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ニュースの現場で考えること

「@Fukushima 私たちの望むものは」が出版されました。版元は東京の産学社です。どんな本であるかは、以前、このブログでも紹介しました。ぜひ手に取っていただき、少しでも多くの方に読んでもらいたいと願っています。以下はその「まえがき」です。

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 東日本大震災から、半年が過ぎた九月中旬の午後。私は福島県南部の街にいた。
 二両編成の電車を降り、駅前へ出る。人通りはほとんどない。客待ちのタクシーが三台。それをやり過ごして信号を過ぎると、小さな川を渡った。二つ目の信号は右折。次の角は左折。目指すアパートは、青みがかった灰色の三階建てだった。都会ではごくふつうのアパートだが、郡部のこのあたりでは小綺麗で立派な部類に入るかもしれない。
 「C」の部屋に表札はなかった。
 インターホンを押し、玄関を空けてもらった。たたきには、靴がいくつかきれいに並んでいる。
 「よく来て下さいました。遠くからご苦労様です」
 窓際のソファから声がかかった。志賀秀朗さんの第一声だった。

「まえがき」の続きはここをクリック
by masayuki_100 | 2011-12-29 10:14 | ■2011年7月~

秘密保全法案について、再び書いておく。この法制について検討を重ねていた「有識者会議」が今年8月にまとめた報告書がある。ネットで検索すれば、すぐに引っかかるので、時間がある方はぜひ目を通してもらいたいと思う。報告書は有識者5人の検討を経てまとめたことになっている。5人には失礼かも知れないが、事実上、官僚たちの成果物と言って差し支えあるまい。

報告書を紐解いてみよう。私は法律の専門家ではないから、誤読があるかもしれないが、その点は容赦してもらいたい。まず、最高で懲役10年を科そうとする「秘密」はどこに存在しているのか。報告書によれば、(1) 国の行政機関 (2) 独立行政法人等 (3) 地方公共団体=とくに警察 (4)行政機関等から事業委託を受けた民間事業者及び大学−−の主に4つである。そして、何が秘密かを指定する権限は行政機関にある、とする。

秘密を扱う人物に対しては、あらかじめ、当該行政機関側が「適正評価」を行う仕組みになっている。「こいつに秘密を扱わせていいかどうか」ということを、行政側が自己の組織内外の構成員に対して調べるのだ。では、その人物の何を調べるのか。

人物調査の観点は(1) 我が国の不利益となる行動をしないこと (2)外国情報機関等の情報収集活動に取り込まれる弱点がないこと (3)自己管理能力があること又は自己を統制できない状態に陥らないこと (4) ルールを遵守する意思及び能力があること (5)情報を保全する意思及び能力があること などを前提として、以下のことを調べよ、と報告書は書いている。大事なところだから、ここは正確に引用しておこう。

調査事項としては、例えば、[1]人定事項(氏名、生年月日、住所歴、国籍(帰化情報を含む。)、本籍、親族等)、[2]学歴・職歴、[3]我が国の利益を害する活動(暴力的な政府転覆活動、外国情報機関による情報収集活動、テロリズム等)への関与、[4]外国への渡航歴、[5]犯罪歴、[6]懲戒処分歴、[7]信用状態、[8]薬物・アルコールの影響、[9]精神の問題に係る通院歴、[10]秘密情報の取扱いに係る非達歴、といったものが考えられる。また、対象者本人に加え、配偶者のように対象者の身近にあって対象者の行動に影響を与え得る者についても、諸外国と同様に、人定事項、信用状態や外国への渡航歴等の事項を調査することも考えられる。

これを読んだ数ヶ月前、私は心底、身震いがした。これはまさに、公務員による国民の思想調査ではないか。「秘密保全法ができても、法に違反しなければいいだけだ」「国家には秘密があって当然だ」などと言う人がいたら、よくよく考え、想像をめぐらせてもらいたい。この法案は、公務員が「国家秘密」の名の下に国民の思想調査を可能にし、国民が不可侵の領域を大規模に形成しようとしているだけではないか。それに相変わらず、報告書の文書にも「等」が多すぎ、である。思想調査に法的根拠を与えようとする法律において、こんなにも「等」を乱発して、拡大解釈を可能にしていいはずがない。しかも民間事業者等における調査は、民間事業者等にその権限を与えるのだという。本当にこわい。

