当たり前すぎて、ふだんは不思議に思わないことがある。「新聞はニュースを報じる」。これもその一つだ。ニュースを報じない新聞は新聞ではない。実にその通りだ。しかし、「新聞はニュースに縛られている」のも事実である。これはどういう意味か。先日、東京・文京のシビックセンターで月刊誌「創」のシンポジウムがあって、そこでも同じことを言った。うまく説明できたかどうか、自信がないので、ここに書き残して、再度きちんと説明しておこうと思う。

「ニュースとは何か」という、大学の講義みたいな話になってしまうが、少しお付き合い願いたい。

ニュースの基本は「出来事」を追うことだ。戦争や政局、事件・事故、株価の動向、企業の新製品。これらは、すべて「出来事」である。出来事であるからニュースになる。「出来事」とは、簡単に言えば、「動き」のことだ。逆に言えば、「動き」のないものはニュースになりにくい。

最近、「新聞は原発反対のことをずっと書いてこなかった」「原発の危険性を訴えてこなかった」と批判されている。私に言わせると、前者は誤解、後者は正解である。

図書館で古い縮刷版を紐解く機会があれば、ぜひ、眺めて欲しい。全国各地で原発反対運動が盛り上がっていた1970年代、80年代、新聞はそれなりに反対運動のことを報じていた。もちろん、報道内容に濃淡はある。媒体によって差もある。読者の立ち位置によって、報道内容への評価も分かれよう。しかし、「反対運動を報じて来なかった」は誤りだ。公聴会が大荒れになったとか、反対派が集会を開いたとか、それなりの報道は続いていた。それが80年代の後半ごろから、ぴたりと止んだ。なぜか。答えは簡単だ。原発が出来て、稼働を始め、反対運動がしぼんで来たからだ。原発が既成事実になって、反対運動の「動き」が小さくなってきたからだ。

そうなると、次に来る原発関連の大きなニュースは何か。電力会社が次ぎに何を行うか、を追うことだ。原発の増設、新規計画の動向、プルサーマル計画の進捗。そういった「動き」がニュースになる。新聞社では、「反対運動」の取材主体は、たいていが社会部であり、「電力会社」の取材主体は経済部だ。反対運動の縮小に伴い、社会部の担当記者はいなくなったり、配置換えになったり、「反対運動担当」という役割が消えたりした。しかし、原発計画は進むから、それを追いかける電力会社担当記者は残った。そういう構造の下で、1990年代以降の原発報道は進んだ。

「原発の危険性を報じる」はある意味、日々のニュースを追うことではない。掘り下げる価値と必要性は十分にある。しかし、目立った「動き」はない。そこに隘路がある。

新聞のニュース原稿には「本記」「解説」「サイド・雑観」といった種別がある。

「本記」とは、出来事の骨格を書いた記事を指す。いつ、だれが、どこで、何を、なぜ、どのように。5W1Hの要素を盛り込んだ、基本的な記事である。「解説」はその出来事が持つ意味を文字通り解説する記事を指す。記者の考えが入るケースもある。「雑観」はその現場の様子などを描く記事であり、社会面用として使用されることが多い。
 
新聞社の外勤記者は、その多くが記者クラブに所属し、各記者は担当部署の「動き」を「本記」を書く。それが報道の全ての始まりだ。批判が集まっている「発表報道」にしても、多くは「本記」として立ち現れる。すなわち、「本記」がないと、そのほかの記事はなかなか展開しにくい。そういう構造になっている。雑誌的な長文のルポはそもそもが現代の新聞からは排除されているが、仮に書いたとしても、「本記」が全くないところでは書きにくい。

新聞は「本記がすべて」である。しかしながら、「本記」は「動き」や「出来事」に縛られている。だから、種々の問題が発生する。

新聞社は組織であるから、「分業」である。社員は「特定の取材部門に配置」されている。「担当」を持っている。「担当」とは多くの場合、特定の記者クラブに所属すること同義だ。全国紙は記者の過半が東京に集中し、かつ、中央省庁や政党、大企業などに偏重して配置されている。社員記者は企業人である以上、働かねばならない。社員記者が働くということは、「配置先」の「動き」を追うことを意味する。結果として何が生まれるか。「東京発・中央発ニュース」の大量生産、「記者を配置した分野・役所などに限定されたニュース」の大量生産である。

従って、記者を配置してない分野の「本記」は、なかなか紙面に登場しない。私がよく使う例だが、戸別の事件事故はよく紙面に載る。その一方、山のように存在する労働紛争は滅多に紙面に載らない。理由は一つではないが、警察には記者クラブがあって多数の記者を配置しているのに、労働基準監督局・書には記者クラブがなく、記者をほとんど常駐させていない。それも大きな理由である(労基署に記者クラブをつくれと言っているわけではない)。しかも、この記者クラブの配置、その人数などは戦後ずっと大きくは変わっていない。

一方、日本の大メディアには、市民団体やNGOの担当記者はほとんどいない。いても数人であり、兼任がほとんどだ。乱暴な例だが、「原子力情報資料室」「グリーンピース」の専属の担当記者はいない。彼らもたくさんの「発表」を行っているが、担当記者が事実上いないから、記者を重点配置した中央省庁の「発表」だけが大メディアを通じて流れていく。「発表」というスタイルは同じでも、扱いは雲泥の差がある。市民団体と政府機構では役割が違うから、これは当たり前かもしれない。当たり前かもしれないが、そういう構造になっているということは、報道会社自身がきちんと認識しておく必要がある。

また全国紙の大半は、取材者の多くを東京に配置している。全国に取材網があると言っても、地方はあくまで地方であり、「出先」だ。ニュースの価値判断を含め、すべては「東京本社」(一部は大阪など)が決する。「情報発信の過度の東京一極集中」「東京目線・中央目線」の横行である。よほどの問題としてクローズアップされない限り、地方のニュースは地方のニュースとして扱われる。

例えば、米軍基地問題にしても地元紙はずっと報道を続けてきた。玄海原発の話は佐賀新聞がしつこく報道していた。六ヶ所村問題は東奥日報が長く追いかけている。しかし、全国紙は「地方の問題」だとして、地方版に押し込めたり、報道しなかったり、小さくしか扱わなかったりした。ネットが発達してもこの構造は変わっていない。「本記」は全国紙や通信社など「東京目線」による偏重が今なお、続いているのだ。

話を戻す。「本記」を軸にニュースは回る。メディア同士の激しい競争は、すべて「本記」をめぐる競争だ。しかも、上述したような、限定された条件下で、それは行われる。そうした「本記競争」において、取材者は常に他紙の動向を気に掛ける。読者の要請とはあまり関係のないことであっても、
「本記競争」に敗れると、「ダメ記者」の烙印を押されかねない。会社員として、これは相当の痛手である。何しろ、新聞社の昇進や給与制度は公務員とそっくりだ。「●●級・●●号俸」という仕組みが多くの会社で存在している。「年功序列」が依然、幅をきかせている。

ネットが発達して、ニュースには種々の批判が加えられるようになった。批判は重要である。だれもが自由に意見を言う「多様性の確保」こそは、民主主義社会の基本中の基本だ。しかし、ニュースに対する批判・評論は、あくまで「評論」である。あるいは、既報ニュースの検証(それも絶対必要だ)に止まり、「1・5報」の域を出ていない。

「報道を変える」を軸に考えると、世の中が「本記」を軸に回っている現状がある以上、問題は「本記」をどう変えるか、に収斂する。調査報道による新たな事実の発掘は、それ自体が「本記」である。一つは、そうした調査報道を増やすこと。そのためには取材体制の見直し、人事考課の再考なども必要だろう。とは言っても、調査報道もそうそう毎日、紙面を飾るわけではない。

非常に限定された範疇でしか出てこない、しかし、日々溢れかえっている「本記」をどう変えるか。それが決定的に重要だ。では、具体的にどうするか。すぐに実行できること、時間が掛かること、報道会社の組織を見直さなければ出来ないこと。段階はいろいろある。それは追って、また別の機会に記したい。
# by masayuki_100 | 2011-09-17 14:24 | ■2011年7月~ | Comments(2)

