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ニュースの現場で考えること

 お知らせが少々遅くなってしまったが、「日本の現場 地方紙で読む 2012」が昨年秋、旬報社から発刊された。前作の「日本の現場 地方紙で読む」に引き続いて、各地の地方紙の連載や企画記事を選び、収録している(収録記事の内容はこちら)。取材に携わった記者たちの「取材後記」も納めた。

 いったい、どんな書籍なのか。本書のあとがきを要約し、以下に記したので、お読みいただけると、おおよそはイメージしてもらえると思う。「地方紙が良くて全国紙は良くない」とか、そんな単純なことではなく、物事を見通すには種々の目線が必要であり、実際、「東京目線。中央目線ではない報道」は地方紙において目にすることができますよ、ということだ。

 以下の「あとがき」は要約版なので、意を尽くせてない部分、意味が通じにくい箇所等々があるかもしれい。その点はご容赦を。

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 主要地方紙の連載や企画記事を一堂に集めた「日本の現場 地方紙で読む」が旬報社より刊行されたのは、2010年8月である。
 発想は単純だった。
 全国紙や主要地方紙などが加盟する日本新聞協会によると、2011年10月段階で、スポーツ紙を除く日刊紙の総発行部数は約4400万部に達している。その半分近い部数は「地方紙」だ。読売新聞や朝日新聞といった「全国ブランド」の新聞だけが新聞ではない。地方には、それぞれの地域に根ざした新聞があり、その地域においては全国紙に劣らぬ影響力を持っている例が少なくない。

 ところが、地方紙に掲載された優れた記事は過去、なかなか全国に伝播しなかった。新聞「紙」の配達範囲が限定されている以上、それは当然でもあった。この傾向は、実はインターネットの全盛時代になっても、大きくは変化していない。

 全国紙に比較すると、地方紙は経営規模が小さい。人員も資金も少ない。全国紙が「電子新聞」に本格参入するようになっても、経営上の判断から独自コンテンツをネット上でほとんど公開しない地方紙もある。勢い、ネット上に溢れるニュースや連載・企画記事も多くは「全国紙発」であり、「情報発信の東京一極集中型」構造は全くと言っていいほど変化していない。

 しかし、当たり前の話だが、全国紙が発信するコンテンツだけが、ニュースではない。コンテンツ「量」の多さは、内容の質・重要性と比例しない。
 地方発の優れた記事をどうやって全国に広げるか。地方紙が報じる事象や問題を、どうやって列島各地、とくに東京=中央に届けるか。
 そんな問題意識の下、「まずは書籍で実現を」と考え、「日本の現場」を編むことになった。地方で起きている事象の中には、日本社会の矛盾を象徴するような出来事が多数ある。霞ヶ関・永田町を中心とした「中央」に対し、刃を突き付けるかのような地方紙報道もある。そうした地方紙の優れた報道を、まずは連載・企画記事に絞って全国へ発信する試みだった。

 幸い、「日本の現場」は各地・各界で好評を博し、版を重ねた。本書はその続編である。前作がおおむね2008年〜2009年の記事を対象としていたのに対し、本書は2011年〜2012年初めまでを対象にしている。
 言うまでもなく、日本ではその間、東日本大震災や東京電力福島第1原子力発電所の事故といった大災害や大事故があった。本書では、それに関連する連載・企画記事も多数収録している。

 前作に続いて編者になった筆者は、北海道新聞で25年間、記者を務めた。その後、2012年春からは高知新聞の記者になった。所属会社は変わったが、この間、ずっと地方紙の記者であり続けている。そんな日々の中で、「地方の問題はしょせん地方のニュースでしかない」という「東京目線」「中央目線」が日本全国を覆ってしまったように感じていた。

 そうした日々を過ごしながら、漠然と考えていたことがある。
 「新聞や報道に関して、もし何か新しい事業を興すなら、東京で地方紙を発行したい」と。「考え」というよりは、「妄想」に近いかもしれないが。
 東京「の」地方紙ではない。東京の地方紙はすでに中日新聞社東京本社発行の「東京新聞」があり、優れた報道を続けている。東京「で」発行する地方紙とは、イメージが異なる。

 最近のマスコミ批判の柱に「大事なことを報じていない」「政府の言うがままではないか」「情報の垂れ流し」といった指摘がある。

 とりわけ、福島第1原発の事故後はこうした批判が沸騰し、「マスコミは原発問題を素通りしてきた」という声が渦巻いた。
 これは半分正しく、半分は間違っている。
 原発問題に限っても、たとえば、佐賀県の玄海原発でプルサーマル導入が大問題となった2000年代後半、佐賀新聞はこの問題を繰り返し取り上げ、連載記事や一般記事で安全性に疑問を投げかけていた。同様に静岡新聞は、長期連載「浜岡原発の選択」などを通じ、地震と原発、地震と地域行政といった問題に切り込んだ。このほかにも若狭湾の原発銀座を抱える福井新聞、六カ所村の核燃料サイクル施設を注視し続ける東奥日報(青森県)など、原発問題を粘り強く報道してきた地方紙は少なくない。

