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ニュースの現場で考えること

けさは、新聞各紙で「阪神優勝」の記事を何度も何度も読み返しました。いやあ、良かったなあ。前回の2年前は、カイロに居る友人から、「こんな感じで盛り上がってますっ!」というメールが、優勝決定の直後に舞い込んだりして、とてもうれしかった。今回は妙に落ち着いてこの日を迎えた感じがするけれど、それでも阪神は阪神、タイガースはタイガースなのだ。

ずっと前、漫画家のいしいひさいちさんが「がんばれ タブチくん」で描いていたのだけれど、あの中に、弱いタイガースがセ・リーグを離れて、タ・リーグをつくろうとする、という話があって。所属チームはもちろん、タイガースだけ。これでずっと優勝だあ、と喜ぶ(笑)。そんなストーリーだった記憶があります。とにかく弱かったですからね。高校野球のPL学園と対戦したら何回勝てるか、なんて話も、ファンは真剣に交わしていたのです。

子供のころ、阪急ブレーブスは高知市内で、タイガースは高知県東部の安芸でキャンプを張っていて、よく見に行きました。阪急は自転車で、阪神は路面電車を使って。そのころ、阪急は福本、大熊、当銀、長池とか、そんな選手のいた時代です。ただ、あまりにも人気が無くて、俊足で知られた中堅手の福本と競走馬をグランドで競争させるイベントが西宮球場で開かれたとか。センターの定位置に馬と福本を並べて、マウンド付近まで競争させたらしいです(^^;  イチロー選手がオールスターのマウンドに立ったくらいで驚いてはいけません、ということですね。

で、阪神は、遠井、安藤、カークランド、藤田平、辻とか。そんな選手たちでした。キャンプの打ち上げでは、阪急・阪神戦が高知市営球場で行われるのが慣わしで、毎回、見に行ったなあ。それから、高知市内でパチンコ屋に入ろうとしていた阪急の山田投手からサインをもらった記憶もあります。ユニフォーム姿だったんですよ。今では、ユニフォームでパチンコ屋に行くなんて、そんな選手は居ないかもしれませんが。

今日の朝日新聞には、誰かが「阪神の黄金時代到来だ」みたいなことを書いていました。常勝軍団になるのは阪神らしくないから、なんとなく抵抗があるけれど、でも、今年はホークスに勝ってね。
by masayuki_100 | 2005-09-30 15:17 | ■2005 東京発■ | Comments(0)

作家・山中恒さんの著書に「新聞は戦争を美化せよ!」という1冊がある。第2次大戦に突入していく際、日本の新聞がどんな風に変わって行ったか、政府はどうやって新聞社の人事や記事に介入していったかについて、当時の膨大な資料を採録し、一冊にまとめ上げた大作だ。全部で956ページ、辞書より厚い大著だが、秋の夜長、ぼつぼつと読み進めていた。

著者は「初めに」でこう書いている。

<未だにアジア・太平洋戦争を「侵略戦争ではなかった」と言い張る人がいるし、それに便乗して、「自虐史観を排除せよ」と、あの戦争史をプラスで評価しなおそうという、歴史とほど遠い政治的主張を「自由主義史観」と名づけて頑張る人もいる。他国へ組織された国軍を送りこんで「侵略ではない」と言い切る根拠は何なのだろうか。>

そして、本文中で筆者は、こう綴る(以下は原文通りではない)。

・・・中国東北部に送り込まれた旧日本軍の目的が、刻々と変化し、ついには、「中国における排日排日貨の指導勢力を打ち懲らしめる」ことを戦争目的にしていく。さらに、それがいつの間にか、日・満(旧満州)・支(中国)連携による新秩序形成が目的だと言い始め、やがては「大東亜共栄圏確立」と「八紘一宇の願現」こそが、神の国日本に課せられた使命であると、言うようになった。・・・・

膨大な資料によれば、その過程では政府と旧日本軍は執拗に新聞の論調や人事に介入し、検閲を加えていくが、ある時期からは、新聞も軍部の意向に率先して迎合するようになる。その過程は、読んでいて、何とも言えず、苦しい。新聞だけでなく、作家も評論家も宗教家も、なだれを打って「迎合」していく。もとより、権力に迎合していく性根は、開戦の暗雲漂う、はるか以前からあったのかもしれないが。