報告書はこうも書いている。

対象者の日ごろの行い等を調査するため、職場の上司や同僚等の対象者をよく知る者に対して質問する必要がある場合も考えられることから、実施権者にその権限を付与することが適当である。

対象者の日頃の行い「等」を監視対象とせよ、ということだ。「あいつは反原発、脱原発だったな」とか、「彼の奥さん、カタログハウスの通販生活の愛読者だったな」とか、そんなことが「公務員による調査」の対象になるかもしれない。

報告書は「国家公務員法等において一般的な守秘義務が定められているが、秘密の漏えいを防止するための管理に関する規定がない上、守秘義務規定に係る罰則の懲役刑が1年以下とされており、その抑止力も十分とはいえない」から最高で懲役10年の刑を定めたほうがいいと書き、罰金だけの刑はダメだ、生ぬるい、とも言っている。「未遂」も「共謀」も処罰の対象だ。秘密を取り扱う者「等」に対する教唆行為、煽動行為も処罰だ。さらに、秘密保全法は国民の知る権利を侵害するものではないし、情報公開に関する一連の法理とは無関係だし、国会や裁判所についても何らかの規制が必要になるだろうという趣旨のことが書かれている。

それに何より、「何が秘密か」を指定するのが当人たちだから、原発のことも放射能のことも裏金のことも、要するに自分たちが「秘密だ」と言えば、秘密である。秘密とは全てが隠されることだから、どこにどんな秘密があるのか、それすら国民には伺い知れない。「東電の国有化に疑義あり」などと思って、「本当のことを言え」と迫ったら、「教唆」かもしれない。「本当のことを言いなさい!」とデモを計画したら、「煽動」と「共謀」かもしれない。

前回のこのブログの記事『野田内閣は本当に「やる」のか〜秘密保全法案』でも書いたが、こういう法律が出来ると、必ず「取り締まる側」と「取り締まられる側」ができる。警察は「秘密保全法違反はないか」と目を光らせる。やがては地域社会や企業などで「相互監視」の傾向が強まるだろう。そして、これも前回書いたことだが、法律は改正される。10年もすれば、制定時とはまったく違った法律になっていることも珍しくない。戦前の治安維持法が猛威を振るったのは、改正によって処罰対象が拡大された後、法の制定から約10年後のことだ。

この報告書や有識者の議論等々によると、いま日本は外国の情報機関「等」による活動によって、重大な危機にさらされているらしい。いつの時代も、国家の内部統制を強化しようとするときは、「外国の驚異」「テロの脅威」などが強調される。ヒトラーもそうだったし、北朝鮮もそうだ。しかし、本当の脅威は、情報の独占とそれに伴う思想調査、重罰まで可能にしようとする、霞ヶ関の人たちにこそあるのではないか。

霞ヶ関・永田町取材に奔走している記者の人たちが、もしこのブログを読んだとしたら、「秘密保全法っていったい何だ?」と次々に各所で疑問をぶつけてもらいたい。漫然と過ごしている場合ではない。大手報道機関の取材活動は当初、法案から除外されるかもしれないが、そんなセコイことで言を左右してはならない。残念ながらこの国では、現在のところは、大手の新聞・テレビが動かないと、政治家や役人の考えはなかなか変わらない。新聞が「秘密保全法案反対キャンペーン」を展開すれば、法案はつぶれるかもしれない。だから、(過度な期待かもしれないが)とくに若い記者たちには「頑張れ」と言いたい。そのためにも、まずは「報告書」を熟読してもらいたい。
by masayuki_100 | 2011-12-26 10:41 | ■2011年7月~

秘密保全法案が来年早々召集の通常国会に上程されそうだ。「いよいよか」と思う。実に不気味な法案である。秘密保全法案は御承知の通り、(1)防衛など「国の安全」 (2)外交 (3)公共の安全・秩序の維持―の3分野を対象に「秘密」を決め、漏洩者等には最高で懲役5年・10年の刑罰を与えようとする内容だ。

日本新聞協会や雑誌協会などは相次いで反対の声明を出してはいる。しかし、いかにも勢いは弱い。新聞社説やコラムなどでも各紙はおおむね「反対」をうたっているが、一方で「国には一定の秘密がある」という趣旨のことをあっさり認めてしまう(例えばここ→京都新聞の社説)。「国家秘密とは何か」「そもそも国家に秘密はあるのか」「誰がそれを認定するのか」をめぐる議論こそが最重要になるはずなのに、である。それに機密保全のためなら、すでに国家公務員法や地方公務員法の中に立派な守秘義務項目があるではないか。

