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ニュースの現場で考えること

「内向き」

数日前、日露戦争時の戦艦「三笠」、それと司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」の話を書いた。「坂の上の雲」は文庫で8巻にも及ぶ大作だったけれど、本筋とは別に興味を引いたのは、明治期の軍隊と昭和期の軍隊の比較である。本の中で、司馬さんは盛んに、「日本軍は草創期から年月を経るにつれ、官僚化して組織がダメになっていった」という趣旨のことを書いている。

組織が官僚化すれば、幹部の思考はどんどん内向きになる。「日本国家のため」と標榜しつつ、昭和の軍人はその実、国際社会の中で日本の置かれた立場をきちんと見ようとせず、その傾向がさらに強まっていった、と。そういう話である。

組織が内向きになれば、組織内では、それぞれの人がその立場を守ろうとする力学が働く。それは世の常でもある。そして、多くの人は「国のため」「会社のため」と言いつつ、(本人はそう信じ込んでいるのかもしれない。もしそうならもっと始末に悪い)、実際は、自分の立場や先々の栄達を守るための発言や行動を続けていたりする。「坂の上の雲」では、崩壊寸前の帝政ロシアとロシア軍で、まさにそういうことか起きていたことを活写している。

「坂の上の雲」とは全然関係ないが、先ごろ、知人からDVDを借り、「ハケンの品格」というTVドラマを見た。最近は、それこそ日本に居たときもTVドラマはほとんど見なかったので、実に久しぶりだった。大いに笑わせてもらった。そこでも、「会社のため」と「自分のため」の重なりや衝突が描かれていた。

個人の栄達が、真に組織や国家の発展と重なっていた時代、司馬さんのいう明治の日本などは、本当に例外なのだろうという気がする。組織も国家の機能も、古びる。それは仕方ない。問題は、当たり前のことだけれど、古びていることをちゃんと自覚できるかどうかだ。
by masayuki_100 | 2007-06-30 01:50 | ★ ロンドンから ★ | Comments(0)

英中部の海岸沿いに「バロー・イン・ファーネス」という小さな港町がある。少し前、セラフィールドの核施設に行き、3年前の事故のその後を取材に行った際、そこを拠点にしていた。どうということはない田舎町なのだけれど、その昔、日露戦争の日本海海戦を戦った日本海軍の旗艦「三笠」が、この町で建造されたのだという。

恥ずかしながら、現地に行くまで、その話を知らなかった。夜、ホテルの主人(女性)が話してくれ、初めて知ったのである。

で、その後、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み、明治時代の日本と世界を改めて知り、その大きな時代の流れを知り、しばらく、ボーっとしていたのである。「坂の上の雲」はもちろん小説ではあるけれど、日本が世界に出てゆく中で、「国家」と「1人1人の生き方」が、こんなにも重なり合った、誤解を恐れずに言えば、幸せな時代もあったんだな、と。日露戦争で亡くなった大勢の兵隊は、むろん、日本もロシアも単なる駒であっただろうから、「国家と個人の生き方が重なり合った」などと、単純に美化できるものではないだろうけれど。
by masayuki_100 | 2007-06-26 03:29 | ★ ロンドンから ★ | Comments(0)

  今も時々、「どうやってブログ開設の許可を会社から得たのですか」という問い合わせが来る。もう2年以上も前の話だが、私の上司に、ネットに関心の深い方がいて、ブログを作ってみたいと言う私に対し、「面白そうだな。やってみて、時々状況を教えてくれよ」との返答をもらったのが最初である。この上司はその後も、社内のブログとネットに関する勉強会にも度々顔を出され、居酒屋でもこのテーマでよく議論した。

 始めてみたらブログは意外と面白く、ただでさえ忙しい仕事の後、せっせ、せっせと記事を書き、コメントにも対応していた。記者ブログが、まだ珍しがられていたときだったから、余計、そうだったのかもしれない。「新聞協会」という業界団体などからも、ネットに関する勉強会に呼ばれ、思いつくままに種々のことを語っていた。

