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ニュースの現場で考えること

「メディア再生 最後のチャンス」 〝裏金追及〟に込めた意味

                        日本ジャーナリスト会議北海道支部のHPより転載



 気温は三五度前後だったと思う。八月十四日、猛暑の東京でJCJ大賞の授賞式に出席してきた。

 田中元首相の金脈問題を報じた立花隆氏と児玉隆也、リクルート事件の朝日新聞のチームなど過去には錚々たる人々が受賞している。そこに名を連ねることになろうとは思ってもいなかったし、正直、「大賞に値する仕事です」と自ら胸を張る自信もない。最初は「無視」一辺倒だった道警を内部調査に追い込み、裏金の一部を認めさせることにはなったとはいえ、警察の裏金問題は以前から全国各地で明るみに出ていたのである。そのうえ、今回の道警裏金に至ってはテレビ朝日の「ザ・スクープ」がいち早く報じ、われわれは二番手、三番手の位置から後追い取材に動き始めたからだ。

 ただ、強いて「成果」をアピールするならば、それは「裏金報道は新聞が本来の役割を取り戻す作業だった」ということを広く読者や同業者に理解してもらった点にあると思う。

 一連の取材結果をまとめた「追及・北海道警『裏金』疑惑」(講談社文庫)のあとがきで、私は以下のようなことを記した。少々長いが引用したい。

 「…最近の新聞、テレビは、権力機構や権力者に対して、真正面から疑義を唱えることがずいぶん少なくなったと思う。お行儀が良くなったのだ。警察組織はもとより、政府、政治家、高級官僚、大企業やその経営者などは、いつの時代も自らに都合の悪い情報は隠し、都合の良い情報は積極的に流し、自らの保身を図ろうとする。そして、権力機構や権力者の腐敗は、そこから始まる…ところが、報道機関はいつの間にか、こうした取材対象と二人三脚で歩むことが習い性になってしまった。悪名高い記者クラブに座ったままで、あるいは、多少歩いて取材したとしても、相手から提供される情報を加工するだけで終わってしまう。日々、華々しく展開されるスクープ合戦にしても、実際はそうした相手の土俵に乗り、やがて広報されることを先取りすることに血道を上げているケースが少なくない。権力機構や権力者を批判する場合でも、結果的に相手の許容した範囲での批判か、自らは安全地帯に身を置いたままの『評論』などが、あまりにも多いように感じている」

 「もちろん、こうした報道をすべて無意味と断じるつもりはない。しかし、権力機構や権力者に深く食い込むことと、二人三脚で歩むことは、同義ではないはずだ。読者は賢明である。報道機関が権力機構や権力者と築いてしまった『いやらしい関係』を、とっくに見抜いている」

 「事実を抉り出して相手に突き付け、疑義を唱え、公式に不正を認めさせていく。そうした報道を取り戻したい。記者会見では相手の嫌がる質問をどんどんぶつけたい。権力機構や権力者と仲良しサークルをつくって、自らも偉くなったような錯覚に陥ることだけは避けたい。記者クラブ取材のあり方、捜査情報をもらうだけの警察取材のあり方を根本から変えたい。報道もしょせん商売かもしれないが、しかし、もっと青臭くなりたい。オンブズマン組織にも劣るようになってきた『真の意味での取材力』を取り戻したい」

  新聞やテレビの報道は近年、横並び、官依存、権力依存をますます強めている。警察や検察がいったん「事件だ」とお墨付きを与えると、洪水のような報道が続く。「落ちた犬は徹底的に叩く」を地で行くものだし、その過程では、例えば、七月に起きた国松元警察庁長官狙撃事件の容疑者逮捕劇のように、権力への疑義の視点など微塵も感じられない。

 こうしたことは警察との関係だけでなく、政治家や官僚・官僚機構、大企業、経営者などとの間でも同様だ。北海道新聞社の道警裏金追及は、道警記者クラブ常駐の記者が担当し、道警と真正面から対峙し続けた。それは、権力と報道の関係を変えたかったからに他ならない。

 裏金実態を実名で告発した元釧路方面本部長の原田宏二氏は「今が道警再生の最後のチャンス」と語っている。われわれもまた、「今がメディア再生の最後のチャンス」だと思っている。
by masayuki_100 | 2004-09-01 03:32 | ■警察裏金問題全般