「国家」という抽象的な概念をあれこれ議論すると、議論の内容はどうしても主語が「大文字」になる。「国家とは」「日本とは」といった按配に、である。まあ、それはそれで良い。しかし、この法の怖さは「違反者を取り締まる」ということにこそある。刑罰付きの法律が出来れば、当たり前のことだが、「取り締まる側」と「取り締まられる側」ができる。そこに警察権力、検察権力が絡む。ここがポイントである。

秘密保全法違反で誰かが逮捕され、拘置所に長く長く拘置され、起訴されたとしよう。その刑事裁判は「漏らした秘密が国家機密かどうか」をめぐる争いになるはずだが、権力側にすれば、そこに至れば、もう「勝利」である。秘密漏洩罪で人をしょっ引き、代用監獄にぶつこみ、締め上げ、あちこちにがさ入れをかけ・・・・。ここまでで、たいていの人は震え上がってしまう。

日本の組織や社会はただでさえ、異端者を排除する力学が強い。同じ者同士が群れる傾向も強い。そうした中で、こんな法律が出来てしまえば、組織や社会の随所で「相互監視」が強まり、警察や検察への「内通」が増える。「警部さん、あいつ、機密情報を漏らしてました。パソコンいじっているのを見てました」とか。警察はしょっ引くのが目的だから、いろいろ調べる。調べただけで、周囲は言うだろう。「君、何か漏らしたのかね?」と。相互監視、密告、内通、疑心暗鬼、物言えば唇寒し、謀略。そんなものも、いつの間にか、あちこちに侵入してくるかもしれない。

しかも法律は通常、改正に改正を重ねていく。ときが過ぎれば当初の姿と変わっていることも珍しくない。戦前の治安維持法も改正を重ねて取り締まり対象を拡大し、制定の約10年後から猛威を振るうようになった。戦前は共産党そのものが非合法であったし、治安維持法が出来た時点では、共産主義者の取り締まりだからなあ、という冷めた空気があった。そこに権力が入り込み、やがては宗教者にまで取り締まりが及んだ。大きな役割を果たした特高警察のことなど、ここで繰り返すまでもない。

旧ソ連の有名な冗句にこんなものがあった。<ある男がウォッカを飲みながらクレムリンの赤の広場でぶつぶつ言っていた。やがて大声で叫ぶ。「け、ブレジネフの大馬鹿やろうめ。ブレジネフは大馬鹿だ!」。男は駆け寄ってきたKGBに国家機密漏洩罪で逮捕された。>。日本でも冗談でなく、こんな日が来るかも知れない。冗談で済めばいいが、済まないかもしれない。実際、ほんの66年前まで、日本はそんな国だった。DNAはしっかり残っている。こんな法律ができれば、例えば、東電や原子力ムラの利権構造に切り込むような取材は、検挙対象になりかねないし、最初は組織メディアではなくフリーや雑誌が摘発されるだろう。

繰り返しになるけれども、法律は制定当初の姿かたちとは、違ったものになる。改正につぐ改正によって、あるいは解釈の変更や拡大解釈によって、それは行われる。そんな実例は、いやというほど見せつけられてきたではないか。そして刑罰付きの法律が出来れば、必ず、取り締まる側と取り締まられる側ができる。そこに警察や検察権力が絡む。そうなれば組織や社会の中で、疑心暗鬼や密告、謀略などの風潮が増進する。

いかなる理由が付けられようとも、言論の自由の幅を狭くするような法律には、私は絶対に賛成しない。だから、秘密保全法を平気な顔で上程する野田政権・民主党内閣など、全く支持しない。
by masayuki_100 | 2011-12-18 13:09 | ■2011年7月~

今月初め、上智大学で開いたシンポジウム「調査報道をどう進めるか」の基調報告で、いわゆる「持ち込みネタ」に関する問題点を指摘した。当日参加できなかった方から「持ち込みネタをやめろという話をしたそうですが、どんな話だったんですか」という照会があった。メモなしで喋っていたので詳細は記憶にないが、趣旨はだいたい、以下のような話である。

(ただし、この話には2つの前提がある。一つは対象を「主たる新聞とテレビ局」に限定していること。雑誌やその他の媒体はまた違う話になる。もう一つは、いわゆる「権力追及型」調査報道に限定していること。調査報道にはいろんな種類があるが、今回は定義付けの場ではないので、そこには言及しない。)

