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ニュースの現場で考えること

先日の統一地方選の結果について、
「保守回帰」という評しているメディアがありました。

もう、こういう手軽な言葉に逃げ込むことは、
いい加減に止めないといけないな、と思います。
4年後に民主党が勝てば、「革新回帰」と書くのでしょうか? 
そもそも、現代において「保守」「革新」の区別はどこにあるのでしょう?

自民党のハト派は民主党タカ派よりはるかに「ハト」ですし、
政党を問わず、外交的にはタカ派でも内政面では優れた民主主義者はいくらでもいます。
「政党間」の「ねじれ」といった語句では表現できないほど、世の中は複雑になったのです。

作家の村上龍氏が配信するメールマガジンJMMでは毎回のように、
「私たちは古い言葉しか持っていない。今の急変する世の中を正確に映し、理解し、共通認
識とする新しい言葉を持っていない。それが現代の最大の問題だ」という認識が示されています。

メディアも社会も複雑な社会を的確に表現する語句を持ち合わせて折らず、
言葉がどんどん陳腐になり結果として、報道の中身と現実社会が大きくズレている。

それを実感してしまいます。     
# by masayuki_100 | 2003-04-30 17:58 | ■ジャーナリズム一般 | Comments(0)

私は、「運動」や「組織」には非常に懐疑的です。

少なくとも私は、あるいはこの文章を読まれる方々のうち幾人かは、メディアの現場にいるでしょう。

ならば、日々の執筆やデスク作業の中で、いま何をどう伝えるかを徹底して考え、それを実行に移すべきであって、それが何よりも重要なはずです。ある意味、それは一番シンドイ行為でしょう。わけのわからぬデスクやキャップ、社の方針といったものに縛られ、思うような原稿もなかなか書けない。それが現実です。

しかし、だからと言って、現場での努力を放棄しては何にもなりません。組織内でいかに徹底した議論と、取材執筆ができるか。その際、組織や社風におもねることなく、いかに「記者個人」としての立場を明確にできるか。

問題はすべて、そこに収斂されます。
世の中に「客観報道」などありません。どんな装いを凝らそうとも、記事は記者の主観的な眼を通してのみ生産されます。ならば、自らの立場、ものの見方をしっかりさせ、自らの責任で記事を書くのは当然の所作のはずです。

日々の仕事を安穏と適当に済ませ、一方で、紙面の論調や社の体質を憂えてみせる。時には、外で何か行動してみる。それらは偽善的行為ではないでしょうか? 少なくとも私はそう思います。ふつうの人がなかなか持てないペンやカメラを持っているなら、尚更ではないでしょうか。

日々の現場で戦え!それがいまのところの結論です。デスクやキャップすら説得できない、動かせない人が、世の中に何かを訴え、共感を呼べるような原稿を書けるとも思えません。

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# by masayuki_100 | 2003-04-28 17:43 | ■ジャーナリズム一般 | Comments(0)

■イラク問題で欧州はどう対応しているのか。
以下は、最初は元外務省局長(在欧州)からのメールです(一部略)。


(1)つまるところ、米欧の対立の根っこには「サダム独裁」に対する
危機意識の差があるように思われる。アメリカにとって「サダムの独裁
」は、9/11以降、米国の安全保障に対する直接の脅威であり、アメ
リカの体現する価値に対する許し難い挑戦ということになった。少なく
とも、現政権、そのネオコンと言われる指導部はそう認識するに至った
。サダム独裁が国際テロリズム、大量破壊兵器と連結して認識される以
上、アメリカ自身の安全保障に対する脅威を取り除くために、これまで
の国際法では許されない先制攻撃の対象たりうるというのが米国の認識
である。大陸欧州には、「サダム独裁」に対するそこまでの危機意識は
9/11の後にも生じなかった。「サダム独裁」は欧州の安全保障を直
に脅かす危険とはついに大陸欧州では認識されなかった。これが大陸欧
州の反応の根っこにあったと思う。