今月末か来月早々、新しい本が出ることになりました。「権力 VS.調査報道」というタイトルです。リクルート報道、外務省機密文書問題、高知県闇融資問題、大阪地検特捜部検事による証拠改ざん事件の四つについて、その取材の中核にいた記者に対し、根掘り葉掘りインタビューした内容をまとめた。Q&Aになっているので読みやすいと思うし、それになにより、ここまで語るか、という感じである。

我ながら、実におもしろい、興味深い一冊だと思う。ぜひ、手にとってご覧下さい。

案内はこちら → 「権力 VS.調査報道」
# by masayuki_100 | 2011-09-14 13:24 | ■2011年7月~ | Comments(0)

9−10月、対外的ないくつかの催しに出席します。イベントそのものだけではなく、みなさんと歓談できる時間があれば、と願っています。日程が確定している催しは下記の通りです。詳細は主催者にお尋ねください。


月刊「創」主催 原発シンポジウム第3弾!
日時:2011年9月15日(木) 開場18時20分 開会18時45分 閉会21時30分
会場:文京シビック小ホール

第1部 原発報道の検証――いまメディアに何が問われているのか
18時45分~20時10分
出演:上杉隆(ジャーナリスト)/森達也(作家・監督)/高田昌幸(ジャーナリスト・元北海道新聞報道本部次長)/司会:篠田博之(月刊『創』編集長)

※上杉さんはこの間、既存の記者クラブメディアを徹底批判した急先鋒のジャーナリスト。先頃出版した『報道災害【原発編】』が評判だ。森達也さんはオウム真理教を描いた『A3』で講談社ノンフィクション賞を受賞。創出版から『極私的メディア論』を出版するなどメディア論でも知られる。高田さんは、北海道警裏金追及キャンペーンを道新デスクとして主導しながら、道新に対する道警の巻き返しともいえる訴訟攻撃を受けてきた(『創』2011年1月号の高田さんの署名記事参照)。結局、この6月道新を退社。この高田さんをめぐる経緯そのものがマスメディアの問題を浮き彫りにしているといえる。現役記者の時代から記者クラブ制度批判を続けてきた高田さんに、今のマスメディアのどこがどう問題なのか語っていただく。

第2部 原発と市民運動 20時20分~21時20分
出演:雨宮処凛(作家)/鎌仲ひとみ(映画監督)/鈴木邦男(一水会顧問)/司会・篠田博之

※鎌仲ひとみさんは映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映運動を全国で展開している監督。『創』最新号(9・10月合併号)でその映画の上映と原発問題について語っている。
雨宮さんと鈴木さんは、この間、原発反対運動に積極的に関わっており、先頃、創出版からそれぞれ『ドキュメント雨宮☆革命』『新・言論の覚悟』を出版。今注目されている論客だ。

入場料:1000円(当日会場受付でお支払いください)
主催:月刊『創』編集部  申し込みフォーム・詳細はここをクリックしてください。



『希望』(旬報社)刊行記念トークショー
新聞記者という仕事


高田昌幸(ジャーナリスト)×青木理(ジャーナリスト)
■2011年9月17日(土)18:30~20:30(開場18:00)
◇会場 ジュンク堂書店新宿店 8階カフェにて
◇定員 40名
◇入場料 1,000円(1ドリンク付き)
◇参加ご希望のお客様は7Fカウンターにてお申し付けください。
電話でのご予約も承ります。
お問合わせ先:ジュンク堂書店新宿店 電話:03-5363-1300

このトークショーの詳細はこちら



日本ジャーナリスト会議主催 
JCJジャーナリスト講座 第1期




★高田が出席するのは10月15日のみです。以下は主催者からの案内です。

☆10月8日土曜からスタート 4回連続
☆第一線の記者・デスクが現場の今を伝える
☆課題作文の添削を含めた徹底的な文章指導も
☆報道写真の撮り方も熟練フォトジャーナリストが伝授

〈JCJジャーナリスト講座の日程〉
◆10月8日(土)午後1時半から5時 東京・神保町の岩波セミナールームで
講座①「海外取材のABC」(元米国特派員) 講座②「特報部の仕事」(現場デスク)

◆10月15日(土)午後1時半から5時 東京・神保町の岩波セミナールームで 
北海道新聞の元記者・高田昌幸さんの集中講義 事前に10月5日までに手書きで800字の課題作文をPDFファイルにしてメールで提出。その講評と添削指導を含む。
講座③「取材とは何か。体験的取材報道論」
講座④「報道の文章とは。書くことのプロであれ」

◆10月22日(土)午後1時半から5時 会場は未定(後日、連絡します)
講座⑤「戦争と平和の問題を追う」
講座⑥「原発震災報道を考える」(元NHK解説委員)

◆10月29日(土)午後1時半から5時 会場は未定(同上)
講座⑦「報道写真のためのカメラ術・撮り方のポイント伝授」(元朝日新聞写真部記者)
テーマを決めて撮った写真と簡単な説明文を事前にメールで提出。(詳細は後日連絡)
講座⑧「テレビの仕事・放送記者とは」(在京テレビ局ジャーナリスト)
会費制で簡単な終了パーティーを予定

定員40人。受講者資料代として1回1000円(4回まとめると3200円(支払いは会場で)

申し込みはメールかファクスで。①氏名②年齢③住所④電話番号⑤メールアドレス⑥参加希望日
を明記のうえ日本ジャーナリスト会議事務局へ。9月1日から受け付け開始
メール jcj@tky.3web.ne.jp
ファクス  03・3291・6478
主催・JCJ新聞部会  問い合わせ・JCJ事務局(電話03・3291・6475)

日本ジャーナリスト会議(JCJ)のホームページはこちら。
# by masayuki_100 | 2011-09-04 12:23 | ■2011年7月~ | Comments(0)

「原子力防災専門官」とは何か。言葉の説明としては、こうである。東海村の臨界事故を契機に新たに設けられたポストで、原発事故時には、情報収集のカナメになる。全国各地のオフサイトセンターに常駐している。もちろん、福島にも、だ。

et="_blank"><原子力防災基礎用語集>から 原子力防災専門官は原子力災害対策特別措置法第30条の規定により、国の緊急時防災体制の中核的存在として、文部科学省又は経済産業省の職員として、文部科学省又は経済産業省が指定した原子力事業所の所在する緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)に常駐し、原子力事業所に係わる業務を担当する。

◎1999年11月17日 衆院科学技術委員会
中曽根(弘文)国務大臣 原子力緊急事態が起きますと、程度に応じまして緊急事態宣言が行われるわけでありまして、その後、関係省庁、地方公共団体、また原研の関係者あるいは原子力事業者等関係者がいわゆるオフサイトセンターに集まります。そして、原子力災害現地対策本部長がこれらの者に対して一体的に指示を行うことによって、原子力事業者の原子力防災組織、原子力防災専門官、それから原子力研究所やあるいは原子力専門家、自衛隊、消防、警察、医療チーム等々が連携をとりつつ総力を挙げて緊急事態応急対策を実施する、そういうことになっております。

同じ委員会での斉藤政務次官の答弁
○斉藤政務次官 今回、特別措置法第三十条で原子力防災専門官が規定されております。この原子力防災専門官は、原子力事業所の所在する地域に駐在して、平常時においては、原子力事業者に対し防災業務計画の作成等の予防措置に関する指導助言を行う。それから緊急時においては、事業者からの通報があった場合に、直ちに現場においてその状況の把握のために必要な情報の収集に当たるということになっております。
 御質問のいわゆる地方自治体との関係でございますけれども、平常時から原子力事業者の防災対策に関して情報交換等を行うほか、緊急時においては、特に初動期において、現場の状況等の情報伝達を行うなど、原子力事業者の行う対策と、国、自治体の行う対策の相互の連携を図るような役割を果たすことになるかと思います。
 その条文ですけれども、通報があった場合ですけれども、「その状況の把握のため必要な情報の収集その他原子力災害の発生又は拡大の防止の円滑な実施に必要な業務を行うものとする。」ということで、この「円滑な実施に必要な業務」というところで、地方自治体との平常時における情報交換ということが含まれていると考えております。