開戦間近になると、大阪朝日新聞の取締役業務局長は、「新聞報国の秋(とき)」と題して、こう書いた。「こういう未曾有の大事変下においては国内の相克こそ最も恐るべきものであります。全国民の一致団結の力が強ければ、何物も恐れることはありません・・・この一億一心に民心を団結強化するためには真に国策を支持し、国民の向かうべき道を明示する良き新聞を普及することが、適切有効であることは今更論じるまでもありません」

東京朝日の記者はこう書いた。
「決戦下の新聞の行き方は、国家の意思、政策、要請など、平たく言えば国の考えていること、行わんとしていること、欲していること等を紙面に反映させ、打てば響くように国民の戦争生活の指針とすることが第一・・・例えば議会における各大臣の演説、偉い武官、文官の談話、法律や規則の報道、解説記事がその一端です・・・」

毎日新聞の当時のOBはこう記している。
「今日では(新聞は)平和産業の一部門だと解する愚か者はなく・・・インキはガソリン、ペンは銃剣である。新聞人の戦野は紙面である。全紙面を戦場に・・・ジャズに浮かれていた数年前の新聞は今日見たくも無い」

まだまだあるが、ここまでにしておく。政府・軍部による統制・検閲も凄まじいが、自らひざを折っていくような、崩れ落ちていくような、新聞の姿勢が、どうにも息苦しい。私は以前、終戦直前の数ヶ月間の新聞をマイクロフィルムから読み取り、そのエッセンスを紙面で紹介する企画を担当したことがある。ただ、その北海道新聞の当時の紙面は、ここに挙げたような「行け行け」の気配はすでになく、「大本営発表」もどこそこの都市が空襲を受けた、といった内容が大半だった。それだけに、戦争を前にした各新聞の異様な高揚ぶり、それを受け取った当時の国民の高揚ぶりが、何とも言えず、重い。

「新聞は戦争を美化せよ!」はほとんど毎晩読んでいたので、ページも終わりに近づいたが、何というか、どうも半世紀以上も前のことと思えないのだ。不思議な、既視感がある。それも、ごく、最近の。われわれ新聞は、あのころと同じことをやっているのではないか、という感じ方だ。

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by masayuki_100 | 2005-09-30 03:58 | ■2005 東京発■ | Comments(8)

小泉首相の所信表明演説

昨日は夜、神田・淡路町に事務所のあるアジア太平洋資料センターの自由学校に講師として呼ばれ、その後は、近くの居酒屋で受講生らを交えての居酒屋談義だった。そこで久しぶりにお会いした鈴木邦男さんと「朝まで生テレビ」の話になった。鈴木さんが初めてその番組に出演したのは、平成2年のことで、当時は大島渚さん、野坂昭如さん、小田実さんといった出演者は、実際にスタジオで酒を飲みながら議論していたそうだ。わあわあ、わあわあとした、何とも言えぬ番組の魅力は「酒」だったのかもしれない。で、鈴木さん曰く、最近のあの番組は出演者の多くが政治家で、しかも自身や所属政党の宣伝ばかりし、わが党こそは正しいという姿勢ばかり強調するから、議論にならず、おもしろくないのだという。もちろん、酒も出されていないらしい。

私はもう何年も「朝まで生テレビ」を見ていないので、何とも言いようがないのだが、鈴木さんの言う「おもしろくない」はぼんやりと分かるような気がする。政治に限った話ではないのだろうけれど、言葉や議論に幅広さや奥行きが感じられなくなったということなのだろうと思う。たぶん、言葉が平板で、深い洞察や人間としての深みのようなものがないのだ。選挙の例で言えば、「あなた自身の考えは?」と聞かれた候補が、「構造改革チームの一員として小泉総理をしっかり支えます」としか言わないみたいな。チームや政党が一つの目標に向かって走ることは悪いことではない。しかし、このあたりはなかなか上手く言えないが、「組織の構成員としての看板を外した、あなた自身の考えはどうなの?」ということなのではないか。少し古いところで言えば、後藤田正晴氏や野中広務氏といった方々は、そういった人間としての魅力があったと思う。「構造改革チームの一員として」ばかりを全面に打ち出す様子を見ていると、ついつい、「社会主義政党でもあるまいに」とちゃちゃを入れたくなってしまう。