(2)他方、「サダム独裁」によるイラクの人権抑圧と大量破壊兵器の
保有は許せないということは欧州の概ねのコンセンサスでもあった。し
かし、それでは、99年に、欧州は「ミロシェヴィッチの独裁」をたた
くために、国連決議無しで、セルビアの攻撃に踏み切った。NATOが
動員され攻撃の主役は米国になったが、音頭をとったのは、むしろ英国
を始めとする欧州だった。欧州は「人権擁護」のためにアメリカよりも
極的にセルビアを攻撃したのである。今度は欧州がずっと腰をひいた。
何故だろう。セルビアの人権問題は、欧州内部の問題だった。欧州はこ
れを看過できなかった。イラクの人権問題は、セルビアの人権問題に較
べれば欧州にとって遠かった。ドイツがコソヴォに軍隊を派遣しておき
ながら「攻撃されない限り攻撃すべきでない」と言って対イラク戦争絶
対反対を言っているのは、イラク問題がドイツの安全保障とは無関係と
認識されていることに加え、イラクの人権問題は、従来の国際法の枠を
こえてまで解決すべき問題とは全く認識されていないからだ。(この点
は、実はアメリカにとってもそうなのだが、アメリカにとっては、9・
11以降サダムとの闘いは、「イラクの人権」のための闘いなのではな
く、アメリカの安全保障のための闘いになった以上、先制攻撃は完全に
ゆるされることになったのである。)

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# by masayuki_100 | 2003-04-18 17:38 | ■政治・経済・国際 | Comments(0)

私のデスク業務も、はや、一カ月を過ぎました。原稿が殺到している時間帯、締め切り間際などは別として、デスクの仕事は基本的に退屈だな、というのが偽らざる心境です。現場から送られてきた原稿を少しでも良くする、事実上の最終関門としてニュースを厳しくチェックする、そういった基本動作はまじめにやっているつもりですが、いかんせん、部屋にこもる時間が圧倒的に多いわけですから、毎回毎回、勤務ダイヤが終了する度に「ふうぅ」と溜め息が出てしまいます。

そんな日々が続いたせいでもないでしょうが、最近、組織ジャーナリズムの限界をぼんやりと感じます。それとは逆に、この数日は「市民メディア」について、ぼんやりと思い巡らせています。

市民メディア、って何でしょうね。インターネットの検索でこの文字を入力すれば、たちまち数千件がヒットするでしょう。以前にも、市民メディアには朧気な関心を抱いていましたが、最近は関連するホームページをいくつか熟読しました。

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# by masayuki_100 | 2003-04-14 17:07 | ■ジャーナリズム一般 | Comments(0)

デスク職に就いてしまうと、自分で動いて書くという作業が、なかなかで
きません。そうしたい場合はそうできるだろうし(実際、私の名刺は「北海
道新聞記者・報道本部次長」とあって、「記者」が先に来ています)、後は
本人の心がけ次第なのですが、まあ、実態として机に向かっている時間が圧
倒的に多いわけですから、この悶々とした思いは如何ともし難いものがあり
ます。

一言で表現すれば「かごの鳥」といったところでしょうか。

「井の中の蛙 大海を知らず」という有名な句があります。この句は「さ
れどその深さと井戸の青さを知る」と続くのですが、後段のように言えるた
めには、自分が「井の中の蛙」であることをしっかりと認識しないとダメな
のでしょう。誰もが井の中の蛙になりたくはないと思うけれど、いくらそう
思ったところで世界は広すぎる、奧深過ぎる、ならば「井の中」を認知する
ことこそが、「井の中」から脱出する唯一の方法かもしれません。

留萌在住の歌人の方と電話で話していたら、似たような句として

「わたくしの ほかなる生を 知らざれば 壺の内より 見る大銀河」

という句を教えてもらいました。

自分以外の多くの生命への感動と共感。それがあればこそ、というか、
そうであったとしても、自分は1人でしっかり生きていくほかはないという思い。
狭い壺に1人佇むような孤独を感じたとしても、その底からは
きっと大銀河が見えるのです。私はそう信じていたいと思います。
# by masayuki_100 | 2003-03-31 17:02 | ■時計台(日記です) | Comments(0)

きょうは、東京での政治取材の話です。

私自身は東京勤務時代は日銀や財務省など経済担当が長く、政治取材の経験は、外務省を担当した1年間しかありません。本来的には「政治取材」の部外者ですから、大きな誤解があるかもしれません。しかし、取材する側がいつも「番記者」として、事実上のサークルを作って、取材相手と懇親を繰り返し、相手の機嫌を損ねないようなアプローチしか出来ていないのが、おそらく今も実態でしょう。