 で、最初のころ、どんなことを考えていたのかを、ここに残しておきたい。新聞協会の依頼で、雑誌「新聞研究」に寄稿した一文だ。2006年一月号に掲載され、「ブログで問い直す読者との距離──新聞がネット社会で生き抜くために」というタイトルが付いている。

 読み返すと、かなり、恥ずかしい。時代はどんどん進んでいるし、私の見通しなど大したものではない、ということを思い知らされる。とくに、

<現時点での私の結論を言えば、「現場の取材記者に業務でブログを持たせることには慎重であるべきだ」である。一番の問題は、実際の取材に割く時間を削り、今でも相当に落ち込んでいる「取材力」がさらに劣化する危険があるからだ>

という後半の一文は、かなり見方が狭い。まあ、私程度の知識しかない者が、ネットと新聞の将来を語るなどは、とても畏れ多いことであり、それは十分自覚している。それを承知で言えば、読者との双方向性を担保し、ネット技術を利用しながら、有意義な対話を続けるべきだとの考えは変わっていない。


お暇な方は、以下の引用文をどうぞ。ただし、長くて、少々退屈です。

もっと読む(長文注意)
by masayuki_100 | 2007-06-26 03:07 | ★ ロンドンから ★ | Comments(1)

佐賀新聞の猫手企画さんが、北海道新聞記者のブログの現状というか、その後について書かれている。日本から遠く離れているので、何がなにやら、よく分からないが、猫手さんのこの記事を読むと、むむむぅと思ってしまうぜ。
by masayuki_100 | 2007-06-24 08:55 | ★ ロンドンから ★ | Comments(4)

高知は日本の独立国か

ある方からメールが来て、「すごいことになっている。高知は日本の独立国か」と教えてくれた。高知は私の郷里だ。そこを後にして思うに、確かに、高知県人は反骨心というか、へそ曲がりというか、強い者に対する反発みたいなものを抱えている人は多いような気がする。

で、「独立国か」というのは、高知県警と橋本大二郎知事の話である。詳しくは、ココを中心に、高知新聞の「高知県警捜査費問題」を読めば分かるが、県警と知事の対立が深まっているようなのだ。簡単に言えば、以下のような話らしい。

捜査費不正はありませんとして、県警が行った内部調査に対し、知事が「どうも信用できない」と、地方自治法の調査権を用いて独自に調査した。その結果を知事側が発表しようとしたところ、県警本部長が大二郎知事に向かって、「公表すれば知事は危うくなる」「取り扱いを慎重にした方がいい」と言ったという。知事が記者会見で、自ら明らかにした。発言自体は県警本部長も否定していないらしいが、県の警察トップが「危うくなる」と言ったものだから、もうたいへんな騒ぎである。

上で紹介した記事の中には、<県幹部らは「警察権力の政治家への脅迫。けしからん発言」「完全な脅し。捜査費問題に対する県警のごう慢な考え方が凝縮されている」と口をそろえて反発。ある幹部は「暴力団が『おたくにも小さい子どもさんがいるよね』とニヤニヤしながら言うのと同じだ」と強い憤りをあらわにした>という一文もある。

少し前、松岡農水大臣の自殺に関連し、安倍首相が「捜査当局から松岡農相や関係者を取り調べたこともなく、取り調べる予定もないと発言があったと承知している」旨を発言し、大問題になった(かな?)ことがあった。高知のこの話とは全く関係ないし、警察と政治の関係から言えば、全く逆の話ではあるが、「ここまで来たか」と思ってしまう。どちらも、怖い話である点で、似通っている。

この高知県警捜査費問題は、も四年も続き、県警は非を認めず、徹底抗戦が続く。怖い話であると同時に、変われない組織の哀しさも漂っているように思う。その点は、メディア組織も同じかもしれないが。
by masayuki_100 | 2007-06-23 00:57 | ★ ロンドンから ★ | Comments(1)