この専門官の配置を決定した際の政治の思惑はどうであれ、いったん原子力災害が起きれば、原子力防災専門官は情報収集の中核を担い、住民避難等にも相当程度の権限を有することになる。では今回の福島原発事故で、「原子力防災専門官」はどのような役割を果たしたのか。新聞記事で拾ってみよう‥‥と思ってデータベースで新聞記事の横断検索をかけたら、7件しかヒットしない。たったの7件である! この注目のされなさ加減は、いったい何なのか、と感じてしまう(私も過日、知人から教えられたにすぎないが)

データベースで拾った記事7件のうち、主なものは以下だ。

*4月 1日 北国新聞の社説

*4月10日 福島民報 連載「原発崩壊」フクシマからの報告(上)
 この記事では、こういう記述の中に登場する。
‥‥「オフサイトセンターまで」。横田ら三人の原子力防災専門官はタクシーに飛び乗った。五キロ
ほど離れた大熊町にある国の緊急事態の拠点「原子力災害対策センター(オフサイトセンター)」
に向かう車中、これからやるべきことを整理した。
 当日の動きを追ったドキュメント記事の1エピソードである。

*5月29日 朝日新聞<指定席>原子力防災専門官・中嶋聡明さん 「安全」の基本は同じ /福井県
 この記事はいわゆる「人もの」である。

ほかの記事4本は佐賀新聞や北海道新聞など。いずれも原子力防災の仕組みを説明する中で、この語句が使用されている。しかし、いずれにしろ、今回のフクシマ原発事故で、この「原子力防災専門官」が果たした役割・果たせなかった役割に付いては、もっと取材が行われて良いのではないかと感じる。議事録検索をかけた限り、事故後の国会でも全く話が出ていない。不思議である。この専門官は、東海村の臨界事故を教訓として導入された制度である。それが実際どう機能したかの検証は極めて重要だ。もし何の役割も果たせていなかったのだとすれば、東海村の事故の教訓はたいして役立たなかったということになる。
# by masayuki_100 | 2011-09-01 13:04 | ■2011年7月~ | Comments(3)

9月1日午前、札幌は快晴。夏に逆戻りしたような陽気になった。朝早くに知人からの電話があって目が覚め、そのとき、「ツイッターにこんな話が出ているよ」と教えてもらった。 Takashiさんという方のつぶやきである。

@Tyrant_of_Japan 【北電やらせメール】道新の報道姿勢がやはり気に入らない。元々共産党の調査により発覚した問題に乗っかっただけで、道新は調査するどころか藤原さんの内部告発さえ扱おうとしなかった。高田昌幸さんの言う通りただの発表報道に過ぎない。本来あるべき調査報道はもはや望むのは酷か… #泊原発

「発表報道」とは何か。それを説明しようとしたら、1冊の本ができるだろう。それほど根深い。私なりに簡単にまとめると、いくつかに集約される。

まずは、発表のタイミング=時期が、当局側の都合で左右されることだ。当局・権力者らによる発表のキモは「発表したいものを、発表したい時に、発表したいように発表する」である。仮の話ではあるが、民主党の代表選が行われていた8月末、突如、大相撲の新たな八百長が発覚したとの「発表」があったら、どうなるか。極端な例は、当局によるスピン・コントロールだ。懸命な読者はお分かりのように、日本でも「スピンではないか」という事例は最近急増している。しかし、誇張や隠し事があるにしても、「発表」内容自体に嘘はないとすれば、どうなるか。

発表が発表である以上、(一部の報道会社がボス交渉によって相手当局に発表時期をずらしてもらう例などがあるにしても)発表のタイミングは報道側で左右できない。発表は速報を伴う。今の日本の報道会社のように「速報」と「報道」が未分化であって、かつ、他社記事の引用を極端に排除する風土の中では、つまらぬ発表ものもすべて自社の記者によって処理される。しかもネットのあちこちで「速報」されているから、記者にとって「速報」は至上命題である。余裕ある陣容を抱えた部署は別だが、たいていの記者は1人でネット用の「速報」も新聞向けの「ニュース本記」も、場合によっては「解説」も書かねばならない。

1990年前後、日本経済新聞社が「産業新聞」「流通新聞」「金融新聞」など新媒体を次々に創刊した時代があった。そのころ、日経の友人記者たちは1つのネタを本紙に書いて、「産業」に書いて‥‥という作業を続けていた。飲み会にいつも遅れてくる日経の友人たちには「そんなことしてたら、記事の中身が薄くなるだけだろ」と言っていたけれど、その大波がネット時代になって各社に襲ってきたわけである。

今の時代、他社がどう報じているかは、詳細は別にして、ネットですぐわかる。速報とはいえ、他社の記事をまったく考慮しない記者などいないと思う。おまけに本社や記者クラブには「早く取材メモを寄越せ」と言うデスクやキャップがいる。彼らもネットの速報を見ているし、部下の報告によって早く発表の全容が知りたい‥‥。そういう循環である。

そんな状態になっても「競争」はある。非常に狭い範囲での、業界内での自己満足的な「競争」でしかないが。発表の舞台は主に「記者クラブ」であるから、競争は主に、記者クラブでの発表を軸にして回る。

事件事故の警察発表を例にとれば、発表されていない仔細な出来事を巡って各社が熾烈な夜回り・朝回り取材を続ける。大げさではなく、肉体も精神もすり減るような、きつい労働が続く。そうした取材を一様に否定することはできない。権力の奥深くに日常的に刺さり込んでいなければ、その構造や不正・腐敗も具体的には何も分かりはしない。小さなレンガを積み重ねるような取材を経ずして、「事実をもって権力に疑義を唱える」調査報道などできない。その作業を経ずして権力悪を言い立てるのは単なる評論である(評論は自由にすべきだが、ここの本題ではない)。

しかし、現実には熾烈な取材合戦で求められている成果といえば、それは概して「発表に付随する些細な事柄」でしかないことが多い。「発表の補足」と言い換えても良い。例えば、「凶器はナイフだったか包丁だったか」という程度の競争である。もちろん「ナイフか包丁か」の差が決定的な意味を持つこともあるが、いずれにしろ、日常の大きな枠組みの中では、取材の向きが当局と同じ方角を向いている。簡単に言えば、二人三脚であり。各社の激しい競争も「当局との二人三脚」の枠組みを出ていないケースが多い。戦前の大本営発表時代も、各社間ではそれなりに競争があったのと同じである。

発表はまた、「壮大なるパターン化」を生む。例えば、ある経済統計の発表が数時間後に迫っているとしよう。私も若い経済部時代に経験があることだが、その場合、不慣れな記者はどうするか。前回の発表記事を参照する。数字が悪化したケースと、好転したケース。その両方に目を通す。そして記事のパターン(たいていは定型である)を頭に叩き込む。「パターン化」は「前例踏襲」と同義であるから、これからはみ出したものには、即応できなくなる。パターン化が最も通じない取材は災害・大事故である(事件報道はパターナリズムである)。

発表報道が深化・進化すれば、取材する側では、発表報道に沿った組織体制・組織運営・人事考課などがその組織の文化になる。何しろ、戦前の新聞統制以来、1970−80年代の一時期の一部事例を除いて、日本の新聞は大半が発表報道で埋まってきた。今や8−9割が発表報道と言っても過言ではあるまい(今朝の朝日新聞一面「こども150人過剰被曝 甲府の病院」のような記事は、ごく稀にしか登場しない)。できあがった組織の本当の恐ろしさとは、仕事の仕組みが出来上がってしまい、あらたなことを手がけずとも、とりあえずは社員たちがメシが食えることだと思う。そうした組織文化の下では、例えば福島原発事故のような火急・喫緊の取材についても、「あいつはサブキャップだから」「なんで官邸取材に社会部が来るのか」とか、およそどうでもいい理屈で動いたり、動かなかったりしているはずだ。

長くなったが、そうした組織文化の病理の一つが、冒頭で紹介した@Tyrant_of_Japanさんの言葉に書かれている。

北電のやらせメールは日本共産党北海道委員会の「発表」である。私がみる限り、北海道新聞にも朝日新聞にもそれ以上の内容を持つ記事は出ていない。あれこれの記事は出てはいるが、それは記者(=報道会社)が自己の責任において事実を新たに掘り起こした記事ではなく、やらせ発覚についての関係者の感想を集めた「感想文集」程度の記事でしかない。あとは「どうなるプルサーマル」などといった20年前の政局記事と同じような記事しかない。「どうなる‥‥」という記事は、書くものを持たない記者が無理矢理書いた作文がたいはんだ。見出しを見ただけで結論が分かってしまう、極度のパターン化記事である。

