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ニュースの現場で考えること

デスク職に就いてしまうと、自分で動いて書くという作業が、なかなかで
きません。そうしたい場合はそうできるだろうし(実際、私の名刺は「北海
道新聞記者・報道本部次長」とあって、「記者」が先に来ています)、後は
本人の心がけ次第なのですが、まあ、実態として机に向かっている時間が圧
倒的に多いわけですから、この悶々とした思いは如何ともし難いものがあり
ます。

一言で表現すれば「かごの鳥」といったところでしょうか。

「井の中の蛙 大海を知らず」という有名な句があります。この句は「さ
れどその深さと井戸の青さを知る」と続くのですが、後段のように言えるた
めには、自分が「井の中の蛙」であることをしっかりと認識しないとダメな
のでしょう。誰もが井の中の蛙になりたくはないと思うけれど、いくらそう
思ったところで世界は広すぎる、奧深過ぎる、ならば「井の中」を認知する
ことこそが、「井の中」から脱出する唯一の方法かもしれません。

留萌在住の歌人の方と電話で話していたら、似たような句として

「わたくしの ほかなる生を 知らざれば 壺の内より 見る大銀河」

という句を教えてもらいました。

自分以外の多くの生命への感動と共感。それがあればこそ、というか、
そうであったとしても、自分は1人でしっかり生きていくほかはないという思い。
狭い壺に1人佇むような孤独を感じたとしても、その底からは
きっと大銀河が見えるのです。私はそう信じていたいと思います。
by masayuki_100 | 2003-03-31 17:02 | ■時計台(日記です) | Comments(0)

きょうは、東京での政治取材の話です。

私自身は東京勤務時代は日銀や財務省など経済担当が長く、政治取材の経験は、外務省を担当した1年間しかありません。本来的には「政治取材」の部外者ですから、大きな誤解があるかもしれません。しかし、取材する側がいつも「番記者」として、事実上のサークルを作って、取材相手と懇親を繰り返し、相手の機嫌を損ねないようなアプローチしか出来ていないのが、おそらく今も実態でしょう。

昨年夏ごろだったでしょうか。

夜回り取材に出掛けた国会議員の宿舎で、私は異様な(少なくとも私は「異様」と映りました)光景を目にしました。

ロビーのソファにドッカリと腰を降ろした青木幹雄氏。それを「立ったまま」取り囲む若い政治記者の面々。青木氏が何か喋れる度、一堂はうなずき、質問するときは恐る恐るといった感じで「先生、お尋ねしても宜しいでしょうか」。その繰り返しでした。「懇談」が終わって、青木氏本人がエレベーターホールに向かう際は、全員が起立したまま、姿が消えるまで見送り、姿が消えれば、互いに「あの言葉の意味は?」「あれはこういう意味だったよね」と、いわゆるメモ合わせを行う…。そういった光景でした。その種の光景はそれこそ何度も目にしましたし、一時は何も思いませんでしたが、あの時はなぜか、「この光景をカメラに納めたら立派なニュース写真になる」と思ったものです。

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by masayuki_100 | 2003-03-30 16:54 | |--記者会見が勝負 | Comments(2)

9・11直後のニューヨークタイムスの外交コラムをまとめた本をいま読んでいます。その中で、とりわけ印象に残ったのは、「みんな普通の暮らしをしよう」という執拗な呼びかけです。当時はブッシュ大統領も同じ呼びかけをしていましたが、恐らく、大統領の意図したこととは別の意味で、これは非常に大切なことだと最近感じています。

作家・松下竜一に「豆腐屋の四季」という作品があります。

学生運動などで、世間が揺れていた1970年代。東京で繰り返される「闘争」を横目に、豆腐屋の丁稚だった松下は「あんなことを繰り返しても世の中は変わらない。大事なのは今、豆腐を作ることだ」といったことを感じます(私の記憶です。違っていたらごめんなさい)。

日常の積み重ねこそ、社会です。
メディアはこれから次々とイラクの「戦況報道」を続けるでしょう。
それが、「日常」になるのも時間の問題です。

しかし、日本には多くの豆腐屋が今もあります。
それを忘れないでいたいと思っています。
抽象的な表現ですが、今はそう思っています。
by masayuki_100 | 2003-03-14 16:49 | ■本 | Comments(0)