そんなことを考えながら、昨日小泉首相が行った所信表明演説を読んだ。しょせん、臨時国会での所信表明演説だった言えばそれまでかもしれないが、どうにも読ませどころ・聞かせどころがない。いったい何を国民に伝えたかったのか、それがまるで分からない。与党で300超の議席を獲得したことについて、その覚悟も謙虚さも伝わらない。どっかの新聞が書いていたが、短さは史上2番目だったそうだ。私が最も注目していたのは憲法改正への言及なのだが、残念ながら、それもなかった。今年1月の施政方針演説では、小泉首相は演説の「むすび」で、「戦後60年を迎える中、憲法の見直しに関する論議が与野党で行われております。新しい時代の憲法の在り方について、大いに議論を深める時期であると考えます」と述べている。閣僚には憲法遵守義務があるとの理由によって総理大臣はこの種の発言をすべきではないとの意見が一部にあるが、私自身はそうは思わない。意見や考えを表明することに差し支えは無いと思う。むしろ、改正の意欲を強く持ち、そのように行動しているにもかかわらず(何せ首相は自民党の総裁なのだ)、それを見えにくくするような所作に危惧を覚える。

首相はなぜ憲法に言及しなかったのだろうか。参院の議席構成の問題はあるにしても、衆院であれだけの議席を獲得し、改正にいつでも踏み出せる状況になったから、ここはひとつ、社会を刺激せずに、ひっそりと(政治家流に言えば「粛々と」)コトを進めていこう、、、ということなのだろうか。それとも、先の選挙が「国民投票」だったと仮定して票数を積み上げれば、非与党の得票数が多かったことを冷静に考えたからなのだろうか。それとも、民主党の新代表が自民党以上に改憲に熱心なため、彼の発言に対する社会の反応を一つのモノサシとして見極めていこうということなのか。それとも大した理由は無かったのか。まあ、所信表明で憲法に触れなかった本当の理由など私には分かるわけが無いのだが。
by masayuki_100 | 2005-09-27 13:19 | ■2005 東京発■ | Comments(3)

寺澤有さんのブログの「警察庁記者クラブ事件」(現在は3回目まで)がなかなかおもしろい。早く、続きを書いておくれ!
by masayuki_100 | 2005-09-22 12:45 | ■2005 東京発■ | Comments(0)

憲法改正の国民投票は?

自民党と公明党の与党が300議席以上獲得し、おまけに、改憲論者である前原誠司氏が民主党の新代表になったことで、ここ数年、政権がやりたくてもできなったことが一気に(あるいはジワリと)進む雰囲気が漂っている。たぶん、その一つが憲法改正である。こう書くと、憲法改正をやりたがっているのは国民だ、各政党の議席比率はそれを示しているじゃないか、等々と反論されそうだが、それはひとまず脇に置いておく。

で、憲法の関係でいえば、最初に議論になるのは、「憲法改正国民投票法案」の行方だろう。これまでの議論では、この法案の中身は相当にいい加減だということが分かってきた。人権擁護法案や共謀罪などに勝るとも劣らぬ「みんな黙っておれ法案」なのである。そのことは、ずいぶん前に札幌のイベントでも発言したし、いい加減さの詳細は、ヤメ記者弁護士さんのブログ「情報流通促進計画」などでも詳しく論じられている。事実上の言論統制(ネット含む)だとか、問題点は種々あるのだが、それはまた別の機会に詳しく書くとして、大枠で言えば、私は問題は2つあると思っている。いずれも、法案が通って、実際に憲法改正案が提示された仮定した場合の話である。

一つ目。国民投票は、改正部分の賛否を個別に問うのか(=投票用紙には賛否を問う項目がたくさんある方式)、それとも一括で賛否を問うのか(=○×の記入箇所が一つしかない方式)、そこはどうするのよ、という問題だ。当たり前の話だが、憲法改正に賛成の人が国民の過半数を占めているからといっても、「賛成」の内容は一様ではない。24条は改正すべきだけど、9条改正はダメだとか、その逆とか、まあ、いろいろあるのである。