 一方で、全国紙は各地域の原発問題を「一地方の問題だ」と判断したのか、関連記事を県版・地方版に押し込める傾向が強く、福島原発の事故が起きるまでは、(東京電力の原発事故隠しなどの一部事例を除き)各原発で大きな動きがあっても、全国ニュースとして継続的に大きく報道するケースはそう多くなかったように思える。
 ことは原発に限らない。米軍基地問題も同様である。
 原発問題同様、米軍基地を抱える地方の新聞は沖縄2紙をはじめ、神奈川新聞(厚木、横須賀基地)や東奥日報(三沢基地)などが積極的に問題をえぐり出していた。
 それに対し、2009年に民主党政権が発足し、鳩山由紀夫首相の手で米軍普天間飛行場の問題が急浮上するまで、全国メディアはこうした基地問題をいかにも素っ気なく扱ってきたのではなかったか。筆者は実際、全国紙の那覇支局勤務を経験した記者たちから「米軍問題を書いても全国版に記事が載らない」といった嘆きを、幾度も聞かされた経験がある。

 全国紙や主要地方紙などが参画する日本新聞協会によると、2011年10月現在、加盟社の発行する日刊紙(スポーツ紙を除く)の総発行部数は、約4400万部に達している。そのうち半数強は全国紙だ。地方紙も地元以外のニュースの大半は、通信社による東京経由の記事配信に頼っている。
 先述したように、ネット時代になったからと言って、地方紙の独自記事が無料で自由自在に読めるわけではない。むしろ、地方紙は経営上の問題から独自コンテンツの無料解放を縮小する傾向すらある。だから、ネット上で行き交うニュースも依然として「中央目線」が幅を利かしているように筆者には映る。
 「東京で地方紙」の意味は、その隙間を埋めることにある。

 「マスコミは重要な問題を報じていない」「地域で生きる人々の切実な声を伝えていない」といった批判は、実は、筆者の見立てでは、情報の流通経路の「いびつさ」にも幾ばくかの原因がある。

 「東京で発行する地方紙」は、各地方紙が報じた独自ニュースや解説・企画記事をピックアップし、一つの新聞にする。あるいは、渾身の連載記事を再掲する。そういったイメージだ。地方の出来事だけれども全国に通じる問題は数多い。それを集めて再編集し、首都圏や近畿圏、ひいては全国に届ける。東京で出す地方紙は「地方発の全国メディア」でもある。
 もちろん、ここで言う「東京で出す地方紙」は、「紙」にこだわってはいない。情報の流通経路の質的な転換が主たる眼目であり、「新聞はだれのために何を報じるのか」を再考・再構築する狙いでもある。

 本書の編集作業は、主として2011年後半に行われた。
 前作と同様に、高齢化、過疎化、地域振興、農林漁業、地方政治、地域医療、平和など数多くの問題を網羅している。震災や原発に関する記事が全体の3分の1程度を占めているのは、2011年という特殊性を考えれば当然だろう。

 今回から新たに編者に加わった花田達朗氏(早稲田大学教授)は、ジャーナリズム分野において日本を代表する研究者である。日本のジャーナリズム研究の多くが、その対象を全国メディアに偏重させる中、花田氏は早くから地方紙の活動内容や可能性に着目し、各地方紙の編集現場に具体的な助言を続けてきた実績がある。本書の編者としてはこれ以上ない適格者であり、実際、斬新な視点を次々と与えてくれた。
 前作に続いて編集作業を担当した清水氏は、各地方紙の編集現場だけでなく、メディア部門とも深い交流を持っている。取材・報道を担当する「編集」部門と、インターネットを駆使しようとする「メディア」部門は、それぞれの地方紙において、まだまだ垣根が高い。
 「地方紙同士の壁を取り払って横のネットワークを強化すると同時に、会社組織内に残る垣根も低くしたい。そこに地方紙の新たな可能性がある」。清水氏はそう繰り返しながら、今回も編集作業を続けた

 本書に収録された記事の選択は、編者3人の独自の判断に基づいている。
 本書は、記事の優劣を競うコンテストではない。未収録の連載記事にも数え切れないほどの優秀なものがある。編者の目の届かなかった記事も数多いはずだ。従って、記事選択や編集作業を別の方が担えば、本書の内容はまったく別の内容になっていたと思う。

 日本新聞協会加盟の新聞社・通信社では、合計2万人強が編集部門で働いている。正確な数字は持ち合わせていないが、その半分程度は地方新聞社で働いていると思われる。地域に根を張り、這いつくばるような取材活動を続けている地方紙の報道の一端を本書から読み取っていただければ、と願っている。
by masayuki_100 | 2013-01-14 13:40 | ■2011年7月~ | Comments(1)