日本の新聞やテレビにおいて、なぜ、調査報道が少ないか。議論の出発点はそこにある。もちろん、調査報道は「相当に少ない」のであって、「ない」ではない。実際、過去には多くの優れた調査報道があった。少し前に出した「権力vs調査報道」(旬報社)も過去の代表的な調査報道の取材プロセスを明らかにした内容であり、これを読めば権力追及型調査報道の重要性や凄みがお分かり頂けると思う。

そうしたタイプの調査報道が少ない理由は多種多様だが、大きな理由の一つは「取材情報の持ち込み」にあるのではないか、と感じている。

ここに権力の不正に関する何らかの端緒情報があったとしよう。記者は情報の質を見極めたうえで、取材に入る。関係者を丹念に取材し、資料を集め、そぎ落とし、肉付けし、さらに関係者に取材する。それを何度も繰り返す。一定程度の期間が過ぎると、当然、「いけそうか、どうか」の分岐点に差し掛かる。「いけそうだ」となると、報道機関が独自取材を続行する−−。これが通常の発想であり、通常の行動だ。しかし、この分岐点では往々にして「そのネタ、サツに事件としてやらせろ」という声がかかる。報道機関の組織内部からである。そして、取材で得た情報の一部か半分か或いは相当部分を警察に提供する。検察や入管、労基署などの場合もある。これがいわゆる「持ち込みネタ」である。

捜査当局が「持ち込みネタ」を立件する場合、強制捜査の着手直前などのタイミングで、情報提供してくれた報道機関にそれを優先的に伝える。「ギブ・アンド・テイク」である。優先的に情報をもらったら「与党幹部に重大疑惑、検察近く強制捜査へ」などという「スクープ」記事となって日の目をみる。

報道界では長らく、こうした形のスクープ(もちろん、カギカッコ付きである)が「鮮やかなスクープ」として幅を利かせてきた。新聞社が独自に不正を報道するよりも、その不正内容を捜査当局が事件にしたケースを一段高く評価する声も多かった。実際、新聞社出身の大学教員が「捜査当局が立件した場合はその報道の価値が高い」という趣旨の論文を書いたケースもある。

取材で得た情報を捜査当局に渡すことは、言うまでもなく重大な問題をはらんでいる。「情報は提供しても情報源は伝えていない」といって済まされることではない。しかし、ここでは、この問題は脇に置く。このエントリでの関心は、「取材力のなさ・劣化と持ち込みネタ」の関係である。

言うまでもなく、記者独自の調査取材は、山を登るにつれてきつくなる。初期は比較的情報も集まりやすいが、五合目、六合目、七合目と進むにつれ、しんどくなる。それは当然だ。記者の取材に強制力はない。種々の手練手管を用いたとしても、平たく言えば、「教えて下さい」というお願いの連続でしかない。だから、最終的な裏取り、確認作業の段階に入るにつれ、取材は困難になる。ネタの持ち込みを実行する段階はおおむね、五合目の前後である。単なるうわさ話程度では、警察も検察も関心を持ってくれない。馬鹿にされる。

しかしながら、こうした行為は取材者側からすれば、独自取材を途中で放り投げることと同義である。一番苦しい部分を自分で取材せず、あとは捜査当局がたどった道をフォローするだけになる。日本の事件事故取材(=検察・警察取材)は、「捜査当局が何を捜査しているか」「誰をいつ逮捕するのか」等々、捜査の動きを追い、それを書くことが主流になっている。その問題点は何度もこのブログで書いたので繰り返さないが、調査報道取材という観点から見れば、持ち込みネタは、「調査報道取材」が「通常の警察・検察取材」に変質することを意味する。

「記事化する際は、当局のお墨付きを得ることが出来る、それで記事の価値が上がる」という独特の価値観も作用している。「高田新聞社の取材によれば」ではなく、「検察によれば」と書く方が確かにリスクは少ない。仮に相手から訴えられたとしても、幾ばくかは責任を当局に押しつけることができるかもしれない。つまり、リスクを取ろうとしないのである。保守化・官僚化がスパイラル的に進む既存報道機関においては、リスク回避の傾向はますます顕著だから、「当局によると」に寄りかかる傾向は、さらに拍車がかかっていくだろう。