で、衆参両院が発議する改正案の改正箇所が1箇所、あるいは特定の一つの条文なら話は簡単なのだが、そうはなるまい。改正箇所が多数に上るのなら、その一つ一つを国民に判断させよ、というところが私の主張である。「この選挙は郵政民営化の賛否を問う国民投票だ」というセリフが先の衆院選では繰り返されたが、それと同じことを憲法改正でやってはいけないのではないか、と強く思う。

2つ目は、もし、発議された内容が国民投票で否決されたら、どうなるの?ということだ。例えば、9条について「自衛軍明記」の改正案が出されたとする。国会の人々の議論は、それが否決された際の対応については、これまでほとんど触れていない。地方自治体の住民投票などでは、たとえば産廃施設の立地が住民投票で否決されたら、その後、その自治体は住民投票で示された住民意思を尊重し、事実上、それに縛られる形で「脱・産廃宣言」を出すみたいな方向に進んだりするのだろうけれど、じゃあ、憲法の9条改正案が否決されたら、国会や国は「戦力不保持を定めた憲法が是認されたので、今後、自衛隊は縮小させます」みたいなことになるのだろうか。どうもそのへんが曖昧なのだ。
by masayuki_100 | 2005-09-22 12:41 | ■2005 東京発■ | Comments(8)

今度の総選挙、ネットやブログはどの程度、影響を与えたのか。その回答は、出口調査やなんかの際に、壮大な世論調査を実施してみないと、本当のことはなかなか分からない。ネットをいつも見ている・使っている人は「相当影響を与えただろう」と思うに違いないし、ネットから縁遠い人は「ネットで投票先を決めたかって?なんじゃそりゃ?」という感覚を抱くかもしれない。

要は、なかなか分からんよねえ、、、と思っていたら、Hotwiredに、「衆議院議員選挙に対するネットの影響力に関する調査」の結果が出ていると、知人から教えてもらった。この種の調査結果はほかに見当たらないし、なかなかおもしろい。それを覗いてみると、、、

<どのメディアから選挙に関する情報を得たか(複数選択)という質問では、「インターネット」は約34.4%。「テレビ」約86.2%、「新聞」約69.4%の次となった。また、得た情報の中で、投票の決め手となった情報源は何か(単一選択)という質問では、「テレビ」約46.5%、「新聞」約24.5%、「ネット」は約10.4%>

といった数字が並んでいる。サンプル数は1000と少し。この種の調査としては多いのか少ないのか適切なのか、よく分からないが、全体を読むと、今回の選挙とネットの関係がぼんやりと見えるような気がする。Hotwired の結論は、大きな影響を与えたとは言えない、ということらしい。確かに、詳しい数字を眺めていると、それは間違い無さそうだ。「ネットを参考にした」という回答者も、その中身は大半がポータルや大手メディアのHPなどである。ブログの影響度は、相当に小さかったようだし、そのブログも記事の内容の多くがメディアの報道の影響を受けていた(のではないか)などと考えを巡らせていくと、「ブログと選挙」の「ブログ」は、なんだか、両手から零れ落ちる水のような感じだ。

この調査は、ネット調査なので、回答者もネットユーザーに限られているようだ。ネットを使っていない人はそもそも調査の外にあるわけだから、そこも含めて勘案すると、この調査の数字はもっともっと(ネットの影響度が低下する方向に)変化するように思う。
by masayuki_100 | 2005-09-21 02:58 | ■ネット時代の報道 | Comments(8)

きょうの午前中、こんなニュースが流れていた。孫娘を連れて行った祖父母が、刑事罰を問われるかどうか、という裁判である。

孫連れ去り夫婦の判決延期 札幌高裁が審理再開 2005年 9月20日 (火) 10:31 
(以下gooの引用)

 実の娘の家から孫娘を連れ去ったとして、夫婦で未成年者略取の罪に問われた栃木県益子町の会社役員(56)と妻(55)両被告の控訴審で、札幌高裁(長島孝太郎裁判長)は20日、審理を再開し予定していた判決言い渡しを延期した。
 1審判決などによると、被告らは2001年11月、交際相手と暮らす娘と孫2人を自宅に連れ帰ろうと、札幌市の娘の家を訪問。口論となり、当時3歳の孫娘(7つ)だけを栃木県の自宅に連れ去った。
娘は宇都宮地裁に人身保護請求訴訟を起こし、地裁は両被告に孫娘の引き渡しを命じた。しかし2人は「自分たちで育てる」とかたくなに拒否したため、娘は未成年者略取容疑で告訴。札幌地検が03年12月、同罪で両被告を起訴した。(引用終わり)