昨年夏ごろだったでしょうか。

夜回り取材に出掛けた国会議員の宿舎で、私は異様な(少なくとも私は「異様」と映りました)光景を目にしました。

ロビーのソファにドッカリと腰を降ろした青木幹雄氏。それを「立ったまま」取り囲む若い政治記者の面々。青木氏が何か喋れる度、一堂はうなずき、質問するときは恐る恐るといった感じで「先生、お尋ねしても宜しいでしょうか」。その繰り返しでした。「懇談」が終わって、青木氏本人がエレベーターホールに向かう際は、全員が起立したまま、姿が消えるまで見送り、姿が消えれば、互いに「あの言葉の意味は?」「あれはこういう意味だったよね」と、いわゆるメモ合わせを行う…。そういった光景でした。その種の光景はそれこそ何度も目にしましたし、一時は何も思いませんでしたが、あの時はなぜか、「この光景をカメラに納めたら立派なニュース写真になる」と思ったものです。

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# by masayuki_100 | 2003-03-30 16:54 | |--記者会見が勝負 | Comments(2)

9・11直後のニューヨークタイムスの外交コラムをまとめた本をいま読んでいます。その中で、とりわけ印象に残ったのは、「みんな普通の暮らしをしよう」という執拗な呼びかけです。当時はブッシュ大統領も同じ呼びかけをしていましたが、恐らく、大統領の意図したこととは別の意味で、これは非常に大切なことだと最近感じています。

作家・松下竜一に「豆腐屋の四季」という作品があります。

学生運動などで、世間が揺れていた1970年代。東京で繰り返される「闘争」を横目に、豆腐屋の丁稚だった松下は「あんなことを繰り返しても世の中は変わらない。大事なのは今、豆腐を作ることだ」といったことを感じます(私の記憶です。違っていたらごめんなさい)。

日常の積み重ねこそ、社会です。
メディアはこれから次々とイラクの「戦況報道」を続けるでしょう。
それが、「日常」になるのも時間の問題です。

しかし、日本には多くの豆腐屋が今もあります。
それを忘れないでいたいと思っています。
抽象的な表現ですが、今はそう思っています。
# by masayuki_100 | 2003-03-14 16:49 | ■本 | Comments(0)

本日のニュースで注目したいのは、道内のある小学校での話。

ヤミ金からカネを借りて返せなくなった人に対し、激しい取り立てが行われることは、今や常識になりました。きょうのニュースは、その取り立てが子供の通う学校にまで及んだ、という内容です。取り立ての電話が連日、学校にかかり、「あの親がカネ払わないんだ。先生からも言ってくれ。カネ返さないと、ガキがどうなるか分からないぞ」と脅す内容だったそうです。危険を感じた学校側は急遽、集団下校を実施。騒ぎは瞬く間に地域全体に広がりました。

警察などの統計を見ていると、ヤミ金に関する被害届や相談は一昨年秋ごろから急増していることが分かります。まさに倍増、倍増です。世の中で「構造改革」歓迎ムードが広がり、「負け組みが出るのは仕方ない」といった雰囲気が広がった時期と軌を一にしています。カルロス・ゴーンさんが賞賛され、リストラそのものへの批判がしずらくなった時期、と言い換えても構いません。激しい首切り、正社員から派遣社員への雪崩のような交替、サービス残業の増加。そうした「リストラ」に対する反旗を嫌い、リストラ時代を乗りきるノウハウ、リストラされないノウハウの習得(?)を重んじる。そんな空気の中で、ヤミ金問題は静に、さざ波のよう
に広がっていました。

自分だけは、負け組みになるはずがない。そういう思いは「自分だけは交通事故で死ぬはずがない」という根拠のない思い込みに、どこか通じる感じがします。実際、「どうやって食べていけばいいんだ!」という思いを抱く人は、凄まじい勢いで増えている実感があります。札幌のある中古車販売業者によると、「クレジットカードの使えない人が急に増え、売り上げがどんどん落ちている」そうです。彼によれば、従来は「息子が免許を取ったのでクルマを買ってやりたい。最初だから中古でいい」という40-50代の大人が顧客の中心層でした。ところが、この層でいつの間にか、クレジットカードの使えない層が急増している。リストラなどで勤
務先を代わった、リボルビング払いの多様で残債が増えクルマを買えば限度額を超す、といった内容です。