ネタを持ち込まなかったとしても、実際に報道する直前、わざわざ捜査当局に記事内容を伝える風習もある。「あす、うちでこんな記事を書きます」「おおすごいな。もっと詳しく教えてくれ」といったやり取りの後、当該記事のリードの末尾などに「ここの事実は警察も把握している模様だ」などと書く。逆に言うと、当局のお墨付きが欲しいから、最後の最後で「ご注進」するのだ。

小沢一郎氏の政治資金疑惑が盛んに報道されていたときにも感じたし、当時、いくつかの関連エントリを書いた(→例えばここ)。日本の「調査報道」は捜査当局の捜査が進んでいるときにこそ、華々しく展開されてきた。捜査当局の捜査と並行して進む「調査報道」など本当の意味での調査報道ではないと思うが、権力の一部分と結託するような形で進む調査報道(それが結果的だったとしても)とは、いったい何なのかと思う。

もしかしたら、「持ち込みネタなどない」「知らない」という警察・検察担当記者がいるかもしれない。そうだとしたら、その記者は新人か、よほどの「世間知らず」だ。それでも「持ち込みなどない」と言い張る記者がいたら、私は断言する。その言葉はウソだ。

私にもネタ持ち込みの経験はある。私の同僚もかつて、鈴木宗男氏の事件に関して、東京地検特捜部から「ネタはないか」と「協力」を求められたことがある。他社の持ち込み実例も知っている。そのへんのことは「権力vs調査報道」に少しだけ書いたが、例えば、事件取材が長かったあるジャーナリストも「リクルート事件以降、東京地検特捜部が手掛けた事件の半分くらいは大メディアの持ち込みネタではないか」と話していた。彼の実感は大きく外れてはいないと思う。そして、そうした「ギブ・アンド・テイク」の関係は全国津々浦々、いろんなレベルのところで築かれていると思う。

日本の報道界は長らく、本当に長すぎるほど長らく、捜査当局と一心同体になって、ペンを持ったお巡りさんとして機能してきた。捜査情報を取ることができ、「あす逮捕へ」を早く書く記者こそが優秀とされてきた。一部の例外はあるにしても、太宗は間違いなくその流れの中にあったし、今もある。、新聞社の多くは、新人を必ず一度は一定期間、警察担当にぶち込んできた。そして、捜査当局をはじめ、あちこちの権力と二人三脚で歩むことを習い性にしてきた結果、それを是とする文化、さらには人事考課の基準を組織内に抱え込んでしまった。もちろん、ここでいう「当局」は警察や検察だけでなく、中央省庁や大企業などすべてに当てはまる。

調査報道の重要性については、ここで繰り返すまでもない。そして端緒情報はたくさん転がっている。だったら、それを自社の努力で取材すればいいだけの話ではないか。取材に公式はないから、山あり谷ありの連続だが、取材力の養成という観点からしても、道はそれしかない。既存メディアが調査報道に「本気で」舵を切ろうとするなら、まずはネタの持ち込みを全面的に禁止し、捜査当局との関係を変え、それをあらゆる取材分野・取材部署に広げるしかないだろうと思う。ただ、何十年もかかって築いてしまった組織文化はそうそう簡単に変わりはしないのだから、ある報道機関がこの先、全社的に調査報道に傾斜するなどというのは、すでに幻想かもしれない。可能性があるとしたら、比較的組織の小さな報道機関か、まったく新しい報道会社か、それくらいだろうと思う。
by masayuki_100 | 2011-12-17 18:58 | ■2011年7月~

大した根拠は何もないが、いよいよ、「帝国」の姿が見えてくるのかもしれない。朝日新聞社と読売新聞社が共同通信社との契約を解除するというニュースを見て、そんな気分が増している。一部報道機関によれば(笑)、ニュースの概要はこうだ。

<共同通信社は12日、朝日新聞社と読売新聞社から、外信ニュースとスポーツ記録の配信契約解除の申し入れを受けたことを明らかにした。共同通信社によると、解除の理由を「第一に経費的な理由」などと説明しているという。両社は1952年に一度、共同を脱退。その後、強い要請により、共同加盟社の承認を経て、1957年から「契約社」として外信記事の提供を受け、スポーツ記録の配信などに契約を拡大してきた。>

スポーツ記録も外信ニュースも、共同通信にとってはいわばドル箱である。とくに国内外の小さな大会にまで目配せするスポーツ記録は取材やデータ整理に手間暇がかかり、これを新聞社が単独でやろうとしたら、たいへんなことになる。「でも、そんな記録の配信はもう要りません」ということだから、両社にはメディアの将来について、別の確固たる姿が見えているのだろう。