 この裁判のこと自体は何も知らないが(いくら刑事事件とはいえ、この場合は被告人は匿名でいいのではないか。ニュースの原文は実名表記)、文中に出てくる「人身保護請求」の言葉にグサッと来る。人身保護請求は人身保護法に基づいて行われる。この法律は終戦直後、主に、タコ部屋や山深い工事現場などで事実上、移動の自由も身体の自由も奪われた人たちを解放する目的でつくられたと聞いたことがある。日本国憲法が制定され、日本で初めて基本的人権が保障される社会が誕生し、それに伴って成立した法律と言ってよい。

 タコ部屋などが事実上死語になった現在も、この法律に基づく人身保護請求は結構行われている。しかも、両親の離婚に伴う子供の奪い合い事件において、しばしば行われているようなのだ。

 何年か前の話になるが、札幌の裁判所で「人身保護請求」事件の判決に出くわしたことがある。原告席には元の夫とその親族。被告席には元妻。そして法廷の真ん中の席には、裁判所の係員に挟まれて、4、5歳の子供が座っていた。柵の手前側の傍聴席にも、それぞれの親族とおぼしき人がパラパラと座っている。

 判決は、あっけないほどだった。裁判長の一言で、原告側は静かに沸き立ち、判決の意味を弁護士から知らされた被告席からは、甲高い、叫ぶような声が上がった。 判決理由はもう覚えていないが、やがて、傍聴席との間を仕切る柵の内側で、係員が子供を原告席に連れて行く。「おお、元気だったか」と父親たち。

 このときは、もう子供は泣いていた。泣いて泣いて、「お母さん、お母さん」としゃくりあげている。さっきまで一緒だった母親は、法廷の反対側で金切り声を上げた。
 係員にせかされて、原告は子供を連れ、急いで法廷の外へ。そのまま廊下を走るように進み、エレベーターから消えた。子供の母である元妻はその間、子供の名前を何度も叫び、子供の方へ駆け寄ろうとするのを係員に制止され続けた。半ば揉みあうような形になりながら、女性の「○○ちゃーん」という言葉が途切れない。彼女は最後、法廷の中で泣き崩れた。そして、「いやだあ、いやだあ」という声が響く中、法衣姿の裁判官3人が姿を消した。

 その判決は一審であり、その後の行方は知らない。でも、両親はそれぞれに、何から何をどう「解放」してあげたかったのだろう。あの子供は、いったい、何から「解放」されたのだろう。
by masayuki_100 | 2005-09-20 12:41 | ■2005 東京発■ | Comments(4)

昨日のシンポジウムで同席したフリージャーナリストの寺澤有氏によると、警察庁記者クラブの仮処分申し立て事件がいよいよ佳境に入ったそうだ。この「事件」の経緯は、寺澤氏らが主宰するブログに詳しいので、まずはそちらを読んでもらいたい。 → (1) (2)

既に仮処分の審尋は4回に及び、来月初旬には5回目があるという。仮処分は、申し立てのあったその日のうちに決定が出ることも珍しくないが、異常な長さである。東京地裁はこの事件に対し、合議体で臨んでいるそうだ。あの週刊文春差し止めの仮処分ですら、裁判官1人だったことを考えると、これも異例と言えるかもしれない。

寺澤氏によると、当初の「警察庁長官の記者会見に寺澤本人らが出席することを妨害しないでほしい」という仮処分申請の内容は、その後、国側(警察庁)と記者クラブ側(3社)の出方を見た上で、「そもそも記者室に常駐していることが違法。それならば、こちらは『警察庁長官が懇談を行う記者室や会議室で取材することを妨害するな』という命令を求める」という主張に変えたのだという。

なぜ、記者室があって、そこに記者が居ることが出来るのか。私の知る限り、その点についての法的根拠はない。だから、記者室や記者クラブの存在を法廷で論じる際、法的根拠を持ち出したら(持ち出されたら)、クラブ側は、常識的には非常に分が悪くなると思う。仮処分申請の行方がどうなるかは分からないが、たとえ地裁レベルのみであっても、クラブ側が敗れた場合、影響は凄まじいだろう。