そして(これも結構問題なのだが)、権力と対峙している組織や人の「発表」を報じることで、自分は権力監視の役割を果たしたと勘違いしている記者がいる。もちろん、「発表」であったとしても、権力・当局とは逆の見方であれば、どんどん報じた方が良い。例えば原発問題では、NGOや市民団体が独自に放射線量を測定して「発表」しているが、それらももっと報道すべきだと思う。しかし、発表は発表でしかない。「発表取材」という取材の態様・構造・仕組みから考えれば、当局発表も共産党発表も同じである。
# by masayuki_100 | 2011-09-01 12:14 | ■2011年7月~ | Comments(0)

もう9月である。また首相が代わり、原発事故は依然として深刻な状態が続き、メディア状況も相変わらずである。私は北海道新聞社を辞めて2ヶ月が過ぎた。のんびりしつつも、あれやこれやと適当に忙しく、日々楽しく過ごしている。

先週は東京に行き、ニコニコ生放送に出た。ジャーナリスト青木理さんの新番組のゲストであり、鳥越俊太郎さんとともに2時間弱の出演である。討論というよりは座談会みたいになってしまったが、なにせ鳥越さんはかつて(2003年11月)、テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」で道警裏金問題を最初に取り上げた人でもある。一度お会いしたいとの思いがようやくかなって、うれしかった。それにしても、あれからそろそろ8年である。あの大キャンペーンを今も忘れずにいてくれるという思いの一方、いつまでも道警裏金報道でもあるまい、との感じも消えない。

インタビュー集「希望」は、発売から1ヶ月になる。あちこちで「良い本ですからぜひ読んで下さい」と、声をかけて回っている。9月17日には東京のジュンク堂書店新宿店で、青木理さんとトークセッション「希望」刊行記念 「新聞記者という仕事」も開く。「希望」刊行記念と「新聞記者の仕事」とでは、テーマは無関係のように思えるかもしれないが、そんなことはない。では、どこがどうつながっているのか? それはぜひ、足を運んでいただいて、お聞き下さい。会場には外交評論家の孫崎享先生もお見えになることが決まっている。

自分のかかわった本がどう読まれているか。当然、それも気になるものだ。直接、感想を届けて下さる方も多いが、ネット上でも少しずつ、感想や激励をいただいている。本当にありがたいことだと思う。本書をご覧頂ければ分かる通り、この「希望」の大きなテーマの一つは「ばらばらになったものをつなぐ」ことにある。それはまず、「書き手」のネットワークをつくりたいとの作業でもあった。新しいメディアを考える際も、「書き手」をどう連携させていくか、が大きな課題である。で、せっかくなので、ネット上の声を少し紹介させてもらいたい。繰り返しになるけれど、こうした声は本当にうれしいのである。

アマゾンのレビュー。「50人が語りかけてくれる特別な本」
さまざまな人々が、自らの生い立ちをなぞりながら、現在そして未来を語るインタビュー集。 「希望」というタイトルは正面すぎて気恥ずかしいし、なにより大上段から希望を語る輩は怪しいに違いないのだが、この本はそうではなかった。登場する人々それぞれのインタビュー記事は、まるで目の前で話を聞いているかのようで、仕事の説明ひとつにしても、思いや気持ちと共に伝わってくる。 インタビューはひとりづつ完結しているので、どこから読んでもかまわない。気が向いたときに読む、というのが気楽でよい。目次だけでも十分いろいろと想像できる。他人の話を通して、自分を知る時間になりそうだ。 ところで、この本は日本のナショナル・ストーリー・プロジェクトを想像させてくれた。ひとりひとりの物語から歴史を感じるようなプロジェクトになればいいのに、と思う。

CNET JAPAN のコラムニスト殿岡さん
ツイッターでのつぶやき
@HyoYoshikawa
いつも何かに文句言っているのですが、これでもリスペクトする人も沢山いる自分は結構カワイイと思いますよ。とか。(何 そのリスペクトする1人、元道新の高田昌幸さんの著書「希望」が届きました。

ネコまいける さんの書き込み(関心空間)
 「あなたの希望は何ですか?」
…と云う問いかけとその答え(生の声)を集めた本である。

編者の高田昌幸氏(札幌在住のジャーナリスト)が、2010年春ころ(当時、北海道新聞記者)から、知人の記者達にメールで呼びかけたのがきっかけで始まったプロジェクトの成果だ。
そして、編集作業の途中に、3.11東日本大震災が発生。
直後、被災地に記者らも向い、急遽、追加で取材した内容も収録されることになる。
 

この本のには、多くの人が登場する。

問いかけた人(インタビュアー)として、高田氏を中心に日本各地の新聞記者、フリーライター、学生等々、20名。

インタビューに答えた人には、全国の、主婦、会社員、落語家、幼稚園園長、バー店長、作家等々、47人。写真で掲載された人が16名。
北海道関係者では、路線バスの元運転手、札幌市内で高齢者専門の下宿を経営する大家、元受刑者を受け入れる札幌市内の建設会社専務、北海道朝鮮学校サッカー部監督、道内で夜間中学の運営と親切に奮闘する男性、厳冬の札幌でホームレスのために炊き出しを続ける女性…等々。
東日本大震災の被災地では、被災した高校生や獣医、市会議員など5名。



 


「『今の日本に希望を信じて歩む人たち』の声を送り出し、ほんの少しでも明日を信じることができるような社会に。」
…と編者の高田氏は呼びかける。


さらに、氏は言う。
「編者として本書に登場する人びとの言葉の記録を熟読した私には、ぼんやりと、でも確かに思うことがある。どんなにささやかであっても、どんなに泥にまみれていても、そして目の前から消え去ったように感じても、そう簡単に「希望」はなくならないのではないか」
…と。

昨日(2011年08月29日)、「組織」の顔色を伺いながら、「一国の総理大臣」となる「組織の代表選び」を行なった人たちは、今、国民一人ひとりの心の中に密かに灯している希望の火が消えそうなくらい小さいことを理解できているのだろうか?!

京都の大学の先生から ツイッターでのつびやき
@tksmmshr: 『日本の現場』の編者の一人、高田昌幸さんの新しい編著『希望』。インタビュー集とのことで、すぐさまターケルの一連の著作が心に浮かんだ。希望といえば、魯迅の言葉も。『希望』のまえがきに深く共感した。心が震えた。
@tksmmshr: 高田昌幸さん編著『希望』のあとがきも、またよい。ターケルに少し触れている。ターケルはテーマは大文字だが、民衆の話がそれを小文字の複数形にする。大文字で話をしない、わかったつもりにならない。大事。

紀伊国屋書店のHPから。テーマは「希望」 注目の一冊
 震災をくぐり抜けた高校生(岩手県)、少年院で地域ぐるみの合唱コンサートを30年間つづける音楽の先生(長野県)、町の電器屋さんを人づくりで再生させる電器店チェーン社長(鹿児島県)、大学卒業後アルバイトをしながらステージに立ち続けるシャンソン歌手(神奈川県)、市議会議員、NPO代表、落語家、サッカー部監督、牛飼い、バー店長、画家、主婦、アマ棋士、作家、大学の先生、......さまざまな状況に置かれた老若男女が自分のことばでじっくりと今の思いを語るどのインタビューも、読み手である私たちの心になにがしか深い印象を残してくれます。

下野新聞の書評
 2年前の春になる。下野新聞社会面で「泣いて笑って とちぎ・それぞれの希望」というタイトルの連載記事を同僚記者たちと取り組んだ。父が重ねた借金数億円から再起した青年、母子家庭の不安定な生活から抜け出そうと看護師を目指す主婦...。連載の狙いを、初回の記事の冒頭でこうつづった「不況、息詰まる閉塞(へいそく)感、見えない明日-。こんな時代でも、逆境をはねのけ前に進む人たちがいる。『希望』に向けてひたむきに生きるそれぞれの道を追った」
 この国を取り巻く状況はどうなったのだろう。2年前に比べ、事態はより深刻になっているのかもしれない。それでも、だ。それでも多くの市井の人々は、今を精いっぱい生きている。
 本書に一人称の語り手として登場する北海道から鹿児島の著名・無名の47人(写真のみも16人)は、東日本大震災の被災者から自殺防止のNPO代表、高齢者下宿の経営者、被爆体験の語り部、新規就農者らと職種や年齢も多岐にわたる。権威や権力とは無縁な人々が日々直面している社会の矛盾や制度疲労、苦難や偏見。時には力強く、時にはしなやかに立ち向かって歩みを進める姿は、「希望」の2文字とともに読む者の心をとらえて離さない‥‥