あちこちの講演などで頻繁に喋っていることだが、昨今の新聞の凋落は、どこもかしこも一様にそれが生じているのではない。全体としての凋落=部数減少は間違いないことだし、その趨勢が止まることはあるまい。将来も新聞「紙」が生き残るにしても、今のような膨大な部数が日本列島に残るはずはない。

そうした趨勢は間違いないのだけれど、業界全体が没落する中では当然、そのスピードや深度に差が出る。弱いところほど早く没落する。比較優位の会社は、没落した会社の優良資産を食っていく。合従連衡、業界再編の、よくある話である。だから、読売にしても朝日にしても、自社で通信社機能を確保しながら、あるいは数年前に言われたように、時事通信社を巻き込んで3社で新しい通信社をつくるという話も十二分にあり得る。つまるところ、方法はいろいろあるにしても、強い会社は弱い会社を、とりわけ弱い地方紙を食っていくだろうということだ。食べ方はいろいろある。子会社化、系列化、印刷・輸送委託などの業務提携‥‥。いろんな駆け引きや強圧が繰り返される中で、あと5年もしないうちに、全国の新聞はほとんどが、どこかの中央紙の系列になっているかもしれない。

そして、もうすぐ価格競争が始まる。ご存知の通り、新聞は再販価格維持制度の枠に守られ、価格競争からは無縁の世界に長らく住んでいた。しかし、これもそろそろ終わりである。TPP推進の大波の中で、多少の紆余曲折はあるにしても、おそらくは強い新聞社が率先して、「新聞も例外ではありません。これからは紙面内容だけでなく、価格でも正当な競争をしなければなりません」と言い始めるに違いないと思う。実際、強い新聞社は価格競争に備えて、経営資源や体力を十二分に貯えている。上下左右を見渡しながら、価格競争に打って出るチャンスをうかがっているはずだ。関東圏や近畿圏、北九州圏などで本気の価格競争が始まれば、弱い新聞社はひとたまりもあるまい。弱い新聞社は地方紙だけではない。「**新聞」という題字は残っても、その実は全国紙の系列に過ぎないという例は、間もなく巷に溢れかえるだろう。

新聞業界の合従連衡は、ほかの業界と同様、弱肉強食で進むのだ。そして、銀行業界がそうだったように、いくつかのガリバーの誕生である。しかし、金融のガリバーと報道のガリバーは、社会に与える意味合いが大きく異なるはずだ。巨大企業になれば、商品メニューは多様化するが、メニューの多様化と言論内容の多様化は同一ではない。メニューがやたら多くても、素材の数は限られているなどという話は、それこそ外食産業にはたくさんありそうだ。

私は予想屋ではないし、その能力も資格もないが、これだけは断言していいように思う。メディア業界の今後の合従連衡は寡占化のプロセスであり、報道の寡占化とは、報道の多様性を失うプロセスである。寡占下では、媒体の数や種類に多様性があっても、報道内容の多様化には直結しない。報道を担う者の多様性を、報道内容の多様性をどう担保していくか。そんな事柄が近い将来、今よりもっと大きな論点になるに違いない。
by masayuki_100 | 2011-12-14 13:44 | ■2011年7月~

「@Fukushima 私たちの望むものは」が間もなく、東京の産学社c0010784_23495898.jpgから出版されます。福島に住み続ける人、引き裂かれるような思いで福島を去った人、、、「福島」に関係する人々の声にじっくりと耳を傾けました。渾身のインタビュー集です。写真も訴求力十分。年末になりますが、今月20日には書店に並ぶと思います。

詳細なお知らせは別途、この欄で紹介できると思います。とりあえずは、チラシをご覧下さい。どうぞよろしくお願いします。
by masayuki_100 | 2011-12-10 23:51 | ■2011年7月~

日付が変わってしまったが、3日は「調査報道をどう進めるか」というシンポジウム(東京・上智大)に出席してきた。私は基調報告を、シンポの登壇者は、朝日新聞特別報道部長の依光隆明さん、共同通信編集委員の太田昌克さん、元NHK記者で東京都市大学教授の小俣一平さん、上智大学文学部新聞学科教授の田島泰彦さん。私もディスカッションに加わった。

