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ニュースの現場で考えること

本日のニュースで注目したいのは、道内のある小学校での話。

ヤミ金からカネを借りて返せなくなった人に対し、激しい取り立てが行われることは、今や常識になりました。きょうのニュースは、その取り立てが子供の通う学校にまで及んだ、という内容です。取り立ての電話が連日、学校にかかり、「あの親がカネ払わないんだ。先生からも言ってくれ。カネ返さないと、ガキがどうなるか分からないぞ」と脅す内容だったそうです。危険を感じた学校側は急遽、集団下校を実施。騒ぎは瞬く間に地域全体に広がりました。

警察などの統計を見ていると、ヤミ金に関する被害届や相談は一昨年秋ごろから急増していることが分かります。まさに倍増、倍増です。世の中で「構造改革」歓迎ムードが広がり、「負け組みが出るのは仕方ない」といった雰囲気が広がった時期と軌を一にしています。カルロス・ゴーンさんが賞賛され、リストラそのものへの批判がしずらくなった時期、と言い換えても構いません。激しい首切り、正社員から派遣社員への雪崩のような交替、サービス残業の増加。そうした「リストラ」に対する反旗を嫌い、リストラ時代を乗りきるノウハウ、リストラされないノウハウの習得(?)を重んじる。そんな空気の中で、ヤミ金問題は静に、さざ波のよう
に広がっていました。

自分だけは、負け組みになるはずがない。そういう思いは「自分だけは交通事故で死ぬはずがない」という根拠のない思い込みに、どこか通じる感じがします。実際、「どうやって食べていけばいいんだ!」という思いを抱く人は、凄まじい勢いで増えている実感があります。札幌のある中古車販売業者によると、「クレジットカードの使えない人が急に増え、売り上げがどんどん落ちている」そうです。彼によれば、従来は「息子が免許を取ったのでクルマを買ってやりたい。最初だから中古でいい」という40-50代の大人が顧客の中心層でした。ところが、この層でいつの間にか、クレジットカードの使えない層が急増している。リストラなどで勤
務先を代わった、リボルビング払いの多様で残債が増えクルマを買えば限度額を超す、といった内容です。

ある金融関係者に聞いた話では、老舗のヤミ金業者は、最近の新規参入組に手を焼いているそうです。実は、貸金業登録は年令制限がありません。書類さえあれば、誰でも「知事登録」できます。10代でもできます。で、その関係者によると最近は50万円の元手で開業する若い奴が増えて、目障りで仕方ない、と。50万円の元手があれば、10人に数百万円を貸せる。「10万円貸すが、8万円は利息の先取り分として、こっちで取っておく。お前の手に渡るのは2万円だが、借用書は(実際は借用書を作る例は希)10万円だ。利息は10日で1割だぞ」とか。こういう手法を繰り返せば、あっという間に「数百万円を貸したことにできる」ので
す。脅し口調や手口に覚えがあれば、それこそ、誰にでも出来ます。

おそらく、今年はヤミ金問題が日本中でさらに大きな社会問題になるでしょう。石油ショック後、サラ金が大問題になったように、です。日本中の金融機関という金融機関も「儲かるのは個人向けの貸し付け」として、個人ローンに乗り出す時代。日銀は事実上のゼロ金利を継続しているというのに、ヤミ金の末端では「年利数百%」「2000%」がまかり通る時代。自己破産者の増勢にどこでストップがかかるのか見当も付かない時代。そうした中で「個人の自己責任」は跋扈しているのです。

昨日、北海道開発局のある幹部とススキノで飲んでいた時も、この話題になりました。業種別就業者を見れば、道内の建設業従事者の割合は、全就業者の15%。郡部の町村に行けば、30%に跳ね上がるケースも少なくありません。炭砿や漁業がダメになった時、それらの仕事に就いていた人は次々と建設業に流れました。バブル後の景気対策で公共事業関係費が急増した際、さらに建設業就業者は増えました。「そういう中高年が今、サラ金にまみれている」と幹部氏。公共投資を増やす方法では、この不況を立て直すことができないことは、もう自明です。

しかしながら「構造改革」路線に乗って、「勝ち組はより強く、負け組は勝ち組の能力発揮を邪魔しないように」という現在の流れを強めることで、いったい、どんな展望が開けるというのでしょう?
by masayuki_100 | 2003-02-14 16:45 | ■政治・経済・国際

きょうはJR札幌駅の新駅ビル「JRタワー」の合同就職説明会に1200人が殺到した、という原稿を同僚が執筆中です。不況で就職難が著しい札幌では、新駅ビルに多数入居するテナントは大きな魅力です。

そこに集まった人たちは、どんな思いで職を探しているのか。全国の失業率は5%超が常態化し、札幌でも街角から人影が消えています。週末であってもススキノは、ガラガラです。

最近、会う人ごとに「北海道新聞の社会面は面白くない」と言われ続けました。私自身は必ずしもそう思っていないのですが、読者にすれば、社会面から人々の息遣いが読みとれないからかもしれません。

もっとも、思い当たることもあります。それは最近の社会面は、役所や団体、NGOやNPOの組織名を主語とする原稿が、なんだか急に増えてきたということです。

本来なら、AさんやBさん、Cさんを主語とする原稿がもっとたくさんあっても良いのでしょう。「足元から社会を見る」というと何だか大袈裟で、かつ正義漢ぶっていて居心地が良くないのですが、1人1人の肉声や息遣いを通じて社会の歪みを照射する努力は、もっともっと必要です。それは間違いありません。


政治記事や経済記事も同じ問題を抱えているのでしょう。「小泉改革には大きな問題点がある」と力んでみても、改革の矛盾は、永田町や霞が関に存在するわけではありません。世の中のそこここに、札幌の街角や道内の寒村、都会の雑踏といった社会の中でこそ、矛盾は噴き出しているのです。

それを自分の目で見て、鋭く感じ取ることなしに、「小泉政権はー」「財務省はー」といった主語の原稿を重ねても、読者との距離はなかなか縮まらないでしょう。

永田町・霞が関で日々取材に走りつつも、時々は狭い世界を捨て、現実社会の中で矛盾を感じ取る。それがどんどん忘却されているようです。私自身が東京時代にほとんどできなかったことですから、余計にそう思ってしまいます。「なかなかそうはいかないよ」「記者クラブ詰めや番記者だから無理」という惰性の中で、志をどこかに置き忘れたのでしょうか。

記者の世界に残る(こびりついている、と言った方が正確ですね)、それらの古い因習にしがみ付くことでしか政治記者・経済記者を続けられないとしたら、そんな状態で製造される記事の数々はますます「官報」になってしまい、世の中を変える原動力どころか、読者にも振り向いてもらえないに違いありません。

メディアに世の中を変える力が残っていれば、の話ですが。
by masayuki_100 | 2003-02-13 16:34 | ■ジャーナリズム一般