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ニュースの現場で考えること

山本博さんと調査報道

報道業界の中でも、「山本博」の名にすぐピンとくる人は少なくなった。山本さんの死去を知らせるニュースを聞いて驚き、それを若い記者仲間何人かに伝えても、反応のない記者も多かった。ネットで見ると、時事通信社による訃報は「リクルート報道」のくだりが書かれていない。だから余計にピンと来なかった人も多いかもしれない。

(以下、時事通信ドットコムからの引用
 山本博氏(やまもと・ひろし=元朝日学生新聞社社長)4日、心不全のため死去、70歳。故人の遺志で葬儀は行わず、後日お別れの会を開く。北海道新聞を経て70年朝日新聞社入社。名古屋本社社会部長、事業開発本部長などを歴任、00~08年に朝日学生新聞社社長を務めた。(引用終わり)

朝日新聞の訃報記事は、記事中にこう記している。

数々の調査報道に携わり、東京社会部時代に談合キャンペーンや東京医科歯科大教授選考をめぐる汚職事件の報道で新聞協会賞を2回受賞した。横浜支局次長として川崎市助役への未公開株譲渡問題の取材を指揮し、後のリクルート事件に結びつけた。

「調査報道とは何か」「それはいったい、どうやって進めるのか」。そんなこと考える記者はたいてい、山本さんの過去記事や著作物をあさる。調査報道と言えばリクルート報道、リクルート報道と言えば山本さん、という時代が確かにあったと思う。

後に東京地検特捜部が捜査に乗り出したリクルート「事件」の問題点については、リクルート側の被告・江副浩正氏(故人)が自著「リクルート事件・江副浩正の真実」を著し、その中で特捜検察と捜査上の問題を暴き出している。ただし、調査報道によって政界の闇が暴かれていくリクルート「報道」のプロセスと、その後の検察の事件化プロセスを報じた「検察報道」としてのプロセスは明らかに異なる。前者にかかわったのが山本さんである。

最後に長時間、山本さんと話し込んだのは2010年春ごろだった。東京・市ヶ谷の喫茶店「ルノアール」に個室を借り、ICレコーダーを回しながら、長い長い時間、質問を続けた。調査報道は実務的にどう進めるのか、新聞社内での壁はどう乗り越えたら良いのか。そんなことを聞きたかったからだ。後日のインタビューや他の調査報道記者へのインタビューも合わせて編集し、山本さんの発言は「権力vs調査報道」(旬報社)の中で詳しく書いた。それなりに読み応えはあると思っていたのに、さっき、録音の文字起こしペーパーを見ていたら、あれもこれも未収録になっている。もったいなかったし、申し訳ないことをした。

 「権力vs調査報道」の山本さん部分の「インタビューを終えて」欄で、私はこんなことを書いた。少し長いけれど、引用しておきたいと思う。

(以下、引用)
 公費天国キャンペーンから始まり、平和相互銀行事件、「政商」小針暦二氏をめぐる問題、三越ニセ秘宝事件・・・そしてリクルート事件へ。山本氏の口からは、かつて世情をにぎわせた事件や疑惑、疑獄がぽんぽんと飛び出してくる。
 「調査報道」を一気に有名にしたのは、米ワシントン・ポスト紙によるウオーター・ゲート事件の報道である。事件は1972年に起き、ポスト紙に触発されて各紙が激しい報道合戦を展開。最終的にはニクソン米大統領が辞任に追い込まれた。
 日本ではその数年後、調査報道の大波がやってきた。山本氏自身は「ジャーナリズムが全面的な調査報道を独自に行うようになったのは、1979年の朝日新聞による『公費天国キャンペーン』が皮切りです」と述べているように、1970年代末からの約10年間は調査報道の黄金期と言えた。朝日新聞ばかりでなく、各紙が権力不正や社会悪の追及に乗り出している。
 そうした中、山本氏の調査報道で際立つのは、「ブツ」、すなわち物的証拠へのこだわりである。
インタビューの中で山本氏は、リクルート報道においても紙面化を始める前には、すでに未公開株の譲渡先リストを入手していたと明かしている。中曽根元首相をめぐる株取引問題では、当事者しか持っていないはずの「相対取引に関する書類」を入手し、実物の写真を紙面に掲載してみせた。関連する証言は幾重にも取材している。
 それでも、新聞社の責任において取材・報道している以上、相手側が名誉毀損などで訴えてくることはある。提訴は自由だ。実際、株取引に関する1990年元旦のスクープ記事について、中曽根元首相が朝日新聞社を名誉毀損で訴えたし、そのころから、調査報道に対する社内の理解と勢いは衰えてきたという。山本氏はインタビューの最後にそういった趣旨のことを語り、「訴えられることに幹部があまりにも臆病になり過ぎている」と強調した。
 山本氏ら調査報道に深い関心を寄せる記者が多数現場にいたから、調査報道は花開いたのか。新聞社が社として、調査報道の旗を振った結果なのか。
 山本氏のインタビューを仔細に読み返すと、答えは前者であることが分かる。誤解を恐れずに言えば、過去の多くの調査報道は、一部の現場記者がそれにのめりこんだ結果であり、会社上層部の意向とはあまり関係がない。実際、山本氏が人事異動で取材現場を離れた後は、政界・財界を揺るがすような調査報道は次第に影を潜めてきた。
 調査報道に関するノウハウや意識が組織的な継承は、日本の報道機関においてほとんど実践されてなかったのではないか。この「組織と個人」の問題を解決できれば、調査報道の力は格段に上昇するはずなのだが。(引用、終わり)

 当時は私自身、訴訟の被告だった。北海道警察の裏金報道をめぐり、いわばその後始末としての訴訟が延々と続いていた。だから山本さんへのインタビューでも「組織と個人」にこだわって、質問を重ねたように思う。端的に言えば、結局、山本さんの答えは「ごちゃごちゃ言わずにまずは取材しろ」だった。調査報道の定義付けは何か、社内論議をどうする、調査報道を担う部署はどこに設ける、、、そういうことも大事だけれど、「現場の記者はまず取材に行け。徹底的に取材しろ」が答えだった。山本さんの。

山本さんにはこんなエピソードがある。リクルート報道の最中、夜に取材から戻ってきた記者が、ゆったりしていたデスクの山本さんに言った。「デスク、きょうは時間があるんですね? 一杯、行きませんか?」「お、君は今晩、時間があるのか?」「はい、ヒマです」「そうか、ヒマか。なら、夜回り取材に行け」

もちろん本当の話かどうかは分からない。ただし、山本さんの人柄がよく出たエピソードだと思った。まず取材、さらに取材、最後まで取材。山本流の調査報道メソッドがあるとすれば、たぶん、それである。山本さんは自身、それができたし、だから後輩記者にも(程度の差はあれ)それを期待した。でも結局、そうした個人やわずかな数の記者によってしか、権力監視型の調査報道が持続できなかったところに、日本の調査報道の弱さみたいなものがあり、いまの報道の姿がある。たぶん、「組織と個人」の問題である。

私などよりもっと深く山本さんと付き合っていた、報道界の先輩たち、そして山本さん自身はどう思っているだろう。
by masayuki_100 | 2013-07-06 13:35 | ■2011年7月~