記者クラブ問題については、私も過去何度もこのブログに書いてきた。

ネット新聞社の記者クラブ加盟 北海道小樽市(8月5日)
第2次記者クラブ訴訟の法廷にて(7月24日)
「毎日毎日この記者クラブに来て取材ができるのか」(6月21日)
第二次記者クラブ訴訟と私の陳述書(4月14日)

そうしたこととは別に、ほかにも種々の動きがあるし、あった。少し指を折れば、世の中の流れはどちらに向かっているか、如実にわかる。ライブドアは気象庁の記者クラブに加盟申請した、EUからの記者クラブ解放要請・圧力は過去も今も途切れていない、国境なき記者団による記者クラブへの手厳しい批判、政権を取ったら会見を自由化する・記者クラブを止める旨の主張をしていた岡田民主党代表・・・。おそらく現状の記者クラブ制度を擁護する勢力は、既存メディア側しかいない。

どうしようもなくなって、しぶしぶ改革に乗り出す前に、既存メディアはこの問題を真剣に考え、すばやく行動した方が良い。日本新聞協会の会長も間もなく変わる。協会の新しい指導者は、最優先事項としてこの問題を解決してほしいと心底思う(私の考える方向性は過去の記事に書いたので繰り返さない)。そうしないと、新聞・テレビへの信頼はますます落ちる。だいたい、記者クラブが現行のままで存続しないと、取材や報道にマイナスだなんて、プロの取材者としては実に情けない話ではないか。
by masayuki_100 | 2005-09-19 03:36 | ■2005 東京発■ | Comments(0)

昨日9月17日午後、東京・駿河台で「市民による 市民のためのメディアを」というイベントがあり、シンポジウムのパネリストとして末席に座ってきた。主役は韓国のインターネット新聞「オー・マイ・ニュース」の代表、呉連鎬(オ・ヨンホ)さん。私は、発言しに行ったというより、呉連鎬さんの講演を聞きに行ったような感じになってしまい、言いたいことの半分も言えず、わざわざ会場に足を運んでくれた大勢の方には大変申し訳なかった。

呉さんやそのほかのパネリストの方々の話を聞きながら、あるいは、会場に足を運ばれた方々も交えての二次会、三次会での話の中で、私はいくつかのことを考えていた。

「市民による 市民のためのメディア」を掲げたインターネット新聞としては、すでにJANJANや日刊ベリタ、MyNewsJapanなどが存在する。それに加えて、新たにメディアを立ち上げるべきかどうかについて、私は結論を持っていない。しかし、仮に新たなメディアを立ち上げるとするならば、「市民記者」にすべてを賭ける方法は結局、うまくいかないのではないか、とぼんやり感じている。

オーマイニュースは3万人超の市民記者の存在がクローズアップされ、市民記者こそが屋台骨であることは良く知られている。しかし、よくよく話を聞いていると、必ずしも市民記者(の数)が最大の成功要因ではないのではないかと感じた。呉さんの著書「オーマイニュースの挑戦」などにも書かれているが、オーマイニュースにはれっきとしたプロの取材記者も多数いる。彼らスタッフ記者は、市民記者が追う事ができない独自取材や深層取材を重ね、オーマイニュース発のスクープが何度も紙面画面を飾ったという。「すべての市民は記者である」という手法もそうだが、そうしたプロ記者の記事の数々は読者の信頼を得る大きなきっかけだったようだ。

いまネット上には、膨大な情報が流れている。ブログの存在も数限りない。しかし、多くの情報が溢れていることと、すべての情報が開示されていることとは、同じ意味ではない。ブログが増えれば、それが新たなジャーナリズムになる、との議論がある。ジャーナリズムの定義をどうるかにも左右されるが、しかし、書きたい人が書きたい時に書いた情報のみでは、ジャーナリズムは完成しないと私は考えている。なぜなら、情報の中には「自ら発したい人が発した情報」だけでなく、「(取材者などが)取ってきた情報」も含まれるからだ。「ニュース」を判断基準にすれば、「取ってきた」情報の方が比重は高いかもしれない。