この種の催しでは、言いたいことの半分も言えない。議論を混線させてはいけないし、言いたいことを抑えて前の方の発言を引き継ぐこともある。3日のシンポもまさにそうだった。だから、ここで少し補足をしておきたい。

調査報道はその定義付けから始まって、方法論やら何やら論点は多種多様である。あれこれ話し始めると、きりが無い。だから、基調報告では「調査報道を阻むもの 当局との二人三脚をいかに断ち切るか」と題したうえで、さらにピンポイントで語った。その概要、および会場で話しきれなかった内容をまとめると、言いたいことはだいたい以下のような内容だ。

*日本の調査報道は端緒をつかんで取材を始めても、途中で警察や検察にその取材ネタを「事件にしてくれ」として持ち込むことが少なくない。いわゆる「持ち込みネタ」である。
*捜査当局が立件に向けて強制捜査に着手する際、「持ち込みネタ」は着手の時期や概要を優先的に教えてくれる(ことが多い)。この形が従来は「大スクープ」として組織内・業界内で評価されてきた。あるいは独自取材の結果を記事にする直前、捜査当局に内容を伝え、「この疑惑は捜査当局も把握している模様だ」などと書く。
*自社の調査報道が途中で「捜査」に化けるのである。当局のオーソライズがないと、書かない・賭けない文化がここでも醸成されてきた。当局との「癒着」「二人三脚」の典型でもある。これを繰り返していると、取材の最後の詰めを自社で担うことがない。肝心の取材力が育たない(持ち込みネタの問題点はほかにもあるが、割愛)。また、そこには「捜査当局も恣意的である」という視点がない。
*こうした背景には、当局との距離があまりに近すぎることがある。また、スクープに対する組織内評価の基準の曖昧さもある。行政などの動きを先取りする記事、やがて発表されることを半日早く記事、そして独自の調査報道記事。それがすべて「スクープ」として同列に評価されてきた。当局とべったりすることで得られる「発表の先取り」さえも、同列かそれに近い評価だった。

*日本の新聞社は記者クラブに記者を貼り付けすぎ。人員も固定化している。記者クラブの配置も固定化している。世の中の変化に対応できていない。記者クラブのない行政組織、その関連分野は日常的な取材網からこぼれ落ちている。たとえば労基署には記者クラブがないから、労働紛争に関する記事が少ない。その関連の調査報道も少ない。
*当局と寄り添って報道組織内の階段を駆け上った人が幹部になってしまった(それだけ大手ディアは年数が経過した)。また日本の新聞は、例えば戦前に朝日の筆政(現在の主筆)だった緒方竹虎が、戦時中は情報統制を行う政府の「情報局」総裁になり、戦後は自民党の政治家になったように、元々が権力と親和性が高い。そういう組織がすでに半世紀以上も形をほとんど変えずに存続したために、報道組織はすっかり保守化、官僚化した。官僚化とは、前例踏襲、事なかれ主義となって現れる。デスクや部長、あるいはその上の幹部はいよいよリスクを取ることに臆病になってきた。

で、以下は「では、どうするか」の話。レジュメは用意していたが、この部分は時間が無くて十分に話すことができなかった。以下、レジュメの項目を列挙してみる。

(1)速報機能と取材機能の分化
(2)記者クラブへの過度の配置をやめる。「記者の自由化」を。
(3)「分かった」だけがニュースではない。「分からない」でも書く
(4)取材過程の透明化。安易なオフレコ(非公式懇談)の排除。情報源明示
(5)調査報道に対する正当な評価を。組織・業界の内外で。
(6)「個人の良心、熱意、志」を保障する組織的態勢

このうち(2)の要点は、記者をなるべく放し飼いにせよ、ということ。この点は当ブログでも再三書いてきたので省略。

(3)は「分かった」=「当局のお墨付き」がなくても、どうやったら書くことが出来るか、その工夫と努力が必要ということ。だいたい、世の中の事象はそうそう簡単に分かるものではない。何か変なことは起きているが、その意味が分かっていないという事象は数多い。それを無理して「分かった」形式で書こうとすると、当局のお墨付きに寄りかかる結果になり兼ねない。

(6)は個人の能力や情熱にだけ寄りかかっていては、調査報道は発展しない、ということ。仕事として取材をしている以上、調査報道にかかわる記者個人の能力やスキルを最大限に引っ張り出す組織的な態勢が必要になる。それがないと、持続的な調査報道はなかなかできない。