朝日新聞 北海道版での紹介記事はこちら
  ↓    ↓
記者ら20人、46人を取材 「希望」出版

孫崎享先生の応援メッセージ
メディア:日本のメディアは何故権力に迎合するか。一つに権力に抗する者を徹底的に排除するメカニズムが機能。その意味で「北海道警の裏金問題取材」は重要な意味合い。警察の裏金追求は警察相手だけに危険。高知新聞と北海道新聞だけ本格的に取材。2004年高田昌幸は北海道新聞取材班代表として

メディア2:新聞協会賞、JCJ大賞、菊池寛賞、新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞。ではどうなったか。北海道新聞の幹部になったか。全く逆である。この報道をめぐり元道警総務部長道警本部長が叱責された部分など3カ所について「真実ではなく、真実と信じた相当の理由もない」と名誉毀損で訴え、

メディア3:6月12日最高裁で名誉毀損が確定。道新は高田氏を守る側に守らず逆の動き。そして高田氏は6月末退社。本来この問題は報道の自由を巡る極めて深刻な問題だがほとんど報道されていない。日本社会は組織で生きる。一人で生きるのは容易でない。加えて権力側が敵と見なす。しかし逆境で
メディア4:人の真価が問われる。高田昌幸氏は本『希望』を編集し7月末出版。多くの対象が社会で苦しんでいる層。この人々の希望を取り上げた。対象相手と高田昌幸氏がだぶる。だぶるからこの本を出版できた。頑張って欲しい。そして本物のジャーナリストが日本で生きていけることを示して欲しい。

# by masayuki_100 | 2011-09-01 01:58 | ■2011年7月~ | Comments(0)

少し前の記事でも紹介したが、有名・無名の人々の、それこそ声なき声を集めたインタビュー集「希望」が出版になった。版元の旬報社から連絡があって、東京など大都市圏の書店では、早ければきょうあたりから、店頭にこの本が並ぶそうだ。

「希望」にとりかかったのは、昨年の春ごろ、ちょうど東日本大震災の起きる1年前のことだ。震災発生時は最終校正に差し掛かっていたが、急遽、締め切りを延ばし、震災関連のインタビューも追加することになった。本の装丁は、著名な装丁家、桂川潤さんに手がけていただいた。本当にすてきな装丁になったと思う。見本として事物を手に取った方々からは、ありがたいことに、「とても良い内容ですね」との言葉を頂いている。

たとえば、ジャーナリストの高野孟さん → 「大震災の1年前から企画され取材も進んでいた、生きることの希望のありかを探るインタビュー集だが、大震災が起きたので締め切りを延ばしてその関連の5人を追加してそれを第1部に置いたので、インタビュー相手は63人、ページ数は400ページを超える大冊となった。1人1人の語り口は生々しくて重い。じっくりと読むべき本である」(高野孟の遊戯自在録027 7月9日の項)

「希望」は取材者が20人にも上る。現役の新聞記者、元記者、フリー記者、元フリー記者、学生など多士済々で、年齢も20代から60代まで。どんなに優れた記者であっても、しょせん、1人の見方、1人の目線など幅が狭い。たかが知れている。重層的な目線がないと、この複雑な社会を捉えることなどできはしない。ずっとそう考えていたこともあって、「高田以外の眼」を極力集めたいとも考えていた。それが「多様な取材者」の意味合いでもある。

前回の「希望」が出版になります(1)では、「まえがき」を引用した。「希望」はどんな本ですか、をもっと知っていただくために、きょうは「あとがき」を引用しておこうと思う。ただ、「あとがき」の引用は全文ではなく、抜粋・要約である。

以下は「あとがき」から。

■続きを読む
# by masayuki_100 | 2011-07-26 14:38 | ■本 | Comments(0)

「北海道新聞を退社しました」とのお知らせをメールで送ったり、その挨拶で知人の方々を訪ね歩いたりしていると、ほうぼうで「やっぱり、あれですか、あの件で?」との質問を受ける。北海道警察の裏金報道を手掛けた後、道警の元総務部長である佐々木友善氏が名誉棄損で私や出版社などを訴え、先頃、その判決が確定した。それが「あの件」である。

上告していた「北海道警察裏金本訴訟」は、私の退社直前に最高裁が上告を退ける決定を下した。もっとも、最高裁の決定は今年秋ごろだろうと予測していた。最高裁決定と退社時期との時期的な近似は、偶然に過ぎない。退社はもっと早くに、大震災発生直後の日々の中で最終決断した。

しかし、裁判やその帰趨がどうであれ、それだけでは辞めようとは思わなかった。

有り体に言えば、未曽有の大震災が起き、原発事故が日々深刻さを増している中、それ以前と同じような感覚、態勢、視点で報道を続けていく勤務先の新聞社の姿に、表現のしようがないものを感じたからである。原発事故報道に限らず、既存大メディアへの批判が止む日はないが、私自身は、昨今の大メディア批判は「組織のありよう」「組織と個人」の問題に行き着くと感じている。新聞社をはじめとするメディア企業は、保守化・官僚化した。それが極まった。「個々人には真面目な、真摯な人もいる」との指摘が事実だとしても、集団として時代を切り開いていくことができないのであれば、それは「官僚的組織」としてマイナス評価を下すしかない。

昨日は、中央省庁の幹部だった方とランチを共にした。ある一時期、日本の進路を決定するような問題を牽引していた方である。人生の先達でもある元幹部も、私と同じような認識を示していた。わずか2-3年で異動するポスト。それを必至で守ろうとする中堅職員や幹部。外に向かっては「ちゃんとやっているぞ」との姿勢を示しつつ、その実は何も事態を動かさない・動かせない日々。「役所うや新聞社だけでなく、日本のあらゆる組織で同じこおが起きている」と彼は言う。そして「このような集団はある一定の条件下ではもの凄く強味を発揮する。しかし昨今のような社会の状況下では、社会の衰退に手を貸すだけである」と付け加えていた。

だから、「あの件で辞めたのですか」との問いに対する回答は、ひと色ではない。

会社員が「もう辞めたいな」などと思うのは、日常茶飯だろうと思う。そして時々、それをスパッと実行する人がいる。実にまぶしい。そして、私を直接知る人は「仕事が面白い。天職だ」と言いつつも「会社を辞めて違うことをやりたいな」と言う姿を、それこそ、もう10年以上も見せつけられてきたはずである。

ただし、「あの件」と退社が全く無関係だったかと言えば、それも嘘になる。「あの件」とは、いったい何か。というより、何だったんだろうな、と思う。その中身については、すでに、いろんな方々がいろんなところで書かれている。自分も書いたり、喋ったりしている。こんなややこしい話に興味のある方がそうそういるとは思えないが、今もよく質問を受けるし、ネットでもあちことで読むことが可能だから、以下に一部を紹介しておく。

*原田宏二氏 「メディアは権力を監視できるのか」 そのPDF版
*朝日新聞の元論説委員、柴田鉄治氏 「北海道新聞はおかしくないか」
*岩上安身氏との対談 高田は「記者会見・記者室の完全開放を求める会」の世話人として出演 ブログ「世界の真上で」内にテキスト版
*月刊誌「マスコミ市民」上での対談 「北海道警裏金問題の報道をめぐる裁判とジャーナリズムのあり方」

きょうも東京は猛暑のようだ。ホテルの窓から見ると、文字通り、空には雲一つない。きょうはこの後、暑い東京から、さわやかな札幌へ戻る。
# by masayuki_100 | 2011-07-11 10:37 | ■2011年7月~ | Comments(0)

c0010784_13263376.jpg 「希望」というタイトルの書籍が、7月25日ごろから書店に並ぶことになりました。北海道新聞の退社と偶然重なる結果になり、退社のあいさつを兼ねて出歩く際は、刷り上がったばかりの見本を持ち、あちこちで少しずつ宣伝させてもらっています。