当たり前の話だが、世の中で情報をたくさん持っているのは、官公庁や大企業だ。情報はそこで加工されて表に出てくるし、表に出てこない情報も山のようにある。カネや法律を使って集めた情報を自在に使える人たちは、たいてい、自らの都合のよいように情報を使い、流し、都合の悪い情報は隠す。組織とはだいたいそういうものだし、組織幹部は自己保身やら組織維持やら、種々の利益に基づいて、情報を自在に扱っている。だから、「情報を取ってくる」作業が継続的に行われていないと、いかに多種多様な情報が溢れていようとも、肝心な情報はほとんど流通していないことも十二分にありうる話なのだ。

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by masayuki_100 | 2005-09-19 02:41 | ■ネット時代の報道 | Comments(2)

総選挙が終わって、ちょうど1週間になる。選挙期間中は札幌の本社に呼び戻され、3週間近く東京を不在にしていた。戻ってみたら、すっかり秋で、しかも今日は秋の満月だ。中空の月がひときわ綺麗で、銭湯の帰り、しばらく見とれていた。

月月に月みる月は多けれど 月見る月はこの月の月

という、まさにその感じである。私が住んでいるのは新宿区だが、このへんではコオロギが盛んに鳴いていて、無味乾燥な感じは全くしないのだ。

選挙からだいぶ日数が過ぎたこともあって、選挙について書くのは少し気が引けるが、◆木偶の妄言◆さんのエントリにもあったように、なんで北海道は民主党の議席が多かったのか、という点は興味がある。12の小選挙区のうち、自民党が勝ったのは4つだけ。しかも、そのうち3つは、外務大臣、経済産業大臣、党幹事長である(いずれも現職)。いわば勝って当然の大物だった。そのアドバンテージを考えると、民主が勝ったことが際立つ。日本全体の傾向とは明らかに違う。比例区の得票も、民主党の109万727票に対し、自民党は94万705票だった。およそ15万票の差がある。

ほかに全国と違う点は、新党大地の存在だろうか。新党大地の43万3938票だから、仮に新党大地が出ていなかったら、もう少し自民党は増えたかもしれないと思うものの、新党大地の票には民主支持層も相当に含まれている可能性があり、こうした仮定はあまり意味がないかもしれない。ただ、札幌市中央区などの「北海道1区」は、新人の自民党候補が相当に善戦した。もしかしたら民主党の横路孝弘氏に勝つかもしれない、と思わせる雰囲気があった。

で、なぜ民主党が自民党よりも多くの議席を獲得したか、という話なのだが、「想像」「推測」を交えながらいくつか思いついたことを記してみると、以下のようになる。もちろん、すべて「勝手分析」なので、誤解なきように。

(1)北海道は景気が回復しているという実感がほとんどない。完全失業率は5・7%ほどで全国平均より1ポイントほども悪い。いまの景気回復は大企業・中堅企業中心のものであって、中小・零細企業の景況感は大企業・中堅企業と差が開き、縮まる気配がない。これについては、「kitanoのアレ」さんが分かりやすく書いている。景気回復の実感が全くないところで、「小泉政権の過去の構造改革の成果」を喧伝したところで、「それ、なんだ?」という感じだったのではないか。逆に、例えば新党大地は「 今行われている構造改革では、勝ち組と負け組の格差が広がる。これに対して、弱い立場の人を守る公平配分型の政治を行う」と主張していたが、そういった主張のほうが道民には実感を持って伝わったのではないか。

(2)小泉首相は「郵政民営化」を中心に訴えたが、その流れ、ムードを簡単に言うと、「公務員叩き」だった。「公務員を守るものは悪い」という流れを実に演出したと思う。ところで、北海道は今なお「官の王国」である。公務員の実数とは別に、公共事業を中心として、経済の官依存度も高い。そこに連なる産業の裾野も広い。製造業が極端に少ないこともあって、民間主導の自律的な景気回復などとても望める状況ではないし、それに向けた明確な青写真もない。そういう状況の下で「公務員は悪い」「官は悪い」という路線を強調したことで、道民(含む公務員)はつまるところ、「北海道の状況がもっと悪くなるのは仕方ないというのか?」といった反発を覚えたのではないか。あるいは、「構造改革の推進=北海道のような地方切捨て」と感じたのかもしれない。

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by masayuki_100 | 2005-09-19 01:35 | ■2005 東京発■ | Comments(6)