時代は流れている。シンポの会場では「それでも調査報道は新聞が中心」という声があった。今はそうかもしれない。だが、将来、新聞紙がどうなるかは分からない。いずれにしても「紙」の比重は減る。私自身は「紙も出しているニュース会社になる」というイメージがある。

ただ、組織の事業内容や伝達手段がどうであれ、調査報道を実行できない報道組織は価値がどんどん減じていく。それは間違いない。だから、報道する側の立場としては、調査報道のノウハウをどう(組織の枠を超えて)伝えていくか、過去の報道態勢を再検証し何を捨て何を残すか、組織をどう柔軟にしていくか、などが何よりも重要だと感じている。

会場でも短く語ったが、「記者の自由化、報道組織の多様化・柔軟性の確保」がポイントだろう、と。そう感じている。

今回は十分な時間がなかったうえ、論点の違う話が次々と出てくるなどしたため、散漫になってしまった。登壇社の1人として、その点は反省している。だから、なるべく早く、もっと論点を絞った、よりよい議論の場を再び持ちたいと考えている。
by masayuki_100 | 2011-12-04 02:31 | ■2011年7月~

12月もいくつか公開・準公開のトークセッション、シンポジウムなどに出席します。決定しているものは以下の通りです。

12月1日午後6時〜同7時半(これは本日)
 立命館大学産業社会学部 ジャーナリズム研究科特別講義
   「技、粘り、逆襲、そして希望 〜 調査報道の現場に生きて」


 同大学 洋々館960教室
 奥村先生とトークする形で進行する予定です
 ニコニコ動画のニコニコ生放送があります → URLはこちら


12月3日午後1時半〜
 シンポジウム「調査報道をどう進めるか」

 上智大学2号館508教室

 私は基調報告。メーンのシンポジウムでは、「プロメテウスの罠」などを連載の朝日新聞特別報道部長の依光隆明さん、検察問題に詳しい元NHKの敏腕記者で現在は東京都市大学教授の小俣一平さん、共同通信編集委員で日米核密約に詳しい太田昌克さん、上智大学文学部新聞学科教授の田島泰彦さん・橋場義之さんが登壇します。
 資料代として500円。予約等は必要ありません。
 イベント概要はこちら → 私のブログの過去のエントリ 小俣さんのブログ


12月9日午後8時〜
 ニコニコ動画 ニコニコ論壇の生中継

 「沖縄」を考える〜「レイプ」発言、メディア、日米問題

 出席は沖縄国際大学教授の前泊博盛さん(元琉球新報論説委員長)、元外務省国際情報局長、元防衛大学教授で日米問題に厳しい警鐘を鳴らし続ける孫崎享さん、それに高田。
 防衛省の沖縄防衛局長が問題発言で更迭されました。依然として歪んだままの日米関係、沖縄の基地問題。なぜこんなことが続くのか。こうした問題に旧態依然とした既存メディアはどう関わっているのか。調査報道の名手として知られ、日米の機密を次々と暴いた前泊さんの経験、鋭い視点を保持し続ける孫崎さんにたっぷり語っていただく予定です。
 中継のチャンネルはこちら → ここを押せば生放送用のページへ飛びます


12月15日午後6時〜同7時半
 ジュンク堂書店 札幌店のトークセッション
 「権力の壁を打ち破れ! 道警裏金問題のその後を交えて」


 出席は、北海道警察の元釧路方面本部長で現在は市民のフォーラム北海道代表の原田宏二さん、それと高田。司会はフリージャーナリストの浅利圭一郎さん
 北海道警察の裏金問題が世上を騒がせてから、すでに8年ほどが経過しました。しかし、問題は本当に解決したのでしょうか。最近では稲葉圭昭・元道警刑事が、「道警は覚せい剤130キロ、大麻2トンの密輸に関わり、それを闇から闇へと葬っている」と近著「恥さらし」(講談社)で核発しました。この問題と裏金問題は密接に関わってもいます。
 原田さんは「朝まで生テレビ」にも出演するなど警察問題を語らせれば、当代の第1人者です。また「道警の覚せい剤密輸事件」に絡めて道民の皆さんの前で直接話をされるのは、今回が初めての機会となるはずです。
 定員25人、ドリンク代400円。事前の予約が必要です。
 詳細はこちらのページでご覧になることができます。→ こちらをクリックして下さい
by masayuki_100 | 2011-12-01 12:15 | ■2011年7月~