版元の旬報社さんの宣伝文を借りれば、この「希望」は「だれもがどこかに展望をもち、なにかを信じて格闘している。北から南まで、いまを生きる63人の軌跡。希望のありかを探るインタビュー集」です。有名か無名か、成功者か否かには関わりなく、多くの人々(大半は市井の人々である)が取材者と膝を交え、何時間も何時間もインタビューに答えています。語り口調や方言を大事にし、読み手にじっくりと語りかけてくるような内容です。登場人物も様々であるなら、20人に及ぶインタビュアーの年齢、経験も多種多様です。グラビア頁は江平龍宣さんが担当。その写真もすばらしいと思います。

とにかくぜひ一度、手にとっていただきたいと思います。少し長くなるが、「まえがき」です。

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# by masayuki_100 | 2011-07-09 13:44 | ■本 | Comments(0)

2011年6月末で北海道新聞社を退社しました。1986年の入社以来、25年間勤務したことになります。お世話になった方々には、退社の連絡や挨拶回りを続けていますが、直接それをお伝えできない方も大勢します。この間、本当にお世話になりました。曲がりなりにも記者活動を続けることができたのも、大勢の方々の支えがあったからこそ、です。本当にありがとうございました。

今後はしばらく休養しつつ、引き続き、ジャーナリズム・報道の分野にかかわっていきたいと考えています。フクシマ原発事故の報道が象徴的だったように、昨今の新聞・テレビの報道は大きな問題を抱えています。「どこがどう問題なのか」はこのブログでもさんさん書き連ねてきました。報道現場が抱える多くの問題は「組織と個人」の問題に帰着すると考えていますが、メディア界全体を見渡せば、それで済む話でもありません。

ここ数年、日本の報道界では「紙の新聞vsネット」「既存メディアの記者vsフリー記者」などなどあらゆる分野で問題が露呈しました。しかし、こういった「右か左か」のような発想では物事は前に進まないような気がしています。批判はとても大切ですが、ためにする批判や何かへの怨念のようなものは、ものごとを壊していく力にはなり得ても、何かを構築していくパワーにはなり得ないようにも感じます。

北海道新聞時代は調査報道や連載企画にのめり込み、好きなことをずいぶんとやらせて頂きました。その私も51歳になりました。昨晩も小宴で「まだ若いじゃないか」と言われましたが、自分としては「もう51歳か」が実感です。何かを作り上げていく気力と知力がどの程度残っているかは判然としませんが、少しずつ歩み続けたいと思っています。

ありがとうございした。これからもよろしくお願い致します。

(ブログ内の略歴を更新しました。連絡先メールアドレスはこのブログで公開している通り、従前と変わりません)
# by masayuki_100 | 2011-07-09 13:14 | ■筆者&連絡先 | Comments(0)

 4月上旬の平日、午前中のことだった。旅先のホテルで何となくテレビを付けっぱなしにしていた。正確な日にちや時間は覚えていない。ニュース・ショーだったことは間違いないが、どの局のどの番組だったかの記憶も曖昧である。それを語った人の名前も忘れた。しかし、その瞬間の、画面に向かって思わず、「そりゃないだろ」と叫び出したくなるような感覚は、今も忘れない。福島第一原発の事故現場の地図か何かを背景に、画面のアナウンサーだかキャスターだかは、おおむね、こういう趣旨のことを語ったのである。

「(原発事故の状況について)福島の現地対策本部と東京の東電本社、保安院では、それぞれ言う内容が違う。本当に困る。どれが本当なのか、国民は分からない。政府は、発表を一本化してきちんと対応すべきじゃないか。早くひとつにまとめて下さい」

 まったく、何を言っているのか、である。報道機関であるなら、「発表内容がなぜ違うのか」の要因や背景を取材し、そこに隠された何かがあるならそれを追及し、そして広く伝えることが当然の姿勢ではないか。仮に意図的な隠し事がなかったとしても、東電や保安院では立場が違うのだから、発表内容に多少の違いが生じたとしても、何ら不思議なことではない。

 だから、「事実をとことん調べる」という報道の初歩的大原則に立てば、発表の食い違いは、取材の大きなきっかけになる。敢えて言えば、歓迎すべきことでもある。

 それなのに「発表を一本化してくれ」と頼む。原発事故を起こした電力会社と、その監督に当たるはずの保安院に対し、「一緒にやれ」と頼む。これはもう、私の理解をはるかに超えていた。

 そして、その嫌な感じは現実のものになった。時事通信の配信によると、ことの概要はこうだ。(以下、ネット記事引用)

■記者会見、25日から一本化=東電、保安院など-福島第1原発事故

 福島第1原発事故で、政府と東京電力の事故対策統合本部は23日、東電本社と経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会が別々に行っている記者会見を25日から一本化すると正式に発表した。毎日午後5時をめどに東電本社で行う。説明の食い違い解消が目的という。
 会見には同本部事務局長の細野豪志首相補佐官も出席。記者は事前登録制となる。東電によると会見にはフリージャーナリストも参加可能だが、参加の可否は保安院が審査するといい、批判の声が出そうだ。
 保安院の西山英彦審議官は参加記者に条件を付ける理由について、「メディアにふさわしい方に聞いていただきたいと考えている」と説明した。(引用終わり)

 政府・当局が「ふさわしい」メディアを選別するのだという。閉鎖的な記者クラブ制度の下では、選別する側がだれであるかは別にして、常日頃から事実上、メディア選別は行われている。選別自体は何も、今に始まったことではない。それでも時々、このような形での「特別な」選別も起きる。

 少々古い話だが、2005年春には在沖縄米軍によるメディア選別という事例があった。その経緯と感じたことは、<米海兵隊によるメディアの「選別」>と題する私のブログの古いエントリーにも記している。

 そのときも「公正でバランスの取れた報道を提供してきたと評価される報道機関」を選んだのは、海兵隊である。選ばれたのは共同通信、読売新聞、産経新聞、NHK、琉球放送だったそうだ。

 権力側のお眼鏡にかなった報道内容とは、いったい何か。選ばれた側が、選ばれたことをどう感じたかは判然としないが、そのような「感想」はどうであれ、選別行為そのものが極めて大きな問題を孕んでいる。そのことに気が付かぬ、気が付いていても抗議や改善への具体的行動を起こさないメディアは「報道機関」を名乗るべきではない。

 最近刊行された「敗戦以後」(リーダーズノート新書)という本がある。著者の藤田信勝氏(故人)は第2次世界大戦の敗戦時、毎日新聞の記者だった。敗戦前後に藤田氏が書いて日記を復刊したのが、本書である。

 戦争遂行の当局に寄り添った報道を続けた挙げ句、広島に原爆が投下された。本書はその後の、1945年8月10日の日記から始まる。時代の制約はあるが、文章の随所に、破滅を導いた一員としての苦悩が滲み出てくる。例えば、こんな風に、だ。(引用文のカッコ内は筆者が補足した)

(原爆投下後、政府・軍内部は徹底抗戦すべきとの意見だけでなく、少しでも有利な条件で降伏せよとの意見が出ている)「新聞の何れかの態度を決せざるを得ない時期が来るだろう。社内の大勢は和平論に傾いている。しかし出来上がった新聞は、徹底抗戦を叫び続けている信念の裏付けのない空疎な文字が並んでいる」(8月10日)。

「こういう大変動期になると、新聞は全く激浪の中の木の葉のように、無力だ。すでに今日まで、新聞紙面にいわゆる(徹底抗戦に向けて何をすべきかという政府の考えを国民に伝える)指導記事が氾濫すればするほど、新聞は国民から離れ、新聞の指導力はなくなっていった。......今や真実を書くことのおそるべき結果について、新聞人自体が自信を持ち得ない」(8月11日)