ある金融関係者に聞いた話では、老舗のヤミ金業者は、最近の新規参入組に手を焼いているそうです。実は、貸金業登録は年令制限がありません。書類さえあれば、誰でも「知事登録」できます。10代でもできます。で、その関係者によると最近は50万円の元手で開業する若い奴が増えて、目障りで仕方ない、と。50万円の元手があれば、10人に数百万円を貸せる。「10万円貸すが、8万円は利息の先取り分として、こっちで取っておく。お前の手に渡るのは2万円だが、借用書は(実際は借用書を作る例は希)10万円だ。利息は10日で1割だぞ」とか。こういう手法を繰り返せば、あっという間に「数百万円を貸したことにできる」ので
す。脅し口調や手口に覚えがあれば、それこそ、誰にでも出来ます。

おそらく、今年はヤミ金問題が日本中でさらに大きな社会問題になるでしょう。石油ショック後、サラ金が大問題になったように、です。日本中の金融機関という金融機関も「儲かるのは個人向けの貸し付け」として、個人ローンに乗り出す時代。日銀は事実上のゼロ金利を継続しているというのに、ヤミ金の末端では「年利数百%」「2000%」がまかり通る時代。自己破産者の増勢にどこでストップがかかるのか見当も付かない時代。そうした中で「個人の自己責任」は跋扈しているのです。

昨日、北海道開発局のある幹部とススキノで飲んでいた時も、この話題になりました。業種別就業者を見れば、道内の建設業従事者の割合は、全就業者の15%。郡部の町村に行けば、30%に跳ね上がるケースも少なくありません。炭砿や漁業がダメになった時、それらの仕事に就いていた人は次々と建設業に流れました。バブル後の景気対策で公共事業関係費が急増した際、さらに建設業就業者は増えました。「そういう中高年が今、サラ金にまみれている」と幹部氏。公共投資を増やす方法では、この不況を立て直すことができないことは、もう自明です。

しかしながら「構造改革」路線に乗って、「勝ち組はより強く、負け組は勝ち組の能力発揮を邪魔しないように」という現在の流れを強めることで、いったい、どんな展望が開けるというのでしょう?
# by masayuki_100 | 2003-02-14 16:45 | ■政治・経済・国際 | Comments(0)

きょうはJR札幌駅の新駅ビル「JRタワー」の合同就職説明会に1200人が殺到した、という原稿を同僚が執筆中です。不況で就職難が著しい札幌では、新駅ビルに多数入居するテナントは大きな魅力です。

そこに集まった人たちは、どんな思いで職を探しているのか。全国の失業率は5%超が常態化し、札幌でも街角から人影が消えています。週末であってもススキノは、ガラガラです。

最近、会う人ごとに「北海道新聞の社会面は面白くない」と言われ続けました。私自身は必ずしもそう思っていないのですが、読者にすれば、社会面から人々の息遣いが読みとれないからかもしれません。

もっとも、思い当たることもあります。それは最近の社会面は、役所や団体、NGOやNPOの組織名を主語とする原稿が、なんだか急に増えてきたということです。

本来なら、AさんやBさん、Cさんを主語とする原稿がもっとたくさんあっても良いのでしょう。「足元から社会を見る」というと何だか大袈裟で、かつ正義漢ぶっていて居心地が良くないのですが、1人1人の肉声や息遣いを通じて社会の歪みを照射する努力は、もっともっと必要です。それは間違いありません。


政治記事や経済記事も同じ問題を抱えているのでしょう。「小泉改革には大きな問題点がある」と力んでみても、改革の矛盾は、永田町や霞が関に存在するわけではありません。世の中のそこここに、札幌の街角や道内の寒村、都会の雑踏といった社会の中でこそ、矛盾は噴き出しているのです。

それを自分の目で見て、鋭く感じ取ることなしに、「小泉政権はー」「財務省はー」といった主語の原稿を重ねても、読者との距離はなかなか縮まらないでしょう。

永田町・霞が関で日々取材に走りつつも、時々は狭い世界を捨て、現実社会の中で矛盾を感じ取る。それがどんどん忘却されているようです。私自身が東京時代にほとんどできなかったことですから、余計にそう思ってしまいます。「なかなかそうはいかないよ」「記者クラブ詰めや番記者だから無理」という惰性の中で、志をどこかに置き忘れたのでしょうか。

記者の世界に残る(こびりついている、と言った方が正確ですね)、それらの古い因習にしがみ付くことでしか政治記者・経済記者を続けられないとしたら、そんな状態で製造される記事の数々はますます「官報」になってしまい、世の中を変える原動力どころか、読者にも振り向いてもらえないに違いありません。

メディアに世の中を変える力が残っていれば、の話ですが。
# by masayuki_100 | 2003-02-13 16:34 | ■ジャーナリズム一般 | Comments(0)