「最後の日がついに来た。......(深夜、ポツダム宣言が送信されてくることになっていたが、それを紙面に組む担当者以外は社内でお祭り騒ぎになった)酒とビールが興奮をあおっている。3階の客室でH,S,Nなど社会部の同僚がやはりビールと酒で興奮していた。僕も酔っぱらったSに無理矢理、中に入れさせられた。(その間も戦火が続いている場所はあるかもしれないのに)『戦争が済んだんだ!』『最後の夜! 歴史的な夜! OK!』。興奮と怒号。それから軍歌の合唱...」(8月14日)

「...戦争中、われわれ(=新聞)は完全に指導力を失った。国民の胸に何の共感も呼び起こさぬ御説教を余りにも多く、くりかえしてきた。だのに、(敗戦後も)紙面は相変わらず御説教の氾濫だ。...これからの新聞は指導者の側からばかりでなく、大衆の立場からもっともっと物を言わねばならない...」(8月18日)

「(新聞が物資の闇値を書くと、物価を吊り上げるとの非難があるが、自分はそうは思わない)...戦争中に新聞が国民の信頼を失った最大の原因は真実を書かなかったことだ。敗戦をひたかくしにかくして、負けた戦争も勝ったように書いた。その結果はどうだったか。新聞に伝えられる公式のニュースのほかに、とうとうとして闇のニュースが国民の耳から耳へと流れていった」(12月10日)

 引用はこのへんにしておく。

 東電と保安院、原子力安全委員会による会見の一本化については、さすがに大手メディアの中からも懸念が相次いだようだ。東京新聞はこれを報じた記事の中で、「...事業者と規制官庁が同席する会見は異例で、事前に擦り合わせをし、情報隠しや情報操作をする恐れがある。説明の食い違いから判明する事実もあるが、その機会が奪われる可能性もある。二十二日夜の保安院の会見では、報道陣から『立場が違う三者が同じ席で説明するのは妥当か?』『事前に擦り合わせるのか』『癒着を疑問視されるのでは』などの質問が相次いだ」と書いている。

 さらにこの間、総務省はインターネット上の流言飛語を取り締まる目的を持って、インターネット事業者に対し、流言飛語があった場合、削除要請を行うとの方針を決めた。流言飛語か否かを判断するのは、もちろん、当局である。情報統制、検閲の見本のような話だ。
 
 上記の藤田氏が敗戦前後の思いを日記帳に書き綴っていた数年前、日本の報道界は、政府・軍部による進んで迎合した。新聞統制令によって、群雄割拠だった地方新聞社が都道府県単位で強制統合され、「一県一紙体制」になることは、新聞社の経営安定につながるとして、各社は基本的に喜んでそれを受け容れた。記者クラブ制度は、事実上、政府・当局の手で再編・強化され、記者は政府への登録制になった。排除された記者も出た。

 軍担当の記者は軍服を着て取材にあたり、士官待遇を受けたという。政府・軍部による発表は件数が激増し、各社はそれを「正確に」伝えることにしのぎを削った。やがて敗色濃厚となって、朝日新聞から政府の情報局総裁に転じた緒方竹虎が「記者諸君はもっと自由に書いていい」旨を言った時、記者たちは「それは困る。どこまで書いていいかを示して欲しい」旨を要望している。

 藤田氏の慟哭は、そうした出来事の積み重ねの結果でもあったと思う。報道をめぐる、わずか半世紀少々前のこれらの出来事は、決して消すことができぬ歴史的事実として、報道関係者は今も将来も、胸に深く刻み込んでおくべきではないか。それが、「歴史から学ぶ」ということではないか。
# by masayuki_100 | 2011-04-28 00:34 | Comments(1)

東日本大震災の後は、半ば呆然とした日々が続いていた。札幌は、地震も津波も原発事故も、ほとんど影響がなかったし、今もない。自分の日常の仕事も、震災前と同様に続いている。

新聞労連の集会に呼ばれて青森県の八戸市へ出向いたのは、2月初旬のことだった。東北各地から地方紙の記者や販売・営業担当の人たちが集まり、夜は店を3軒もハシゴしながら「地方紙はこれからどうしたらいいか」といった話を続けていた。あのとき、夜遅くまで話した人たちも、かつてない事態の最中にある。その場で一緒した「今だけ委員長」さん、河北新報の寺島英弥さんの「余震の中で新聞をつくる」、あるいはその他の奔流のような報道に接していると、現場のすさまじさと足下の日常との、あまりにも違うその落差を前にして、私はなかなか語るべき言葉を持ち得なかった。

それでも、書いておきたいことは山のようにある。何からどう書いておくべきか、頭の中の整理が仕切れていないが。

震災の少し前、「新聞 資本と経営の昭和史」(今西光男著)という本を読んでいた。筆者は朝日新聞で長く記者として働いた方である。第二次大戦前、朝日新聞はいったいどうやって「大本営発表」の渦の中に落ちて行ったかを詳述した1冊だ。社内の資料も豊富に使い、実に読みごたえがある。もちろん、「朝日」を題材にして、当時の新聞界全体のことを語っているのである。

よく知られているように、戦前の言論統制は、当局による強圧的な統制が最初から幅を利かしていたわけではない。最初は各社の「自主的な判断」があった。自ら進んで「国策」に協力したのである。

同書によると、1931年の満州事変直前、朝日新聞は社説で「国策発動の大同的協力」へ向けて「機運の促進」を「痛切に希望」すると書いた。同じころ、朝日新聞は社内の会議で、「国家ノ重大事ニ処シ国論ノ統一ヲ図ルハ当然」との結論が下されたという。

同書に登場する清沢烈の、1936年当時の批判も強烈である。以下の文章は当時の月刊誌「日本評論」に掲載されたものだ(引用文は現代風に書き換えた。一部省略もある)。

「新聞社が役人の頭で動いている証拠には、その頭が常に役人本位である。役人を代えると『人事刷新』と囃したてて喝采する。役人の出世・行詰まりを国民の福利と関係があるかのように解釈する結果だ。外務省に行くものは外務省に、陸軍省に行くものは陸軍省に、その型と思想が出来る。これも自分の頭を置き忘れた結果である」「こうした傾向からみて、役人の行き詰まりから来た非常時心理を紙面に反映するのは当然である。殊に朝日あたりは幹部が事務的になりきって、主義や思想を守りきろうという熱意があろう道理はない。かくしてファッショの風潮にひとたまりもなく頭を下げるのである」

山中亘氏の著書「戦争は新聞を美化せよ!」の中にも、似たような話が山のように出てくる。いずれも戦前の、軍部による強圧的な検閲が始まる少し前のことである。たとえば、山中氏が発掘した資料によると、当時、新聞社内ではこういうことが語られていたという。

「こういう未曾有の大事変下においては国内の相克こそ最も恐るべきものであります。全国民の一致団結の力が強ければ、何物も恐れることはありません・・・この一億一心に民心を団結強化するためには真に国策を支持し、国民の向かうべき道を明示する良き新聞を普及することが、適切有効であることは今更論じるまでもありません」(大阪朝日新聞取締役業務局長)

「決戦下の新聞の行き方は、国家の意思、政策、要請など、平たく言えば国の考えていること、行わんとしていること、欲していること等を紙面に反映させ、打てば響くように国民の戦争生活の指針とすることが第一・・・」(東京朝日の記者)

毎日新聞の当時のOBは以下のようなことを書き残している。「今日では(新聞は)平和産業の一部門だと解する愚か者はなく・・・インキはガソリン、ペンは銃剣である。新聞人の戦野は紙面である。全紙面を戦場に・・・ジャズ゙に浮かれていた数年前の新聞は今日見たくも無い」

朝日新聞の筆政(今で言う「主筆」)から第2次大戦下の政府の情報局総裁になった緒方竹虎は、総裁になって新聞を統制する側に回った際、若い記者があまりにも「発表」しか書かない、「発表」ばかり書くことが気になり、もっと自由に書いていいのだぞ、と伝えた。すると、若い大勢の記者からは「(緒方総裁が)いろいろなことを話してくれるのはありがたいが、(自由にやれと言われると)どの程度記事にしてよいか分からなくなる」との苦情が出たのだという。

私の解釈でいえば、「新聞は社会の公器である」という言葉は、戦後民主主義の高揚とともに生まれたものではない。「新聞は読者とともにある」という理念を表した言葉でもない。それは「国策遂行のために新聞はある」という、戦前の新聞のありようを体現したものにほかならない。「社会の公器」は「国策遂行」とイコールの関係だった。時代は変わっても、メディアと当局の親和性は極めて高い。「国難」「未曾有の出来事」になればなるほど、その親和性は高まってくる。

東日本大震災後の福島原発に関する報道を見ていると、ここに縷々書き連ねた、戦前のいやな感じが二重写しになってしまう。言うまでもないことだが、地震や津波による「震災報道」と、原発をめぐる「原発事故報道」は、まったく別物である。これを同一の視点からとらえていると、ことの本質を見誤ってしまうだろうと思う。

福島原発の事故が発生した当初、自衛隊による空からの放水(散水)が中継された。白煙が上がっているだけの原発の様子も、ずっと中継されていた。しかし、である。ニュースをすべて見ているわけではないので断定はできないが、原発の状況が悪化するにつれ、その関連報道は総体的に減少してきたように思う。官房長官のテレビ中継が途中でカットされてしまう場面にも何度か遭遇した。「大事な場面だったのに」と思ったことも一度や二度ではない。

報道すべき事柄がないわけではあるまい。それは日々、比例級数的に増加しているはずだ。原発事故そのものだけではない。放射性物質の安全性に関するいくつかの基準が事故後に緩和されたり、プルトニウムは微量であれば摂取しても安全であると当局が明言したり。情報の受け手が疑問や疑念を持つ出来事は、次から次へと起きている。

報道現場も大いに混乱してるとは思う。しかし、理由はそれだけではあるまい。ひとつは、もう「慣れた」のである。悪い意味で。これは推測にすぎないが、「発表がないと書かない・書けない」ような雰囲気が、ほぼ完全に醸成されてしまったのではないかと思う。先述した戦前の日本や9・11直後の米国などがそうだったように、「国難」や「国民一丸」が語られるときほど、ニュースは当局寄りになる。この傾向が進むと、残るのは「大本営発表」と「前線で戦う人々の美談」のみである。

私は常々、最近の報道界の凋落は「取材力の低下」が大きな原因であると言ってきた。それは「当局との親和性の深化」の裏返しでもある。現場では、記者がそれぞれに工夫し、なんとか壁を突破しようとしているのだとは思う。私の知人・友人にも、そういう記者は数多くいる。しかし、報道全体としては限りなく、「大本営前夜に近付いているのではないか」という感覚がある。あえて「前夜」と付したのは、強制的な検閲が発動される以前の、という意味においてである。ある全国紙の知人(デスク)も先日、「福島原発絡みでは、やばい話がいろいろある。でもデカすぎて書けない」という趣旨の話をしていた。「政府・当局」のお墨付きがない限り、こわくて書けないという。

東京電力も官僚機構も、そして新聞社も、すでに出来上がった、言葉を換えれば賞味期限が過ぎた組織である。ビジネスの様式が完成し、日々仕事は進んでいく仕組みが出来上がっているから、トップや中堅幹部がどのような人物であっても、とりあえずの仕事は進む。そのような組織には、日ごろ、葛藤がない。「新聞 資本と経営の昭和史」を読んでもそうだったけれども、戦前の新聞社も実に粛々と、国策遂行会社になってしまう。当時の当事者にとっても、すべては「日常の延長」だったようだ。軍部や政権の奥深くに食い込んだ記者も、やがては大ニュースも大ニュースと思わなくなっていく。

福島の問題に立ち返れば、それでも、報道の現場でやるべきこと、やれることはたくさんあると思う。「多様性の確保=異なる視点」と「発表されない事実の掘り起こし」。突き詰めて言えば、「大本営」を防ぐには、この2つの柱しかない。では具体的にどうするか、という点については、また後日に記したいと思う。
# by masayuki_100 | 2011-03-30 09:29 | ■ネット時代の報道 | Comments(4)

2010年の振り返り総括でも書こうと思っているうち、2011年が明けてしまったが、昨年末(と言っても10日ほど前のこと)、久々に強い憤りを感じたことがあった。例によって、記者クラブ問題である。

「記者会見・記者室の完全開放を求める会」のホームページに昨年末、「総務省記者クラブとの懇談会」 「総務省記者クラブからの返答」という2つの記事がアップされた。当初は、記者クラブ側がフリーランス記者たちの意見を聞き、会見開放に向けての具体策を考えていく、そのための会合だと思っていた。ところが、そうではなかった。

 「総務省記者クラブからの返答」は、公表用だから随分マイルドな表現になっている。このやり取りを行ったフリーランス記者の渡部真さんによると、実際のやり取りはもっと激しかったようだ(口調や言葉遣いのことを言っているのではない。誤解のないように言っておくが、渡部さんは非常にまじめな、穏やかな人である。毎日の記者さんも同じような方だと聞いている)。

読めば読むほど絶望的である。毎日新聞の記者はたまたま幹事社だったから矢面に立たされたのだろうが、「会見の動画撮影を認めない理由」はまったく理由になっていない。ええ加減にせよ、である。理由になっていない理由をここにも書きだしておく。

<毎日> 総務省記者クラブの総会で、申し入れのあった動画撮影について各社の意向を確認したが、結論から言うと、今回の総会では動画撮影を認めるという結論に達しなかった。
【理由1】まず新聞協会の見解を確認したが、たしかに記者会見を開放しようという見解になっているものの、動画撮影について言及して認める方針は示されていない。新聞協会の見解を根拠に動画撮影をフリーランス・ジャーナリスト認めることはできない。
【理由2】総会の中で、撮影者の意図と関係なく、インターネットなどで公開した映像が、第三者によって二次使用されるリスクがあると指摘する意見があった。そこに映っている人の発言・質問などが、本人の意図した
内容と異なって、一部だけ使われると全体の真意が伝わらないこともある。それを危惧する意見があった。
【理由3】やはり各社に持ち帰って本社の意向を確認しないと、記者クラブの担当者だけで決める事が出来な
い。そのためには時間がかかる。

記者クラブ問題に関する日本新聞協会の見解は、同協会のホームページで読むことができる。それを読んだ上で、上記の総務省記者クラブ幹事社(毎日)の言い分を読んでほしい。会社員記者かフリー記者か等を問わず、総務省記者クラブ側の言い分を「おかしいぞ」と思わぬ人は、記者ではない。これで(本心から)納得してしまうような人は、物事に疑問を持たぬという意味において記者には向いていない。

昨年春、記者クラブ問題に関する新聞労連のシンポジウムでパネリストを務めた際、あるいはこの会見開放の会の立ち上げの際、私は「もしかしたら頑迷固陋なメディア各社もクラブ問題で動き始めるかもしれない」という、かすかな希望を持っていた。そして、動かぬのは各社の上層部であって、現場は開放に前向きだと思っていた。その思いは今も同じだ。

しかし、である。「思っているだけ」では何も変わらぬのだよ。「おれは開放に賛成だ」と“思って”いるだけでは、それでおしまいである。

総務省記者クラブの幹事社である毎日新聞の記者は「各社に持ち帰って本社の意向を確認しないと、記者クラブの担当者だけで決める事が出来ない。そのためには時間がかかる」と言ったそうだ。おそらく、あちこちの記者クラブでこんな言葉が交わされているのだと思う。そういう人に言いたい。新聞協会の「見解」に基づくなら、記者クラブは記者の「個人組織」である。記者個人としての意見・態度を表明できないのなら、そんな商売、やめてしまえ。「やらない理由」を一生懸命に述べるのは、保守化・官僚化が極まった組織の常ではあるが、それにしても、ひどすぎないか。

「おれたちがせっかく前向きに考えているのに」という総務省記者クラブの記者たちの声が聞こえてきそうだ。ならば、本気でそれを成す為に行動すべきだ。「考えている」という言葉を弄び、良心派を装うことの罪の重さを思うべきだ。最近は何も活動できていないので申し訳ない限りだが、会見開放の会を立ち上げる時、それへの賛同を呼び掛けると、「この人なら」と思った既存メディアの「良心派」の記者たちが何人も、「行動はできない」「陰で応援する」といってきた。「陰で」など、応援にならない。

結局、問題はそういうところにある。
# by masayuki_100 | 2011-01-05 11:29 | Comments(1)